00-189 お目付け役
尋ねられたから答えたのに、質問者は何も言ってこなかった。オオアシトガリネズミはちらりとヤチネズミを盗み見る。久しぶりの再会を果たした先輩は、瞬きを忘れて固まっている。息も忘れているかもしれない。よく死なないな、と見事な硬直ぶりにオオアシトガリネズミが感心していたら、
「………んだそれ……」
息はしていたようだ。固まっているとばかり思われた唇が動いた。その途端、
「何だよそれ!! どうしてそんなことになってんだよ!! 捨てる? 子どもを? お前よくそれで平気だな!!」
ヤチネズミが真っ赤な顔で、動く方の腕だけで襟を掴み上げてきた。文字通り怒りで髪の毛を振り乱し、天を衝きそうな勢いだ。毛根の弱そうな、一本一本が細くて到底立つことなどできなさそうな髪質のくせに。
「俺じゃないっすよお! 俺じゃなくて『塔が』ですってば!」
オオアシトガリネズミは締め上げられながら否定する。しかし、
「同じだろうが! お前だって塔のネズミじゃん! 塔がやってることに加担しっぱなしの義脳の片棒担ぎだろ!!」
「義脳? あ、アイちゃんっすかあ?」
聞き慣れなくて言い直したオオアシトガリネズミに、
「義脳で十分だ!!」
ハツカネズミのような見幕でヤチネズミは怒鳴り散らした。
「どっちでもいいっすけどねぇ」
うんざりした顔でオオアシトガリネズミはヤチネズミの腕を振りほどく。詰まった襟元を緩めて「ったく、なんなんすかあ」とぼやいている。
「俺に怒鳴らいでくださいよお。塔のネズミってネズミは塔の者でしょう。ヤッさんたちが出てっただけで」
ヤチネズミは項垂れたまま荒い呼吸を整える。
「加担も何も、アイから仕事をもらって働くのがネズミですよぉ? 保管体も治験体だってみんな、アイがなかったら誰から仕事もらうんすかあ。何もしないで生きてられるほど一生って短くないと思いますけど…」
「そういうこと言ってるんじゃなくて!」
ヤチネズミは額に手を置く。違う、反対だ。手の平に額を置いて頭の重量を支えている。
「じゃなくて……、だから……」
「まあ、ヤッさんの言いたいこともわからないでもないですけどねぇ」
オオアシトガリネズミは子どもをなだめるように息を吐いた。
「でも仕方ないじゃないすかあ。余裕がないんです」
「余裕?」とヤチネズミは顔を上げる。
「余裕」とオオアシトガリネズミが頷きながら面倒臭そうに答える。
「アカネズミさんの複製体は治験室行きが多いんです。ここんとこがあれだったりして」
言いながらオオアシトガリネズミはこめかみに指を立てた。
「それでも身体が動けばいい方で、一生首も座らないのとかも少なくなくて」
ヤチネズミは顔を背ける。そういう子どもは自分も何度も目にした。寝たきりの子どもにネズミの仕事は勤まらない。
「ただでさえ最近の子どもは奇形が多いのに。治験室はここんところ満床って聞きます」
あの部屋に納まりきらないほどの子どもたちが、あんなことをされているのか。
「なんでぇ、今じゃあ保育室も治験体に割かれてるんすよ」
「……どゆこと?」
「子ネズミの横に治験体がいるんです」
ヤチネズミは唾を飲み込む。
「でも見た目はみんな普通の子どもでしょう? 一目でわかる奇形とか障害は別にしても、結構子ネズミに紛れこんじゃう治験体も多くて、見分けるのが面倒臭いって言ってましたよ」
言ってオオアシトガリネズミは、傍らの砂面に目を向けた。半日かけてヤチネズミと共に埋葬した、自部隊の部隊員たちの眠る場所だ。慈悲深さからはおおよそかけ離れた言動しか見せないこの男にも、子ネズミを気遣う心があったことにヤチネズミは内心胸を撫で下ろしたが、
「だから折って確かめるんです」
「何を??」
飄々と穏やかでない単語を口にした後輩を二度見した。
「なんでも。赤ん坊だからどこでも折りやすいでしょう」
「あ、赤ん坊?? の何を??」
「だからあ、」
いちいち動揺する先輩に嘆息してから、オオアシトガリネズミは諭すようにヤチネズミを見た。
「指とかですよ。折ってすぐ治れば薬持ちの治験体、しばらく腫れてたら子ネズミって感じで」
―そいつ赤ん坊のくせにもう薬持ってんの―
「切り落として生えてくるのを見れば早いんですけど、万が一子ネズミだったら再生しないでしょう? それじゃ困るんで、骨折させて薬持ちかどうかを調べて区別してたみたいです」
―あれはばけもんと同じ薬だ―
ヤチネズミは口元を手の平で覆った。後輩が話聞かせてくれる塔の最新情報が、自分の知るかつてのそれと違い過ぎて、頭が追い付かない。
