00-185 ヤチネズミ【目的】
過去編(その136)です。
「アカネズミを出します」
ヤチネズミの一声に仲間たちは怪訝な顔を向けた。カヤネズミさえ眉間に皺を寄せて間抜けな顔で固まるその奥から、「それはそうだけどさ…」とハツカネズミが側頭部を掻きながら困った風に呟く。
「随分とまた……、私的な野望になったな」
拍子抜けしたと言わんばかりにエゾヤチネズミが戸惑っている。
「ヤッさん、アカさんを出すってどういう…?」
ヤマネが腰を突いてきて小声で尋ねてきたから、ヤチネズミは後輩たちに向き直った。
「ずっとハツと喋ってたんだけど、アカ、あいつ生産隊じゃん。でも一回も塔から出たことないんだよ」
アカネズミは死んではいけないから。
「けどあいつ言ってたんだ、塔から出たいって。地上に出られる俺らが羨ましいって」
「直接そうだって言ってたわけじゃないんだけどね。言葉の端々でそんな感じがしたって感じなんだけどね」とハツカネズミが付け足す。
「だからあいつを連れだしてやりたいんだ、地上に。自由にしてやりたいんだよ」
ヤチネズミが真剣に訴えるその横から、
「…ってヤチと話してたんだけど、それはあくまで俺とヤチの希望であってお前らの考えはなんにも聞いてなかったし、カヤはアカと仲悪いからあんまり話さない方がいいかなとか思ったりしてたわけで…」
ハツカネズミが首を竦めて後頭部を掻いた。
「別に仲悪いとかじゃないって」
カヤネズミは即座に否定したが、腕組みをして唇を尖らせたその姿は、実情を知らないタネジネズミやジネズミたちにも微妙な関係であることを勘付かせる。
「アカネズミを出すってお前…」
コジネズミがまた口を挟みかけたが、それを止めたのはエゾヤチネズミだ。
「それがお前らの最終目的ということでいいんだな?」
ヤチネズミは大きく頷く。他の面々は困ったように顔を見合わせ、ハツカネズミが慌てて、「そう! そうです!」と賛成を促す。
「わかった」
言ってエゾヤチネズミは立ち上がった。そして、
「だったらアカネズミを奪取するまでは塔には危害を加えないと誓え」
妙な交換条件を突き付けて若い部隊員たちを睨み下ろした。
ヤチネズミは困る。アカネズミを連れ出したいという願望は本当だ。しかし夜汽車を止めたいという意思も捨てたわけではない。しかし、
「そうだな、それがいい。そうしろ」
コジネズミが勝手に承諾してエゾヤチネズミの提案を飲み込んだ。当然それに反発したのはハツカネズミだ。
「なんでお前が勝手に返事してるんだよ、コジネズミ! お前は下がってろよ、これは俺たちの問題だよ!」
途端にコジネズミも喧嘩腰になる。
「うっせえな、顧問だ顧問! 塔からの情報とアズミさんたちの動向を教えてやってんだろうが。誰のおかげで今日までお前らが生き延びて来れたと思ってんだよ」
「オリイジネズミさんのかげだよ!」
「オリイさんは滅多にこなかっただろ!! 忙しいんだよ、隊長格は! それを補ってやってたのが俺じゃねえか!」
「お前じゃないよ! オリイジネズミ隊だよ!!」
「ハツさん……」
いい加減もう少し沸点を下げてくれと、カワネズミが止めようとしたが、
「はい、そうします」
横からぬっと、セスジネズミがコジネズミに同意した。エゾヤチネズミはセスジネズミに顔を向ける。副部隊長たちは真正面から対峙した。
「曖昧な言い方で誤魔化すな」
エゾヤチネズミが顎を引いて静かに告げる。
「では言い直します。我がハツカネズミ隊はアカネズミを塔から奪取することを目的とし、その目的が達成されるまでは塔に一切危害を加えないことを宣言します」
「セージ! 部隊長は俺だよ!! そういうのは俺が…!」
カワネズミに止められながらも怒って叫ぶハツカネズミだったが、
「わかった。だったらその最終目的が達成するまでは俺が、引き続き支援する」
