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00-173 ヤチネズミ【効能】

過去編(その124)です。

 アイによって強制的に連行されてきた受容体の子ネズミたちは、ヤチネズミとの薬合わせの後で(ことごと)く、全員、十割死んでいった。即死、悶絶死、呼吸困難の後の窒息死。死に様は若干多様性に富んでいたが、結果は全て同じだった。自分の薬は仲間を殺す、そんな事実、ヤチネズミ自身でさえ気付いていた。おそらくアイも、アイを通してどこかでその様子を観察していた研究員たちも。誰がどこからどう見ても動かない事実だったのに、誰も検査を止めようとしなかった。ヤチネズミはもちろん反抗した。だが拘束された、抑圧された、無理矢理続行させられた。抵抗する気力も泣き叫ぶ体力も失って、外部から入り込んでくる情報を客観視してしまうような、半ば諦め全てから逃避するようになっていた頃、ハツカネズミがやってきた。


 誰かの死に際、死に顔なんて見たいはずがない。名前も知らない、初対面の子ネズミたちのそれからでさえ目を逸らしていたのに、見知った顔の苦しむ姿なんて耐えられるわけが無い。物心ついた頃から一緒に育ってきた同室の同輩ならば尚更だ。逃げろハツ、駄目だやめろ、やめてアイ、お願いだからごめんなさい。言葉の限りに懇願したが検査が中断されることはなく、結果が覆ることもなく、ハツカネズミも死亡した。検査中の死亡案件は珍しいことではありません、生産体にも死者はあります、ヤチネズミが気に病むことはありません。検査後の慣例と化していたアイの慰めを聞いたところまでは覚えている。聞いたはずだ、途中まで。聞き流しつつ、受け止めつつ、受け流しつつ、目の前の事実をいつものように耐えようとして、耐えられなかった。


 火事場の馬鹿力というやつだったのだろうか。それ以前も以降も二度とないことだから検証のしようもないが、ヤチネズミらしからぬ怪力だったことは確かだ。あれほどもがいても外せなかった拘束を引き千切り、圧縮空気による制止を物ともしないで、検査具を測定器を壁を床を破壊し絶叫しハツカネズミの亡骸にたどり着いた。


 すぐさま蘇生術を試みた。心肺停止時は呼吸補助よりも胸骨圧迫を優先する、努力によって習得した医術の知識は発狂中のヤチネズミの身体を無意識下で動かした。呼びかけることも気道確保もおざなりに、ただただ叫びながらハツカネズミの胸部を叩き続けた。圧縮空気では止められなかったアイは警報音を響かせ、程なくして鎮静剤を手にした研究員たちが駆けこんできたが、それらを蹴散らし尚もハツカネズミの蘇生術を続けた。ヤチネズミを止めるよりもハツカネズミを搬出する方が早いと判断した研究員が、ハツカネズミの遺体を検査室から引きずり出そうとしたが、反対にヤチネズミに殴り倒されて検査室から蹴り出された。蘇生術を続けることを妨げられたヤチネズミはハツカネズミに縋りつき、揉み合いのうちに流れ出ていた血液にまみれながら遺体を抱きしめ、引き渡しを拒絶した。ハツカネズミを隠すように蹲る背中に鎮静剤の注射針が射され、生産体のネズミが寝落ちるのは時間の問題と思われた時、その腕の中で突如死体が動き出した。


 死んでいたはずのハツカネズミは目を見開くとヤチネズミを突き飛ばし、検査室の隅に行って項垂れ嘔吐した。吐いて、吐いて、吐き尽してからようやくふり返ったハツカネズミの口元には、吐瀉物に混じって血液がついていた。



