00-187 ジャコウネズミ【軌跡】
過去編(その138)です。
アカネズミを塔から連れ出すべきか否かの答えをヤチネズミが見つけられないまま、その話を誰にも打ち明けられないまま、ハツカネズミ隊は動き始めた。エゾヤチネズミには時間をくれと懇願しつつ、仲間たちにはアカネズミ奪還を掲げさせたまま、部隊は夜汽車を止める方法を模索した。
塔全体を破壊するわけにはいかない。塔にはアカネズミがいる。それにオリイジネズミ隊には世話になったし、コジネズミも、他の部隊も、子どもたちも皆が生活している。そこを攻撃するのは本末転倒というものだ。ヤチネズミたちが目指すのはあくまで義脳の停止、夜汽車制度の廃止だ。しかしそのためには夜汽車に変わる制度が要る。夜汽車を走らせなくても電気を得られる設備が必要で、夜汽車など作らなくても皆の腹が満たされる方法が要る。その代替案を無くして夜汽車を止めれば塔に住む者全ての命を脅かすことになる。義脳を止める意義さえなくなる。
誰もが納得し、全てが上手く収まる方法など見つけ出せるのだろうか。そんなもの、本当に探して見つかるものなのだろうか、あるのだろうか……。
「ないんだよ、んなもん。お前らもわっかんねえ奴らだな」
コジネズミには事あるごとに馬鹿にされた。その度にハツカネズミが憤慨してカワネズミが仲裁を試みてワタセジネズミが怖がって。セスジネズミがいる限りコジネズミがハツカネズミ隊に手を上げることはないとわかってからは、ヤチネズミは日常茶飯事と化した元上官と同輩の喧嘩を遠巻きに眺めていたが、コジネズミの指摘通り、全ての条件を満たす万能策などなかなか見つからなかった。
万能策が見つかるまで、夜汽車になる子どもたちを作りださずに子ネズミたちを、治験体たちを危険に晒さない方法が確立するまではやはり、地下に住む者の蛮行が邪魔だった。あちらの言い分もこちらとの関係も解明し、理解したとはいえ、やはり許せないものは許せない。放っておくことは出来ない。結果、彼らがその万能策を見つけるまでの繋ぎの期間に行ったことと言えば、地下に住む者がこれ以上夜汽車に狂気を向けないよう威嚇し、牽制し、時には掃除することだけだった。塔に属していた頃となんら違わない、他の部隊にいても変わらない、ただのネズミの仕事だった。
それでも進捗が無かったわけではない。幼かったジャコウネズミとスミスネズミはしっかり成長し、めきめきとその頭角を伸ばしていった。
スミスネズミが言葉を発することはその先もなかったが、こちらの言っていることは多少理解している感も出てきたし、ハツカネズミの指示にはほぼ完ぺきに従う。そして何より小銃を扱えるようになった。運転はついにできなかったが、指先を器用に使い、銃弾を装填して銃口を対象に向け、引き金を引くことができるようになった。
初めてスミスネズミが銃弾を的に当てた時、ヤマネは感極まって泣き崩れ、ジャコウネズミは笑いながらスミスネズミを抱きしめて背負い投げされていた。その様子に目を細めたハツカネズミを見て、スミスネズミは初めて微笑みのような表情を見せたように思う。
誰だよ、こいつが何も出来ないなんて言ったの。生きる価値を得るための治験体なんて言ったの。見てみろよ、アイ。ちゃんと成長したぞ。出来ることが増えたぞ。勝手に見限るなよ、勝手に諦めるなよ切り捨てるな。
今のこいつを見たら、きっとお前は後悔するはずだ。ネズミでしたね、すみませんとか言って自分の間違いを認めて謝罪するはずだ。熱くなった目頭に上がってきたものを堪えながら、ヤチネズミもスミスネズミの成長を祝った。
ジャコウネズミだって負けてはいなかった。ハツカネズミやワタセジネズミのように複数の薬を併せ持っていたジャコウネズミは、元から素養があったのかもしれない。落ち着きはないし口を閉じていられる時間は相変わらず瞬きほどの短さだったが、ジャコウネズミはすぐに体術も小銃の扱いも会得し、運転技術もかなりの腕前になった。体術はドブネズミが、小銃の扱いはカヤネズミやヤマネに教わる方がわかりやすかったかもしれないけれども、運転に関してだけは自分が教え込んだのだとヤチネズミは自負している。
最初こそ「おにいちゃん、おにいちゃん」とハツカネズミから離れなかったが、ハツカネズミは部隊長でスミスネズミの保護者だ。保護者を買って出たヤチネズミは必死に自分の方を向かせようと、ジャコウネズミを追いかけ回した。
文字通り追いかけた。振り向いてもらえるように、話を聞いてもらえるように認めてもらえるように、ヤチネズミはジャコウネズミを追いかけた。それが正しかったかどうかはわからない。保護者として正しいあり方だったかどうかなどヤチネズミ自身には判じようが無い。それを評価するのは後のジャコウネズミを見た周囲の目だけだ。だがその評価が欲しかったわけでもない。もっと言えばジャコウネズミ自身のことを本当に考えていたか否かも微妙かもしれない。どう育ってほしいとかその方向性も定かではない。ただ、育ってほしかった。
なぜなら子どもは放っておいても成長することを知っていたから。セスジネズミやヤマネやカワネズミがその証拠だ。自分などが下手に手出しするよりも、子どもらにそれを委ねた方が真っ当に育つだろうこともわかっていた。だから正直、どうでもよかった。
言い方がおかしいが、どうなってくれてもよかった。ただただあるがまま常に元気に走り回り、笑って叫んでいればいいと思っていた。それ故に事故を起こしそうな時、および事後に処理をするのこそが自分の仕事だと、それ以外は自分はあまり関わってはいけないとヤチネズミは思っていた。
その姿勢に異を唱えたのはドブネズミでヤマネでカワネズミでカヤネズミで。もしかしたらドブネズミの方が保護者たる仕事をしていたかもしれない。ヤチネズミは見ていただけと言われればそうなのかもしれない。それでも、ジャコウネズミもジャコウネズミのまま元気に育ってくれたから、ヤチネズミはそれでいいと思っていた。その姿をオオアシトガリネズミに見せられれば自分の、保護者としての仕事は終了だと。その時には言ってやるのだ、オオアシトガリネズミに。見ろよ、あの時の子どもだぞ。こんなに立派なネズミに成長したんだ。お前の先輩の名に恥じないだろ? 「こんな奴が」なんてもう言わせない。こいつも、お前の先輩もみんな同じだ。同じように初めっから持ってただろ? 生きる価値を。
どうやって伝えよう、何と言えば伝わるだろう。そんなことばかり考えて、何度も何度も再会時の言葉を推敲して反芻して暗記して用意していたのに、
「ハツさん潜って!」
「ジャコウッ!!」
最後の最後にハツカネズミを気遣った。最後の最後に仲間に危険を知らせた。最後の最期までネズミとしての仕事を全うして、ジャコウネズミは逝った。