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00-54 ハタネズミ【恩師】

過去編(その6)です。

 部隊はいくつかに分かれていた。アカネズミたちと会うことはほとんどなくて、初めて会う先輩、同輩、後輩もいた。だから面倒見が良いことで評判のハタネズミ隊に入れたことは幸運だったと思う。


「生産体から受容体に薬を入れることはアイ無しでもできる。現に塔の外で結構みんないろいろ試してる」


「アイには事後報告ですか?」


 ヤチネズミは驚いて聞き返した。ハタネズミは平然としたまま「めんどくさいから。聞かれたら言うけど」などと言っている。


「受けとった受容体がその薬を受け入れられるかは運次第だけど。運が良ければ薬が細胞分裂を促進させることもある」


「……どういうことすか?」


 部隊長で年長のハタネズミは薬の使い方を熟知していた。ほとんど全てのネズミに自分の薬を分け与えた男だ。嫌でも知識が増えるのだろう。


「瀕死の奴に薬を入れれば一か八かで助かる」


 ハタネズミは簡潔に薬の使い方を教えてくれた。回りっくどいアイの話よりもずっとわかりやすい。


「それって生産体だけの特権なんですか?」


「受容体の特権だ。生産体は自分以外の薬を受け入れない」


 上手く意図が伝わらなくてヤチネズミは言葉を変える。


「瀕死の受容体を助けられるのは生産体だけなんですか?」


「受容体でもいけるんじゃないか? どっちも薬だ。行けそうな気もするけど」


「けどってハタさん、やったことないんじゃん」


 思わず敬語を忘れて揚げ足を取っていた。だがハタネズミはあまり細かいことにこだわらない性分らしい。部下の無礼を咎めもせずに話を続ける。


「既に入ってる薬を重ねても意味がないことだけは実験済みだ」


「どういうことすか?」


「俺は仲間が死にかけてても助けられない」


 ハタネズミの薬はほぼ全てのネズミに入っているから。

 最後まで聞かずともハタネズミの無念を聞き取った。何を言っても慰めにもならなそうで、ヤチネズミは頷くようにして黙って俯く。


「でもヤチならできる」


 まるで表情も声の高さも変えずに呟いたハタネズミの言葉に、ヤチネズミは目を見張って顔を上げた。しかしすぐに「かもしれない気もしなくもないけど」と二重、三重の否定を食らう。


「……結局どういうことっすか?」


「ヤチはまだ誰にも薬を分けてないって聞いたから」


「誰もほしがらないんすよ」


「どんな効能だ」


「前に話したじゃないすか」


「詳しく」


 あまり話したくないのだが。ヤチネズミは横を向いて息を吐くとちらりとハタネズミを見やり、それからまた顔を背けて砂に向かってぼそぼそと説明した。


「アズミさんの薬の変化系です」


「アズミの効能ってどんなのだ」


 知ってるくせに、とは言えず気付かれないように舌打ちしてからさらに俯く。


「飲み食い出来ません」


「アズミとどう違うんだ?」


 やっぱり知ってんじゃん! と憤りつつ、表情を変えない上官にヤチネズミは苛立ちながら話を続ける。


「アズミさんのは低燃費っすよ。ちょっとで腹いっぱいになってめっちゃ動けるじゃないすか」


「ヤチは?」


 無表情の顔を突き出してきたハタネズミから身をそらして、ヤチネズミは不貞腐れた唇を動かす。


「無です。飲み食い一切できません。口から栄養取れないんです」


「全く食えないのか?」


「前は少しだけ。でも今は水飲むのも無理っす」


 むしろ食べたくても体が受け付けない。


「味覚とかはそのままだから飲み食いしたいって気持ちはありますけど、食ったあとで必ず吐きます」


 食事の時間は苦行と化した。仲間たちの幸せそうな食いっぷりに喉が鳴っても、一口でもつまもうものなら時間差で激痛と後悔に襲われる。


「ヤチは生きてて楽しいか?」


「好きでこんな体になったんじゃないっすよ!!」


 部隊長相手に本気で怒鳴ってしまった。「うっせーぞ」「外でやれ」と仮眠中の仲間たちに怒られる。ここも外じゃん、と崩れた屋根から覗く眩しい光を見遣りながら「すんません」と形だけの謝罪をする。


