15-191 情報源
「お前はマツと…、お前の仲間の片足を失った、割れた眼鏡をかけた男と同じ夜汽車に乗っていたのではないのか」
「はい。『マツ』と僕は同じ夜汽車でした」
シュセキの名前が『マツ』になったと理解したジュウゴは、男に合わせてシュセキをそう呼んで見せた。しかしせっかくジュウゴにもわかるように詳しく言いあらわした男にとっては、若干苛立つ回答だったようだ。
「だろうな」男が床に向かって小さくこぼす。それは男が感想を述べたに過ぎなく、いわゆる呟きでしかなかったのだが、ジュウゴはそれを拾い上げる。
「どうしてそう思ったんですか?」
話を整理したいのに要らぬところで腰を折られて、男の苛々は募る。
「………お前たちの会話からそんなところだろうと思っただけだ」
「どうしてですか? だって僕もシュセキもおにいちゃんに僕たちは夜汽車だということを伝えていません」
男は顎を引く。首の筋張った皮膚が、男が奥歯を噛みしめていることを窺わせる。しかし男は静かに長い息を吐くと、ジュウゴの質問を無視して話を進めた。
「夜汽車のお前がカメとどういう関係だ」
「どういうって…」ジュウゴは困った顔で側頭部を掻きながら、
「仲間です」
「なんで」
凶悪な視線で男に訝られる。ジュウゴは肩を竦めながら、
「死んでほしくないからです」
『仲間』の定義を述べた。
夜汽車を降りてから様々な場所で多くの者たちから『仲間』について問われ続けてきた。ジュウシは『行動を共にする者』だと言っていた。けれどもヤチネズミは別行動をとっていたハツカネズミたちのことも『仲間』と言ってその身を案じていた。そしてジュウゴはヤチネズミの考えこそが正しいと感じた。なぜなら行動を共にしていない間もジュウゴはサンに生きていてほしかったから。ハチの死を再確認して寂しかったから。再会したナナがシュセキが生きていてくれて嬉しかったから。だから、
「僕はイシガメに死んでほしくありません」
ジュウゴはジュウゴなりに考え抜いた結論を述べた。
「リクガメにも死んでほしくなかった……」
述べてから舌足らずだったと思い至り、
「トカゲにも死んでほしくないです。彼女は僕が生きていたことを喜んでくれた。嬉しかった、すごく。ヤモリもシマヘビもヤマカガシもスジオナメラたちもみんな…」
言いながらはっと顔を上げ、
「もちろんワンもです」
慌てた様子で付け加えた。
仲間の定義と範囲を並べたジュウゴは、ワン以外にも忘れていた『仲間』がいたことを思い出し、「クサガメにも死なれたら後味は悪いです。あと、ええと、何て言ったっけ、あの女子……」などと頭を抱えている。
ジュウゴが自分の中の『仲間』を数え上げている間、男の眼光は鋭さを増していった。固く閉ざされた唇と筋張った拳に、ジュウゴはまだ気付いていない。
「あ! チュウヒにはナナのそばにいてやってくれるようにお願いしてきたから死なれたら嫌です…」
「チュウヒ?」
男が片眉をひん曲げて声を荒らげた。ジュウゴも頭を掻いていた手を止めて顔を上げる。
男が驚いている。ジュウゴは首を傾げる。何故男がチュウヒにだけ反応したのかがわからない。チュウヒが嫌いなのだろうか。この男にとってはチュウヒは死んでほしい相手なのだろうか。それは酷いと思ったから、
「チュウヒも……です」
男に凝視されながらもおずおずと、しかし力強く頷きながらそう告げた。
「だって仲間は、大切だしょう?」
噛みながらも説き伏せるように男に語りかける。
「大切だから名前をもらえて仲間になって…」
「カメ、トカゲ、ヘビ……」
男がまた独語を始めた。独り語りが癖なのだろう、とジュウゴは合点して男が会話に戻って来ることを待つことにする。
「お前は、」
戻って来た。ジュウゴは背筋を伸ばす。
「カメとトカゲとヘビと言ったな」
「イシガメとトカゲとシマヘビ、ですか?」
ジュウゴは首を傾げながら問い返したが、
「そいつらは今、どこにいる」
さらに質問で返されたから眉根を顰めた。
顰めながらも、
「え、『駅』です。そう言っていました」
「それはわかる」
だったら聞かないでほしい、とジュウゴは頬を引き攣らせたが、
「どこの駅に集まっているかと聞いたんだ」
男はさらに畳みかける。ジュウゴは「どこと言われても……」と側頭部を掻きながらその手を徐々に首筋に移動させて、
「サンを探していたんです」
