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00-55 アズミトガリネズミ【敬慕】

過去編(その7)です。

「お前のせいじゃない」


 そう言われても自分を責めずにはいられない。


「誰も予想なんてできなかった。ハタさんだってそうだ。完全に出し抜かれた。だから、」


 お前のせいじゃない。


 アズミトガリネズミの静かな声を頭上に聞きながら、ヤチネズミは下瞼と奥歯に力を込めていた。


 ネコの駅の掃除当番だった。と言ってもハタネズミ隊の主な任務は女の捕獲だから、掃除は片手間で済ませることが多かった。向かってくる奴がいれば排除するし単体は割と手こずる相手ではあったが、ネズミは集団で動く。一対一では危うくとも数は力だ。集団と自動二輪、四輪駆動車、そして小銃を併用すれば簡単な業務で、普段通りに何事もなく終わるはずだった。ネコの()相手であれば。


 全く思ってもみなかった。誰が予想し得ただろうか、まさか女が率先して前に出て来ようとは。女なんて守られているか逃げまどうか、あるいは叫んでいるかのどれかだと思っていた。


 ネコたちはネズミを見つけた途端、一斉に駅に潜った。女を捕獲するために自動二輪から降りてその背中を追った。地下までは侵入しない。深追いは事故を招く。だから改札付近で小銃を構えた。死体が出れば相手はさらに混乱する。そこにつけ込み業務を遂行する。そのつもりだった。

 しかし遠のく背中に照準を合わせた時、その背中を飛び越えてこちらに向かってくる者があった。驚いて顔を上げたヤチネズミが見たのは女だ。女を撃つわけにはいかない。女は捕獲するものであり掃除対象ではない。だが相手は違った。明確な殺意を向けてヤチネズミを掃除しにきていた。固まった。考えがまとまらなかった。


 撃つか? 撃っていいのか? でも女だ。けどこのままではでも……


 その迷いが間違いだった。女は目を見張る脚力で跳び上がると長い脚を振りまわしてきた。ヤチネズミは頬と耳で女の靴先を受け止め、駅の外へと転がり落ちた。

 頭がくらくらした。視界が回って明度も落ちた。仲間の声が遠くに聞こえて立ち上がらねばと小銃に手を伸ばした時、背中に重たく鋭い痛みが落ちた。女の踵だと気付いたのはだいぶ後だ。咽頭が閉塞して混乱した時のアイみたいな音が聞こえた。

 自由がきかないのに身体が妙な浮遊感に包まれ、その直後に背骨が軋んだ。女はどうやら膝蹴りの要領で自分の身体をへし折ろうとしているようだった。抗おうにも肺も手足も思うように動かせない。


 辛うじて持ち上げた瞼の隙間から女の顔が見えた。歯を剥き出しにした醜い顔。でも胸の肉が揺れていた。その肉が一段と大きく揺れて目障りな顔が見えなくなって、軋んでいた背骨がほっと安心感に包まれて、その安心感ごとヤチネズミはその場を後にした。


 ハタネズミが庇ってくれたという。ヤチネズミを女から取り戻した後でハタネズミは自動二輪に飛び乗ったそうだ。撤収を皆に命じて、諦めの悪い女に纏わりつかれながらもヤチネズミを離さなかったそうだ。片手はヤチネズミを抱えるために使えないからもう一方で自動二輪を操作しつつ、女たちの攻撃を全身に浴びた。

 だがハタネズミに痛みは無い。そういう薬だから。感覚が一切麻痺しているから。それが彼の強みであり、そして弱点だった。ハタネズミが部隊長になって以来、最初で最後の敗走だった。




「俺のせいです」


 どこからどう見ても。


「俺のせいでハタさんが死んだんです」


「違う」


「俺がハタさんを殺したんです! 俺のせいで、俺の…!」


「勘違いするな。誰もお前をまともな戦力だなんて思っちゃいない」


 絶叫しかけた激昂をアズミトガリネズミの述べた事実が鎮火した。


 歯を食いしばる。拳を握りしめる。手の平に爪が刺さって痛みを感じる。この痛みを少しでもハタネズミに分けられていたならばと夢想する。ハタネズミはもしかしたらなどと馬鹿なことを考える。生産体は基本、一種類しか薬を持てない。自分も、ハタネズミも。


 アズミトガリネズミに肩を引かれ、胸に大きな包みを押しつけられた。ヤチネズミは赤い目でアズミトガリネズミを見上げてからその包みを両手で受け取る。無言の上官に無言で返して包みを開くと、中身は大量のぜんまいだった。


「悪い。止めようとしたんだ。そんなもの注文しても逆にかわいそうだって」


 アイから駅に届けられたという。水で戻して煮込むと旨い。一日置いて味が染みたほうがヤチネズミは好みだ。食べられた頃の話だが。


「でもハタさんは、」


―食欲はある。味覚もまだ残ってる―


「お前を怒らせることだけが生き甲斐だったんだ…ッ!」


 言うとアズミトガリネズミは膝から地面に泣き崩れた。大男の号泣を前にヤチネズミは立ち尽くす。


―無いものばかり見るな、あるものも探せ―


 こんなにたくさんあっても困る。


―ヤチはいい子だ―


 褒められたって食えないもんは食えないんだって。


―ヤチにはまだたくさんある―


 ヤチネズミは包みの中に手を突っ込んだ。干したままの山菜を山のように掴んで口に運ぶ。固くてもさもさしていてそれなのに筋張っていて噛みきれなくて、土の臭いしかしない束を口中いっぱいに含んで咀嚼する。


「……うまいか?」


 子どものような泣き顔のアズミトガリネズミに尋ねられた。


「まずいっす」


 正直に答える。


「だろうな」


 アズミトガリネズミが鼻水を啜りあげて息を吐く。


「くそみたいな味しかしません」


「ヤチはうんこ食うのか?」


「食いません!」


「だよな」


 アズミトガリネズミが袖口で顔を拭いながら立ち上がる。


「アズミさんも食いますか?」


「俺、山菜苦手なんだよ」


「俺だって食えません」


「だよな」


 言うとアズミトガリネズミも包みに手を突っ込んで、一瞬躊躇ってから干乾びた一本を口に入れた。


「……くそまずい」


 上官の苦々しい顔にヤチネズミは失笑する。


「くそっすよね」


「くそだな」


「ハタさん、くそっすよ。くそ野郎だ」


「上官に向かって失礼だろ。せめて脳味噌ちんこ野郎にしておけ」


「それ言うなら血液成分精液男でしょ」


「それは生々しいからやめとけ」


「すんません」


 並んでくそ不味い心遣いを口にしながら、くそ上官の悪口を並べ立てた。



* * * *


 

 ハタネズミの一件はすぐに他の部隊にも知らされた。どうやらネコは女を前に出してくるらしい、そして女がネズミを攻撃してくるらしい、奴らはネズミが女を殺さないことに気付いたらしい……。


 部隊長たちの協議の結果、ネコの女が出た時は無抵抗で撤退するようにと徹底された。どうして? ハタさんの仇でしょ? 女だって関係ないっすよ、地下なら掃除すりゃいいじゃないすか!


 ヤチネズミを始めとする若いネズミたちの主張はしかし、部隊長たちによって一蹴された。アイの許可が下りなかったという。女は殺してはいけないから。これ以上、数を減らしてはいけないから。

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