「……でもハタさんの言うとおりっすよ」


 座り直しながらヤチネズミはぼやく。


「食事って大事っすね。生活の半分、無駄になったっていうか楽しみがごっそりなくなった気がします」


 未体験でも容易に予想がついたのだろう。受容体の後輩たちは誰もヤチネズミの薬をほしがらなかった。生産体たちも受け継ぐことを拒絶した。自分以外で唯一この薬を入れたのはハツカネズミだけだった。


―ヤチの薬でしょ? もらうに決まってるよ。俺らで唯一の純正生産体じゃん―


 いいんだよ。いいってそういうの。お前はもう十分やってるんだからもういいんだって。やめとけよ―


 散々止めたのにハツカネズミは笑顔のまま薬を入れた。これでヤチと一緒だね、などと言いながら。

 馬鹿だな、と思った。そう口にした。どこまで受け入れるんだよ、どこまで背負い込むんだよ、と。右も左もわからない幼子たちが無条件にハツカネズミには懐いていた理由に気付いたのはその時だ。 


 最近めっきり会えなくなった同室たちを思う。アカネズミの目と四肢はもう治っているだろうか。シチロウネズミは怪我などしていないだろうか。


「どうしてヤチは生きてるんだ?」


「……死んでないからですけど」


 無粋な部隊長の無遠慮な質問に、ヤチネズミは引き気味に答える。


「俺、生きてちゃ駄目ですか?」


「そうじゃない。なんでヤチはまだ生きていられるんだ?」


「なんでって…」


「栄養を一切取らないでいるのに生きてるんだろう?」


「……まあ」


「アイにはなんて言われた?」


 何と言われただろうか? ただただ吐き気と、胃の不快感で頭も痛かったから大部分を聞き流していたが、


「少しずつ飲みましょう、だったかな」


 少しずつ飲んで大量に吐いて、点滴で水分補給されて検査は終了した。


「すごいと思うけど」


 興奮も感嘆も微塵も込めずにハタネズミが言った。「何がっすか」とヤチネズミはため息混じりに応える。


「ヤチだ。すごいと思う」


「まぁそうすね。毎日が苦行っすよ。自分でもよくやってると思います。すごいっすよね、俺」


「そうじゃない。ヤチの薬はものすごくすごい」


 ハタネズミがあまりに言うものだからヤチネズミも口をつぐんで向き直る。


「ヤチの薬は今までのどの薬よりもすごい」


「なんでですか」


「死なないだろ」


「死にますよ」


「死ににくいだろ」


「生きてる楽しみ減りますよ」


「でもその分死なないだろ」


「いや死にますって」


 何を言い出すのだ、この朴念仁は。


「怪我すりゃ痛いし治りも遅いし風邪なんてひいたら最悪っすよ。喉痛くても水も飲めないし薬も入らないしただただ治るの待つしかないし」


「痛いのは感覚が残ってる証拠だ。治るのに時間がかかるのはそれだけ細胞の寿命が長いってことだ。待てる時間があるのは贅沢なことだと思う」


「贅沢っすかあ?」


 ハタネズミは変わらない表情を下に向けて瞬きをした。それから、


「クマのこと知ってるか」と訊いてきた。


「はい。隣室だったし」


 トガリネズミよりも年上の、せっかちであわてんぼうのそそっかしい男だった。


「気が合ったんだ。一緒に組んでて楽だった」


「意外っすね。クマさんとハタさんって正反対っぽいのに」


 正直な感想を述べるとハタネズミは微かに口角を持ち上げた。ヤチネズミは二度見する。


「あいつのは寝ないやつだった。あいつの性格そのままだと思った。昼でも夜でもどんなに寒くても暑くてもあくびの一つもしなかった。あんまり寝ないから見張りばっかり引き受けてくれて、俺も含めて他の全員寝てる間に、あの日突然死んでた」 


 ヤチネズミは唇を結ぶ。


「心臓は一生の間に脈打つ回数が決まってるって言うだろう。睡眠時間も同じじゃないかと思う。起きていられる時間も初めから決まってて、眠れないクマはその限られた時間を前借りし過ぎたからあんなに短い寿命だったんだ、」


