00-56 ムクゲネズミ隊【再会】
過去編(その8)です。
程なくして別の部隊に回されることになった。数合わせの兼ね合いだそうだ。アズミトガリネズミや外の面々にも礼を言い、別れを惜しみ、互いの息災を願って発った。
「カヤ!」
あれ以来一度も顔を見ていなかったからどうなったか気になっていた。まさかこんなところで会えるなんて。
「ヤチ……?」
「ひさしぶり。ってあん時はありがとな。ちゃんと礼できてなくてごめん。お前、あの後どうなったんだよ」
懐かしい顔に嬉しさの質問攻めを食らわせていた。しかしカヤネズミはちっとも感動を返してこない。感謝をしそびれていたことを怒っているのだろうか。だとしても随分なご挨拶だ。仮面のカヤさんはどこに行った。
「ヤチ?」
呼ばれて振り返るとさらに懐かしい顔ぶれが揃っていた。
「ハツ! シチロウ!」
カヤネズミが何かを言いかけたが、ヤチネズミは同室たちに駆け寄る。
「なんだよ、お前らもここにいたんだ。俺、今日からこっちなんだ。またみんな一緒じゃん!」
シチロウネズミは目を伏せ、ハツカネズミがそれを気遣う。
「アカは? アカはここじゃないの?」
「アカは…」
「アカはいないけどセージたちならいるよ」
シチロウネズミが言いかけたのを遮って、ハツカネズミがまたまた懐かしい名前を口にした。
「セージ? あのくそ生意気な餓鬼くそも?」
ハツカネズミは無言で視線を逸らすと「セージ」と背後に向かって呼びかけた。ずいぶん前に自分を追い越していった後輩の上官がやって来る。ヤチネズミは嬉しさを隠しきれずに駆け寄った。しかし、
「ご無沙汰してます。ヤチさん」
「え、……あ、ああ…」
―うるせぇ、じじい!―
記憶の中の姿とあまりに異なる後輩の態度に面食らった。
新しく配属された部隊の長はムクゲネズミだった。セスジネズミはハタネズミとムクゲネズミの薬を入れられたのだと言う。
「この部隊は絶対評価制です。取り分はどれだけ働いたかで決まります。女を捕れたら飯三日分、次の掃除は免除で順番も捕った者勝ちです。男は一体掃除するごとに飯一回、誰かの掃除を補助したら半分、二回補助して飯一回分の支給になります」
「普通にみんなで協力すればいんじゃね?」
淡々と部隊内の規則を説明する後輩に、思わず真顔で意見した。長が変われば部隊の色も変わる。ハタネズミのやり方を踏襲しようとしたアズミトガリネズミも、以前と全く同じようには隊員を回せなかったように、全く違う部隊では規則も上下関係も何もかも違う。しかし、
「ヤチさんが言っているのは傷の舐め合いのことですか?」
「『傷の…』?」
「能力の低いもの同士が屯して各々の弱点を見てみないふりをし、自分の力量を過大評価することです」
「……は?」
いつもヤマネたちとつるんでいたずらばっかりしてた奴が何言ってんだ?
「弱者の救済措置は業務を滞らせ、結果的に損失を生みます。それよりは成果主義に則り、部隊内における競争を強化することで能力のある者の成長を促す方が生産性も戦益も上がることは確実です」
「んだそれ?」
出来ない奴は切り捨てるのか?
―安心して失敗しろ。みんなの尻は夜も昼も俺が持つ―
「それがお前の上官のやり方か」
「俺たちのです」
―死ぬ以外なら何してもいい。だから俺にもやらせろ―
浅知恵でもって寝込みを襲ってくる、無表情かと思っていたが視線だけはいつもいやらしい。全身が下半身のような男だったが懐の深さだけは本物だった。だから皆、寝る時は足の裏も尻の穴も向けなかった。それが部隊長たる者ではないのか。
「おかしいだろ、そんなやり方」
「部隊ごとにやり方は違います。ヤチさんも従ってください」
「部隊長呼んで来い。直接話した方が早い」
「ムクゲさんは塔に行っていて留守です。話は俺が聞きます」
「お前が副部隊長かよ。随分偉くなったもんだな」
「ヤチさんこそ立場をわきまえてください。それともその態度は生産体ゆえの余裕ですか?」
「なんだそれ?」
生産体も受容体もネズミであることに違いはない。
「何も知らないんですね。生産隊は気楽なものですね」
「喧嘩売ってんのかてめえ!」
「怒りは過失を招きます。そんなだからうちに来たんですよ」
「さっきから何、わけのわかんないこと言ってんだよ!!」
「生産体でも出来そこないは受容体扱いということです」
「『出来そこない』??」
「セージ」
カヤネズミだった。セスジネズミの視線が瞬きと共にヤチネズミから離れる。
「ヤチは怒ってないって。な? そうだよな? ヤチ」
笑顔の仮面を張りつけたカヤネズミの爪が肩に食い込んだ。
* * * *
「セージは生産体が嫌いなんだよ」
