00-176 カヤネズミ【拒否】
過去編(その127)です。
自分が眠っている間に色々あったらしい。半月だ、当然だろう。オリイジネズミ隊は全面的に協力してくれるらしく、水や食料、武器に移動手段の類まで用意してくれたというのだから感謝しかない。ワタセジネズミには後で柏手でも打っておこう。
アカネズミはとりあえず生きているそうだ。予断を許さない時期もあったらしく、いまだに医療的処置を必要としているらしいが命に別状はないというから、自分みたいな状況なのだろうとカヤネズミは勝手に解釈した。カヤネズミだって色々処置されているがお陰さまで命に別状はない。アカネズミの話が出るとヤチネズミが俯いていたが、そもそも馬鹿はその時以外も下を向いている。
それよりもカヤネズミを驚かせたのはヤチネズミの薬の効能だ。蘇生とは盲点だった。死の直後のみ有効という条件付き且つ、生者に使えば致死毒という厄介なおまけ付きだとしても、一生飲み食いが出来ない身体になるとしても、恐るべき新薬だ。幸いなのはアイがまだその効能に気付いていないことか。万が一アイや上階の連中がヤチネズミの薬の本質に気付いたなら、塔は血眼になってヤチネズミを探すだろう。そして薬の増産のために、ヤチネズミが死ぬまで検査は繰り返されると考えられる、多くの子ネズミたちの命を代償にして。ヤチネズミの薬を受け告ぐことができる生産体が現れるまで、塔は決して検査を止めない。
夜汽車の増産目的以外にも、自分の延命のために欲しがる輩だって出てくるだろう。それは地下の連中にとっても同様に言えることで、ヤチネズミは方々から追われる身になる。
いや、ネズミとか地下とか延命とか、そんなちんけな話ではない。アカネズミどころではない、ヤチネズミの薬は夜汽車制度そのものを破壊する威力を持っている。当のヤチネズミは気付かないのだろうか。隣室の同輩の勘の鈍さにカヤネズミは閉口する。もっとも、現実には挿入された管のおかげで口は開きっぱなしだったのだが。半開きの口でカヤネズミはまじまじとヤチネズミを見つめた。地味な不死身がとんだ売れっ子だ。
そしてもう一つ、カヤネズミを困惑させたのはコジネズミの来訪だった。この半月ですでに三回は顔を出しているらしい。のこのことやって来てはワタセジネズミをいじめたり、ハツカネズミと喧嘩したりして、しまいにはいつも不機嫌になって帰っていくと言っていたが、何のために来るのだろうか。
「お前の話を聞くためじゃね?」
経管栄養を終わらせながらヤチネズミが言う。
「セージが説明したのはお前がアイ…つの前で話してた仮説までだよ。コージさんはお前の考えてること全部、お前の口から聞きたがってるんだよ」
自分の考えは大体全部話したし、同じ内容ならばどの口から聞いても同じだろう、とカヤネズミは思うのだが。
「俺は……、女に子どもが成るっていうのがまだ……」
ヤマネが言葉を選びながら感想を述べたが、
「でも義脳はそうだと言っていた」
セスジネズミがヤマネの戸惑いを突き放し、ハツカネズミがぶすっとして唇を突き放す。アイという名前を出すことはどうやら禁忌になったらしい。
「俺らは聞いてなかったからそう言われても全然」
タネジネズミがジネズミに視線を流し、ジネズミは頷きながら鼻の奥で唸る。
「信じる信じれないじゃなくて、ぴんと来ないっていうか……」
タネジネズミたちの感覚もわからないではない。カヤネズミ自身がいまだに自分の仮説を信じられないし、信じたくないという思いもある。
「だったら違うんじゃない?」
ハツカネズミが言った。頭の上には『キュウちゃん』と呼ばれていた治験体の子どもを、肩車とも呼べない体勢でよじ登って遊ぶに任せ、投げ出した両足は腹筋運動で上下していて、そこに巻き付いた子どもを喜ばせている。『ジャコウネズミ』という呼称が既に部隊内で定着している子どもだ。
