00-57 カヤネズミ【考察】
過去編(その9)です。
部隊長の合流を待ってトカゲの駅を掃除に行くという。捕獲ではなくて掃除を目的とした本格的な作戦だった。ネコの駅を思い出すと眠れなかったが休んでおけとセスジネズミに命令されて、無理矢理仮眠をとらされる。カヤネズミとハツカネズミ、そしてカヤネズミの薬が入っている子ネズミたちを除いて。ヤチネズミは他の者たちを起こさぬようにそっと寝床を出た。
「カヤ」
声をかけるとカヤネズミは手酌で酒を飲んでいた。特段、慌てる様子もなく「なに?」と目だけで振り返る。
「お前、見張りが飲んでていいのかよ」
「飲まないとやってらんないじゃん」
腹立たしげに臭い息を吐くと、カヤネズミは杯を一気に煽った。完全に仮面をどこかに忘れてきたカヤネズミは、ぶっきらぼうに杯を差し出す。
「いい。俺、飲み食い無理」
「まじで? 酒もだめ?」
「全部吐く」
「ヤチの薬、しんどいな~」
「カヤだって似たようなもんだろ」
「別に不便はしてないし」
差し出した杯を手元に戻して再び手酌し、飲みほしてからカヤネズミは美味そうに息をついた。
「……わざと?」
「ばれた?」
笑顔の仮面を向けて来る。ヤチネズミは失笑してカヤネズミの手から杯を取った。
「吐くんじゃないの?」
「味覚と食欲はまだある」
「飲みたいのに飲めないってやつ? ヤチ、しんっどいなぁ~」
「いいから早くよこせよ」
「吐きながら飲むとかどんだけだよ」
苦笑いながら酒を注ぐカヤネズミに、
「こんだけ」
軽口を叩きながらカヤネズミの手首を握って酒を止めさせる。
「そんだけじゃ味もしないじゃん」と苦笑する横顔に、ヤチネズミは怒ったような顔を向けて凄んだ。
「俺も飲むからカヤも寝ろよ」
「さっき話したじゃん。眠気、来ないんだって」
「完全にないわけじゃないだろ?」
カヤネズミは斜め上を見上げて少しだけ考え、「……まあ」と呟く。
「ならまだ間に合う」
ヤチネズミはカヤネズミの手首を握る手に力を込めた。「なんだよ」とカヤネズミ。
「いいか、カヤ。眠くなくても絶対に寝ろ。気絶でもなんでもいいからとにかく寝ろ」
「はあ…?」
「薬に頼り切るなって! 絶対だからな」
納得も考える余地も与えずに勢いだけで無理矢理承諾させると、ヤチネズミはカヤネズミから手を離した。杯の中の一口にも満たない液体を見下ろす。唾を飲み込んでから一息にそれを飲み干した。久々の口から摂取した液体が、五臓六腑に染み渡る。
「……うまいな、くっそ」
「うまいなら『くそ』とか言うなよ」
「くそうまい!」
カヤネズミが仮面を外して笑った。再会してから数時間かかった。ヤチネズミはちらりとそれを横眼で見て小さく笑い、杯を手にしたままの腕を下ろした。
「どうなってんだ、この部隊」
「ハツに聞いて来いよ。同室だろ」
「聞いたよ。でもあいつ『だいじょうぶ』しか言わない」
カヤネズミが唇を結んで顔を背ける。
「……シチロウに聞いてこいよ。あいつだって同室じゃん」
「聞ける状態じゃないじゃん」
カヤネズミが沈黙した。
「あいつら、何があったんだよ」
まるで別のネズミと話しているようだった。本当にお前はハツか? 本当にお前はあのシチロウか? 思わず口を衝いて出てしまいそうだった。
「セージの言ってたあれ、規則? おかしいだろ。なんで部隊内で敵味方に分かれさせるようなことしてんだよ。雰囲気悪いしヤマネは拗ねてるし、こんなんで掃除うまくいってんのか? いくわけないじゃん。ここの部隊長ってどんな奴なんだよ」
感情が無いと聞いている。ハタネズミから聞いたのだから確かな情報のはずだ。だが感情が無くなるとはどんな風になるのかヤチネズミには想像すらできない。
「セージさ、あれ、感情はあるだろ」
ヤチネズミの呟きにカヤネズミが振り返った。ヤチネズミは左手を見下ろし、その手の平を力一杯握りしめる。
「なにそれ?」
「まじない的な?」
「なにそれ」
カヤネズミに鼻で笑われ、ヤチネズミも照れ隠しで鼻から息を吐いた。そして、
「感情はあるってあれ。表情がないだけだ」
