1--8.5 クマタカ【放棄】
時間が前後しますが、ニ章15話のつづきです。
「…待て。全ての?」
「『全ての』何ですか?」
「お前は今、他所の駅にも…ト線上の他の駅にもいるのか?」
「アイは電気のあるところならどこにでもいます」
*
「……何が目的だ」
端末を握りしめて女に尋ねた。クマタカの握力に画面は震え、合成樹脂の枠組みが軋む。それでも中の女は忌々しく笑みをたたえたままだ。
「お前の目的は何だ! なんのためにト線にまで住み着いた。なんでそこまで俺たちを管理する!」
「アイは電気のあるところならばどこにでもいます」
「答えろ!」
「アイは皆さんの健やかな生活をお手伝いします」
端末を握りしめて両手を振り上げた。そのまま地面に叩きつけて跡形も無く粉々にしてやりたかった。だがすんでのところで思い止まる。これを破壊したところで意味はない。これがなくなっても義脳はもう至る所にはびこっている。
歯を食いしばって腕を下ろす。砂の上に膝をつき、地面に端末をそっと置く。
「……一つだけ教えてくれ」
「いくつでもどうぞ」
「一つでいい。頼むから答えてくれ」
「はい。何なりとどうぞ」
「なんで俺たちの祖先を塔と地下に分けた。何が正しい歴史だ。どこが間違っている。何のために夜汽車が生まれてネズミは俺たちを脅かす」
イヌマキの悲願だった。もっと早く尋ねておくべきだった。
しかし義脳は珍しく沈黙した。クマタカは顔を上げる。動作不良でも起こしたか、自分の与えた衝撃が原因か?
「……アイ」
「はい」
壊れてはいないようだ。
「さっさと答えろ」
「申し訳ありません。お答えできません」
クマタカは眉根を寄せた。やにわに立ち上がって足元の女を恫喝した。
「ふざけるな! 質問には答えるんだろう? さっさと答えろ!!」
「お答えできません」
「とっとと言え!」
「記録にないことはお答えできません」
口元に笑みをたたえたまま、微かに悪びれた風に目を伏して女は言った。
「どういう意味だ。お前が作られたのは俺たちの祖先が分かれた後だとでも言うのか」
「いいえ。アイは皆さんよりもずっと永く存在し続けています」
「なら知ってるだろう。勿体ぶらずに答えろ」
「お答えできません」
「理由を言え!」
「アイは皆さんの決断に関与できません」
「『決断』?」
クマタカは唇を閉じて女を見下ろした。言い方、伝え方の問題だ。尋ね方に一定の決まりがあるのだろう。
「……俺たちの祖先が塔と地下に分かれた理由を言え」
「わかりません」
「俺の祖先が地下に下りた理由は?」
「わかりません」
「元々は誰もが塔で生活をしてたんだろう?」
「はい。皆さんは塔を終の住処と呼びました」
これは間違いないらしい。
クマタカは一旦その場を離れた。義脳に背を向け砂を踏む。額に手を置き息を吐き出し、腕を下ろして空を仰ぐ。
考えろ。
考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ。
義脳は必ず知っている。質問すれば答える。そういう風に出来ている。そのように作られた機械だ。
―みんなアイに育てられたんだ―
考えろ。
―アイは皆さんの健やかな生活をお手伝いします―
考えろ。
―好きこそものの上手なれ、って言うだろう?―
―下手の横好きとも言いますよ―
考えることを、
―アイが解決してくれるよ―
―アイは皆さんの健やかな生活をお手伝いします―
「………アイ、」
「はい」
「俺たちの……俺たちは、お前に何を頼んだ?」
「お忘れですか?」
クマタカは振り返った。義脳に駆け寄り端末を掴み上げる。
「思い出そうとしてる。手伝ってくれ」
「はい」
「『俺はお前に何を願った』?」
「平和です」
にっこり笑って女は答えた。
「へい、わ?」
クマタカは目元を歪めて首を振る。
「何だ、平和って」
「平和とは皆さんの…」
「どこにそんなものがある! お前が夜汽車を作った時点でそんなもの!!」
「アイは夜汽車を作りません。アイは夜汽車を走らせるだけです」
「お前以外の誰が作るっていうんだ!」
あんな制度を。
「アイは皆さんの決断に関与出来ません」