子どもたちを遊ばせながらもぶすっと頬は膨らませて、ハツカネズミは続ける。
「違うんだよきっと。だって変じゃんそんなの、あるわけないよ。男でも女でも地下は地下、ごみはごみだろ? ごみがこんなにかわいい子たちを作れるわけないじゃん」
こいつ考えることから逃げたな、とカヤネズミがハツカネズミに白い目を向けた時、
「その頭、一回潰してこいよ」
コジネズミがさらに白い目をハツカネズミに向けながら、洞窟の中に入ってきた。ヤマネやジネズミらが息を呑み、子どもたちはハツカネズミの陰に隠れてハツカネズミが座ったまま身構える。
「きれいさっぱり潰して流して使える脳みそに作り直してこいっつってんだよ。再生は得意だろ? ばけもん」
「頭は再生しないんだよ。そんなことも知らないのかよ、ばかもん」
ハツカネズミは敵意を剥き出しにして言い返したが、コジネズミは気にも止めずにこちらを向いて瞬きした。
「お前、起きたんだ」
カヤネズミは会釈する。
「この後は? すぐ動くか?」
動けないというか動かせてもらえないこの状況を、コジネズミは見えていないのだろうか。
「まだ動けません。カヤネズミにはもう少し療養時間が必要です」
セスジネズミが立ち上がり、コジネズミに歩み寄りながら答えた、コジネズミも特に驚いた風もなく「そうか」などと言って頷いている。
「でもどう動くかは考えろよ。塔じゃお前ら全員指名手配だ。捕まれば処刑だと思っとけよ」
ヤマネが悲鳴をあげ、ワタセジネズミがカワネズミにしがみついた。
「忠告ありがとうございます。ですがこちらに肩入れしていることが知れれば、コージさんだってただでは済まないでしょう」
「心配してくれてんの?」
コジネズミがくしゃりと笑ってセスジネズミの背中を叩いた。それから、
「脚、大丈夫か?」
「よくわかりませんがまだ走れはしませんね」
「無理すんなよ」
何あれ。
カヤネズミは管が挿さったままの口をあんぐりとさせて目を疑う。自分が寝ていた半月の間に、様々な状況が劇的に変化していたようだ。
「気持ちは察します」
タネジネズミが耳打ちしてきた。
「でも見てのとおりです。コジネズミはセージにだけあんな感じです」
下世話な野次馬が目配せしてきて、カヤネズミも呆れ顔を向ける。
「で、カヤさん。俺から一つ提案なんすけど、」
ハツカネズミとコジネズミが口喧嘩するのを尻目に、カワネズミが治験体の子どもたちに手を焼いている騒音を背景に、タネジネズミは心底真面目な顔を近づけてきて、
「カヤさんもいい加減、ブッさんのものになるべきだと思います」
右手を大きく振りかぶって、思いっきりタネジネズミの頭頂部に手刀を打ち付けた。あれほど強張り動かせなかった身体が、考えるより先に動いたのだから反射神経とは凄いものだ。
「何するんすかぁ!!」
タネジネズミが頭を押さえて抗議してきた。奇声も怒号もぴたりと静まり、全員が目を丸くしてこちらを向く。事情を言えといくつかの視線が訴えてきたが、まともに話す気にもなれない。元よりまともに発音出来ないカヤネズミは、今度は腿を引き上げてタネジネズミを足蹴にした。
「ちょ! やめ! やめてくださいよ何なんですかぁ!」
カヤネズミは話せないことをいいことにタネジネズミを蹴り続けた。
「やめなよ、カヤ」
「何? どうしたのタネ?」
飛び交う仲裁とは別に、
「随分動くな」
ヤチネズミが感心した風に呟く。「タネジどけ」とタネジネズミの肩をおもむろに掴むとカヤネズミから引き離し、入れ替わってカヤネズミの右足を持つと、膝を曲げ伸ばしし始めた。
「痛くない?」
カヤネズミは首を横に振る。
「突っ張る感じとかは?」
そう言えば寝起きの頃の違和感は大分薄れていた。