エゾヤチネズミからの願ってもいない申し出に「うそ……」と目を丸くして静まった。
「はい」
セスジネズミも答える。
「俺たちの最終目的が完遂されるまでは、今後はエゾヤチネズミさんに支援を依頼したく、お願い申し上げます」
あくまで全てはエゾヤチネズミの独断だということを、セスジネズミも強調する。
「部隊の意向と受け取る」
エゾヤチネズミがセスジネズミに言う。
「隊の意向と受け取ってください」
セスジネズミが頷く。
エゾヤチネズミは目を伏せて安堵したように二度、三度頷くと、明け始めた空を目指して洞窟を後にした。
コジネズミが無言でセスジネズミの肩に手を置く。セスジネズミは無言で手を重ねる。コジネズミとセスジネズミにしかわからない会話を終えて、コジネズミも塔に帰っていった。
ヤマネがため息とともに姿勢を崩す。その横でワタセジネズミも。どうもこの隊はコジネズミに拒絶反応を示す者が多いが、ヤチネズミも例外ではない。今日は元上官に何も言われなかったとほっと息を漏らした。
「……セージが部隊長でいんでないの?」
タネジネズミがぼそりと呟く。
「そうだよね。もともとセージさんってそういうのに向いてそうだったし」とジネズミも同意し、
「俺もそんな気がしてきた」
カヤネズミもぼやいた。途端にハツカネズミが慌てて立ち上がる。
「ちょっと待ってよ! 俺、俺は? 俺が部隊長じゃないの?」
「お前やっぱ向いてないわ」
自分で指名しておきながらカヤネズミがため息まじりに嘲笑し、
「俺もそう思います」
ドブネズミが力強く肯定する。
「むしろカヤさんだと思ったけど、」
ジネズミがさらに言って、
「じゃあセージで」
先輩の制止に疲れ果てた顔でカワネズミが頷いた。
「ちょ、ちょっと待ってよ!! ええ? 俺、やる気はあるよ?」
やる気があっても不向きだろう。誰もがそう思ったが、
「部隊長はハツさんです」
当のセスジネズミが皆の意見を否定した。それが意外過ぎてヤチネズミは目を丸くする。
「なんでそう思った?」
ヤチネズミはセスジネズミに尋ねたが、
「なんでてめえに答えなきゃなんねえんだよ」
途端に対ヤチネズミの顔つきになってセスジネズミは吐き捨てる。
「なんで俺でいいの?」
ハツカネズミがセスジネズミに歩み寄って尋ねると、
「ハツさんはきっといい部隊長になれると思ったからです」
途端に副部隊長の顔つきになってセスジネズミは素直に答えた。もうこいつに話しかけるのはやめよう、とヤチネズミは憮然として横を向く。
「確かにハツさんは情報分析能力と自律能力が高くなく、むしろ平均以下ですが、仲間思いだし子ども思いです。それは世話してもらった俺たちが一番よく知ってます」
いちばん長く世話したのは俺だけどな、と思いながらヤチネズミはむくれる。
「皆の長所を熟知していますし地下への対処方法は誰よりも上手なはずです。それに少しだけ冷静になれればきっと交渉力も上達すると思います」
「いやあ~。そ、そうかな?」
ハツカネズミが照れて後頭部を掻く。結構盛られているぞ、その話。とヤチネズミは思う。
「旧ムクゲネズミ隊で副部隊長として勤めてきた俺が保証します。ハツさんなら部隊長として皆を引っ張っていけると確信しています」
「おれ、がんばるから!!」
ハツカネズミが目を輝かせてセスジネズミの前で宣誓した。セスジネズミが満足気に静かに微笑む。
「それじゃあまず! 今後のことを話し合おう! みんな集合!!」
ハツカネズミが大声を張り上げたが、
「そろそろ休みません?」
カワネズミがおずおずと提案する。
「駄目だよカワ! 鉄は熱いんだよ? オリイジネズミさんにはそっぽ向かれちゃったけどエゾヤチネズミさんがまだ助けてくれるんだから期待に応えなきゃ!」
「期待というよりも心配をされてると思いますけど…」
「だったら心配も名誉も返上しなきゃ!」