 と思う、と散々持論を展開した後でハタネズミは付け加えた。


 証明などできない。統計が取られるほどクマネズミの受容体は多くない。全て予想の域を出ない。だがハタネズミにとって、クマネズミの死はそれが原因なのだろう。


「何でも決まってると思う。食べる量も息する回数も泣く時間も何でも。そういうのを前借りするのが俺たちの薬なんだと思う。だからヤチのは、前借りじゃないから死なない薬なんだと思う」


 最初はわかりやすいと感じていたハタネズミの考えは、聞いているうちにヤチネズミを混乱させた。真面目な話だったから真剣に聞いてはみたがつまるところ、


「……どゆことすか?」


 真っ直ぐに前を向いていたハタネズミ少しだけ目を細めた。前を向いたままヤチネズミに、


「ヤチのは前借りじゃなくて積み立てだ」


 と断言した。やはりヤチネズミにはよくわからなかった。


「最強なのはハタさんとトガちゃん…、トガリネズミの薬じゃないっすか」


 痛みが無くて治癒も早い。両方受け継ぐことに成功したアカネズミは有望株として上階の連中からも称賛されている。


「俺もハタさんの薬、ほしかったくらいっすよ」


 出来ればトガリネズミのも受け継ぎたかった。


「生産体は基本一種類しか持てない。アカネズミみたいな例外以外は受容体になるしかない」


「生産体か受容体かなんて自分で決められるもんじゃないし」


 わかりきった部隊長の説明にヤチネズミは唇を尖らせた。


「俺はヤチが羨ましい」


「突然何すか」


 組んだ腕を解いてヤチネズミはたじろいだ。

 ハタネズミは左の手の平を開いて見つめ、数回ほど握ったり開いたりした後で、


「ヤチもやってみろ」


「はい?」


「これ」


 言ってハタネズミは手を持ち上げて、ヤチネズミの目の前で握ったり開いたりをしてみせた。訝りながらもヤチネズミは部隊長に従う。


「見なくてもできるか」


「そりゃまぁ」


 言われたとおりに目をつぶって手を動かす。


「なんでできる」


「なんでって自分の体だし」


「見てもないのにちゃんと手が動いてるってわかるか」


 何言ってんだ、このおっさん。


「一応自分の体なんで」


「すごいな」


「は?」


「俺はできない」


「え??」


 驚いて目を開けた。手の平も一緒になって開きっぱなしだ。ハタネズミは自分の手の平を見下ろしたまま、相変わらず握ったり開いたりを繰り返していた。


「俺は目で見ないと自分の体がどんな動きをしてるかわからない。どんなに強く握ってるのかほんとに開いてるのか目で見て初めて確認できる」


 言いながら握りしめられた拳は血の気が引いて色を失い、やがて食い込んだ爪が皮膚を破って血を滴らせた。


「ハタさん?!」


「女もだ。昔はそれなりに感触も残ってたけど今は何も感じない」


 驚いて無表情の横顔を見る。


「俺の薬、ほしいか?」


 無表情が顔を向けてきてヤチネズミは答えに窮した。


「みんなほしがるしアイも分けろとうるさいからやりまくったけど今は後悔してる。この薬はそのうちみんなを苦しめる…」


「あるに越したことないですよ!」


 ハタネズミが手の平を握ったまま振り返った。ヤチネズミは身を乗り出す。


「ハタさんの薬でどんだけみんなが助かってると思ってるんすか。アカがあんな検査に耐えられたのだってハタさんの薬あってこそでしょ」


 シチロウネズミだって喉から手が出るほどほしかったはずだ。


「痛いのなんて無いほうがいいに決まってんだろ…でしょ!」


 興奮気味にまくしたてたヤチネズミを黙って見つめていたハタネズミは、やがてふっと目を細めた。


「ヤチは若いな」


 ヤチネズミは眉根を寄せる。すぐに話が飛ぶ。


「ハタさんよりは、まあ」


「だから知らないことも多い」


「ぁあ?」


 また敬語を忘れた。慌てて取り繕う。ハタネズミは今度こそはっきりと目を細め、唇の端を上げた。


「俺にも言わせろ。ヤチの薬はすごい。俺が保証する」


「だから飲み食いできないってのはけっこう…」


「でも食欲はある。味覚もまだ残ってる」


「それは…」


 まだある。


「無いものばかり見るな、あるものも探せ」


