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00-170 コジネズミ【また?】

過去編(その121)です。

「カヤさん!!」


「カヤさん!?」


「おい、手ぇ貸せ! カゎ…、ワタセ!」


「はい! は、はい?」


「ハツさん…」


「俺はいいかやブッチーが!」


「カヤさん!!」


 コジネズミに指定された入江にたどり着くなりカヤネズミに気付いたドブネズミが取り乱した。四輪駆動車を停車させるや否や荷台に乗り込みカヤネズミを揺すって大声で呼びかける。離せ、落ち着けと諭しても、それより太い声で号泣して聞き入れられない。ヤチネズミはほっかむりのヤマネと協力して左右から掴みかかるが、ドブネズミの巨体と増幅された筋肉にはまるで歯が立たなかった。即座に振り切られ、ヤマネに至っては起き上がってさえこない。


 唯一ドブネズミを抑えられるのはハツカネズミだが、そのハツカネズミは現在、電池切れだ。腫瘍のようにハツカネズミの上着の中に潜り込んで動かない治験体の子どもは、周囲の喧騒などお構いなしにおそらくすやすやと眠っている。


 オリイジネズミ隊の面々や子ネズミたちも出てきたが、やはり錯乱状態のドブネズミに振り落とされる。落とすしかない、とヤチネズミがドブネズミの背後に回り込もうとした時、小柄な背中が割りこんできた。


「コージさん…」


 コジネズミはドブネズミの頭頂部を片手で掴むと、いとも容易くそれを引く。それでもカヤネズミを離さないドブネズミの腕を取ると手首を掴み、背中で固めて額からその顔面を荷台の床に叩きつけた。ドブネズミは息継ぎでもするみたいに顔を半分を上げ、執念深くカヤネズミの名を叫ぶ。


 ドブネズミの背中に片膝を乗せて抑えこんだコジネズミは、顔を上げると眉根を寄せて目を細めた。


「そいつ死んだの?」 


 言うとヤチネズミに振り返り、


「またお前?」


 一瞬何のことかわからなくて、ヤチネズミは中途半端な首の角度で固まった。コジネズミはこれ見よがしに大きく息を吐いて見せる。


「そいつの話が聞きたくて俺、ここまで来たんだけど」


 そう言っていた、だから協力してやる、と。


「死なれちゃ困る奴ばっか死なせちゃってさあ、」



 なんでまた(・・)お前が生きてるの?



 ドブネズミが興奮状態で、無駄な騒音を起こしてくれていて良かったとヤチネズミは思った。

 でなければ元上官の視線と憎悪に耐えられなかった。


「ヤチのせいみたいに言うなよ! ワシだよワシ! ごみどものせいだよ!!」


 ハツカネズミが声だけで庇ってくれる。


「ていうかなんでお前がここにいるんだよ! 出ていけチビネズミ!! バカネズミ! コジネズミ!!」


 庇ってくれているが今のハツカネズミは赤ん坊並みに無力だ。語彙の乏しさが拍車をかけて、負け惜しみにさえ聞こえない。最後の一言は悪口にさえなっていない。


「ばけもんは燃料切れか。後で殴らせろよ」


 コジネズミはドブネズミの上からハツカネズミを見下ろして鼻で笑ったが、


「その後で百倍返しで蹴ってやる!!」


 ハツカネズミも口先だけで応戦する。


「ハツさん、今はそんなことより…」


 カワネズミがのたうつヤマネを乗り越えて先輩を止めにかかるが、


「足くらい動くよ! 今すぐ蹴ってやる!」


 ハツカネズミはコジネズミへの悪態に必死で聞きやしない。


「ハツさん!」


「無力なばけもんは見てて飽きないな」


 コジネズミも悪乗りし、収集がつかなくなってきた。


 ドブネズミが叫ぶ。カワネズミがヤマネを引き起こして仲裁を試みる。ワタセジネズミはおたおたするだけでヤチネズミもおずおずと口を挟むが、コジネズミの視線が怖くて閉口してしまう。


「無力かどうか試してみろよ!」


「ハツさん!」


「ハツさんってば…」


「今のお前なら指一本で十分だ」


「指十本噛みちぎってやる!!」


「ハツさんって…」


「なら棒きれで沈めてやるよ」


「卑怯者!! あっち行け…じゃなくてこっち来いよコジネズ…」 


「呼ばれたら返事しなさいって言ってるでしょ!!!」


 カワネズミの一喝でハツカネズミが固まった。


 コジネズミも目を丸くして先まで縮こまっていた子ネズミを見て、オリイジネズミ隊さえ動きを止めている。唯一まだ騒がしいドブネズミの顔を床に押し付け黙らせて、カワネズミはハツカネズミを見下ろした。


