00-58 カヤネズミ【考究】
過去編(その10)です。
真顔で正面から尋ねられたヤチネズミは、隣室の同輩の言わんとしていることを捉えようとした。しかし何度瞬きしても真意が見えてこない。
「だからあ、」
カヤネズミは落胆を隠さずに大きく息を吐いた。
「塔が夜汽車をト線に送るのは地下の連中が塔まで進行してくるのを防ぐためだろ? 『夜汽車をあげますんで塔は勘弁してくっさい』ってさ。それで地下は満足してくれてんなら塔としてはそれで万々歳なわけじゃん」
「万々歳ってお前…!」
「それなのに、俺たちには地下掃除してこいって変だろ。なんでせっかく夜汽車を犠牲にして成り立ってる和平をぶち壊そうとしてんだって話だって」
ヤチネズミの怒りを全く相手にしないでカヤネズミは言い切った。口を挟めなかったヤチネズミは反論を考える。
「……それは、あれじゃね? その……あれだよだから…、夜汽車を地下に差し出してはいるけど、腹の底は煮えたぎってんだから、夜汽車とは別のとこで仕返ししてやろうっつう…」
「だったら俺らが仕掛けた時点で地下は塔に仕返し返してきてるって」
的確すぎて何も言えない。
黙り込んだヤチネズミを見計らってカヤネズミはさらに続ける。
「そもそも『ト線』なんて変な名前、誰がつけたんだよ。どういう意味だよ」
「そんなのアイにでも聞けば…」
「なんでト線なんてあるんだよ」
「それは夜汽車を地下に送るために…」
「なんで地下と塔はつながってるんだよ」
「それは……」
ヤチネズミは完全に沈黙した。教わってきた常識をもってカヤネズミの疑問を論破しようと試みたはずが、反対に疑問こそに納得してしまう。正しいはずの知識がそこかしこで綻びていくのを感じる。
カヤネズミにじっと横顔を見据えられていたことにも気づかずに、ヤチネズミは口元を手の平で覆っていた。
「だったらなんで調査なんて…」
言いかけてヤチネズミはそれ以上に重大なことに気がついた。
「なんで『薬』が必要なんだよ」
「それだよ、それ。遅えよ、ヤチ!」
カヤネズミが真剣な面持ちで悪口をかます。こいつはよほど俺のことを馬鹿にしていたらしい。ヤチネズミは瞬間いらついたが、それ以上に問題の核心に関心が向いていた。
カヤネズミが三度、黒目だけで周囲を窺う。接触しそうなほど額を近付けてくると耳元で聞きとるのに体力を消耗するほどの小声で囁いた。
「地上の環境に耐えられるように薬が要るって言うなら地下の連中なんて地上に出て来れないはずだろ? でもあいつらは俺らよりもずっと長い時間地上に出てるし下手すりゃ身のこなしだけならネズミの方が劣る。薬無しでも地上を歩くことは出来るんだよ、っつうか実際出来てるし」
「出来てるか?」
ヤチネズミは眉根を寄せる。
「出来てるじゃん、シチロウとか」
「シチロウにはトガちゃんの薬が入ってんじゃん」
「ほとんど使えてないんだって。っつうかあれは入ってるうちに入んない。怪我しない限り効能がないなら怪我しないシチロウは全く薬、使ってないじゃん」
シチロウは怪我をしていないのか、とヤチネズミはカヤネズミの話の趣旨とは別のところで安心する。
「シチロウが地上にいても平気でいられる時点で薬なんて必要ないって証拠なんだって」
地上を調査するために教育を受け、鍛えられた。地上の環境に耐えうるために薬を入れられた。しかし調査など必要なくて、薬さえも不要だったという。
「……なら何のための検査だったんだよ」
必要ないのに薬は作られたのか? 不要な物のためにトガリネズミは死んだのか?
