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00-186 ヤチネズミ【まだ】

過去編(その137)です。

「少しいいか」


 エゾヤチネズミに名指しで呼びかけられた時、ヤチネズミは正直びくりと動揺した。


 食糧と飲み水、銃弾と新しい四輪駆動車を運んできてくれた夜だった。飲み食いが必要な連中は、エゾヤチネズミが来た日にしか食べられない新鮮な食べ物に食らいつく。カヤネズミは断酒期間だろうと飲み始め、ジネズミは腹が千切れるのではないかと心配になるほど延々食べ続けるから、慣例的にその時間は食事時間となっていた。飲食が要らないヤチネズミとハツカネズミはその間、洞窟の前方と後方に陣取って見張り役となる。その見張り時間に背後から声をかけられたのだ。


「え? あ……、なんの…?」


「アカネズミのことについてだ」


 その一言で動揺は霧散した。


「アカは元気ですか?」


 身を乗り出して尋ねたヤチネズミから視線を逸らして、エゾヤチネズミは口籠る。元気ではないのだろうか。不安がむくむくと膨れ上がって来た時、


「『元気』の定義は何だ」


「ていぎ?」


 間抜けに聞き返していた。


 散々逡巡した挙げ句に出てきた言葉は、「すみませんわかりません」の一言で、エゾヤチネズミから軽蔑の視線を受け取る。エゾヤチネズミは横を向いて息を吐くと、「生きてはいる」と呟いた。何とも嫌な無事の表現方法だ。


「元気……では、ないんですか?」


 今だにその言葉の定義を定められないまま、ヤチネズミはおずおずと尋ねたが、エゾヤチネズミは決まりが悪そうに鼻から息を出しただけだった。


「あの…」


「一番冷静そうなお前に伝えておこうと思う」


「冷静……、ですか?」


 自分が『冷静』と評されたことがヤチネズミは信じられなくて、しかし自身を悔い改めた成果の表れかなどと微かな嬉しさを噛みしめていると、


「アカネズミを塔から出すのは諦めろ」


 信じられない命令が頭の上から降ってきた。相手が誰かということも忘れてヤチネズミは正面から睨み上げる。


「諦めませんよ」


 諦められるわけが無い。諦めてなるものか絶対! 必ずアカネズミを塔から連れ出すのだ、地上を堪能させるのだ、ハツカネズミと仲直りさせてシチロウネズミのことも含めて今までのことを全て謝罪してそして…!


「アカネズミは塔の者だ。地上には出られない」


「アカはアカです。誰の物でもないです。アカの好きなように好きな場所に行く権利がアカにはあります!」


 エゾヤチネズミは渋い顔のまましばらく唇を固く結んでいた。

 しかし押し負けたようにヤチネズミから顔を逸らすと海に向かって歩き出した。ヤチネズミは背後を窺う。仲間たちは腹が立つほど飲み食いに夢中で楽しげだ。ヤチネズミは一応周囲を見回してからエゾヤチネズミの後を追った。


 二の腕を擦りながら砂浜を歩く。折り重なったまま凍りついた波打ち際の形を見下ろし、靴裏でそれを踏みつぶす。子ネズミの頃に食べたかき氷の舌触りを思い出せるはずもなく、何の味かも想像できない氷菓子のなりそこないはぐちゃぐちゃに崩されたそばから、今度はヤチネズミの足跡をかたどって固まる。


「アカネズミの薬の増産が進んでいる」


 遊んでいたヤチネズミは、前を歩くエゾヤチネズミの声に立ち止まった。自分の靴音で聞き取り損ねた言葉をもう一度尋ね返すと、エゾヤチネズミは立ち止まって振り返った。


「アカの薬?」


 今度こそ聞き間違いではなく、エゾヤチネズミは確かにそう言った。ヤチネズミは考える。おそらくは自分の薬以外のほぼ全ての薬の効能をアカネズミは持っている。全てのネズミの集大成みたいな薬、その増産。


「そしてその増産方法は、俺たちの薬合わせとは別の製剤方法がとられているらしい」


「別の方法?」


「仕入れた話によるとアカネズミは他の生産隊とは別行動をとっていて、」


 それはヤチネズミも知っている。アカネズミは塔内にいながら「仕事だ」と言っていたし、


「高度治療室に隔離されている」


「隔離ぃ!?」


 思わずひっくり返った声をあげてしまって、慌てて口を押さえた。背後を振り返り、仲間たちの様子を確認する。誰もこちらに気付いていない。エゾヤチネズミが自分を外に連れ出した理由を、ヤチネズミはここに来てようやく知る。