「さっきから呼んでるでしょ、ハツさん!」


「……はい」


「何があったか聞きたいって言ってるんです! 聞かせてください!」


「……ごめん、カワ…」


「ごめんじゃなくて何! これ!」


 カヤネズミを後ろ手で指差したカワネズミに、


「多分……、寿命」


 項垂れたヤチネズミが答えた。ハツカネズミが首を持ち上げ、コジネズミが首を伸ばし、カワネズミが「『寿命』?」と聞き返してきて、ヤチネズミはさらに俯く。


「カヤが言ってた、『もうすぐ死ぬ』って。ハタさんも言ってた、不眠の薬は寿命が短くてある日突然死ぬんだって」


 ヤマネがほっかむりで項垂れ、鼻水を啜りあげた。


「時限爆弾みたいなもんだって、聞いてたはずなのに気付けなくて。ワシのことで頭いっぱいで、気がついたら後部座席(うしろ)にいなくて……」


 ヤチネズミは手の平で目元を覆い、


「気付かなくて……、俺のせいで…」


「君のせいではないでしょう」


 荷台に上がってきてオリイジネズミが言った。ヤチネズミは手の平の中で目を開ける。


「故意に振り落としたのでなければきちんと乗っていなかった彼の落ち度でしょう」 


「でも……」


 気付いていたら落とさなかった。落とさなければこれほど大怪我もしていなくてもしかしたら、もしかしたらまだ、


「自惚れですよ。君の力だけで変えられることがどれほどあると思っているのですか」


 ヤチネズミは口を噤む。


「寿命という言い方も誤解を招きます」


 セスジネズミも荷台を覗き込んで言う。


「まるで死んだみたいに。カヤさんに失礼です、謝れじじい」


「「え??」」


 と首を回したのはハツカネズミとタネジネズミだ。驚いた顔でセスジネズミを見て固まるタネジネズミとは対照的に、ハツカネズミはうねうねと這いつくばって顔を上げ、


「カヤ、死んでないの…?」


「息はしていますよ」


「「え!!??」」


 ヤマネとカワネズミがカヤネズミに駆け寄り覗き込む。


「カヤさん!!」


 ドブネズミがコジネズミを払い除けて起き上がり、カヤネズミに飛びついた。ヤチネズミも信じられない気持ちで黒い頭の隙間を覗きこむ。


「なんで死んでると思ったわけ?」


 カワネズミが尋ねるとヤマネは挙動不審になって首を横に振った。


「だ、だって! ……なんかヤッさん、泣いてるし……」


 続いてカワネズミの視線を受け取ったハツカネズミは首を傾げて耳を肩につけた。頭を掻こうとしたのかもしれない。


「なんとなく……、その、……雰囲気?」


「誰だよ、こいつ死んだっつったの」


 いつの間にか荷台の縁に腰を下ろしていたコジネズミが腕組みをして言った。その瞬間、全ての視線がヤチネズミに向けられる。


「だからハタさんが! ……クマさんは突然死で、薬の不眠のせいだったって、カヤも同じ薬が入ってるからって…」


「あの男の憶測を真に受けたのが間違いです」


 オリイジネズミが半目になって息を吐いた。


「はぇ?」と気の抜けた声でヤチネズミは首を傾げる。


「あの男はいつもそうでした。何の根拠も証拠もなく、自分の経験と憶測だけでさもそれが事実かのように語る、それが的外れな推論だった時の後始末は大体周囲に押し付けて、自分は飄々と素知らぬふりをして姿を消す」


 オリイジネズミは息を吐くとヤチネズミに顔を向けた。侮蔑気味の白い目で見据えながら、


「君もあの男の被害者ですか」


「ひがい……?」


 ヤチネズミはまだ腑に落ちない。


「でも……、だって! だったらなんで? なんでカヤは突然…」


 言いかけたヤチネズミの足下で、カヤネズミがくぐもった声を発した。「カヤさん!!」と顔を近付けたドブネズミが何かを察して、カヤネズミの顔を横に向ける。ドブネズミの判断は正しかったようで、カヤネズミは自らの吐瀉物で窒息する危険を免れた。