 * * * *



「オオアシが言ってました、あの時死んでたって。息が出来なくなって意識以外残ってなくて死ぬって瞬間だったって。だからハツも…!」


「死者を蘇生させる効能?」


 エゾヤチネズミが訝るように呟き、


「正確に言えば『心肺停止直後の蘇生薬』でしょうか」


 オリイジネズミが訂正する。


「君のその不死身とも思える丈夫さも、その薬に関係があるかもしれませんね」


「不死身は死者を救うって?」 


 コジネズミが鼻で笑い、全員がヤチネズミに注目した。


「本気か、じじい」


 セスジネズミが副部隊長の顔のまま、素の口調で身を乗り出す。ヤチネズミは顎を引き、


「ハツとオオアシにあって他の奴らになかったことって、薬を入れる前に生きてたか死んでたかしか思いつかない」


「だから『一回、死んでた』?」


 ヤマネが言いながらハツカネズミに振り返る。ハツカネズミは困った顔で視線を受け取っていたがやがて、へへっと笑った。


「ついに狂ったか」


 コジネズミが苦々しい顔をして揶揄したが、ハツカネズミはそれには向きあわず、


「でも俺は大丈夫だったじゃん」


 いつもの調子で困ったように頭を掻いた。ヤチネズミは「でも、」と言いかけたが、


「大丈夫だってヤチ、ね?」


 その笑顔の前では何も言えない。


「おい、バカ」


 コジネズミがワタセジネズミを足で小突く。ワタセジネズミが恐縮して返事をすると、


「お前、一回死んでみろよ」


 恐ろしい提案をされて、素っ頓狂な声を上げてひっくり返った。


「は!? あの…!! いやそ、れはちょっ…」


「ヤチのは仮説だろ? んでここはハタさんの実験室だ。検証するにはもってこいの場所じゃん」


「コジネズミ君」


 オリイジネズミが注意するがコジネズミも真剣なようだ。言葉の凶暴性に反して、身体は前のめりに真面目な顔でワタセジネズミに詰め寄る。その脇で、ハツカネズミが凶悪な顔になって地面に手をつく。


「で、でも一回って……。二回目も死ねるもんですか?」


「ないない、ないです。二回目ないから!」


 ワタセジネズミも後ずさりしながら必死に逃げの口実を捻り出し、カワネズミも後輩を庇うように前に出るが、


「大丈夫だってお前の先輩たちも言ってたじゃん。お前、こん中でばけもんの次にハタさんの薬効いてんだろ? ヤチの同室だしきっといけるって」


 コジネズミの真面目は至って本気だ。ワタセジネズミの苦笑がひきつる。


「ほら、俺も手伝ってやるから…」


「コジネズミぃ!!!」


 ハツカネズミが真っ赤な顔で立ち上がった。充電が完了したらしい。


「ハツさん!?」


 ヤマネが戦き、コジネズミが面倒くさそうに舌打ちする。


「うちのワタセに何しようとしてるんだよ!!」


「いちいちうるせえんだよ、ばけもん! 検査の延長線だよ。聞いてりゃわかんだろ」


「わかんないから聞いてるんだろ、ばかもん! お前の言うことなんてわかるわけない

…」


「カワ」


 セスジネズミがカワネズミに目配せし、カワネズミがハツカネズミの口を両手の平で塞いだ。その隙にセスジネズミはコジネズミの前に立ちはだかり、同輩たちに遅れてヤマネも立ち上がってハツカネズミの腰に全身で巻きつく。


「ハツさん、しっ!!」


 決死の形相でカワネズミはハツカネズミを抑えこみ、ヤマネも頷きながら歯を食いしばった。同室たちを背中にしてセスジネズミがコジネズミに凄む。


「コジネズミさんの仰ることも理解出来ます。しかしワタセが上手く死ねるとも限りません。ワタセにはうちのトガリネズミの薬も入ってますから」


「セージさん!?」


 涙目でワタセジネズミが悲鳴をあげる。ハツカネズミが目を見開いてカワネズミの手を払い身を乗り出した。カワネズミとヤマネが引き摺られ、くんずほぐれつで見苦しいことこの上ない。オリイジネズミが嘆息して立ち上がりかけた時、


「なので俺でどうですか?」


 セスジネズミの次の提案にハツカネズミの行進が止まる。


「俺はハタネズミさんとムクゲさんの薬しか入っていません。一度処刑されていますから死ぬのは経験済みですしトガリネズミの薬が無い分、下手に治癒することもなく死に易いと思います」


「セージさんん!?」


 ワタセジネズミが、やはり涙目で悲鳴をあげた。ヤマネが真っ赤な顔になってセスジネズミに向かって踏み出したが、ヤチネズミの方が早かった。


 ヤチネズミは無言でセスジネズミの背後に歩み寄ると、片脚でつま先立ちになり、後輩の後頭部を平手で叩く。視界が傾いたことで自分が叩かれたことに気付いたセスジネズミは振り返り、ヤチネズミの姿を確認すると途端に顔色と声色を変えた。