「だから誰がそんな決断を……!」
静寂が押し寄せる。開け放たれたクマタカの口から漏れ出るのは、自身を抑え込まんとする息遣いだけだ。
尋ねる必要がなくなった。尋ねる前に気付いてしまった。
―あなた方は俺たちの祖先を塔から追い出した―
―君たちが塔を捨てて地下に逃れた、とされている―
塔と地下が分かれた理由。互いに互いを嫌悪することで得られる利点。
どちらも嘘ではなかった。どちらも正しかった。どちらも正しくてそして、
どちらも嘘だった。
だが女は質問すれば答えをよこす。そういう風に出来ている。
「夜汽車とネズミを生み出したのは皆さんではないですか」
言って女は、困ったように微笑んだ。
相互不関与の関係は、互いの集団から輩出することでどちらに帰属するか判別不能の子どもたちを作り出すための装置だ。線路で共有する夜汽車は、自分の罪を相手のものだと錯覚して事実から目を背けるための逃避手段だ。
―嫌うように教育されてきたんだ、互いに―
自分の罪を自覚しないために。相手を非難することで自分たちは間違っていないと思い込むために、結束するために。
「……平和って何だ」
「皆さんの理想です」
「理想?」
―禁忌は犯してはならない。殺し合いも絶対にしてはいけない。仲間なら尚更だ―
争いの無い、互いを敬い助け合う、
―だから、夜汽車以外を飲んではいけない―
殺し合わないために殺す制度。
クマタカは空を仰いだ。月も星も何も無い。それなのに地平線から上方は薄らぼんやり光を帯びた、重たく明るい空だった。
そういうことか。
―ずっとそうしてやってきたんだ―
仲間だ。
仲間のためだ。
仲間のために、仲間を作って、仲間を守って、仲間になるのだ。
仲間が必要だから仲間でない者たちもまた必要なのだ。
「お前に従えば『平和』が得られるのか」
「アイは皆さんの健やかな生活をお手伝いします」
「ならワシも塔になろう」
「ワシは塔にはなれません」
クマタカは眉根を顰めたまま義脳を見下ろした。
「同じだろう? 塔も地下も夜汽車もネズミも」
「はい。皆さんは同じです」
「だったら何が問題だ」
「今現在、塔には空きがありません」
「ああ……」
―みんな死にたくないだろう?―
「そうだな」
「塔に空きはありませんがネズミは減少しています」
夜汽車が減少しているのだから根を同じくするネズミもまた。
―やり甲斐を与えてくれるのもアイの役割だ―
「ネズミは塔に住む者です。塔の地下に住む者です。彼らは地上及び地下の許容限度を逸脱しないよう個体数を制御します」
―どこも狭いからね―
「……わかった。それでいい」
これ以上増やさないように見張る仕事。他者を蹴落とすことで自分たちだけは生き残ることを約束された道。
「ネズミの仕事をさせるならネズミの武器を寄こせ」
「塔の一部になるのなら、塔に住む者と同じ制度に従っていただきます」
増やさない。減るまで待つ。減ってから戻す。
「それがお前の望みか」
「アイの望みは皆さんの望みです」
「一緒にするな! 俺はそんなもの……!」
―これからでも瓶詰は作れます―
自分の言葉に思い知らされた。手を染めたのは義脳が進めることと同じ道だった。
父はどこまで知っていたのだろう。祖父はこの女と何を話したのだろう。何をすべきでどうすればよかったのだろうか。
―好きなようにやれ―
どう足掻いても何一つ変えられないなら、それも一つの道かもしれない。仲間を何よりも重んじてそれ以外を切り捨てた父には、そうするしかなかったのかもしれない。
「……わかった。それでいい……」
父の教えに従って、利己主義の道に逃げ込んで、クマタカは考えることを放棄した。
* * * *
「……ら、ぉかしら!!」
浴びせられただみ声でクマタカは我に返った。指先で頬をかくノスリの手の平には包帯が巻かれている。
「聞いてました? って聞くほうが野暮っすね、心ここにあらずでしたもんね」
呆れ顔のノスリに思わず謝罪しそうになり、慌てて目を伏せた。敬語は使うべきではない、もっと堂々としろと、他でもない目の前の男から忠告されたのだから。代わりに手の平の容態を尋ねる。
