00-179 ヤチネズミ【女】
過去編(その130)です。
カヤネズミの仮説を身を以て実証したヤチネズミとハツカネズミが洞穴に帰ってきた時には、最後の検証が行われようとしていた。ドブネズミたちが捕獲してきた女たちは、老若、美醜を問わなかったが、半数の子どもみたいな奴らは本線で捕まえてきたというから驚きだ。
「夜汽車が塔に入っていくところだったんです」
ワタセジネズミは夢でも見ていたのだろう。夜汽車は塔から廃線に放たれていくものだ。塔が地下の連中に与えるものだ。それが塔に帰還するなど…、
「その夜汽車の中身が全員女だったんだってば」
カワネズミまで言う。ワタセジネズミの夢ではないらしい。
「どういうこと?」
ジャコウネズミとキュウジュウキュウに纏わりつかれながら尋ねたハツカネズミの質問に、タネジネズミとジネズミは首を傾げるだけだったが、
「ネズミの捕獲数だけじゃ足りないってことじゃね?」
カヤネズミが再び仮説を語り始めた。
考えてみれば当然かもしれない、塔にも女はいるのだから。ネズミになり損ねた男児は夜汽車として地下に送られ缶詰にされるが、何かになれなかった女児もまた夜汽車になるのだろう。そしてある程度成長したら、女の夜汽車は缶詰ではなく『女』として塔が回収するのだ、
「ネズミの働きを補うために」
自分たちの力量を初めから見限られていたことが悔しくて、古巣への不信と怒りがさらに増した。
当たり前のように好みの女の腕を掴み、無理矢理引き起こしていたヤマネたちを止めたのは、満身創痍のヤチネズミだ。何やってんだよお前、女にも選ぶ権利があるだろ。まずは口説けよ、基本じゃね?
ハタネズミに教え込まれた基礎知識をまくしたてたヤチネズミにしかし、仲間たちは不思議そうな視線を向けた。事情を聞いたヤチネズミは呆れを通り越して愕然とする。ムクゲネズミは部隊員たちに何一つまともな教育をしてこなかったらしい。ヤマネがやろうとしていたのはコジネズミさえしないようなことで、オリイジネズミ隊には恥ずかしくて見せられないことで、ヤチネズミは仲間たちに女の扱いを一から教育する必要があった。
相手は女である前に生き物だ。意思もあれば感情もある、言葉を話すし反応する。塔も地下もその点だけは同じだ。ハツカネズミでさえ否定できない事実だろう。特に女は怯える生き物だ。叫ぶ生き物だ、うるさい生き物だ。
だからなぐさめてやるのだ、何日でもかけて。時間を惜しまずに落ち着かせるのだ、現状を受け入れさせるために。一対一が効果的だ。何故かそれを求める者も多い。説得するのだ、こちらの要望を飲み込むように。話を聞くのだ、笑わせるのだ、煽てて褒めて喜ばせて、誘導するのだ、口説くのだ。
依頼とも言う。拝み倒しでもいい。それでも駄目なら諦めろ。何もしないで塔に送れ。ネズミの仕事はそこまでだと、教わってきたことをそのまま伝えた。
カヤネズミは飲み込みが早く一発目で成功していた。なんか腹立つ。セスジネズミも成功率は高かったが、口説くことが目的になっていてその先は辞退した。
「女の身体は気持ち悪い」
そういう感覚もあるのだろう。おこぼれはカワネズミが掻っ攫っていた。
ヤマネとジネズミとワタセジネズミは再教育が必要そうで、ドブネズミはしつこすぎる。タネジネズミが意外な才能を発揮したが、問題はハツカネズミだった。
「なんで地下の連中にお願いなんかしなきゃなんないの?」
なんでその尺度でしか考えられないんだ? ヤチネズミの質問に答えもしないで、ハツカネズミは自分のやり方を変えなかった。ヤチネズミもハツカネズミにはそれ以上、何も言えなかった。
お鉢が回ってきて、残り物には福があって程よい成熟加減で久々の女で。ヤチネズミも第一関門は上手いこと突破し、数ヶ月ぶりに女の肌に触れた。酩酊のような、覚醒しながら夢見心地のような、興奮まじりのあの何とも言えない感覚が腹の底から込み上げてきていざ事に及ぼうとしたのだが、実験であることを思い出した瞬間にはたと醒めた。
女は子どもを実らせるのか。これはそのための行為なのか。ネズミはそのために地上に放たれたのか。
もしそれが事実ならば、この女から成る子どもは自分の何かを受け継ぐということではないだろうか。品種改良された植物のように。双方の特性を半分ずつ受け継いで芽吹く植物のように。こんな自分の何かを。
自分の要素を受け継いだ子どもとはつまり、作られた時点から不幸を内在しているということではないだろうか。仮にヤチネズミ自身がその子どもだとしたら、ほしいか? そんな命。いらないだろう、こんなもの。
自分とかネズミとか女とか以前に、その子ども。いらないものを持たされて作られる子ども。その子どもはどう思うだろうか、自身の存在を。いらないのではないだろうか、だって無理矢理だ。その子の意見も希望も無い。勝手に作られて無理矢理持たされる命なんて嫌じゃないだろうか。誰だって無理矢理は嫌だろう。
嫌だったろう? ハタネズミに迫られて。拒絶しただろう? 死に物狂いに。
笑って話せるのは未遂だからだ。アズミトガリネズミが守ってくれたからだ、結果論だ。
だがもし未遂でなかったら、今のようにまだハタネズミを尊敬し続けられただろうか。
なんで自分は違うと思った? どうして自分は許されると信じた。被害者の時はあんなに傷ついたくせに、嫌だった癖に嫌がった癖に、何故立場が変わっただけでそれを忘れた?
ネズミとか地下とか関係ないだろう。老いも若きも男も女も皆、同じだ。同じだろう? 無理矢理は嫌なのだ。何事にも合意は不可欠だ。合意がないならしてはいけない。だが確認のしようのない意思はどうすればいい。例え得られたとしてもそれが本意だとどうして証明できる?
―くすりはもうやだ―
確認できたのに、拒絶されたのに続行した。シチロウネズミは嫌がっていたのに、無理矢理、薬合わせをした。
女の視線で我に返り、慌てて服を着た。背中で言い訳を繰り出し、口から出まかせにしても苦しすぎる嘘に自分でも呆れ返って半笑いになりながらも、ヤチネズミは動揺を隠すことに必死だった。
それ以来、ヤチネズミのそれは今日に至るまで機能していない。
*
紆余曲折を経て約一年にも及んだ気の遠くなるような実験は終了し、カヤネズミの仮説は実証された。