「なんでアカが!? アカそんなに悪いんですか? 再生追い付かなかったんですか? 心臓! 俺が、その…」


「俺が知るはずないだろう」


 ヤチネズミの取り乱した質問をエゾヤチネズミが遮った。ヤチネズミは「ですよね」と納得して口元を手の平で覆う。考え事の噴き出し口を閉じて、ヤチネズミはあらゆる可能性を考えてみる。とりあえず三十秒。


 アカネズミが隔離までされて治療を受けなければならないとしたら、おそらくそれは自分が与えた致命傷のせいだ。トガリネズミの薬の効能が間に合っていなかった。再生しきれないアカネズミをアイが治療を始めていたけれども、返ってそれが災いしたとか? いや、それよりも隔離されるほど重篤とは……。


 そこでヤチネズミは何かに気付く。集中治療室よりも医療度の下がる高度治療室にいるということは意識はあると思われるが、隔離されなければいけない程度には継続的観察と治療が必要な状態にあり、その状況下でも薬の生産は続けられていて、増産方法は他のネズミの薬合わせとは異なる………。


―いいから早く次の培地(ばいち)どもよこして!!―


 女の蔑称を叫んでいた。


―俺、生産隊なの―


 薬の増産がアカネズミに課せられた『仕事』。


―仕事中だったからだよ―


 裸でする仕事。


 口元を覆っていた手の平が、知らず知らずのうちに額に移動していた。身体は悪寒に震えているのに、頭だけが場違いに熱い。支えがなければそのまま煮えたぎって、重みに耐えきれずに落ちて行きそうだ。


―生産体はその身が尽きるまで、体内で薬の精製が続きます―


 死ねば薬は作れない。故に死ぬまでに、次の生産体に薬を引き継ぐ必要がある。


―アイがなくても子どもは作れます―


 品種改良されたしゅを遺すためには、そのたねをさらに土に蒔いて増やしていく必要がある。ネズミと地下に住む者たる女たちにもそれは可能だった。


 ヤチネズミは背後を振り返った。カヤネズミは上機嫌で酒を煽っている。


―部隊長は死なない奴がやるべきだ―


 カヤネズミはまだ、いつ自分の寿命が尽きるか知れない恐怖と戦い続けている。薬には副作用があるから。不眠の薬が寿命を短縮させるという副作用はまだ立証されていないが、短縮させないということもまた確認されていないから、同じ薬を持つアカネズミの寿命もまた、短くないとは言い切れない。ならば、


 塔はアカネズミが死ぬ前に、アカネズミの薬を受け継ぐ(こども)を作ろうとしている?


「………もしですけど、もしかして、……なんですけど、」


 自分の予感が信じられない。三十秒以上かけて考える時間を与えてもらったのに、まだ考えがまとまらない。


 エゾヤチネズミが痺れを切らす。ヤチネズミは狼狽して謝罪して、息を吐いて顔を上げ、


「もしかしてアカの部屋、子ネズミじゃなくて女が出入りしてますか?」


 エゾヤチネズミが怪訝そうに瞬きした。あ、違う。ヤチネズミは気付く。エゾヤチネズミに尋ねることではないと悟る。おそらくこの男はそこまでは知らないのだろう。何故ならエゾヤチネズミは受容体だから。尋ねる相手は生産体の。


「それは不明だ」


 予想通りにエゾヤチネズミが答えた。ヤチネズミは無言で頷く。そのまま俯いて足元に視線を落とす。靴が波に呑みこまれて凍り始めていた。どうりで震えが止まらないはずだ。


「生産体ならば他の奴の薬合わせの様子を知ることできるかもしれないが」


 エゾヤチネズミは受容体だ。そしてオリイジネズミも。


「ですよね」


 暗に込められた指示に曖昧に相槌を打つ。


「だがそういうことだ」


 エゾヤチネズミがさらに暗喩を重ねてきたから、ヤチネズミは身震いと共に顔を上げた。今度は何を示しているのかわからなかった。


「どういうことですか?」


「アカネズミを塔から連れ出すのは不可能だ」


 ヤチネズミは唾を飲み込む。


「アカネズミが隔離されている以上、面会さえ制限されている。アイもあの一件以来、様々な機能を追加した。物理攻撃に対応して壁も床も厚くなったし、省電時間も短くなった。更新速度も劇的に早くなったし最近じゃ停電区域もほとんどない。不具合だってものの十秒で復旧する。もうお前らごときに半壊される塔じゃない」


