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3-202 一つ目と四つ足

 従弟から聞かされる甥の話に私は目を細めた。


「大分使えるようになってきたぜ」


 シュウダも嬉しそうに語る。「まぁだ反抗期やけどのう」


「あんたも隠居する?」


「せんちゃあ!」


 私の軽口にシュウダは笑いながら悪態をついた。吐いた息に酒の臭いが混ざっていて、往年の父を彷彿とさせる。


「カメとも上手くやってるみたいね」


「奴ら小銃も作ったが。組んどいて正解やったわ」


「小銃?」私は驚いて振り返る。「どうやって? 数は!」


「まだまだ。全然足りん」


 方法の詳細は省いてシュウダは現状のみを言及した。私は周囲に目を遣る。ここら辺の瓦礫もかなり減った。使えそうな鉄材は使い果たしたのだろう。


「『拝借』すればいいじゃない」


「最近は守備が堅くてのう」


 私は傍らを見上げた。隠せないほど量を増した白髪と生傷が、従弟の挑戦と失敗を如実に語っていた。

 最終列車の連中を武装化させた原因は、白い息を吐くと突然私に振り返って、


「寝顔でも見てくけ?」


 しょうもない冗談を言う。少しも面白くないから私は話題を変えた。


「あの子は?」


 教えてもらったのに出てこない名前に唸っていると、


「トカゲけ」


 シュウダは名無しだった少女の名前を教えてくれた。


「子どもも大きくなったでしょう」


「ヤモリ言うが。使えるぜ」


 言って片頬を持ち上げる。私が視線で具体的な説明を求めると、従弟はさらにいやらしく笑った。


「随分、かわいがってるのね」


 叔父に似てきた横顔は、肩を揺すった後で白い息を吐いた。


「死んだかと思っとった」


「勝手に殺さないで」


「何あったがけ」


「子育て」


 報告がしばし滞っていた理由を告げる。


「離れられないのよ。経験者ならあんたもわかるでしょ?」


 私は事実を伝えたまでだが、シュウダは押し黙って俯いた。

 言葉を探しているのだろう。めでたくはない。あの子の誕生を喜ぶ者はこの駅にはいない。


 だが必要な素材だ。


「時間がない。手短に言うわよ」


 私はため息をついて仕切り直した。


「駅の警備が強化された」


 シュウダは舌打ちする。


「ウオの奴らけ」


「女だったという話を耳にしたわ」


 シュウダが目を見開いて振り返ってきたから、


「まだ確認不足よ。あまり期待しない方がいい」


 私は牽制した。


 シュウダが鼻で笑う。私は開きかけた口を噤んで言いかけた言葉を飲み込む。報告が先だ。


「塔との関係がさらに進んでる。小銃だけじゃなくて自動二輪も支給され始めたみたい」


「『じどう…』?」


 聞き慣れない単語にシュウダが眉根を寄せた顔を向けてきた。「塔製の原付」と私は説明する。


「でも原付よりもずっと速いわ。元々はネズミの乗り物って話」


「そういや最近、ネズミをよう見んのう」


 シュウダが思い出したように呑気なことを言い始めたから、


「ワシが働いてるから休暇中なんじゃないの?」


 私もあてずっぽうで適当に流した。しかし、


「せやの。スズメまで潰してしまうとは思わんだわ」


 シュウダは話に乗って来た。私の適当ももしかしたら当たらずとも遠からずといったところなのかもしれない。


「生き残りは?」


 シュウダの横目が頬を指す。


「セッカの遺体は確認した」


 私は顔を背けて髪を耳にかける。


「女もだいぶ殺されてたわ。廓に入れるかと思ったけど反撃されたのがよほど許せなかったんでしょうね」


「生存者無しけ」


 シュウダが鼻筋に皺を刻む。


「ヒバリは死んでた」


 搾血に借り出された時に、遺体の中にいた見知った顔の名を告げた。


 シュウダが息を吐く。両目の瞼を指の腹で擦るようにほぐす。


「スズメを使えないのは痛手だけどまだ手はあるでしょう? そんなに落ち込まないで」


 計画変更を余儀なくされて肩を落としたシュウダに慰めの言葉をかけるも反応は薄い。


「シュウダ、」


「塔の武器がさらに増えとんがやろ? これ以上先送りするわけにはいかんにか」


「こっちだって小銃を手に入れたんでしょう? スズメに代わる戦力だって探せばいいじゃない」


「そんなが待っとったら、」


「時機が来れば知らせるわ。それまで軽率な行動は…」


「ウミ(ねえ)がいつまで経っても帰ってこれんにか!!」


 私の説得を遮って従弟は声を荒らげた。


 シュウダが白い息を吐く。右手の親指と中指で両目を擦り、顔を拭うようにしてその手を下ろす。

 その横顔目がけて、


「……時期が来れば知らせるから。それまで軽率な行動はやめなさい」


 私は遮られた言葉を言い直した。シュウダがぎょろりとこちらを向く。私はその目を見つめる。やがて「わかっとっちゃあ」と言って顔を背けたのは従弟の方だった。


