00-183 スミスネズミ【受け継ぐ】
過去編(その134)です。
「『スミスネズミ』でどうですか?」
ヤマネが提案した。子どもを両手で頭上に掲げていたハツカネズミが笑顔で固まり、カワネズミとセスジネズミが目を見開いた。
「すみ……?」
タネジネズミが聞き慣れない名前に眉根を顰める。ヤチネズミは同室たちの意味深な顔色に首を傾げる。スミスネズミ。どこかで聞いたことがあるような……。
「よく思い出したな」
セスジネズミが呟いた。
「いたなあ、そんな奴」
カワネズミも言う。ヤマネが同室の同輩たちを見比べて頬を持ち上げる。
「すみすねずみ、すみすねずみ……」
カヤネズミが難しい顔をして腕組みをし、記憶の山の中で探索を始めた横で、
「誰だよ」
コジネズミがセスジネズミに尋ねた。
「俺たちの同輩にいたんです、スミスネズミという奴が」
ヤチネズミは息を飲む。
「笑いのつぼがよくわかんなくって、」
「感情の起伏が嵐っていうか」
「すぐに怒るし、かと思えば泣くし、」
ヤマネとカワネズミが口々に補足し、
「周りに不快感を撒き散らすのが得意な奴でした」
言ってセスジネズミはヤチネズミを見た。
思い出した、スミスネズミ。いた、いたよ、いたって同室に。ヤチネズミは口元を手で覆う。ヤマネたちの同輩でヤチネズミたちの後輩。セスジネズミが言うように、とにかくうるさい奴だった。
「なんとか症って言ってあぃ…、あー!! …義脳に連れていかれたんだよ」
カワネズミがハツカネズミを意識して、言った後でそわそわしている。何らかの障害があったのだろう、とヤチネズミは考える。
あの頃はよくわかっていなかった。連れていかれた先もその意味も。
今ならわかる、見てきたから。集団生活が不得手という理由で子ネズミから弾かれたのだ、治験体になるために。その後、スミスネズミがどんな治験を受けて何をされてどうなったのかは、もう誰にもわからないのだが。
もし仮に、同室に自分がいなければスミスネズミは今でもネズミでいられたかもしれない。ヤチネズミはそんなことを思ったりした。何故なら自分こそが治験体だったかもしれないのだから。トガリネズミとハツカネズミたちは治験体でもおかしくなかったヤチネズミをネズミとして育てるためにアイから守り通した。生半可な負担ではなかっただろう。アカネズミの話の通りなら同室の同輩たちは疲弊しきっていたはずだ。そこにスミスネズミが加わった、ハツカネズミたちは戸惑ったはずだ。ヤチネズミの子守りだけで手一杯のところに、さらに難しい子ネズミが来たのだから。相談もしただろう。多いに悩んで迷って困って、でもトガリネズミもすでにいなくて。
諦めたのではないだろうか。
スミスネズミを子ネズミとして育てるには手が回らなかった。ヤチネズミの子守りで既に、それがどれほど難しいことか身に沁みていた。幼すぎたヤマネたちを巻き込むことはつまり、自分たちの苦労を後輩たちにも追わせることを意味する。させたくなかったのだろう。自分たちで終わりにしたかったのだろう。これ以上の苦労を被ることを、被らせることを諦めて同室の同輩たちはアイの決定に従い、スミスネズミを治験体として差し出したのだろう。
つまりスミスネズミがネズミになれなかったのは、ヤチネズミがネズミになったためだ。
「なつかしいね」
ハツカネズミが言う。自分たちの選択を噛みしめるように、後ろめたさを隠すように。
「ね、いいでしょう?」
ヤマネが言う。何も知らない後輩は何故か嬉しそうに、誇らしげに。
「悪くない」
セスジネズミが無表情に同意して、
「お前らがいいならいんじゃね?」
カヤネズミが促して、
「決まりだね」
ハツカネズミが笑った。ヤチネズミは俯く。
「治験体って共通点もあるしね」
カワネズミが平然とそんなことを言ったからヤチネズミは息の仕方を一瞬忘れた。しかし、
「お前、その言い方ないって!」
「カワはそういうところある。無神経だ」
「セージに言われたくねえよ」