セスジネズミをかばうようにハツカネズミが言った。しかし、
「あいつにそんな感情ないっすよ」
敬語を使いつつも蔑むようにヤマネが吐き捨てた。
「カヤだって生産体じゃん」
ヤチネズミは言ったが、「俺、違ったんだよ」と予想外の答えを返された。
「違ったって?」
「カヤはアカの反対版みたいな感じ?」
ハツカネズミが代わりに答えてくれたがヤチネズミはまだよくわからない。
「いや、カヤは生産体だって。俺と一緒に五階、行ったじゃん」
ハツカネズミとシチロウネズミ、カヤネズミに囲まれてヤチネズミは新しい部隊の状況を聞かされていた。ハツカネズミの背後にはぴたりとくっついて離れないヒミズやヤマネ、そして見知らぬ子ネズミたちがいる。皆、セスジネズミからは距離を取り、顔色をうかがって目も合わせない。あのヤマネまでもそうだった。かつて一番仲の良かった子どもたちの変わってしまった関係に、ヤチネズミの小鼻はひくついた。鼻水を啜りあげてヤマネから顔を背け、そっとセスジネズミを背中越しに見る。
「あのがきの頃に受ける検査? けっこう外れることもあるらしくて」
カヤネズミが首を擦りながらそっぽを向いて話し始めた。
「成長すると変わるんじゃね? アイはそんなようなこと言ってたよ。俺も昔は生産体だったみたいだけど、今はなくなってたんだって。散々いろいろ試してみて最終的に『受容体でしたね、すみません』とかさあ」
迷惑そうに吐き出された白い息が、カヤネズミから距離をおいて消える。
ヤチネズミはシチロウネズミを見た。シチロウネズミもまた、幼い頃と今とでは体質が変わってしまったとアイが言っていた。
「薬に適合するかどうかでネズミか夜汽車かに分けられるっつうけど、これなら夜汽車の方がいい生産体とかいるかもしれないよな」
カヤネズミのぼやきは尤もだった。検査の精度がそれほどにもお粗末なものならば、夜汽車とネズミの境界線など酷く曖昧なものだ。むしろそんなものは無いと言えるほどに。
「でもカヤは完全に受容体ってわけでもないんだよね」
ハツカネズミが意味深なことを呟いたからヤチネズミは首を傾げる。ハツカネズミは困ったように笑うと、カヤネズミを見遣る。視線を受け取ったカヤネズミは再び大きく息を吐いた。
「受容体なら何種類も入ってもよさげじゃん。でもそこら辺は生産体縛り」
「どゆこと?」
ヤチネズミは眉根を寄せて顔を突き出す。
「自分の薬しかないの。そこはヤチと同じってこと」
面倒臭そうに言い捨てたカヤネズミにどんな薬なのかと尋ねると、「寝ない」と一言、返された。
「『寝ない』?」
―あの日突然死んでた―
「前は何日かに一回は睡魔も来てたけど、今はほぼほぼ寝ないでいける」
ヤチネズミの反応に気付かずにカヤネズミは続ける。
「で、そこまでは生産体っぽいんだけど、増えないの、俺の。アイが組みこんでくれた部分だけ部分的に薬になってんだけど薬が身体の中で増えてないんだって。薬になってもすぐ消えちゃう」
「……どうゆうこと?」
「難しいよね。俺もよくわかってない」とハツカネズミも言うと、その後ろに控えていた子ネズミたちも頷いた。「だからあ、」とカヤネズミは息を吐く。
「受容体なんだよ、多分。マッさんの薬だけ受け入れられた受容体。でもそれ以外は受け付けないところは生産体。そんでもって他の受容体に入れてもそいつは俺の薬をちゃんと受け取ってくれないところは…」
「カヤさん、俺らのこと忘れてません?」
後ろの子ネズミたちが唇を尖らせてカヤネズミを覗きこんだ。
「お前らはまたちょっと違うだろ」とカヤネズミは鼻の奥で唸る。
「タネジとジッちゃんもあんまり寝ないのね。カヤの薬が合ってたみたい」
ハツカネズミが言った。
「だったらやっぱり生産体じゃん」とヤチネズミも言う。
「そうなのかなあ」とカヤネズミ。なんだかはっきりしない。
「タネジたちは俺の薬っていうか、俺とマッさんの二種混合なんだよ。俺の薬だけだったらきっとお前らは普通に寝てるって」
カヤネズミが説得するかのように子ネズミたちに向き直ったが、
「なんか心外です」
「拒否られた」
子ネズミたちはまだ不服だったようだ。カヤネズミは息を吐くと仮面を張りつけ、
「拒否してないよ。お前らは俺の受容体ですよ」
幼児に語りかけるかのごとく頷いて見せている。
「どちらかと言えば生産体っぽいけど」
ヤチネズミが感想を述べるとハツカネズミも同意した。「一応作れてるじゃん」
「一応って何?」
ハツカネズミの言葉に反応してヤチネズミはさらに尋ねると、カヤネズミは鼻の奥で唸りながら眉間を指先で揉みほぐした。
「……俺の薬だけでも入れるとさ、一過性でそいつ寝ない」
「『一過性』?」
