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3-203 来訪

 よるの下で、ちへいせんの向こうにつづく『せんろ』の先をじっと見ていた。はれていたのかくもりだったか、雪でなかったのはたしか。


「早いよ、お前」


 声をかけられてふりかえる。おいかけてきたのは、いきを切らしたお兄ちゃん。そのうしろにはおにごっこしている男の子たちと、ぜんぜんみまもり(・・・・)もしないでしゃべっているおばさんたち。


「お兄ちゃんがおそいんだよ」


 わたしが言いかえしたら、お兄ちゃんが口をとがらせた。へんなかお。


「まだ来ないだろ。こんなに早く出てくることなかったのに」


「もうくるもん。ウミちゃん『よるになったらすぐいくよ』って言ってたもん」


「向こうをすぐ出たってこっちに着くのはだいぶ後なんだよ。わかったらほら、地下(なか)入るぞ」


 白いいきをはきながらお兄ちゃんがまわれ右した。でもわたしはうごかない。だってウミちゃんと約束したんだもん。


 わたしはひざをかかえた。お兄ちゃんがちらっとこっちを見ている。おおげさにためいきをついて、お兄ちゃんがまたぶちぶちもんくをいってくる。


「待ってたって時間のむだだって」


「だってウミちゃんが…」


「ああもうわかった! だったらお前は朝になっても昼まで死ぬまでそこにいろ!」


 そんなこといわなくたっていいのに。


「あさになったらちゃんと入るもん! ウミちゃんがくるまでだもん!」


 お兄ちゃんのばか。


 わたしはりょうてでかかえたひざの上に、あごをのせた。ぜったいにうごかないつもりで、じっと『せんろ』を見つめていたら、


「お前だけおいてったらお父さんに怒られるのは俺なんだよ!!」


 お兄ちゃんがおこった。まだいたんだ。だったらお兄ちゃんはお父さんにおこられればいい。いっしょにまっててくれないお兄ちゃんがわるいんだもん。


「勝手にしろ!!」


 びっくりしてふり向くと、どすどすととおざかっていくせなかが見えた。あれは本気でおこっている。どうしよう、お兄ちゃんほんとうにいっちゃうの? 


「お兄ちゃん…、」


 よぼうとしたちょうどそのとき、ばちがいな音がひびいた。わたしはびっくりして固まる。ふりかえったお兄ちゃんが目を見ひらいてどこかを見つめている。


「お兄、ちゃん……?」


 へんじがない。そんなもの、わたしもかえしてもらえるなんておもっていない。お兄ちゃんの見ている先にくびをまわすと、てつの『のりもの』が走っていた。男の子たちがその『のりもの』とおにごっこしている。おばさんたちはあっというまにおいつかれている。『きゃっきゃ』が『ぎゃーぎゃー』にかわっていて、のりもののきたない音とかさなって、なんだっけこれ。ええと、


「ネズミ……」


 うわごとみたいにお兄ちゃんが言った。


 ネズミが出たらにげろ、お父さんが言っていた。なんどもなんどもいっていた。でも見たのははじめて。そしてそれが目のまえにいるっていうことは。


 『のりもの』が一だい、こっちにむかってきた。にげなきゃ。そうおもうのにうごけない。まぶたが、くちが、うでが足が、なんにもぜんぜんうごかない。あせがせなかでつめたくて、むかってくる音よりも心ぞうのほうが耳のおくでうるさくて。ネズミが出たらにげろ、お父さんの声がきこえる。ネズミが出たらにげろ、わかっている! ネズミが出たのだからにげなきゃならない。ネズミがだから、ねず……


「走れ!!」


 お兄ちゃんの声でわたしのからだはうごきだした。

はしる。はしる、『かいさつ』へ。中にはいればだいじょうぶ。なのに、


 ころんだ。なんかにつまづいた? 足がもつれたのかもしれないわかんないけどとにかくすぐに立ちあがらなきゃ、


「早くしろ!!」


 かおをあげる。お兄ちゃん。うしろからちかづいてくるいやな音。


「おにいちゃ…」


 手をのばした。つないでほしかった。もどってきて手をつないで、ひっぱってもらっていっしょにはしって中にはいろうっておねがいしたつもりだったのに。

 

 お兄ちゃんは、はをくいしばると全そくりょくではしりだした。『かいさつ』はすぐそこなのに、べつの方に、わたしにせなかをむけて。


 おいていかれた、すてられた。七もじと五もじがあたまの中でぐるぐるする。おいていかないで、お兄ちゃんまって、ごめんなさい。いまさら言ってもおそいのに、なかなおりのほうほうをさがして、手をのばして


「まってお兄ちゃん、いかないでー!!」



 *



 自分の声で目が覚めた。全身汗だくで寝具も濡れている。


 嫌な過去(ゆめ)を見た。






 ゆびですなをなぞる。『せん』と『せん』がかさなると、でこぼこがはげしくてよみづらくなるから、なるべく大きくかく。しゃがんだままではかききれなくて、あたしはたちあがっておおきく、おおきく『じ』をかいた。


 おかあちゃんできたよ! あたしはふりかえる。でも、おかあちゃんはぼんやりとして、ひだりてでみぎのひじをかいていた。おかあちゃん? おかあちゃんってばぁ。おかあちゃん!