「でも…」


「全員一瞬で捕縛のち処刑が目に見えている。死刑囚はその場で射殺かもしれないしお前は一生検査室暮らし、他の連中は治験体扱いが関の山だ」


「そんなことは…!」


「治療室だ」


 叫びかけたヤチネズミをエゾヤチネズミが一蹴した。ヤチネズミは顎を引く。


「高度治療室だ。二十四時間アイが管理している。アカネズミはアイによって生かされていると考えられる。例えお前たちがアカネズミを塔外に連れ出せたとしても、アカネズミが地上で生きていけると思うか」


 そんなに悪いのか。


「アカネズミを思うなら塔内で静かに過ごさせてやれ。塔への電気供給を止めるなどという馬鹿げた計画もやめろ。お前たちの目的は矛盾する」


 アカネズミの意思とアカネズミの命、どちらかを選べと言いたいのか。


 黙り込んだヤチネズミを見下ろして、エゾヤチネズミは喉の奥で咳払いをした。鼻水を啜りあげる音が聞こえてきて、震えていたのは自分だけではなかったのかとヤチネズミは気付く。


「夜汽車の子どもを助けたいというお前たちの気持ちは否定しない。だが塔への電気供給は止めるな、それが前提だ。夜汽車を走らせたまま中身だけ取り出すとか、地下の連中を逆に乗せるとか別の方法を考えろ」


 アイが夜汽車を走らせる目的は塔から地下への食糧の供給だ。中身が空になればまた別の子どもたちをその車両に載せるだろう。地下に住む者を乗せることは目的と手段があべこべだ。


「どうすれば…」


「それを考えるのはお前らだろう」


 エゾヤチネズミに呆れられて言葉に詰まる。


 それ以上質問も提案も上げて来ないヤチネズミを見下ろしていたエゾヤチネズミは、白い息を吐くと踵を返した。ヤチネズミはその背中を下から見つめる。


「良い代替案が聞けることを期待する」


 それだけ言い置いてエゾヤチネズミは四輪駆動車に乗りこみ、白い景色の中に消えていった。


 ヤチネズミは顔を上げる。いつの間にか吹雪いていた。頬が痛いはずだ。爪先が痺れるはずだ。頭の中心も痺れたように痛むのに、そこだけ例外的に温度が高い。


「新手の自殺?」


 声の方に顔を向けると自動二輪に跨った小柄な影だった。保護眼鏡で顔は見えないがこの声と言い回しは間違いなくコジネズミだ。


「凍死なら死ねんの?」


 穏やかでない軽口を叩きながらコジネズミは自動二輪の原動機を落としている。ヤチネズミは向き直ろうとしたが、そこで足が動かないことに気がついた。


「凍傷とか壊死とかはどうなんだろうな? お前、一回、脚切り落としてみろよ」


「……遠慮します」


 真面目に返されたことが気に食わなかったのだろう。コジネズミは舌打ちする。したと思う。風の音であまり聞こえなかったがそんな風に見えた。


「つくづく面白くねえ奴だよな」


 反射的に口を突きかけた謝罪の言葉を、ヤチネズミは飲み込む。謝ってはいけないのだから無言で返すしかない。


「セージは?」


「中です」


「見りゃわかるよ」


 ならば何故聞いた。元上官の奔放さについて行けなくてヤチネズミは顔を背けた。


 コジネズミは電源の落ちた自動二輪を手押ししながら入江に向かう。その途中で振り返り、


「おい、潮、満ちる前に上がれよ」


 意外過ぎる心遣いを見せた。ヤチネズミは目を見開いて元上官の背中を見つめる。


「コージさん!!」


 走り出そうとして足が動かず、そのまま両手をついた。目が覚める冷たさに全身が痺れる。


 立ち止まり振り返ってくれたコジネズミに顔を向け、両手で靴を片方ずつ引き上げてやっとのことで波打ち際から抜け出すと、ヤチネズミは元上官に駆け寄った。自動二輪に手をかけて身を乗り出し、保護眼鏡の奥に向かって顔を突き出す。


