00-181 エゾヤチネズミ【ではなくて】
過去編(その132)です。
「部隊長!」
いつにもまして早歩きの部隊長の背中を、エゾヤチネズミは駆け足で追う。
「よかったのですか」
「何がですか」
不機嫌極まりない。
「彼らを……、野放しにして」
『見放して』と言いかけてしまって、エゾヤチネズミは慌てて言い直した。
「忠告はしました。あとは彼らの判断でしょう」
平静を装いながらオリイジネズミは切り捨てる。本心ならばここまで機嫌を損ねない。不本意だからこそ苛立ちを抑えきれていない。「やめなさい」と一言、オリイジネズミが叱りつければ事態は収束したのではなかろうか、とエゾヤチネズミは思ったが、
「制止しても彼らは動くでしょうし」
諦めと呆れをない交ぜにした息を上官が吐き出したから、エゾヤチネズミはその横顔を斜め後ろから見つめた。
言われてみればその通りだ、とエゾヤチネズミは気付く。旧ムクゲネズミ隊は上官の命令に従わない連中だった、と。だからこそ部隊長の殺害などという暴挙を働いたのだし、その実行犯の処刑を妨害して塔を部分崩壊させたのだ。その顛末が現在の逃亡生活だった。
「止めましょう」
エゾヤチネズミにしては珍しい、強い口調の進言だった。オリイジネズミはちらりと視線を送ってきて、
「ですから止められないと言ったでしょう」
冷やかに退ける。
「部隊長!!」
ついにエゾヤチネズミは立ち止まって上官を呼び付けた。他の部隊員たちは足並みを乱して立ち止まり、驚き、部隊長と副部隊長を見比べる。
「何でしょうか」
オリイジネズミも立ち止まり、エゾヤチネズミと対峙した。その視線に一瞬怯むがエゾヤチネズミも引き下がれない。
「……力づくでも彼らを止めるべきです。塔に連行しましょう。ハツカネズミは厄介ですがワタセジネズミを盾に取れば奴は従う…」
「従いません。そんなことをすればハツカネズミ君は怒り狂って暴れるだけです」
かもしれないが。
「でしたら暴れさせておきましょう! ハツカネズミ以外を強制連行すれば奴も後を追って塔に舞い戻って…」
「塔に着く前に追い付かれるのではないでしょうか」
可能性はあるけれども。
「ですが! でしたら…!」
「ですから言っているでしょう。彼らを止めることはできません。彼らの判断に委ねるだけです、と」
「しかし…!」
言いかけてエゾヤチネズミは止めた。オリイジネズミがあの問題児たちを止める気が全くないことに気付いたからだ。それどころか、
「……部隊長?」
「はい」
「泳がせるつもりですか?」
オリイジネズミはふと顔を背け、海の果てに目を向けた。月のない夜の下では水平線など確認出来るはずもなく、真っ暗な空洞が全てを飲み込みそうな口を開けて自分たちが迷い込んでくるのを待ち構えているようにも見える。
「ここで泳ぐのはいささか危険が伴いますが」
オリイジネズミの軽口にエゾヤチネズミはぎゅっと向き直り、
「海で泳いだりしたら全身が爛れてしまいます」
「泳ぐと言ったのは君ではありませんか」
「冗談が過ぎます。真面目に答えてください」
エゾヤチネズミが本気で怒りかけたから、オリイジネズミは破顔した。
「失礼しました。泳がせるつもりはありませんから安心してください」
「では一体…」
「しかしこれ以上彼らに関わり続けることも出来ません。万が一の時に君たちにまで火の粉を被らせるわけにもいきませんし」
エゾヤチネズミは唇を閉じる。オリイジネズミはふと微笑んで見せてから視線を落とし、
「彼らがしようとしていることはあまりに危険が過ぎます。アズミ君のこともありますし一筋縄では難しいでしょう」
「ふた筋でも三筋でも不可能でしょう」
エゾヤチネズミは付け加える。しかし、
「不可能か否かは断言できませんよ」
オリイジネズミはそんなことを言った。エゾヤチネズミは眉根を寄せて部隊長を窺い見る。
「部隊長は、あいつらがやってのけると思いなのですか?」
夜汽車を停車させるとか、アイを停止させるとか、
「検査を止めるとか、まさかそんな絵空事…」
「塔に居を置き電気の恩恵にあやかってきたならば、私たちは誰もが漏れなく夜汽車を犠牲にして生きてきたということです。知る知らないに関わらず。そうは思いませんか?」
正面から見据えられて尋ねられて、エゾヤチネズミは口を噤んで答えあぐねる。
「しかし塔に居を置き続ける限り、夜汽車失くして私たちは生きていけませんし、アイのない暮らしなど想像もつきません。そして夜汽車の起源が塔だけでなく地下にもあるというならば、地下に住む者と私たちは互いに依存し同じ罪を犯してきたということでしょう」
夜汽車の犠牲の上に成り立ってきた存続と繁栄。
「合わせる顔がありませんね」
言ってオリイジネズミは浜辺を見遣った。砂山の上に置かれた簡易電灯がぼんやりと丸く照らす中で、子どもたちが走り回っている。追いかけるナンヨウネズミは寒空の下で滝の汗だ。
「守ってきたつもりでいたのですが。つもりが無くても危害を加えていたのでしょう」
それが自分の放った言葉だと気付いてヒメネズミが俯いたのを、エゾヤチネズミは視界の端に捉えていた。
「君の言い分は正しいと私は思います」
オリイジネズミが振り返ってきた。エゾヤチネズミは姿勢を正す。