「ヒメさんは元気?」


 話題を変える。


「聞かんでもわかっとろう」


 シュウダの不機嫌はまだ直らない。


「相変わらずおっかない」


「どうせあんたが悪いんでしょ」


 シュウダの唇がさらに尖った。心配はいらなそうだ。


「他は? 変わりない?」


 次女が生まれたとは聞いていたが、それ以降は私の方がばたばたしていた。しかし特に変わったことはないだろうと高を括った上での世間話のつもりだったのだが、


「アオダイショウが死んだ」


 シュウダの口から語られた思いもよらない報告に私は目を見開いた。だがそこにかけられる言葉はない。原因は予想がついたし、理不尽さに憤っていられるほど誰も暇を持て余していない。「そう」と返すに止めて下を向いたが、シュウダはご丁寧に補足情報も加えてくれた。


「カエルの連中も武装化してきてのう。奇襲かけられたが。リクガメも死んでリュウキュウヤマガメは大怪我負った」


「怪我!?」


 怒鳴りつけるように問い詰めてから自分の行動に驚き、私は咳払いして髪の毛を耳にかけ直した。


「……怪我って? カメの子たちが狙われたの?」


「なーん、爆弾見つけたんがリクガメたちやったが。リクガメはそん時は軽傷やったから狩り合いに出てもらったがやけど、」


 シュウダはそこで息を吐き、


「帰ってこんだ」


 目を伏せた。


「リュウキュウヤマガメ君は?」


「背中に二度の火傷やちゃ。大分ようなってもう歩いとるぜ」


 大事無いらしい。私はため息と共に怒らせていた肩を下ろした。


「だったらちゃんと仕事してって伝えて。久しぶりに乗ったら車輪の滑りが悪くて冷や冷やしたから」


 言って私は踵を返した。のだが、


「……何よ」


 無言の横目に立ち止まる。


「なーん」 


 シュウダは素知らぬふりでそっぽを向く。


「なに? 早く言って」


 勿体ぶったその態度に若干苛立ちをちらつかせたが、


「その話し方も板に付いたのう」


 シュウダは白けた目でそんなことを言う。


「当たり前でしょ。方言で身元知られるなんて間抜けなこともできないんだし」


「こっちにおる時は普通に話せばいいにか」


「どこでもこれ(・・)で話してた方が間違いが少ないの」


 念には念を押して常に演じ続ければ、やがてはそれこそが素になっていく。


 シュウダはわかったようなわかっていないような生返事をした後で、


「ウミ(ねえ)が年下好きやとは知らんかったちゃ」


 妙な感想をぼやいた。


 夫は年下だがさして意味のある情報ではない。敢えて言うほどのことでもないから黙っていたと思ったが、どこかで伝えていただろうか。


「その方が扱いやすいのよ。あんたと同じで」


「感動の再会ながに、相ッ変わらずきついぜー?」


 おそらくこれ以上報告し合うことはないだろう。話し始めると止まらなくなることは自覚していたから、「もう行くわ」と私は踵を返した。と、その時、目線の高さの星が一瞬光った気がして私は再び足を止める。


「『一つ目』……」


 シュウダが振り返る。私は忘れぬうちにと思い出した情報を彼に伝える。


「妙な噂を聞いたの。どこかの駅の生き残りらしいんだけど小銃で襲ってくる男がいるって」


 「小銃?」とシュウダもぎょろりと黒い目を光らせる。私は「小銃」と頷く。


「ネズミなら集団で来るでしょう? でもそいつは群れてないみたいで。その小銃を持っている男の特徴が一つ目らしいわ」


 私の言葉を繰り返して呟くシュウダに、私は追加情報を伝える。


「その男と組んでいるのが『四つ足』」


「『よつあし』!?」


 大仰にシュウダは顔を突き出してきた。「四本脚って意味」と私は顔を引いて答える。


「『一つ目』が小銃を撃ってきて『四つ足』がそれを体術で仕留めるって」


 駅の警備が強化され始めたのも、元はこちらが先だったかもしれない。


―四つん這いで走ってたって―


―全身真っ黒で、もう片方は片目で小銃を向けてきて……―


 取り逃がしたらしい。


「かなり危険なことは確かでしょう? 小銃と得体の知れない四本脚よ」


 私は知る限りの詳細を説明していたが、突然シュウダは割れるような声で笑い出した。


「うるさい」


 私は耳を塞ぎ気味にして注意する。しかしシュウダは全然聞いていない。


「そうけ! あの夜汽車はまだ生きとんがけ!」


「夜汽車?」


 驚いた私に向き直ると、


「心配されんな。そいつらは全く問題ないちゃあ!」


「知り合い?」と尋ねた私の声も聞かずに、


「あいつらが喜ぼう」


 シュウダは肩を揺すって笑った。


 上機嫌な従弟にそれ以上の説明を求めるのは時間の無駄のようだ。しかしシュウダの様子からして、こちらには害の無い連中だと思っておいていいだろう。もしかしたら共にワシの駅を討つ一戦力となってくれるかもしれない。私は噂話でしか知らない一つ目と四つ足をぼんやりと思い描いた。