煽てられたハツカネズミはそのままどこかに登っていきそうな勢いだ。
「俺らに名誉なんてあったんだ……」
ぼそりとタネジネズミが揚げ足を取り、
「黙っとこ?」
ジネズミがそっと囁く。
その前に名誉は挽回しておけよ、とヤチネズミは息を吐いた。
ハツカネズミ部隊長が意気揚々と話し合いを命じて譲らなかったが、カヤネズミの提案で便所休憩だけは設けさせることに成功した。オリイジネズミ隊もコジネズミもいなくなって一息ついている面々の中で、水をがぶ飲みしながらセスジネズミを呼びとめたヤマネの小声が耳につき、ヤチネズミは何の気なしに聞きかじる。
「お前、さっきの本気?」
「さっきのって?」
セスジネズミと同じ疑問を持ってヤチネズミはちらりと視線を動かした。
「やたらハツさんを持ち上げてたじゃん。お前、本気でハツさんが部隊長に適任だと思ったの?」
それはヤチネズミも意外だった。正直に言えばハツカネズミが部隊長になるなど不安しかない。
「部隊を率いることにハツさんが適しているかと言われれば否だろう」
ハツカネズミがそばにいないのをいいことに、セスジネズミはさらりと言ってのけた。
「だったらなんであんなこと…」
「煽てで動いてくれるなら扱いやすい。そう言う意味ではハツさんは部隊長にうってつけだ」
ヤマネは口をあんぐりとしたまま固まる。盗み聞きをしていたヤチネズミも呆れて固まる。
「それに俺が部隊長に持ち上げられるのはご免だった」
「勝手だなあ……」
ヤマネが辛うじて声を絞り出す。
「ヤマネはわかってない。部隊長職なんて面倒で苦労しかない椅子に誰が座りたがる」
「でもお前は副部隊長の椅子に居座るのな?」
「それはそうだろう」
「なんでそうなの?」
「ハツさんの操縦なんて面白そうなこと、考えただけでわくわくする」
* * * *
セスジネズミやカヤネズミの思惑とヤチネズミたちの不安をよそに、ハツカネズミの部隊長はそれなりに機能した。話し合いの際にはハツカネズミの腰の低さが部隊員たちの過熱した議論を冷まし、理解力の低さは部隊員たちの説明能力を培った。そもそも腕力では誰も敵わないからその点における尊敬は絶大だったわけだし、ムクゲネズミ隊の頃の感謝を忘れる者などいない。よくよく考えてみればハツカネズミ以外に部隊長など誰も務まらなかったのではないかとさえ思えるほど、すんなりとその体系は浸透していった。
アカネズミの救出、というか誘拐というか塔からの連行は部隊全体の目的として共有された。面識のないタネジネズミとジネズミは「カワが言うなら」という理由で納得し、微妙な顔をしていたカヤネズミは「別にいんじゃね?」とそっぽを向いた。カヤネズミがアカネズミをよく思っていないなんて。ヤチネズミは平静を装いつつ驚いたものだ。アカネズミを悪く言う奴など会ったことが無かったし、ましてやそれが最も身近で一番長く子ネズミ時代を過ごした同輩だったことに動揺を隠せなかった。
だがカヤネズミがどう思おうと相手はアカネズミだ。きっと部隊はアカネズミを歓迎する。同室で過ごした時間の短いワタセジネズミだってきっとすぐになつくだろう。そしてハツカネズミと仲直りさせる。アカネズミだってハツカネズミと話したいはずだ。だって喧嘩の最中だった。不本意な言い争いだった、自分のせいで。
地上に出たがっていたアカネズミの希望を叶えてやりたいというのは表向きの理由で、ヤチネズミの本心は、ハツカネズミと会わせるための救出だった。そして仲直りさせるのだ。もうシチロウネズミはいないのだから、トガリネズミにも甘えられないのだから。ハツカネズミとアカネズミがいがみ合ったならば、その仲裁役はもう自分しかいないのだ。アカネズミを地上に連れだして、ハツカネズミと仲直りさせて、オオアシトガリネズミにジャコウネズミの成長を見せてそして、それで……、
それが叶えばもう自分は要らないと思う。