「妙にこだわるじゃん」
ヤチネズミの右手から杯を奪い取ってカヤネズミが言った。手酌する隣室の手元を見つめてヤチネズミは続ける。
「薬入れるとさ、受け継ぐのは効能だけじゃなくて性格もなんじゃね?」
「は?」と言って首を回したカヤネズミは思いっきり酒をこぼし、慌てて口で杯を迎えに行く。
「どうした? ヤッさん。無い頭使っておかしくなってるって」
袖で口元を拭いながらカヤネズミは大真面目にそんなことを言ってきた。無い頭は余計だ。
「セージにはムクゲさんとハタさんの薬が入ってるんだろ? ムクゲさんにはまだ会ったことないけど、なんかあいつと喋ってる時、ハタさんぽさを感じたんだよ。あいつ、ハタさんの薬と一緒に性格も受け継いだんだって」
「ハタネズミさんの薬なんて受容体なら九割九分入ってんじゃね?」
「あ……」
指摘されて気付く。
「ヤチの言う通りならネズミなんてほとんどみんな、ハタネズミさんぽくなってるよ。俺はハタネズミさんなんて会ったこともないけど」
確かに。
「ヒミズあいつさ、ハタネズミさんとトガリさんの薬入ってるんだけど、ハツの次くらいに痛み感じてないよ。それってハタズミさんの薬だろ? でもヒミズとセージって全然似てないじゃん。トガリさんの要素も無じゃね?」
完膚なきまでに論破されてヤチネズミは閉口した。
「……でもセージがないのは感情じゃないと思うんだけど…」
「なら何がないんだよ」
言い返せない。
項垂れたヤチネズミの旋毛を見下ろしていたカヤネズミは、ため息をつきながら空を仰いだ。曇り空の生温い風に目を細める。
「ヤチの気持ちもわかるよ。ヤチはセージのことかわいがってたしな」
そんなつもりはないのだが。カヤネズミにはそんな風に映っていたらしい。
「でも諦めろって。ヤマネみたいに割りきった方が楽なんじゃね? 俺がこの隊に来た時にはすでにセージはあんな感じだった。話しかけても苛々するだけだから今じゃみんな無視してるし、業務に支障はないんだから別にいいじゃん」
「支障あんだろ。こんな雰囲気悪いままで協力なんて上手くいくわけないし協力しないと掃除なんてはかどらないって」
掃除は協力第一だ。ネズミは集団で動く。集団の強みは連携だ。それが途切れてしまえば単体で抗う地下の連中と大差無い。
「それにセージは生産体が嫌いなんだろ? 嫌いって感覚は感情じゃないのかよ。嫌えるなら嫌えるだけ別のなんかは好きってことじゃん。あいつきっとまだあるって」
「もう少し静かに喋れよ」
カヤネズミが背後を気にかけて注意してきた。向こう側を見張り中の寝ない子ネズミたちがこちらを見ている。
「……悪い」
不貞腐れて謝る。だが口先とは裏腹に本音は怒鳴りつけたい気分だった。
カヤネズミは目頭を指先で揉みほぐしながら息を吐く。
「なぁ、俺らっていらないんじゃね?」
「は?」
カヤネズミの脈略のない話題に、今度はヤチネズミが呆れた疑問の声をあげる。
「カヤ、どした? 頭使い過ぎてバカになった?」
「もしそうでもヤチよりはましだって」
全然面白くなさそうに軽口を叩き返してきたカヤネズミだったが、あまりの真剣な横顔にヤチネズミは怒る気にもなれない。
「どうした?」
真面目に尋ね直すとカヤネズミはちらりと背後を見遣った。ヤチネズミも振り返る。ハツカネズミが微動だにしないで真っ直ぐどこかを見つめている。
「|ネズミ(俺ら)が地上に出るのって調査目的って聞いてたじゃん」
ハツカネズミはおろか、すぐそばで眠る子ネズミの耳にも届かないよう細心の注意を払って、カヤネズミは語り始めた。ヤチネズミも体ごと耳を寄せる。
「でも調査ってなに?」
「調査は調査だろ。塔とか駅以外で地上に居住可能地域があるかどうか…」
ヤチネズミはアイや先輩たちから散々聞かされ続けていた定型文を口にしたが、
「ないじゃん、んなもん」
カヤネズミはそれを一言で遮った。
「無いじゃん、住めるとこなんて。あったか? どっか。今だってこうしてごみみたいな屋根に守られてないと、俺たち地上になんて立ってらんないじゃん」