「夜汽車を止めれば塔は機能を失います。アイが守り続けてきた居住可能空間は崩壊するでしょう。塔に住む者としてそれは避けねばなりません」
エゾヤチネズミを始め、オリイジネズミ隊は部隊長の言葉を直立不動で静聴する。
「しかし同時に、自分たちの保身のためにアイの蛮行に目を瞑ることも道義に反する行為とは言えないでしょうか」
いくつかの視線が気まずそうに泳いだ。
「では部隊長は何が正しいとお考えですか」
エゾヤチネズミは部隊員たちの思いを代弁する。今度はオリイジネズミが視線を逸らして、
「わかりません」
「わかりません……ですか?」
耳馴染みのない部隊長の答えに、エゾヤチネズミはわずかに動揺した。
「申し訳ありません。ご期待に添えず」
「いえ……」
慌てて首を横に振るが、その後が続かない。
オリイジネズミは「どうしたものでしょうかねえ」などと言って子どもたちを見遣る。
「あの男ならばどうしたでしょうね」
唇をほとんど動かさずに自身の中だけに響かせたはずの呟きを、エゾヤチネズミは聞き取ってしまった。聞こえなかったように装うために、エゾヤチネズミも子どもたちに目を向ける。
「それでも助けたい、ですか」
エゾヤチネズミは振り返る。今度は本当に聞きそびれた。
「部隊ちょ…」
「旧ムクゲネズミ隊への支援は本日をもって終了します! オリイジネズミ隊は今後一切、隊として彼らに関わることはありません」
自分の呼びかけをわざと遮るように、オリイジネズミが声色を変えて指示を出した。部隊員たちも反応が遅れ、最初の返事はまばらになる。
「またこれまでの支援に関しては、全て私の独断で行ったものです。例え他部隊に何か聞かれても君たちは何も答える必要はありませんので、全て私に報告をお願いします」
「はい! 部隊長!」
「副部隊長からは何かありますか?」
突然指名されてエゾヤチネズミは戸惑った。そんなこと、滅多にしないくせに。
「……とくに、ありません」
「ありがとうございます」
何も言っていないのに何が有難いのか。エゾヤチネズミは呆気に取られる。
「ちなみに本日より我が隊は休暇に入ります。五日後の午前三時、塔内詰所に集合してください」
「え?」
「は?」
こんな場所で?
「では解散」
「「部隊長??」」
部隊員の動揺を笑顔でかわして、オリイジネズミは背を向ける。早足で目指すは走り回る子どもたちだ。
「お待ちください、部隊長!」
エゾヤチネズミは慌ててオリイジネズミに駆け寄った。
「ここで解散ですか? 休暇など聞いていません」
「ここで解散ですよ」
涼しい顔でオリイジネズミはどんどん進む。エゾヤチネズミは「しかし!」と言いながら食いさがり、
「休暇の件についても聞いていません!」
「今言ったではありませんか」
その前に聞いていないと言っているのに。「部隊長……」とエゾヤチネズミは閉口する。
「休暇と言っているではありませんか。君も好きなようにしたらどうです?」
「好きなようにと言われても……」
「好きなように好きなことをすればいいのです。塔に帰って寝てもいいですし、地上を散策するのもいいでしょう。運転日和ではないですか?」
降ってはいないが月夜でもない。雲は低くて湿度の高いこの夜のどこを指して何日和だと言っているのか。エゾヤチネズミは聞き返そうとしたが、
「隊としては動かないのですから、君自身が判断して動けばいいのですよ」
ちらりと寄こされた流し目に、エゾヤチネズミは上官が自分に何を期待しているのかを読み取った。
エゾヤチネズミは足を止める。遅れて数歩先にオリイジネズミも立ち止まる。
「隊としての支援は打ち切り、ですね」
エゾヤチネズミの白い目を、オリイジネズミは真正面から受け取る。無言で上着の隠しから煙草を取り出し、口にくわえて火を点ける。
「打ち切った以上、彼らには今後一切、食糧も飲み水も自動二輪、四輪駆動車検、銃火器類は供給されない、ということでよろしいですね?」
オリイジネズミは長い息で煙草を吸い、ゆっくり堪能するように煙を吐きだした。
「はい。部隊としては今後一切、彼らに関わることはありません」
「支援をしないのではなかったのですか?」
「しませんよ。隊としては」
「部隊長自身は?」
オリイジネズミが唇を閉じる。顎を引き、睨みつけるようにしてエゾヤチネズミは部隊長と対峙する。
「支援はしません…」
「おじさあ~ん!!」
ジャコウネズミが飛んできてオリイジネズミの腰に抱きついた。オリイジネズミは煙と灰を注意深く携帯灰皿を取り出して煙草を消すと、元気な子どもを抱き上げる。
遅れてかけてきた治験体キュウジュウキュウもオリイジネズミの脚に纏わりつき、さらに遅れてやってきたナンヨウネズミは肩で息をしながら膝に手をついた。
「そ、そいつらのたいりょくは…、んぱな…」
「お疲れ様です。君も休暇に入ってください。五日後の…」
「部隊長、」
エゾヤチネズミは上官の言葉を遮る。あるまじき無礼だ。だがオリイジネズミはそれを咎めない。むしろオリイジネズミがそれを待っていたことをエゾヤチネズミは知っている。
「部隊長のそれは『応援』と言います」
ナンヨウネズミが眉毛を波の形にして顔を上げた。治験体の子どもがじっとこちらを見つめてくる。
オリイジネズミの真顔がこちらを向く。だがすぐに、腕の中の子どもと同じように口角を持ち上げ、簡易電灯の明かりを背負っていたずらっぽく笑った。