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15-192 交渉

 男に尋ねておきながら自分で答えにたどり着いてしまったジュウゴを、男は黙って見下ろしていた。眉根の皺は見られない。長らく筋張っていた拳もいつの間にか緩んでいる。


 男が顔を上げた。横を向いて静かに深く息を吐く。


「あの頭脳は重宝する」


 男の声にジュウゴは下を向いたまま目を開ける。


「あれは天才だ」


「転載?」


 男が突然、脈略の無い話を始めたからジュウゴは首を捻った。「ここの家主の次だが」と断わりを入れてから、男はシュセキの評価を始めた。


「機械が得意なことは期待したがそれだけじゃなかった。あいつは既存の物を直すだけでなく、それを改造し改変し全く新しい物まで作り出す」


 シュセキがどこに『転載』されるのか、はたまたされたのかと的外れなことを考えていたジュウゴだが、男がシュセキを褒めていることは理解出来たから、「はい」と力なく同意した。


「シュセキは凄かったです。性格が悪いし口も悪いし目付きも悪くて嫌味ばっかり言う嫌な奴で、いつも相手を見下してばかりで僕のことはどれほど悪く言っても許されると誤認していてとにかく嫌な奴なんですけど、未知への興味が激しくて最後は必ず最後までやり遂げていました」


 どう評価しても全てが過去形になる。


「凄かったんです。凄い嫌な奴でした」


 その事実が悲しくなる。しかし、


「あいつの頭脳は機械以上だ」


 男はジュウゴの悲しみなど無関心に、話を続けた。


「お前は壊れた原動機や動かなかった端末を起動させられるか? 意味不明な覚え書きや記号まみれの日記を解読できるか。植物の生育速度を劇的に高めたり薬剤を調合したり…」


「いえ。できません。む、無理だと思う…」


「自動的に連続で弾丸を放ち続ける小銃を作り出すことができるか」


 言われてジュウゴははっとした。


 ジュウゴは思い出す。シュセキが超高速の銃声を轟かせていたことを。ジュウゴが見たのはいかつい小銃構えているシュセキの姿だったから、ジュウゴはてっきりシュセキの射撃技術が自分の数十倍の良さなのだと思っていたが、


「あの小銃は、自動で連続に撃ち続けるものなんですか?」


 男の視線に自分の認識が誤りだったことを知らされた。


「壊れた四輪駆動車の原動機を改良して小銃に取り付けたと言っていた。小銃の欠点は銃弾の装填に時間がかかることだ。それをあいつは『煩わしいから』という理由だけで解消した。

 わかるか。不便さを補うんじゃない、消し去るんだ。アイとの決定的な違いだ」


「アイとの違い……」


 相手の言葉を繰り返すのはジュウゴが考えている時の癖だ。男はそれをジュウゴが理解したものと勘違いして話を進める。


「アイは確かに便利だが、あれが出来るのはあくまで補助だ。だがマツは一から何かを作り出す。アイには出来ないことだ。あいつの頭脳を以てすれば……」


 そこまで言っては突然口を噤んだ男を、ジュウゴは怪訝そうに見つめた。「『もってすれば』?」と話の続きを促したが、男は視線を背けただけだった。


「とにかく、」と男は咳払いをする。


「あいつが多少変わっていても、あの頭脳がある限り何一つ問題はない」


 自分の都合のみで問題か否かを断定する男を、ジュウゴは不思議な気持ちで見つめた。それから視線を泳がせ頭を掻きかき、問題がない部分を探し始める。


「確かにおにい…の言うとおり、ジュウシの話題以外についてはシュセキは以前と変わらないです」


 相も変わらず嫌な奴だ。


「でも……、でもやっぱり僕は、以前のシュセキには直っていてほしくて…」


「生きているだろう」


―お前が死ななくて良かった―


 男の一言にジュウゴは口を噤んだ。


 ジュウゴが何も言わなくなったことを確認して男は居住いを正す。


「お前に一つ頼みごとをする」


 それまでの会話の流れが突然寸断された気がして、ジュウゴはきょとんとして男を見た。


「好きな所へ行け。お前の思うままに自由に行動していい」


 むしろ男に不自由さを強いられる謂れは無い気がしたが、


「だが定期的にここに戻れ」


 次に出された思わぬ指示に、ジュウゴは目を瞬かせた。


「……あ、はい。はい? は…」


「カエルやヘビと好きなだけ会って来い。その後は必ずここに戻ってこい」


「出て行けってさっき…」


「出て行け。そして戻ってこいと言っている」


 完全に困惑しきった顔で頭を掻いているジュウゴと、真剣な面持ちでジュウゴを見つめる男。ジュウゴは頭を掻きながら考える。


 出ていかなければいけないことは決定事項らしい。先から何度も思いわれているし。でもつい先ほどまでは二度とここに近づくな、と怒鳴られていた気がする。しかし今は『戻ってこい』と。まるで反対だ。どちらが正解だ? 目の前の男の興味関心と決定事項の移ろいやすさに、何を聞き入れるべきかわからなくなってジュウゴは混乱した。下手な選択をすれば再び刃物を振るわれて追い立てられるかもしれないのだ。それは嫌だ。何としても必ず正しい選択をしなければと考えを巡らせるのだが、


「返事は?」


 男に急かされて思わず「はい」と答えてしまった。


 答えてしまってからもう一度よく考え直し、


「あの、それってつまり、ええと……。ぼ、僕は一度、この研究室を出ていかなければならないと言うことですよね? それからもう一度、ここにもう一回戻って来なければいけないということですか?」