「薬は必要だったんじゃね?」
カヤネズミがそれまでとは正反対の見解を口にしたものだから、カヤネズミは混乱して瞬きを繰り返しながら顔を上げた。
「カヤ、酔ってる? 薬は必要ないって言ったのカヤじゃん」
「地上に出てくる分には必要ないって言ったんだって。でも薬そのものは必要なんだよ。だから俺たちは必要だったんだよ」
「さっき俺らは必要ないって言ったのカヤじゃん!」
「必要だったんだって塔では!!」
大声を出したカヤネズミにヤチネズミは上体を引いた。仮眠を取っていた面々が動いた気がして揃って肩を竦める。
「つまりどゆこと」
必要最小限の文字数で要約を促す。
「……塔は薬が必要で薬を作ったり増やしたりするネズミも必要だった。でも必要なくなったネズミと薬は塔の外に出した…、『捨てた』って考えられなくね?」
早口のくせに口角を激しく動かして歯切れよく言い放たれた一文は、ヤチネズミの耳にも頭にもちゃんと届いて理解も同時に出来た。おかげで言い返す言葉が見つけることが出来なくなった。無言で見つめて来るカヤネズミの目を見つめて、ヤチネズミは息と共に困惑を吐きだす。
「んだそれ……」
「薬は必要なんだろ、きっと。じゃなきゃ生産体も受容体も、ネズミと夜汽車の選別もないって。でも俺たちはもう必要じゃないんだよ。だから塔から出された」
「カヤ……?」
「必要なら手放さないはずだ。現にアカはずっと塔にいるだろ?」
「アカが?!」
初耳だった。とっくにどこかの部隊に入って、アカネズミくらいに優秀ならばもしかしたら既に部隊長にまで昇りつめて地上で活躍しているのではと思い込んでいた。
「アカはまだ塔にいるのか?」
「ヤチ、同室なのに知らなかったの?」
「他の部隊の話なんてどこで聞くんだよ」
「ヤチは生産隊だったっけ」
勝手に納得してカヤネズミは視線を逸らした。セスジネズミにもそんな態度を取られたことを思い出す。
「なあ、それどういう意味だよ」
「生産体はまた別なんだよ」
「別ってなに…!」
声量が上がりかけて咄嗟に口を閉じ、背中を丸めて言い直した。
「セージもそんなこと言ってたけど何なんだよ、その差別」
生産体も受容体もネズミであることに違いは無いのに。
「生産体は希少だろ? だから例えいらない薬だったとしてもすぐに捨てるのは惜しかったんじゃね? 備蓄っつうか保存用として死なないように特別扱い受けてんじゃん」
初耳過ぎて反応できない。
「生産体ってどんな屑でも部隊長になるだろ? 部隊長って指揮するだけで絶対、前出てこないじゃん。時々塔に帰ってくつろいでるし、廃駅なんて絶対近づかないしめんどくさいこととか危ない業務は全部受容体の仕事」
定期的に塔に帰ることを義務付けられている。採血と精密検査には数日を要する。それを『くつろぐ』と表現するかは別にしても。
「ヤチは掃除したことある? ないだろ、生産体だからだよ。生産体は死なない業務しかしないんだって」
ハタネズミ隊は女の捕獲が主な業務だった。別の隊の掃除を手伝うことはあっても後方支援と医療行為に借りだされるばかりだった。
「セージが生産体嫌ってるってのはほんとだろうけど、セージだけじゃなくて受容体は大体みんな嫌いだよ。不公平感丸出しなんだから当然じゃね?」
ヤマネの態度を思い出す。ハツカネズミたちとの再会の時の反応を、カヤネズミの顔を。
カヤネズミはヤチネズミの愕然とした横顔に気付いたようだった。失敗した、といった顔で面倒くさそうに舌打ちしつつ、つい口走り過ぎたことをそれなりに反省して取り繕おうと試みる。声色を変えて仮面をつけて、妙な調子で快活に語り始めた。
「でもまあ、あれだよ。生産体に不満もあることはあるけど、個別に見れば別にヤチが餓鬼どもに馬鹿にされてるのはヤチの性格によるものなわけじゃん? 単にヤチの責任だから生産体のせいとかじゃ……」