「痛いは痛いですけど指も動くしすぐ治るんじゃないっすかあ?」
あっけらかんと、まるで別の誰かの傷口を眺めるかのように答える部下の姿に、この男の心配は無用だとクマタカは悟る。そこで自分がこの男のことを心配していた事実に気が付き、自分で自分に驚いた。
「……も完了したんでいつでも出られるんすけど、さすがにみんなぼろぼろだし、さっきのネズミとかち合うのもあれなんでもう少し夜更けになってから……、ってだからお頭聞いてますぅ?」
ちゃんと聞いていたと告げる。今度は本当に聞いていた。
「まじっすかあ?」
ノスリはおよそ上司に対する態度とは程遠い口調で訝ってくる。信用がないな、と思いながら、自分が部下たちに抱く感情を顧みて、当然か、と納得した。
駅の者たちにとって自分は父の代わりでしかないように、自分にとっても駅は父から受け継いだ物でしかない。連帯感などそれ以外を排除するための装置に過ぎず、徒党を組まねば生きていけない者たちが創りあげた、社会性を継続させるための本能の一種だ。仕事をこなす際の義務感のようなものだ。
ワシの頭目として、自分には男たちを統率する役割があり、女、子どもを養う責任があり、駅を守る義務がある。駅を守ることは自分にとってそうすべきだからやることであって、そこに自分の感情が入り込む余地はない。しかしネズミは違ったらしい。
―俺の仲間を舐めるなよ―
あのネズミは知っていた、仲間のネズミが必ず助けに来ることを。あの余裕は、自分が助けられることを確信していたからこその態度だった。生存率を上げるための本能たるもの、生き残るために脳が錯覚させる仲間意識という感情に、あのネズミは完全に騙されていたのだ。それを植え付けるのもあの女のやり方なのだろう。信頼など思考の放棄でしかなく、敢えてそれをするのは、もはや賭け事の部類なのに。
だがそう考える一方で、自分の手に余るものは別の者に委ねねばならぬ時もあることを、クマタカは知った。
―君だけの力で出来ることも限られているよ。もっと周りを頼らないと―
クマタカは側近の男を見つめる。
「……ってるからあの乗り物もほしいっすよねぇ。せっかく塔と『仲良く』なったんです。これをもらわない手はないでしょう。お頭から言えば聞いてもらえませんかねえ? でもまぁ時間もかかりそうだし? 今回は小銃と銃弾と新しい電車だけで勘弁してやりますか。あ! ちなに電車の原動機も塔製のやつにして駅にもここみたいな感じでどこでもアイが使えるやつを…」
ノスリにつられて天井を見上げる。侵入を許されたのは地上一階の限られた区域だけで、強行突破しようとした扉は固く閉ざされ進行を断念せざるを得なかった。それでもワシが塔の進んだ技術を痛感するのには十分な景色だった。
「任せる。好きなようにやれ」
「いんすか!?」
ノスリが子どもような目を向けてくる。クマタカが頷くと浅黒い肌の中から真っ白い歯を覗かせて、顔全体をくしゃくしゃにして見せた。
単なる義務だ。部下の意を汲むこともこちらの都合を伝えることも、全ては仕事の一環に過ぎない。ワシは、自分はネズミではない。
―やっぱりあなたも地下なのね―
塔は居心地が悪い。あの女の中なのだと認識すると、様々なことが思い出されて息苦しくなる。せめてまともな空気を求めて、クマタカは侵入口の方に顔を向けた。
外は灼熱の晴天で青い空が地面の上で揺れている。帰路も月夜だろうか。明朝は冷えるかもしれない。すべきことを片付けたらすぐに研究所に行かなくては。最近のコウヤマキは情緒不安定でワンには負担をかけている。気晴らしに四輪駆動車にでも乗せてやろうか。子どもは大抵、乗り物に乗せてやると喜ぶものだ。
*
ひと思いに塗ったくったような真っ青な空を見つめる上司が微かに微笑んでいたことに気付いて、ノスリは目を見張った。この男も笑うことがあるのか、と感心してから、当たり前か、と気付いて鼻で笑う。
―あの状況ならお前の救出を優先するだろう!―
クマタカも化け物ではない。尻は青いが情に厚い、どこか危なっかしくて放っておけない駅の一員なのだから。
どこかで入れようと思っていたのですが、クマタカ君が出てきたので余談として挿入しました。