「じじいは黙って…」


「死にたがんなって言ってんだろ」


 『うるせえ』とも『くそがき』とも言われなかったことが意外だったのだろうか。怒鳴るでもなく叫ぶでもないヤチネズミが想定外だったのかもしれない。沈むような静かな声で自分にだけ聞こえるようにぼそりと呟いたヤチネズミに、セスジネズミは目を丸くして押し黙る。


 ヤチネズミは元上官の前に歩み出る。コジネズミの顔を正面から見て、やはり耐えられなくて視線を落とし、そのまま身体を折り曲げて手と膝をついた。


「すみませんコージさん」


 コジネズミの眉間の皺が深くなる。


「すみません」


「ああ?」


「すみません」


 何を言っても同じ言葉を繰り出し続ける土下座の元部隊員に、コジネズミも根負けした。「馬鹿の一つ覚えかよ」と吐き捨てる。


「あの……」


 呼びかけたワタセジネズミを無視して、コジネズミは洞窟の外に出て行った。ヤマネが腰を抜かしたようにその場に座り込み、カワネズミも息を吐く。ハツカネズミは無言で立ち上がるとヤチネズミに歩み寄ってしゃがみこんだ。


「行ったよ」


 ヤチネズミは顔を上げない。


「コジネズミ行ったってば。ヤチ」


 まだぶつぶつ言っている。


 ハツカネズミは後頭部を掻き毟ると鼻から息を吐き、ヤチネズミの腕を取って立ち上がらせた。


「……ごめん…」


 耳についた謝罪はコジネズミに向けたものか自分に向けられたものだったのか。ハツカネズミはちらりと同室の横顔を見た後で、顔を背けて頭を掻いた。


「いずれにせよ、」


 気がつくと背後にいたオリイジネズミが口を開く。今の今まで気づかなかったハツカネズミは驚いてヤチネズミを放り出し、ヤマネは悲鳴をあげた。セスジネズミさえも一歩退いて目を見張っている。


「コジネズミ君の提案は推奨できませんね」


 突然存在感を出してオリイジネズミが語り出す。


「ヤチネズミ君の薬は不明な点が多いうえ、危険過ぎます。どの受容体と相性がいいかもわかりませんし、効能が不透明な限り、薬合わせはしない方が賢明でしょう」


 ヤマネが小刻みに頷き、ワタセジネズミが「はい! 部隊長!」と姿勢を正して返事をした。


「……でも、」


 それまで黙りこんでいたタネジネズミがおずおずとしゃしゃり出る。小声で二、三言、ジネズミと相談した後で、覚悟を決めた顔を上げると、


「ほんとにヤチネズミ……さんの薬が蘇生薬として使えるんなら、誰かが死んだ時の最後の切り札として使ってみるのもありじゃないかなって」


「なるほど!」


 ジネズミが示し合せたように手を叩いたが、それ以外は誰も同調しなかった。


「……だめだったかな」


「……いいと思ったんだけどね」


 タネジネズミとジネズミは取り残された空気の外でこそこそと話していたが、


「気持ちはありがたいけど、」


 ヤチネズミの声にぴたりと揃って顔を向けた。


「オリイジネズミさんの言うとおり、危なすぎると思う」


 何かを噛みしめて俯く頭。ハツカネズミが「ヤチ、」と声をかけたが、ヤチネズミはばっと立ち上がると顔も上げないでまくしたてた。


「ありがとな。タネズミの気持ちは嬉しかった、ありがとう」


 言い置くと洞窟の外に走っていった。


「……だからタネズミって誰だよ」


 タネジネズミは何とも言えない顔で呟く。


「訂正しとかないと延々あのままだぞ」


 カワネズミがタネジネズミに忠告して、同室の同輩に振り返った。


「立てるか? ヤマネ」


「だめ、腰抜けた」


 ヤマネが泣き言を吐いてカワネズミに助けを求める。


「俺も怖かったですぅ~」


 ワタセジネズミまで甘えてきて、カワネズミは「はいはい」と左右に呆れ顔を向けた。


「ごめんね、お前ら」


 ハツカネズミが後輩たちに言った。ヤマネがぽかんとしてワタセジネズミがぶんぶん首を横に振る。


「ハツさんこそ…!」


「もう大丈夫だよ」


 ハツカネズミは笑顔でワタセジネズミを遮る。それから入江の方に目をやり、


「もう大丈夫。絶対にお前らに手は出させないから」


 まるで地下の連中を見るような目だった。こういう時のハツカネズミからは距離を取るに限る、タネジネズミはジネズミの袖を引いて頷き合った。

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