「うん」とハツカネズミ。
「カヤの薬をもらうとその時だけ目が冴えるみたいなんだ。見張りって絶対寝ちゃだめじゃん? だからそういう時はすごく助かるって」
「だいたい十日くらいかな」カヤネズミが呟くと「そうすね」と子ネズミたちが頷いた。
「そのくらいならお前らも寝ないよね」
ハツカネズミが背後に振り向くと、
「俺は十二日間いけましたよ!」とヒミズが身を乗り出した。
「お前、なんでハツには敬語なの?」
ヤチネズミは気になってヒミズに尋ねた。俺らが地階で面倒見てやっていた時はため口だったよな、と。ハツカネズミも自分やシチロウネズミ同様、結構子ネズミたちに馬鹿にされていたはずだ。
「だって部隊じゃ上官の命令は絶対じゃん。ハツさんの言うこと聞かないと俺ら全滅するし」
「お前、なんで俺にはため口なの?」
ヤチネズミは癪に触ってさらに尋ねた。面倒を見てやっていた時間の長さだけなら誰よりも俺が一番だろうと。
「だってヤッさん、上官って感じしないじゃん」
「何か腹立つな、お前」
「ヤーチ!」
腰をあげていきり立ったが、カヤネズミに肩を掴まれて力ずくで座らされた。
「怒んない、怒んない。いいかなあ?」
「……別に怒ってないし」
「超怒ってるし」
カヤネズミに子ども扱いされて不貞腐れたヤチネズミを、ヒミズが小声で馬鹿にした。
「おい、ヒミズ!」
「ヤチ」
今度はハツカネズミに窘められる。憮然として腰を下ろし、鼻から白い息を吐いてくそ生意気な子ネズミを睨みつけた。しかしヒミズは全く悪びれていない。
「くっそ……」
「そういうところがセージに指摘されたんだって」
カヤネズミのぼやきに、ヤチネズミは本題を思い出す。
「そうだ、セージ! あいつ何なんだよ。あれ、ほんとにあのセージか?」
「そのセージは死にましたぁ」
ヤマネが敬語で言った。両足を投げ出した不遜な態度は大目に見よう。
「死んだってどうゆうことだよ」
ヤチネズミが尋ねるとヤマネは舌打ちした。舌打ち? こいつらほんっとに!
「死んでないだろ。あそこにいるじゃん」
ハツカネズミが困った顔で諭すとヤマネは唇を結んで俯いた。
ハツカネズミへの子ネズミたちの従順さにヤチネズミは困惑する。確かに子ども受けがいい奴ではあったが、以前はもっと頼りなかった。小ばかにされつつ遊ばれていたというか。
「ヤマネの気持ちもわかるけどな」
カヤネズミも言ってヤマネは完全に肩を落とした。
「検査はしんどかったっすからね」
カヤネズミの斜め後ろの壁にもたれかかっていたドブネズミが呟いて、皆が押し黙った。
ヤチネズミも顎を引く。ハタネズミの薬が適合した者とそうでない者とでは雲泥の差があっただろうが、それでもあの時間が楽しかったという変態はいないようだ。ムクゲネズミの薬の影響は無視できないが、セスジネズミの変わりようはそれだけが原因ではないとヤチネズミは思った。そしてセスジネズミ同様に気になっているのが、
「シチロウ?」
呼びかけるとシチロウネズミはびくりと肩を震わせた。その反応にヤチネズミが驚かされる。そこまで驚かせたつもりも、大声を張り上げたつもりもなかった。ただ呼んだだけだったのに。
「ん? な、なに?」
妙におどおどして、視線と言葉尻は覚束ない感じで。
「……いや、別に」
あの笑顔はもう見られないのだろうか。検査室の廊下に響き渡っていた叫び声がなんとしても思い出される。
「シチロウは誰の薬入ってんだっけ?」
「おれ? お、俺は……」
なんでそんなに挙動不審なんだよ。何にそんなに怯えてるんだよ。
「シチロウ、」
「トガちゃんのだよね?」
シチロウネズミが答える前にハツカネズミが口を出した。まるでシチロウネズミを庇うように、全身でシチロウネズミを守るようにして、ハツカネズミは身を乗り出している。反対にヤチネズミは気圧されて、上体と顎を引く。
「……でも俺は、ハツみたいにちゃんとは治んないし、だからあんまり…、なんにも出来なくて……」
―誰もお前をまともな戦力だなんて思っちゃいない―
「それは俺も同じだよ」
ヤチネズミが呟くとシチロウネズミはそこで初めて顔を上げた。
「大丈夫だよ、みんな!」
沈みかけたヤチネズミの気分を、ハツカネズミの朗らかな声が引き上げた。相変わらず暗い表情で俯いたシチロウネズミの背中を、笑顔のハツカネズミが優しく叩いている。
「ヤチも前の隊で大変だったんでしょ? でもここは大丈夫だから」
ヤチネズミは訝る。ハツカネズミの笑顔の根拠がわからない。セスジネズミの話と子ネズミたちの様子を鑑みるに、この部隊の分裂具合は非常に危ういのではないだろうか。
カヤネズミが何か言いたげに唇を結んだまま口元を動かした。