ヤチネズミは右膝だけでなく、大腿を揉んだり足首を回したりと入念にカヤネズミの身体を観察していく。医療班として招集されたことがあるとは聞いていたが、嘘ではなかったらしい。思いの外手際のいいヤチネズミの動きにカヤネズミが感心していると、ヤチネズミは背後に回り、肩や肘、そして首を上下左右に動かしてから「うん」と何かに納得した。
「いけそうだな。抜くか」
「今挿入し直したばっかじゃん」
カワネズミが呆れたように言ったが、ヤチネズミはさらに呆れた風に息を吐いて、
「口腔経管はほんとは毎回抜くもんだって言っただろ」
背中で後輩の勉強不足指摘した。毎回抜くもんならなんで入れっぱなしにされてたわけ? とカヤネズミは聞きたかったが、
「処置するから全員、外出てろ」
ヤチネズミは必要最低限の指示だけ出して壁際に移動した。カワネズミの舌打ちを背中で聞きながら瓶から桶で水を汲み、無言で手を洗っている。
「出ようか」
ハツカネズミが言って子どもたちを促す。肩車と抱っこをして立ち上がると率先して黒い夜の方に歩き出した。
「手伝いは?」
不貞腐れながらもカワネズミがヤチネズミに声をかける。ヤチネズミが「いや、いい」と背中で返事をしたから、カワネズミも「必要だったら呼んで」と言いおくとさっさと行ってしまった。
コジネズミも物分り良く踵を返し、タネジネズミとジネズミはいつものように並んで歩いていく。
「カヤさん、頑張ってくださいね!」
何を頑張ればいいのか定かではなかったが、カヤネズミはワタセジネズミに手の動きだけを返しておいた。
「おいじじい、カヤさんに万が一のことがあったら殺すからな」
セスジネズミが子ネズミの頃のように粋がってヤチネズミの背中を睨みつけたが、それを嗜めたのはヤマネだ。
「大丈夫だって、ヤッさんは」
すっかり仲直りした同輩の肩に手を置く。しかし、
「じじいのやる事なす事、心配と不安と嫌な予感しかない」
セスジネズミは頑なだ。
「悪かったな、信用なくて」
ヤチネズミも言い返したが、憤るでも拗ねている訳でもない。セスジネズミに背を向けたまま、手指を洗うことに集中している。
「信用してるって」
セスジネズミの肩を揺すってヤマネが言う。
「ヤッさんの医術と運転の技術だけは、みんな一目置いてるから。カヤさんも心配いらないですから」
「いや!」となおも何か言いかけたセスジネズミをヤマネは軽くあしらい、半ば強制的に連れて行った。
誰もいなくなる。ヤチネズミの一言に部隊員とその他全員が従った。手桶に水を張り、清潔か不潔か限りなく不安な布切れをぶら下げて近づいてくるヤチネズミを、カヤネズミはまじまじと見つめる。
「全部抜くぞ。駄目だったらもっかい挿入す(いれ)ればいいだけだから」
絶対二度と挿入させまい、とカヤネズミは喉を上下させる。しかし管が入りっぱなしの口と喉は上手く動かせなくて、やはり軽く咽る。咳込めば抜いてもらえなくなる気がして必死に隠し通そうとしたが、
「我慢するなよ。余計詰まるぞ」
見抜かれていた。
*
カヤネズミの不安をよそにヤチネズミはすんなりと、上と下の管を抜いてくれた。抜かれる瞬間の不快感と嫌な痛みも、抜かれた後の気分的な爽快感はそれらを忘れさせるに十分なものだった。
「普通ならこんだけ寝てれば起き上がれるようになるまで結構かかるんだけどな」
念入りに洗った手指を上着の裾で拭いながらヤチネズミが言う。洗った意味を台無しにしていることに気付いていないあたりがヤチネズミだな、と思いながら、
「日頃の行いってやつだって」
カヤネズミは上機嫌に軽口を叩いた。
何も咥えずに言葉を発することが、これほど快適なものだとは。下半身も清々しいし生きているって素晴らしい。
「ブッチーのおかげだよ」
カヤネズミの笑顔とは真逆の陰鬱さでヤチネズミが言う。