事の発端から説明し始めた。
「……リクガメは僕を殴ろうとしたけどそのお陰で僕は連れ去られずに済んで、けれどもその代わりにリクガメはカエルに持っていかれました。でも取り返そうとしたんです。けど左目を取られて、痛くてびっくりして混乱しているうちに気がついたら起きて。トカゲの話だとヤマカガシがこの新しい左目を取りつけてくれたと聞きました」
言いながらジュウゴは左目の上を手の平で撫でるように覆った。
「リクガメは本当にいい奴でした。すぐ殴るし、笑いなが殴るし痛いし、何でもかんでもあれやれこれやれとこき使うし。でも優しくっていつも笑っていて。
『仲間にならないか?』って言うから、僕は『リクガメたちは仲間だ』って答えたんです。そしたらリクガメが『名前をあげないといけないな』と言っていて…」
リクガメとの会話を反芻したジュウゴは大事なことを思い出した。
「もらい損ねた」
『やる』と言われたのにもらわず終いで来てしまった。
「トカゲとヘビとカメは同じ駅にいるということだな」
ジュウゴはリクガメを失った時の悲しさを話していたつもりだったが、男は全く別の点に興味を持ったようだった。
「はい。みんなそれぞれ部屋を持っていて、通路で繋がっていました。地下です。そこを『駅』と呼んでいました」
「カエルとは決裂しているのか」
「けつ…?」
「カエルとは争っているのか」
男の興味関心はころころ変わるらしい。そしてあれは『争い』と呼ぶにはあまりにむごく、激しいものだった。しかしそれを他にどのような言葉で言い表せばいいのか、ジュウゴには知識がない。
「そうですね。争っていました」
だから男の言葉に同意する。
ジュウゴの話を聞いていた男は軽く顎を引いた。彼の頭の中は既に、思いもよらない場所で得た思いもよらない情報の処理に大部分を割いている。しかしジュウゴはまだ、自分の経験談を語り続けていた。
「でもサンは見つけられたし、『げんきで』だったから、もういいんです」
サンは新しい仲間たちと共にいることを選んだ。
「シュセキにも会えたし」
ハチはやはり死んでいたけれども。
「ジュウシは……」
―彼も交えよう―
ジュウゴは唇を固く閉じた。
「……あの、」
ジュウゴは右手を頭の横に上げて「質問してもいいですか?」と男に伺いを立てた。男の無言を是と受け取って勝手に頷き手を下ろす。
「シュセキはずっと、マツはずっとあんな感じなんですか?」
男が眉根を寄せた顔を上げた。
「だからその……、彼はジュウシを、僕たちの仲間が死んでいることを理解しないんです」
*
砂の上を歩くと新しい左脚の接続部分が少し軋んで、シュセキは顔をしかめた。
沈むのだ、義足が。表面積が自前の右足よりも狭い分、体重が一点に集中してしまう。研究所内の床の上ではそれなりに歩行に馴れたつもりでいたが、地上の砂の上では杖を突いた方が歩きやすいかもしれない。しかし植物を抱えて杖を突くのは正直不便だったから、やはり新しい脚を使いこなしたいと思う。
こんな重たい物を長らく運んできたというジュウゴに感謝はしないが、使える代物であることは事実だ。頼んでもいないのに恩を着せられても迷惑だから絶対に感謝はしないが、無いよりはあった方がいい。
ジュウシの前に至る。シュセキは抱えていた植物を腕の中で分ける。クマタカの話によると蕾か花の咲いた部分がいいそうだ。だが新芽も枝も幹も下草も、植物と呼ばれる者たちを見た目だけで分別するのは彼らに対して失礼だと考えた。だからシュセキは蕾も花も葉も枝も、同じ量だけ切りだしてこうして毎晩手渡すことにしている。
花や葉枝が等量になるようにして作った束をジュウシの上に置いた。残りの半分はさらに半量ずつに分けて、その横の指定された場所に置く。半束と、四分の一束が二つ、計三つの植物の束が砂の上に並んだ。これでいいらしい。これにどういう意味があるのか全く以て理解不能だったシュセキは、指示されたこの行為の理由をクマタカに尋ねたが、クマタカの説明も全くもって理解不能だった。だがこうするとジュウシが少し笑うから、まあいいかと思って続けている。
「奇妙な体をしているな」
先から無言で後ろを付いて来ていた黒い者に声をかけた。ジュウゴと共にやって来た『ワン』は、想像もしていなかった見た目をしていた。