「とにかく、」


 我に返って咳払いをして、


「下手に動くのだけはやめなさい。時機が来れば私が言うから」


 再々度シュウダに釘を刺しておいた。


「わかったって」


 シュウダはなおもにやにやと笑みを浮かべたまま生返事をした。


 今度こそ私は歩みを進めた。黒く開けた地面に踏みこむ。何かの口みたいだ。食道を介して胃袋へと繋がっているような、暗くて細くて湿っぽい小さな抜け道。ヘビの道。


「ウミ(ねえ)、」


 背中越しに呼び止められて私は首だけで振り返る。


「死ぬなよ」


 従弟のいつもの決まり文句に、私はくすりと噴き出した。



 *



 急いでワシの駅に帰る。アイが点いていても面倒だから大分手前で地下鉄の車両を止めて、駅には地上の改札から徒歩で入った。心配には及ばなかったようで構内は薄暗く、蝋燭の光が点々と通路を照らしているだけだ。クマタカ(おかしら)は在駅で夫は夜汽車の回収。いつもこうだといいのに。滅多にない機会を使っての久しぶりの里帰りは、予想以上に私を気分転換させてくれたみたいだ。顔がほころび過ぎない様に気をつけねば。


 しかしそんな懸念は必要なかったようだ。部屋の扉を開ける前から響き渡る騒音に、私の表情はちゃんと沈んだ。


 深呼吸してから扉を開ける。耳に響く大音量が辺りを包みこむ。息子は全身全霊で呼吸も疎かになるほどに泣き叫んでいた。目覚めた時に誰もいなかったことが悲しかったのか、単に腹が減っているだけなのか。こんな時はアイが見てくれればいいのにと思ってしまう自分は、既にワシの駅に順応しているのだろう。泣き叫ぶ息子を抱き上げ授乳を始めると、耳障りな騒音はようやく収まった。


「いつから起きてたの?」


 足りなかっただろうか。


「お腹空いちゃったの」


 次からはもっと度数を上げよう。いや、量を増やした方がいいかもしれない。


「でもそんなに泣かないで」


 煩わしいから。


 黒目で満たされた涙目は、聞いているんだかいないんだか、貪るように食事を堪能していた。



 扉が勢いよく開けられる。「ただいま」も省略して開口一番、


「トンビはもう食事かよ。いい身分だなあ、おい!」


 夫は靴を脱ぎ捨てるなり一直線にこちらに向かってきた。


「お帰りなさい」


 妻の顔が夫を労う。


 危なかった。シュウダとの立ち話があと数分長かったら。決して犯してはいけない過ちに身震いする。


「早かったのね、お風呂にする?」


「トンビ先に入れちまうわ。その方がいいだろ?」


「ありがとう、助かるわ」


 食事を終えた息子の背中を擦りながら微笑みかけた。


 この男の唯一褒められるところは、子煩悩と言えるだろう。息子にとっても幸運なことだ。子どもに首ったけの男は妻への関心が薄れてくれるから、私も感謝しきりだ。本当に、


「ありがとう」


 馬鹿な男で。


「お前だって忙しかったんだろ?」


 私の髪の毛を撫でつけながら夫が言う。


「髪梳く時間もないってか。母さんは大変だな」


 的外れな苦笑に私も笑いを堪え切れない。夫は歯を見せると息子を挟んで私の肩に腕を回してきた。


「トンビをお願い」


 その腕に息子を抱かせてその場を離れる。


「着替え用意しておくわ」


 忙しなく沐浴の準備を始めた私の後ろで、夫は唇を尖らせた。

 



 浴室から夫の話し声と笑い声が聞こえる。息子も恐らく父親の腕の中では笑みをこぼしているのだろう、私には決して見せない表情を。今はいいけれども成長してきたら厄介だ。もう少し『母親』も上手くこなさねばと思いながら見上げた先の鏡を見つめ、私は手櫛で髪を梳いた。


―母さんは大変だな―


 そうでもないわ。


―ウミ(ねえ)がいつまでも帰って来れんにか!―


 シュウダはわかっていない。


 ヘビの駅に帰ることが目的ではない。ワシの駅を壊滅させることが重要なのだ。ここさえ、こいつらさえ皆殺しに出来るなら私なんてどうでもいい。


―死ぬなよ―


 鏡の中の女が笑った。


「おーい、あがるぞー!」


「はぁい」


 ノスリの妻は顔を上げる。トンビの母として沐浴を手伝う。


「こいつ風呂ん中で小便したわ!」


「いつものことでしょ」


「もう入れないんだぞ!? また湯、溜めなきゃなんないんだぞ!?」


「いつものことでしょ」

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