墓穴を掘ったと気付いた時には手遅れだった。ヤチネズミは完全に項垂れて口元を手の平で覆っている。
「あ゛〜、だからまあ、今のは事実だけど別に生産体が悪いというわけじゃないということを…」
「そういうことか」
カヤネズミの懸念は外れていたようだ。ヤチネズミは自分の慕われなさに落ち込んだわけではなかったらしく、むしろ目に力を宿していた。片手で口元を覆いながら、もう片方の握られた拳を見つめている。
「カヤ、」
「はい、ヤッさん!」
「生産体が部隊長になるのは生産体が優遇されてるからじゃない。受容体を助けるために生産体は死なないところにいるんだよ」
今度はカヤネズミが反応しきれなかった。ヤチネズミはぽかんと口を開けている同輩に向き直る。頭の回転の速さを信じて誤解を解こうと力説する。
「生産体は基本、自分の薬以外は受け入れられない。でも受容体なら入れられる。合わない時もあるけど受容体が瀕死の時に生産体の薬を入れれば、一か八かでそいつは助かるんだって。
でも反対は無理だろ? 生産体が死にそうでも受容体は何も出来ない。だから生産体は死ねないんだって、受容体を死なせないために」
―死ぬ以外なら何してもいい。だから俺にもやらせろ―
あの言葉の、前半部分の本当の意味をヤチネズミはようやく理解した。
しかしカヤネズミは納得しなかった様子だった。話の内容は理解したと言っているが不服そうに顔を背ける。
「生産体によるってそれ。お前の前の部隊長さんは徳の高いお方だったみたいだしそういう考えもあったかもしれないけど、生産体の奴らが全員、そんなつもりでいるとは限んないって」
「どういう意味だよ、それ…」
「だったらなんでヤチはこんなとこに来たんだよ」
反論を遮られて向けられた質問に、ヤチネズミは眉をひん曲げた。
「『こんなところ』?」
「死んじゃいけない生産体さまなら塔の中でも生産隊ででももっと安全なところで俺ら受容体が死んでくとこ見てりゃいいじゃん」
どうしてそこまで生産体を毛嫌いするのか。自分だけならまだしも『生産体』と一緒くたにされては黙っていられない。ハタネズミたちを馬鹿にされたままでいられない。
「言っていいことと悪いことがあんだろ」
ヤチネズミが本気で凄んだ時、「カヤさん」
声変わり前の高い声に揃って振り返ると、カヤネズミを慕っていた子ネズミたちだった。タネジネズミと、何と言ったか。
「どした?」
カヤネズミが仮面の笑顔で返事する。子ネズミたちは「来ました」と小声で言って微かに首を後ろに回した。カヤネズミの笑顔がすっと消える。
「あれが……」
ヤチネズミは目を凝らす。
「ヤチ、」
カヤネズミは近づいて来る影を睨みつけたまま、ヤチネズミに耳打ちした。
「ヤチは俺と一緒に後方支援を志願しろ。この隊は初めてだし生産体だからムクゲも聞いてくれると思う。掃除が始まったら何もすんな。いいか、なんにもするなよ。見てろ。ただ見てろ、いいな」
真面目な顔で、聞きとるために集中力を必要とするような早口で、隣室の同輩は生き残るための忠告を寄こした。
「おい、さっ…」
先の話の続きは持ちこさざるを得ないと気付く。気になることと腑に落ちないことがいくつもあるが、とりあえず今は。
「下手なことすんなよ、見てればいいからな」
カヤネズミはヤチネズミを一瞥すると立ち上がり、子ネズミたちを押し退けて後ろ手で座るように指示した。寝ないはずの子ネズミたちは無言で腰を下ろし、そして瞼を閉じて横たわった。張りつめた空気にヤチネズミも身構える。そして、
「おつかれさまでーす! ムクゲさあん」
誰だ、お前。
カヤネズミの笑顔の仮面と明るい作り声にヤチネズミは唖然とした。しかしそれよりも、
「た~だいまあ! みんなそろそろ起きよっか。夜だよお」
想像とかけ離れた男の登場に色んなものが停止した。