「いや……さ、でも……、」
必死に反論を探す。それはおかしい、何かが変だ。だって別の方法があるのにと、駄々をこねようと足掻く、もがく。
「でも、最初っから薬が入ってんなら願ったりかなったりなんじゃね? だって、ほら……、だから……」
「薬合わせの手間が省ける?」
狼狽する先輩にオオアシトガリネズミが言葉を手伝う。「そう!」とヤチネズミは顔を上げる。
「そうだよ!! はぶけるだろ!? むしろそのために作られた子どもなんじゃ…」
「…だったかもしれないっすけどそれじゃ駄目なんです」
微かに見えたと思われた光は瞬きと共に消える。
「なんで駄目なんだよ!!」
妙案だと思ったのに。
「薬持ちはそれ以外の薬を受け付けないからです」
オオアシトガリネズミは半目で下から、興奮する先輩を冷ややかに見て言った。ヤチネズミは首から上を突き出し、「生産体と何が違うんだよ」と非難する。
「生産体の特徴じゃん、それ。だったらその『薬持ち』? の子どもは生産体になればいいだけの話で…」
「なれませんよ。薬、増やしませんもん」
再びオオアシトガリネズミの冷たい視線。ヤチネズミは眉毛をひん曲げて「はあ?」というのが精一杯だ。
「だから薬持ちは薬を増やさないんです。自分は薬の効能使えるくせに、それを他の誰にも継がせられないから生産体にはなれないんです」
ようやく理由に納得する。がしかし、
「でも…、でもさ、だったら受容体としてネズミに…」
「だからなれませんって」
オオアシトガリネズミが呆れ果てて息を吐く。
「薬持ちは受容体がないんです。だからネズミじゃないんですって今、言ったばっかじゃないですかあ『他の薬を受け付けない』って」
確かに今しがた聞いたばかりだ。ヤチネズミは視線を泳がせる。
「でも、でもなんか……」
何かあるだろう、何か。そいつらにも生きる価値が何か…
「ないんですってばぁ」
オオアシトガリネズミがため息を長く吐いた。疲れ果てたと強調したげだ。ヤチネズミは息が詰まる。
「ないんすよ、薬持ちには何にも。あいつらは受容体にもなれないし生産体でもない、ネズミじゃないんです。かと言って夜汽車でもない。夜汽車は健康体が選ばれますからね。地下の連中に飲ませるだけなのになんだって健康な子どもが選ばれるのかは謎ですけど」
それは地下に住む者の健康を慮ったアイによる選別だろう。ヤチネズミは口に出さずに答える。
「加えて塔にも空きがない…、余裕がないんです。自分でいっぱいいっぱいなのに他の奴のことまで面倒見きれないってのはアイだって同じっすよ。満床って言ってんのにそこに押し込むのだって酷でしょう。
だから治験体になるしかないんです。でも治験体は既に足り過ぎててむしろ供給過剰だから保育室に送られてくるけど、保育室で育てたところで子ネズミでもない。だから捨てるしかないんです」
余裕が無いから。
「そんなんばっかだからまともな子ネズミも少なくて、最近じゃ地下掃除なんてワシの皆さんに任せ切ってる感じっすよ。地上活動って言っても女の確保が主な仕事で…」
「それでいいのか?」
オオアシトガリネズミは饒舌に動いていた口を空回りさせた。きょとんとしてヤチネズミに向き直り、「何がっすか?」と首を傾げる。
ヤチネズミは顔を上げる。泣きそうな目になっていたことに、ヤチネズミ自身は気付いていない。ジャコウネズミが死んだばかりで涙腺が昔みたいに緩んでしまったのかもしれない。
「な、なんすか…」
「自分が育てた子どもが、そんな扱い受けて平気なのかよ……」
言いながら泣き出しそうになってヤチネズミは下を向いた。オオアシトガリネズミがおどおどと声をかけてきたが、鼻声で厚意を無下にする。
「平気って言うかなんて言うかぁ、薬持ちですし……」
分別された子どもの総称を当たり前のように使う姿は、オオアシトガリネズミがその子どもたちに何の思い入れも無いことを物語る。
「だって先輩、あいつら気持ち悪いんすよお? 折れてもすぐ繋がるし、切ったら生えてくるし、でもって終いには増やしてくるし…」
「『ふやしてくる』?」
ヤチネズミはオオアシトガリネズミの言葉を復唱して顔を上げる。オオアシトガリネズミは唇を結んで上体を引く。
「どゆこと?」
「え……? い…」
「ちゃんと喋れ」
目の座ったヤチネズミに怖気づくオオアシトガリネズミ。しばらく会っていなかったこの数年の間に、『先輩』に何らかの変化があったことをオオアシトガリネズミは感じた。