「アカ…!」


 そこまで言いかけて言い淀み、顎を引いて視線を泳がせた。

 ヤチネズミの勢いに半身を引いていたコジネズミは、「あ?」と聞き返す。


「あの……、いやその……」


「何だよ言えよ面倒くせえな。中入るぞ、寒いんだよ」


 それは困る。


「待ってください! だからその……! 最近!」


「最近?」


「最近の……、と! 塔で変わりはありませんか?」


 セスジネズミと懇意過ぎるコジネズミにアカネズミのことを直接尋ねるのは気が引けた。ここでコジネズミに事情を話せば間違いなくセスジネズミに伝わり、セスジネズミは部隊の全員の前で議題に上げるだろう。そうなれば焦ったハツカネズミがすぐにでも塔に攻め込むと言いだしそうだし、今、塔とやり合うのはきっとアカネズミが危ない。


 まとまらない考えの中でヤチネズミが導き出したのは、とにかく今は誰にも言えない、という守りの姿勢だった。


「変わりはあるよ。アズミさんはセージたちだけじゃなくてお前ら全員処刑したがってるし、アイは前より過干渉になった」


 警戒を強化したというエゾヤチネズミの話は本当らしい。


「他は?」


 アカネズミの名が出て来ないかとヤチネズミは期待する。


「他ぁ?」


 促されてコジネズミは唸り始めたが、どうもアカネズミには繋がらないらしい。


「だから、生産隊で最近なんかかわったこととか…」


「トクさんの四十肩がやばいとか?」


「じゃなくて!」


 アカネズミ、アカネズミ、アカネズミ、アカネズミ、


「エチゴさんの物忘れが激しくなった?」


 アカネズミ! アカネズミの何か……、


「ああ、そういや、」


 ヤチネズミは息を飲む。同室の同輩の名前をひたすら待ったが、


「最近薬合わせが減ったかも」


 思いもよらない答えに肩透かしを食らった。聞きたかった話でもないが、どうでもいい情報でもない。


「薬合わせが減った? って…」


「まともな子ネズミが少なくなってきてるってアイが言ってたっけ」


「少子化は前からじゃないですか」


「変な治験体が増えてんだよ」


 さらに思いもよらない情報が出てきて、ヤチネズミは反応に困った。


「俺も見たんだけどさ、足の指が多い奴。随分指の太い餓鬼だなと思ったけどよくよく見たら、足の指が七本と八本だった」


「奇形ですか」


 それの何が珍しいというのか。


「と思ったけどただの奇形じゃなくて。そいつ赤ん坊のくせにもう薬持ってんの」


 ヤチネズミは眉根を顰める。


「指多かったら困るじゃん? かわいそうだから五本になるまで折ってやったんだけど、そいついつの間にか治してんだよ。あれはばけもんと同じ薬だ。気持ち悪いったらありゃしなくてもっかいひととおり…」


 ハツカネズミと同じ薬を、赤ん坊の頃から持ち合わせている子どもとはつまり。


 ヤチネズミは仲間たちに振り返った。ワタセジネズミは最近覚え始めた酒の味に顔を赤く染め、カヤネズミにいじられている。それを見つけたのかハツカネズミも見張り場を離れて、宴会に加わりカヤネズミに文句を言っている。


「…たら今度は増え始めて終いにはこう…ってお前! 自分から聞いておいて聞いてないって何なんだよ!」


 唾を飛ばされ、頭を叩かれつつも、ヤチネズミはハツカネズミから目を離せなかった。



 *


 

 エゾヤチネズミとコジネズミの話から推し測られたことが事実だとしたら、おそらくアカネズミに残された時間は長くない。アカネズミだけじゃなくてハツカネズミも、もしかしたらワタセジネズミやカヤネズミも……。


 ……いや? それは誰だってそうだろう。


 アカネズミたちだけでなくて、いつどこで誰が死ぬかなんて誰にもわからないことではないか。もしかしたらセスジネズミだって短命かもしれないし、明日ヤマネが事故死しないとも限らない。カヤネズミに何かあればドブネズミは後を追いそうだし、自分だっていつまで生きているかなど知れない。たかだか一ヶ月の実験を生き延びただけで、なぜ先数十年は安泰だなどと考えた? なぜ自分は除外されていると勘違いした。あとどれくらい残されている? あとどれくらい。


―あるものも探せ―


 急がねばならない。やらねばならないことは山積している。自分の要、不要など後回しだ。死んでいる暇などない。


 自分はまだ、生きているのだから。

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