同室の後輩たちは笑いあった。
ヤチネズミは驚く。驚いて戸惑い、混乱して挙動不審になる。
それ言っていいことか? 治験体ってそれ、そんなに繊細な問題じゃなかったりするのか?? 触れちゃいけないことなんじゃ…
「じゃあ、お前はスミね」
頭上に掲げ上げていた子どもを自分の目線まで下ろして、ハツカネズミが言った。名付けられた子どもは相変わらず無表情でじっとしている。
「お前の名前だよ。お前は今日からスミスネズミ。俺たちの仲間から取った名前だよ」
「スミ!」
早くもあだ名で呼びかけながらヤマネが子どもの横に回り込んだ。そして、
「俺の同輩の名前なんだ。ちゃんと受け継げよ」
言いながらその頭を撫で下ろした。
「なになに? キュウジュウキュウなに?」
言ってジャコウネズミがハツカネズミの上着を握り締めて揺さぶる。
「違うよ、『スミスネズミ』。今日からキュウちゃんはスミスネズミ」
ハツカネズミがジャコウネズミに言い聞かせた。ジャコウネズミもすぐに飲みこんで「スミー!!」と言って喜んでいる。
―ジャコウネズミって知ってますか?―
涙まみれの苦笑を思い出す。部隊として唯一塔に残ると決めた後輩は、その後の情報提供やオリイジネズミの根回しによって、再びネズミとして働いていると聞く。
もしかしたらもう二度と、話すら聞いてもらえないかもしれない。かなりの確率で自分たちは怨みを買っているだろう。だが伝えなければいけない、誤解を解かねばいけないとヤチネズミは思った。
―『ジャコウネズミ』って名前も、もうすでにどっかの子ネズミに使い回されてるんじゃないすかねえ―
違うぞ、オオアシ。使い回すんじゃない、受け継ぐんだ。お前の先輩がいたことを忘れないために、そいつみたいになってほしいって思いを込めて受け継がれたんだよ。
「ジャコウの保護者はどうしますかあ?」
カワネズミが言う。
「俺やってもいいけど、ね?」
ジャコウネズミに同意を求めるヤマネの肩を、ヤチネズミは掴んで引き下がらせた。
「俺がやる」
「「「え……」」」
同室の後輩たちがおもむろに嫌がった。ヤマネに至っては小鼻を引き攣らせて首を小刻みに横に振っている。
「いや、…めといたほうがぁ……、ねえ?」
カワネズミがけん制する。
「カワが言うなら、多分」
タネジネズミも頷き、ジネズミも賛同する。
「じじいが出しゃばるな」
セスジネズミが険悪に言い放ち、その変貌にエゾヤチネズミが二度見して、
「は、ハツさんでいいと思うんですけどぉ…」
ワタセジネズミがおずおずと提案した。
「あ、うん。じゃあ両方とも俺が…」
ハツカネズミも肩を竦めてそれに応じようとしたが、ヤチネズミは譲らなかった。
「ハツは忙し過ぎるだろ。スミを見れるのはハツしかいないしジャコウだっていうこと聞かないし」
「聞くよ」
カワネズミが揚げ足を取り、
「ジャコウは誰でも見れると思うけど…」
ヤマネも同意するが、
「いや! 保護者は年長者がなるってのが鉄則だろ!」
ヤチネズミは頑として譲らない。
「だったらカヤさんがいるじゃん」
タネジネズミも口を挟んできたが、
「断酒中のカヤには無理だろ」
ヤチネズミの言い分が珍しく正論で押し黙る。
「だったら俺が」
ドブネズミが挙手と共に名乗り出て、ジネズミが「ぴったしじゃないですかあ!」と囃したてたが、
「ブッチーはカヤのお守りに専念しろ!!」
ヤチネズミはそれも却下した。
「おいクソチビ、『お守り』って何だよ、お守りって」
般若の仮面でカヤネズミが凄んできたが、
「その顔で保護者が務まるのかよ」
逆にヤチネズミに指摘されて口籠る。
「あ~…のさあ、やっぱり俺が見るので良くない?」
「ですよねえ」
おずおずとハツカネズミが声をかけて、ワタセジネズミも賛同したが、
「駄目だ!!」
ヤチネズミに唾を飛ばされて同時に閉口した。
「何もかもハツに押し付けるなよ。ハツは忙しいだろ」
「いや、そんなに俺、忙しくも…」
「お前、部隊長みたいなもんじゃん!」