「出来たか」


 やっときづいてくれた。なんだかきょうは、ずっとぼんやりしている。おかあちゃん、きょうはやめとくけ? かおいろわるいぜ。


 あたしはおかあちゃんをみあげたけれども、おかあちゃんはひだりてであたしのあたまをぽんぽんしただけだ。こっちをみていない。


「『よや…め? さやー、…き』」


 おかあちゃんは、おじちゃんをにらみつけるようにしながら、いちもじ、いちもじをくぎるようにしてよみあげた。


「………呪文?」


 なーん、ちがうっちゃ! ちゃんとかいてるしょやあ! あたしがくびをふると、おかあちゃんはこまったかおになって、またみぎひじをかきはじめた。


 あたしはしゃがみこんで、じぶんのじを見なおす。なにがちがうのかな。おかあちゃんがおしえてくれたとおりにかいたがに。


「『お、か…、ち、や…』」


「『おかあちゃんすき』、でない?」


 いつのまにか、スッポンのおばちゃんがうしろにいた。せなかのモッくんは、めずらしくしずかにねている。


「『おかあちゃん好き』か」


 おかあちゃんもやっとわかってくれた。みぎひじをかくのをやめて、うれしそうにあたしの『じ』をみつめている。


「ヤモリ、あんた随分書けるようになったねえ」


 えへへ。


「でもちょっと足りないわ」


「ちゃんと書けているだろう」


 おかあちゃんがむっとしておばちゃんにいったけど、おばちゃんは「どきな」とおかあちゃんをよかして、『おかあちゃん』と『すき』のあいだに三ぼんせんをつけたした。


「ヤモリはこっちでないかい?」


 なんてよむが?


「『おかあちゃん、(だ〜い)すき』!」


 スッポンのおばちゃんがにっこりわらった。あたしもうれしくなってわらう。


 おかあちゃん、だいすき。おかあちゃん、だいすき。おかあちゃん、……、



 *



「早速練習してるわ」


 屈みこんで砂の上で書写の練習に励むヤモリに目を細めて、スッポンは言った。


「あんたが教えてるのかい?」


「ヒメみたいに上手くはできないけど」


 トカゲも小さな背中を眩しそうに見つめながら言う。


「教えられるってことは、あんたもだいぶ読み書きできるようになってきたってことでしょや、自信持ちな!」


 謙遜する背中をスッポンは激励した。


「モドキは今日は静かだな」


 トカゲが息子に目を向けてきた。スッポンは「『今だけ』は、ね」と苦笑する。


「何かあったか? 今日は作業も鍛錬もなかったと思ったけど」


 トカゲは呼び出しされたとでも思ったのだろう。スッポンは「やーそうでなくて」と首を振る。


「採寸さしてもらおうと思ってさ」


「『さいすん』?」とトカゲ。


「あんたの腕の長さば測らしてって言いに来たの」


 スッポンはトカゲにもわかる単語で説明し直した。


「何のために」


「イシにさしたらあんたら絶対喧嘩するべさ」


「喧嘩以前にイシガメには半径一里以内に入られたくない」


「駅から追い出すつもりかい」


 イシガメの名前を出した途端に不機嫌になったトカゲの左手を取り、スッポンは勝手に採寸を始めた。


「あれは着ないからな」


 ふくれっ面でトカゲは言う。


「今だけだよ? そのうち着たくても似合わなくなるんだから」


「何年経っても着たくならないからいい」 


「シマちゃんからこの間(こないだ)もらったやつは?」


「もう少ししたらヤモリに着させる」


 スッポンはため息を吐いた。姉が頭を抱える理由がよくわかる。


「羽交い絞めさしてでも着さすからね」


「必要ない」


 言って腕を振り払おうとしたトカゲに、


「あんたの義手作ってんの!」


 スッポンはついに種明かしした。トカゲは目を見開いて振り返る。


「言いだしっぺはイシ。前のやつ無くしてから姿勢悪くなったって言ってたよ」


 正直、従弟がそこまでトカゲのことを注意深く見ていたことにスッポンは驚いていた。


「まぁ、一番張り切ってるのはクサだけど…」


「別になくても問題無い」


 イシガメに心配されたことが癪に障ったのかもしれない。トカゲは仲の悪い班員の厚意を断わろうとする。


「あった方がいいってあんたも言ってたべさ」


 スッポンが嗜めるとトカゲは黙って俯いた。いつもはもう少し駄々をこねるくせに。


「トカゲ、」


「何だ」


「何かあった?」


「別に」


 トカゲがそっぽを向く。スッポンは正面に回り込み、年上の顔でトカゲを見つめた。観念したトカゲは背を丸めるとごくごく小さな声で、


「……怖い夢見た」


 白状した。


 悪夢で落ち込むとか! スッポンは呆気に取られる。普段は背伸びして生意気言って不遜を装って仏頂面を決め込んでいる癖に、怖い夢を見たとか! この時々トカゲが垣間見せる子どもっぽさというか素直さというかいじらしさが、スッポンにはたまらなかった。むずむずする、くらくらくる、むらむらする。