「お前が寝てる間、ずっとお前の身体を動かしてた。関節の曲げ伸ばしだけじゃなくて筋肉が落ちないようにって全身揉んで擦って。体位交換だって三時間おきで十分だって言ってんのに『床ずれなんてさせられない』って一時間おかないで背抜きしたり転がしたり」
カヤネズミは右手を持ち上げ、左肩を擦ったり手指を握ったり開いたりしていたが、ヤチネズミの説教を聞きながら徐々にその腕を下げていく。
「他の奴らも当番っつうか順番でお前の世話してたけど、介護っていうか手伝いだったよ、ブッチーの。ブッチーがいたから今お前はそうやって動いていられるん…」
「わかってるって」
カヤネズミは横を向いて息を吐く。
「お前に言われなくてもわかってるよ。ブッチーは俺の同室だぞ? お前よりもずっと付き合いは長いし深いし強いんだって」
カヤネズミの強い物言いに、ヤチネズミは「ならいいけど」などと言って俯いた。また違和感、カヤネズミは眉毛をひん曲げる。なんか違う。なんというか、張り合いが無い。
「なあヤチ、」
「カヤあのさ、」
ほぼ同時だった。真剣な面持ちをしていた分、ヤチネズミの方が重大な案件かとカヤネズミは先を譲る。話せと促したのにヤチネズミはまたもったいぶって俯いたり手指を絡ませてもじもじしたりし始めたから、カヤネズミは苛々してきた。
「何だよ…!」
「ハツのことなんだけど、」
また同時だった。意を決したとばかりに顔を上げたヤチネズミにカヤネズミは面食らう。
「な、何だよ……」
「あいつ、ハツの奴、シチロウのこと…」
「ヤチ!!!!」
カヤネズミは慌てて声を張り上げる。どこで誰が聞いているともわからない、ハツカネズミがすぐそこの岩かげから出てくるかもしれないのに。
自分でも驚くほどの勢いだったらしい。ヤチネズミが目を見開いて固まっていた。カヤネズミはその間抜け面に向かってさらに畳みかける。
「いいか。そんな奴いなかったんだ、あいつの中では。いないんだよ、初めから。って前にも言っただろ理解しろって」
「でも…」
「堪えろヤチ!!」
そこでカヤネズミは咳込んだ。ろくに動かしていなかった舌根がもつれて、乾燥していた口中はひび割れたかと思うほどひりつく。本当はもっと言ってやりたいことがあったがこれ以上長話するのは今の自分には酷らしい。ヤチネズミの間抜け面が子どもみたいな泣き顔になりかけたが、気遣ってやる余裕はカヤネズミにはなかった。バカが基本のヤチネズミよりも、箍が外れたハツカネズミの、あの時のような暴走を引き起こさないことこそを優先すべきなのは、誰の目から見ても明らかだとカヤネズミは確信していた。これ以上ハツカネズミを混乱させるわけにはいかない。あれ以上、ハツカネズミを壊れさせるわけにはいかないのだ。
「いいかヤチ、もう二度と金輪際、その名前は絶対に出すなよ。ハツの前だけじゃない、他の奴らの前でも絶対にだ。あいつ意外と地獄耳だしどこでハツの耳に入るかわかったもんじゃない」
シチロウネズミの名前を聞いて取り乱すかもしれない。また自傷行為を繰り返すかもしれない。
「お前の同室はハツとアカだ、まだ生きてるあいつらだ。そいつらを守るのが同室の同輩の仕事だ、そうだろ?」
失った者よりも、今隣にいる仲間たちを、
「あいつを守るためだ。あいつのためにそんな奴いなかったって思い込め、忘れろ!」
いや、それは流石に無理だろう。勢いに任せて言い放った後でカヤネズミも気付いて、
「……は無理でも思い出すな。じゃなくてだから、」
なんでここまで言わせるのだろう、カヤネズミは頭を抱える。
シチロウネズミがいなかったとか忘れろとか、言っているこっちが泣きたくなってくる。忘れられるはずないのに。あの最低な日常の中で、唯一腹を割って話せた同輩で、最も信頼していた仲間だった、それなのに。
「とにかく、……この話は終わりだ」
カヤネズミはヤチネズミの方を見もしないで打ち切った。