男だという、クマタカによればだが。植物ではないらしい。歩行しているからそうなのだろう。だがここに来てワンは一度も言葉を発していない。植物のような吐息以外は、名前と同じ音を発したきりだ。
「少しいいか」
ワンとの会話を試みた。彼には聞きたいことがあったのだ。先はジュウゴがうるさくてまともに話せなかったし、今日のクマタカは異様に興奮していたからその時間を設けられなかったが、やっとやかましい連中も静まった。指示された行為も終了したから後は自分のために使える時間だ。自由時間になるまでは許可されない限り、不要な会話を避けるべきとシュセキは考える。それが夜汽車内でアイから刷り込まれた習慣だということには気付かずに。
ワンが顔を上げた。シュセキの目をじっと見つめた後で下を向き、砂に鼻先を押し付けている。
「彼らに用があったのか」
シュセキが尋ねるとワンは砂の上に腰を下ろした。どうやらワンは自分にではなく、ジュウシの隣で横たわっているという男と女に用があったらしい。ワンへの質問は用が済んでからの方がいいだろう。シュセキはそう判断するとワンと男女から顔を背け、一番大きな植物の束の前に腰を下ろした。
「彼と何を話していた」
シュセキは尋ねる。ワンにちらりと横目で見られたことは気にしない。
「相変わらずうるさくて何を言っているかわからなかっただろう。僕もだ」
だが左目以外は失わず、自らの足で歩いて走って動ける状態で再会できた。
「随分嬉しそうに言うんだな」
同じ夜汽車の他の皆は散り散りになってしまった。ゴウやロクたちは缶詰にされたと言う。ハチもおそらくそれに似た状態だしサンとナナには会えたらしいが、あくまで彼がそう言っていたに過ぎない。その目で耳で手の平で、見て聞いて感じるまでは実際にそうだという確証は持てない。
「信じていないのか」
シュセキはジュウゴの話を信じるのか。
「そう言われると自信がなくなるが、」
言ってシュセキは少しだけ目を伏せ、
「信じたいと思った」
らしからぬことを言った。
「茶化すな」
シュセキは照れ隠しのふくれっ面を横に向けた。その先でワンと目が合う。
「君の用は終わったか」
ワンが瞬きで返す。
「ならば頼む」
手を付いて腰を浮かし、シュセキはワンに向き直った。
*
「どんなに言い聞かせても聞かないんです。ジュウシは死んだって、みんなで砂の下に埋めたんだって何度も話しているのに、『動かないのは動きたくないからだ』とか『植物と同じだ』とか。挙げ句の果にはジュウシと会話までしていて、……会話というかシュセキが勝手に喋って頷いているというか。
とにかくシュ…マツはいない者がいると言ったり、聞こえない声が聞こえると言ったりするんです。あれほど『見えない物は無いということだ』とか言って僕のことを見下していたくせに」
―気のせいだろう―
見下されても腹立たしくても、理解力がしっかりしていた以前のシュセキの方が良かったとジュウゴは思う。
「いつからですか?」
俯いたままジュウゴは呟く。
「地下に住む者に左脚を切られた直後の彼はまだ以前のままのシュセキでした。痛々しくて辛そうな顔をしていたけれども、サンのことをかばってヤチネズミとも交渉を試みて…」
「ネズミ!?」
男が再び声を荒らげる。しかし今回はすぐに合点がいったらしく、乗り出しかけた上体と顎を引く。ジュウゴは一瞬、不審がって男を見たが、男と目が合わなかったからそれ以上の詮索はやめておいた。
「ここに来てワンとコウに布団を貸してもらって、あの時もまだ……」
しかしここでジュウゴは気付く。
「そうだ、あの時だ!」
男がちらりと黒目を上げた。
「あの時だ。あの時、ヤチネズミがシュセキの脚を『しょつ』して、ジュウシと僕が手伝わされて、ジュウシが死んでジュウイチが飛び出して行って、」
―何を、言っている―
―君の話しうぁ、わかりづらい―
「そうか……」
ジュウゴは見つけ出した。
ジュウシが死んだ時だ。ジュウシが死んだからだ。ジュウゴがサンを選んでシュセキを置いて研究所を離れていた間ではない。ジュウシの体がそばにあることは理由じゃない。ジュウゴがここにいた時から、シュセキは既に壊れていたのだ。そしてその理由はジュウシの死だった。
「なんだ……。そんな、それじゃあ、」
ジュウゴは両手を側頭部に運ぶ。爪を立てて毛髪ごと地肌を掴む。
「シュセキはもう直らないじゃないかッ!!」
悔しそうに歯噛みすると頭を抱えて蹲った。