「トッカゲーッ!!」


「なんだ!」


 思わず抱きついたスッポンは、当然トカゲに嫌がられた。


「重い!」


「ごめーん、モドキ生まれてからさらに張っちゃってさあ」


「暑苦しい!」


「寒いよりいっしょやぁ」


 嫌がるトカゲを抱きしめていると、ヤモリもやってきてトカゲの脚に絡みついた。


「なに? ヤモも混ざるの?」


 言ってスッポンはヤモリを抱き上げ、トカゲの顔の前に連れていってやる。ヤモリは母に両手を伸ばし、首に腕をまわして抱きついた。トカゲも娘の前だと驚くほど穏やかな顔になる。


 いいなあ、とスッポンは思う。そして背中の息子を見遣って、私も幸せだったんだっけ、と思い出し、泣きそうな気持ちと共に笑った。


「スーちゃん終わったぁ?」


 待ちくたびれたのだろう。イシガメが改札から顔を出した。その後ろにはシマヘビとヤマカガシ。「私が聞いて来るって言っとんがに……」とぶつぶつ言っているシマヘビを見るに、イシガメとトカゲをかち合わせないようにしていたのだろう。しかしイシガメはトカゲを見つけるなり顔をしかめ、イシガメと目があった途端にトカゲも殺気立った。また始まった、とスッポンは項垂れかけたがそれは間違いで、年下たちの勘に遅れること数秒、スッポンも招かれざる者たちの気配に気づいた。


 トカゲがヤモリを後ろに下げる。イシガメとヤマカガシも身構える。狩り合いを知らないシマヘビだけが「なにけ……?」と男たちの気迫に圧倒されて、背中に負ぶっていた息子は泣き始めた。


「シマ、ヤモリつれて中入れ」


 イシガメが槌を握りしめて指示を出す。


「シマちゃん、モドキもお願い」


 スッポンは負ぶい紐に指をかけながら言ったが、


「スーちゃんも!」


 イシガメに身を隠すように言われた。


「私もいけるよ」


 スッポンは従弟に凄んだが、


「駄目だよ、スーちゃんは下がっててや」


「そうです、スッポンさん」


 イシガメだけでなく、ヤマカガシまでもが避難を促してきた。性別による役割分担を押し付けられた気がして、スッポンはむっとする。


「カガシ君、副班長命令。私にもやらせな…」


「モドキにはスーちゃんしかいないべや!」


 イシガメに真正面から叱られた。シマヘビが困った顔で見つめてくる。


「でも、」


 数が多い。既に改札もろともスッポンたちは囲まれている。


「心配すんなや。リクガメ班は少数精鋭なんだよ」


 言ってイシガメが歯を見せた。


「スー、行け」


 トカゲも言う。こういう時ばかり息が合う。


「……シマちゃん、行くよ」


 スッポンはおぶい紐を閉め直して改札の中に駆け込んだ。


「シマちゃんはヘビに伝えて! 私はカメとお姉ちゃんとこ行ってくっから!」


 ヤモリの手を取り怒鳴るようにシマヘビに指示を出して、廊下の分岐で別れた。



 *



 シマヘビたちが改札の奥に下がるのを見送って、イシガメは前を向いた。来訪者たちは既に顔が目視できる距離まで近づきつつある。


「多いのう」


 ヤマカガシがぼやいた。「やっぱりスッポンさんにおってもらった方がよかったんやないがけ」


「情けないこと言うなや!」


「情けない奴だ」


 トカゲと異口同音にヤマカガシを叱責していた。トカゲと目が合い、同時に逸らす。


改札(うしろ)ば死守するぞ。何があっても中には入れんな」


 イシガメは言って槌を握りしめる。


「言われなくてもそのつもりだ」


 トカゲが強がる。


「応援来るまではそれしか出来んやろ」


 苦笑するヤマカガシの手の中は空だった。見るとトカゲも丸腰だ。唯一武器になる物を持っていたイシガメは臍を噛む。


「お前ら下がれ。左右から俺の援護で…」


「ヘビの子かい?」


 作戦を練る間もなく、宣戦布告もそのきっかけもなく、声をかけられた。


 そう、声をかけられたのだ。話しかけられた、と言った方が正しかったかもしれない。


 意表を突かれたイシガメたちは顔を見合わせ、示し合せたように正面にやってきた女を見つめた。



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