「一度とは言っていない。何度も戻ってこい」


 憮然としながら当然と言わんばかりに男が優しいことを言ってくる。ありがたいのか迷惑なのかも分からなくなって、ジュウゴは頭を掻き毟る。


「え? あの、それってつまり…」


「断わるか」


「いえ、断わるというか従っていいのかっていうのか……」


「断わればマツを殺す」


 平然としながら当然のように怖ろしいことを口にした男を、ジュウゴは驚いて凝視した。


「……はい?」


「お前が断わればマツが死ぬ」


「さっきシュセキは大切だって…!」


「重宝すると言っただけだ」


 男の言葉の前に、ジュウゴは打ち震えて歯噛みした。右目を真っ赤に充血させながら感情のままに立ち上がる。


「いやだ! 駄目だ! 絶対にやめてください!!」


「お前の意見は聞いていない」


「なんでシュセキなんですか!! だってさっきおにいちゃんだってシュセキを凄い褒めててたのにッ!!」


「あいつの頭脳は使える。だがそれ以上でも以下でもない」


「だったらシュセキを…ッ!!」


「お前に選択肢は無い」


 激昂するジュウゴを低音の呟きが抑えた。


「ここに戻れ。そして見聞きしてきたことを逐一マツに伝えろ。お前が出来ることはそれだけだ」


「……ここに何度も戻って来ればシュセキは死なないんですね」


「お前次第だ」


「死なないんですよね!!」


「お前次第だ」


 ジュウゴは両足を踏みしめたまま俯く。男に憤りを感じ過ぎて頭の中が熱く痛む。


 そんなジュウゴを涼しい顔で眺める男は、さらに難題を押し付けてきた。


「ワンを連れて行け」


 ジュウゴは血走った目で男を睨みつける。


「ワンを……?」


「だが万が一ワンに何かしてみろ。その場合もマツを殺す」


「そんな無茶苦茶な!」


 ジュウゴは再び声を張る。


「ワンは…、ワンがここに残ればいいでしょう? 残ればいいだけの話じゃないですか! だってワンはもともとここにいたんだ。彼が歩く方に付いてきたらここに着いたんだ。だからワンはここに戻って来たかったということです、多分。だからワンはこのまま…」


「あいつはお前に同行すると言うだろう」


「ワンは言葉を話しません!」


 幼稚にジュウゴは反論したが、


「言葉はなくても何を考えているかくらいわかるだろう」


 男が見下したように言い放ってきたから、ジュウゴは眉根を寄せた。


 入口の扉が外から開かれた。ジュウゴと男はほとんど同時に振り返る。ワンと連れだって入って来たシュセキは開口一番、


「暗い」


 不機嫌そうに吐き捨てた。


「この夜更けに星明かりだけで過ごそうとする君たちの思考が理解出来ない。おまけに寒い。少しは自分で動け」


 憤りながら壁際まで一直線に向かう。ごそごそと音を立てて何か作業をしていたかと思えば、やがて柔らかな明かりが室内に広がった。シュセキが室内で火を熾したようだ。夜汽車を降りてから、シュセキもまた地上で生きていくための技術を身につけていたのか、とジュウゴは感心してその背中を見つめた。


 壁際の設備の中の炎が落ち着くのを確認してからシュセキは振り返り、


「イヌマキとシャクナゲにも植物たちを渡しておいた」


 男に何事かを報告した。


「助かる」


 男は素直に感謝を述べる。


「礼ならワンに言え。彼はイヌマキたちと非常に長く面会していた。彼らもワンが来てくれて喜んでいたらしい」


 シュセキが言うとワンはその腰のあたりに自身の頭を押し付けた。シュセキは指の先を、ワンの額の毛並みを梳くように動かしている。何の違和感もないその接触に、ジュウゴは目を見張る。


「どうしたらワンとそんな風に仲良くなれるんだ?」


「君よりはよほど話が通じるだけだ」


 シュセキの冷めた視線を前に、ジュウゴは呆れ顔を突き出した。


「ワンは言葉を話さないよ!?」


「言葉だけが意思疎通道具ではないだろう」


 ジュウゴはシュセキとワン、そしてワンを見つめる男を見比べた。


「君たちの話は終わったのか」


 歩きながらシュセキが男に対してともジュウゴに対してとも捉えられる尋ね方をしてくる。


「交渉は成立した」


 男が答えた。ジュウゴは反論しようと足を踏み出したが、


「本気か?」


 シュセキが目を見開いて男と自分を見比べてきたから、その眼力に足を止める。


「よく彼と交渉などできたな」


 シュセキは長椅子に腰を下ろしながら男に向かって言った。ワンは今度は男に歩み寄っていき、その体を寄せている。


「非常に物わかりのいい男だ」


 男はワンを撫でながらそんなことを言ってのけた。ジュウゴは徐々に腹が立ってくる。


「物わかりがいい? 彼がか!」


 シュセキは大仰に驚いて見せる。


「お陰さまで随分と助けられた」


 男はさらりと皮肉を言ってのける。


 「いい加減に…!」と溜まらずジュウゴが声を荒らげかけたが、男からの無言の圧力の前に屈した。


「ところでジュウゴ、」


 シュセキに呼ばれる。ジュウゴがむくれた顔を向けるとシュセキは、


「君は何が目的でここに来た」


 大真面目にそう問うてきた。

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