「寝げろかよ、きったねえ…」


 言って顔を顰めたコジネズミに、


「汚くないでしょう! きれいでしょう!!」


 物凄い剣幕で怒鳴りつけたドブネズミ。旧ムクゲネズミ隊およびオリイジネズミ隊は、巨漢と嘔吐男から一歩ずつ退く。


「クマネズミさんの死因は不明ですが、」


 顔をしかめてオリイジネズミはヤチネズミたちに向き直り、


「彼のこれ(・・)について、何か思い当たることはありますか?」


「あ」


 セスジネズミが無表情に似合わない声をあげた。「な、なんすか?」と覗きこんだワタセジネズミから避けるように顔を背ける。


「何? セージ。なんかわかったの?」


 首だけ伸ばして尋ねたハツカネズミをちらりと見てから、セスジネズミは副部隊長の顔のまま、


「純米大吟醸です」


「はい?」


「「「ああ………」」」


 首を傾げたカワネズミの横で、ヤマネやハツカネズミと同時にヤチネズミは頷いた。


「な、なんすか? 『じゅん…』?」


「酒の種類だ。ワタセは飲んだことが無いだろうが」


 セスジネズミがワタセジネズミに説明するのを聞きながら、ヤチネズミたちはカヤネズミを見下ろした。


 ムクゲネズミの死から今日まで、ヤチネズミにとっては数ヶ月に及ぶ地獄の再教育期間、カヤネズミは他の部隊員同様尋問を受けていた。その間、酒の類は一切飲ませてもらえなかったとカヤネズミ自身が言っていた。


「めちゃくちゃ飲んでたもんね」


 ハツカネズミが言う。


「らっぱで一気でしたよ」


 ヤマネが呟く。


「カヤさんは酒に負けません!!」


 カヤネズミの口周りを拭いながら涙声でドブネズミが抗議したが、


「誘惑に負けたんでしょう」


 セスジネズミが言った。そもそも問題の酒をカヤネズミに与えたのは自分のくせに。


 ヤチネズミは思い出す。旧ムクゲネズミ隊で再開してから日は浅いが、一日たりともカヤネズミは休肝日を設けていなかった。むしろ四六時中飲んでいた。飲み水代わりの酒だった。


「断酒後の一気飲み……」


 ヤチネズミの呟きをオリイジネズミは聞き逃さず、意見を促す。


「今までのカヤと今日のカヤで違うことと言えば、それだけですから」


「え? 何? わかんない」


「カヤさんの入眠方法が判明したということです」


 考えることを他者に依存するハツカネズミに、セスジネズミが説明した。


「カヤさんの薬は不眠ですが、一生眠らない訳ではなかったということです。タネジネズミたちが発作的に入眠してしまうのに対し、カヤさんの場合は一定期間の断酒後、飲酒を再開した際に入眠するということでしょう」


「なにそれ……」 


 あまりに間抜けな推論に、間抜けな声で呆れたヤマネだったが、


「薬についてはいまだに解明されていない点も多々ありますので」


 オリイジネズミに真面目に諭されて、不服そうにしながらも頷いた。


 吐くだけ吐いてすっきりした顔のカヤネズミは、寝返りなど打ったりしている。力が抜けてその場に腰を下ろしたヤチネズミや、安堵で咽び泣くドブネズミを尻目に、コジネズミがおもむろに立ち上がった。荷台から砂に降り立ち、セスジネズミの陰に隠れたワタセジネズミを面倒臭げに一瞥してから、


「暑いから中、入るわ」


 言い置いてさっさと洞窟に入っていってしまった。


 言われて気がつき、ヤチネズミは空を仰ぐ。指定された入江の脇の、切り立った岸壁の影が直射日光を妨げてくれているが、その上の空は眩い青さだ。


「ヤッさん、やけど大丈夫?」


 ヤマネに言われてヤチネズミは自分の身体を見下ろす。そう言えば右脚が痛かった。腹とか肩とかあちこちとにかく痛かった。両手の甲の水膨れに気付くとそこもずくずくと響きだして、顔を歪めると頬や額だけでなく、鼻筋や瞼に至るまでひりひりした。


「ヤッさん運転に集中してたもんね。その顔やばいよ」 


 ほっかむりの中から目だけ覗かせてヤマネが言う。心配してくれているのか茶化されているのか。怒るのも億劫になって曖昧に頷いておいた。


「すぐにでも手当てが必要でしょう」 


 いつの間にか背後にいたオリイジネズミにぎょっとして振り返り、「いや、俺は……」と遠慮しかけた時、


「何故君はそれほど丈夫なのですか?」


 まるで怒っているみたいに全身を睨めつけられた。

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