「無理っすよ、そんなの。俺、根暗だし出来悪いしそういう理想論はあんまり…」


「だったら常に反対の見解も持つようにしろ」


「反対の見解?」


 また小難しいことを。ヤチネズミは白けた視線を隠しもしないでハタネズミに向けた。しかし、


「根暗な奴は根明には見えない細部によく気付く。出来が悪い奴は出来ない奴の気持ちを理解するし継続の大切さも知ってる」


 言い返す言葉を失う。


「ヤチにはまだたくさんある」


―まだなんにも見てないじゃん―


 トガリネズミを思い出した。全然似ていないのに、ハタネズミは自分のことなど何も知らないくせに。鼻の奥が熱を持つ。


「ヤチはいい子だ」


 ハタネズミがいきなりそんなことを言った。ヤチネズミは鼻を啜り上げて顔を横に向ける。


「……そりゃまぁハタさんから見たら子どもかもしれないですけど」


 『いい子』と言われて喜ぶ年齢でもない。


「ヤチはどんなのが好みだ」


 また話が飛んだ。今度は何だ。頭、大丈夫か? 


「……ぜんまい」


「渋いな」


「山菜が好きなんすよ」


 食べられた頃の話だが。


「なら年上か」


 女の話? まぁ言われてみれば…


「そうっすね。餓鬼はあんまり得意じゃないです」


 女ではなくて『子ども』というくくりでしか見られない。


 肩に手を置かれた。見るとハタネズミが心底嬉しそうな笑顔を浮かべていた。


「ハタさんて、」


「何だ? ヤチ」


「感情あるんですね」


「それはムクゲの薬だ。生産体は基本、薬は一種類だ、ヤチ」


 ああそうか、とヤチネズミは納得する。いつも沈着冷静な男だからついつい感覚同様感情もないような気がしていた。

 ヤチネズミの感想を読み取ったようにハタネズミはさらににっこりと微笑む。


「ヤチはちっこいな」


「何すかいきなり」


「怒った顔もかわいい」


「何言ってんすか、何の話ですか」


「ヤチの話だ。ヤチはいい」


 肩に置かれた感触に、遅ればせながらヤチネズミは自身に降りかかろうとしている危険を察知する。


「……ハタさん、何も感じないって言ってませんでした?」


「安心しろ。(よろこ)ばせるのは得意だ」


「余計心配です」


「女も泣かせたことはない。こうしていつもちゃんと口説くからだ」


「だったら女を口説いててくださいよ。明後日にはヘビの駅でしょ」


「女もいい。でもヤチもいい」


「あんたには節操っつうもんがないのか!」


「穴があれば何でもいい」


 究極の懐の深さを見せつけてハタネズミが迫ってきた。ヤチネズミは死にもの狂いで逃げ惑う。


「うるせえっつってんだろ!」


「外でやってくださいよぉ」


「お前もやるか?」


 誘われたコジネズミは半開きの瞼のまま首を傾げる。


「アズミさん助けて!」


 騒がしさに叩き起こされてきた外野の中にヤチネズミは飛び込み、アズミトガリネズミが眠そうな目をこすりながら匿ってくれた。こちらは事態を把握してくれたようだ。


「ハタさ〜ん、新入りに手ぇ出すのもほどほどにしてくださいって」


 いつの間にか外は薄暗い。そろそろ起床の頃合いだったことも相まって、他の面々も集まってきた。ハタネズミもそのことに気付いたらしい。恨めしそうにアズミトガリネズミを見遣って「お前は……、いい」などと言って項垂れている。


「ありがとうございます。自分の容姿に感謝します」


 副隊長は上官の扱いに手慣れていた。ごつい背中から恐る恐る様子をうかがったヤチネズミは、ハタネズミと目が合いぎくりとする。


「寂しくなったらいつでも来い、ヤチ」


「絶ッ対行きませんッ!!」


 全身全霊で拒絶したのにハタネズミは嬉しそうに歯を見せた。後にも先にもハタネズミがあんな笑顔を見せたことはないとアズミトガリネズミは言っていた。



* * * *



 ハタネズミは骨が折れても火傷を負っても何も感じていなかった。首の骨が折れていることにも気付かないまま自動二輪に乗って多分、自身も知らないうちにいつの間にか死んでいた。

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