「それはまだ見つかってないだけだろ? 地上はこんだけ広いんだから。二輪で走っても端から端まで何日もかかるって言うし」
ヤチネズミは当然の見解を述べる。しかし、
「端から端まで走った奴がいたからそんな話があるんだろ? でもそいつだって端から端まで走っても居住可能地域なんて見つけられなかったからこそ今だに『調査』なんてもんが続けられてるってことじゃね?」
カヤネズミが早口でまくしたてた。聞きとりながら理解することを同時進行ではできなかったヤチネズミは、一拍遅れてからカヤネズミを見上げる。
「どういうこと?」
仮面を一切かぶらずに不機嫌を全面に出して、カヤネズミはヤチネズミを睨みつけた。
「居住可能地域なんてないんだよ。調査だってほんとはもう必要ないのに俺たちはまだ『調査』って名目で借りだされてる」
大真面目にとんでもない憶測を口にしたカヤネズミを見つめ、ヤチネズミはやはり一拍遅れてから口を開く。
「……どゆこと?」
「ヤチは頭悪いよな!」
カヤネズミが苛立ちのままに言い放ち、酒瓶を廃屋の床に叩きつけた。つい先ほど静かにしろとか言っていたくせに。
「頭悪い奴にもわかるように説明できないならカヤだって大して良くないんじゃね?」
反対の見解という考え方は非常に簡単でとても使い勝手がいい。唇を結んで鼻の穴と瞼を持ち上げたカヤネズミを見上げながら、ヤチネズミは前の部隊長の教えに感謝した。
カヤネズミは憮然としたまま目を逸らし、再び酒瓶を傾けて手酌する。杯を一気に飲み干してから息を二度吐き、ヤチネズミに向き直った時には冷静な真面目顔に戻っていた。
「俺らが地上に出てきて実際、やってること考えろよ」
再びヤチネズミ以外の耳には届かないほどの小声で、カヤネズミはそう言った。実際にやっていること? とヤチネズミが考え始めた直後に、
「『調査』という名の女の捕獲、あとは地下掃除だけだ」
言われて気がついたというよりは、薄々感じていた疑問点を言い当てられた気分だった。
カヤネズミはヤチネズミの顔色の変化を注視しながらさらに続ける。
「俺たちの仕事はきっとその二つだけなんだよ。掃除と女だけが俺たちの存在意義なんだって。でもなんで女が要る? なんで掃除なんかしなきゃいけない?」
「そりゃお前、夜汽車を守るためじゃん。地下の連中をのさばらせておけばそのうち夜汽車は全滅するだろ」
「なんで夜汽車を守る?」
カヤネズミの言葉にヤチネズミは一瞬、頭が回らなかった。何を言っているんだ、こいつ。そんなの当然だろだって、
「夜汽車だって子ネズミだっておんなじ子どもだろ? カヤはブッチーが地下に襲われてても黙って見過ごすのかよ!」
「声でかいって」
いきり立ったヤチネズミを制してからカヤネズミは指先で額を掻いた。そして、
「ヤチこそあいつの薬でも入れるべきだよ」と小声でぼやいた。
「なに?」
聞きとれなかったヤチネズミはカヤネズミの顔を覗きこんだがそれは受け流される。
「感情論は置いとけって。事実の話だよ。いいすか? ヤッさん、怒ってなあい?」
まるで年端もいかない子どもたちを諭すようなまがいものの笑顔でカヤネズミは言う。言われたヤチネズミは小鼻をひくつかせながら、上階のくそじじい共を睨みつけるような顔で、
「……怒ってない」
中身を全く伴わない言葉を受け取ってカヤネズミは「えらいぞ、ヤッさん」と棒読みで頷いた。それからまた手酌しながら本題に戻る。
「まあな、俺だって地下は爆ぜればいいと思うし夜汽車は助けてやりたいよ」
「なら…!!」
腰を浮かしかけたヤチネズミは、鼻先に杯を突きつけられたところで止まる。「いらない」と勧められた酒を断わった時には完全に腰を元の位置に戻していた、カヤネズミの計算通りに。
カヤネズミは杯を自分の口元に運びながら話を続ける。
「……夜汽車を守るためってのは百歩譲って本当だとするよ。地下を放っとけば夜汽車はいつか絶滅する、それも確かだろな。でもさ、」
そこで一口も飲まないまま杯を下ろし、
「俺らが夜汽車を守るために地下を掃除するのって、塔が夜汽車を走らせることと矛盾してね?」