「『増やしてくる』って何だよ。その餓鬼どもは何を増やすんだよ」
「だから…、その…手とか…」
「『手』ぇ!?」
突然の大声にオオアシトガリネズミは肩を上下させた。なんなんだよぉ、などと思いながら、
「手とか指とか足とか、切り落とした部分を増やすって意味ですって!」
ヤチネズミの視線を振り切るようにして、オオアシトガリネズミは声を荒らげ一言で答えた。ヤチネズミは目を見開いたまま無意識のうちに顔を突き出している。
「薬持ちは増やすんですよ、そういう欠損部分を。初めは再生してるだけなんですけどそのうち一定回数越えたら増やすんです」
「増やす……」
―指、増えてんじゃね?―
ワシの子どもとやり合った後、四輪駆動車を破壊したことを申し訳なさげに申告してきた時、
―六本ですよ、ハツさん―
―あ、あるね―
ハツカネズミの再生したての手の指は六本に増えていた。
「んでぇ、散々増やした後はぽっくり逝くんです」
振り返ってきたヤチネズミの顔にびくりとして、オオアシトガリネズミが目を丸くした。
「………は?」
ヤチネズミの低い声が、疑問なのか啖呵なのか判じ得ず、オオアシトガリネズミは「はい?」と返すしかない。
「……増やした後で何だって?」
「………ぽっくり逝きます」
「どこに」
「あの世?」
ヤチネズミは止まる。食べた物は吐き尽した後なのに、喉の奥がぞわぞわする。吐きそうなほど気持ち悪い、信じたくない想像が膨らむ。
ハツカネズミは指が増えていた。それはつまり、トガリネズミの薬の副作用で末期症状で、
「死ぬってことです」
弾かれたようにヤチネズミは立ち上がる。全身の痛みを感じている暇など無かった。
「先輩!?」
ハツ!
「ちょお、先輩、どこ行くんすかあ?」
アカ! ハツ、ハツ!
―大丈夫だよ、ヤチ―
嘘だ。お前は嘘つきだ。
「話したら戻ってくるって言ったじゃないっすかあ!」
「お前は塔に帰れ!」
ヤチネズミは走り出した。現実には走れていない。脚を引き摺り速度は遅く、赤ん坊のずりばい程度のよちよち歩きだ。気持ちばかり急いて足は、身体は意に沿わない。でも、
―あるものも探せ―
まだある。まだ歩ける。まだ、まだ、だから、
「ヤチ先輩ッ!!」
まだ死ぬな、ハツ。
* * * *
「ちょお、待ってくださいよお~」
オオアシトガリネズミは前を歩く背中に呼びかける。塔の最新情報を教えたら戻ってきてくれると言ったのに、……言ったと思ったのに、オオアシトガリネズミが話し終えた途端、ヤチネズミはあらぬ方向に歩きだした。
「ヤチせんぱ~い」
どうやらヤチネズミは部隊の連中と落ち合うらしいが、通信機も持たないで場所などわかるはずが無い。
「ほんとにこっちであってるんすかあ~?」
「だからお前は帰れっつってんだろ!!」
背中越しに怒鳴り散らし、振り返りもせずに行ってしまう。
仲間思いなのは昔からだ。自分の無事に涙を流して喜んでくれたし、オオアシトガリネズミが今こうして生きているのは他ならぬヤチネズミのおかげでもある。生前シチロウネズミが言っていた通り、心根が悪い男ではないのだ。
だが頭がいいとも言えない。
オオアシトガリネズミはずぼんの隠しに手を突っ込む。引き抜いたその手には小型の通信機が握られていた。
「アイちゃん聞こえる?」
「はい。電波は良好です」
オオアシトガリネズミはへらりと笑う。そして、
「他の連中はどうなるかわかんないけど、ヤチ先輩は連れて帰れそうだわ。移動手段が無いからちょっと時間はかかりそうだけど」
「その後あなたの体調に変わりはありませんか?」
オオアシトガリネズミは苦笑してから、
「なんとかね。ありがと」
へらへらと礼を述べた。
「でさぁ、この怪我治ったらまた地上に出させてね。俺、こっちもわりと好きなんだよね」
「もちろんです。ヤチネズミの送還とあなたのご帰還をアイはお待ちしています」
「頼んだよ?」
「はい。ではお気をつけて」
「はいは~い」
へらへらと返事をしてアイとの会話を切り、そのまま位置情報を確認した。オオアシトガリネズミは空を見上げる。星の位置と端末の画面を見比べると、進路がまた少し、東にずてれいた。
「ったく世話の焼ける……」
小さくぼやいて息を吐くと電源を落として端末を隠しに突っ込み、表情を作って顔を上げた。
「ちょっと待ってくださいってばあ~。せぇんぱ~い!」
片脚を引き摺りつつ、決して自分を置いていくことのない背中を追いかけた。
とても中途半端なところですが、しばらく更新をお休みさせていただきます。