00-164 ハツカネズミ【切れる】
過去編(その115)です。
ハツカネズミは苛々していた。元より腹が立っていたのに、さらにも増して苛々が募っていた。頭を掻き毟りたいけれども両手を使わなければいけないからそれが出来ないのも歯痒い。
カヤネズミが地下の連中と手を組もうなどと言いだした。地下も塔も根は同じとか言う。夜汽車もネズミもみんな変わらないとか何とか。何を言っているのだろう、カヤネズミは。狂気の沙汰だ、訳がわからない。
本当のところを言えばハツカネズミも理解はしていた。細かいことは後で聞けばいいと聞き流した部分も多いし、セスジネズミはすごいな、と後輩の出来の良さに感心しているうちに話題が変わっていて焦ったりした部分も無かったわけではないが、大筋は理解したと思っている。アイが自分たちに嘘をついていたこと、アイが自分たちを実験道具にしていたこと、アイが夜汽車を地下のごみどもに差し出していたこと、実験の失敗例たる自分たちは塔から捨てられたこと……。
不要だから捨てるのだし、捨てられた物は『ごみ』となる。ならば『廃棄』された時点でそれはごみだ。つまりは自分たちも地下の連中と同じ『ごみ』として見られていたということだろう。アイにとってはネズミも地下も皆同じ、カヤネズミの言葉をハツカネズミはそのように理解した。
だが同じごみでも種類はある。鉄や木材は再利用できるけれども生ごみは堆肥にしかならない。ひと月前にはご馳走だったからと言って、腐った生ごみを皿に盛り付けて喜ぶ奴はいないだろう。夜汽車を犠牲にしている時点で地下は腐っている。腐ったごみは砕いて潰して肥やしにするべきだ。腐っているんだから。単なるごみなんだから。同じなわけない、絶対違う! だって子どもを撃った、あの子を泣かせた、そんな奴らを生かしておいていいわけない。
衝動のままに四輪駆動車を走らせ、勢いだけで掃除を始めた。オオアシトガリネズミの言葉を忘れたわけではなかったが、始めてみればなんのことは無い。所詮は地下だった。小銃を持ったところでまともに的も狙えていない。余裕だよ、ハツカネズミはひとりごちた。大掃除くらいやってやる。あの子を泣かせた罰だ。身を以て報いればいい。
それにしても男が邪魔だ。殴っても蹴ってもなかなか倒れない。倒れても起き上がってくるしつこさに苛々する。さっきのしぶとい男その一といい、この男といい、ワシはしつこい、鬱陶しい。小銃を持ってない奴はどうでもいいのに。あの子を撃ったかもしれない奴、小銃を持った奴を掃除したいのに刃物を振り回してくる男たちがうざったくて、ハツカネズミの苛々は募る。頭に血が上る度、歯を食いしばって腱が千切れるまで殴りつける度、ハツカネズミの再生能力は活性化した。
やっと男その二が膝をついた。手間取った、やっと終わる。ハツカネズミは短く息を吐いた後で小銃を頭の上に振りあげた。勢いづけて振り下ろす。男は頭蓋骨を陥没させ、脳髄を飛散させるはずだったのに、かん、と間の抜けた音がしてハツカネズミは眉毛をひん曲げた。
男の頭は割れていない。あれ? と思って何故か空になっていた両手を見下ろすと、右手の平に穴が空いていて、丸い縁取りの向こうに自分の爪先が見えた。撃たれた、とハツカネズミは気付く。
「ノスリ……」
男そのニが見た方に振り返ると案の定、小銃を構えた男がいた。
小銃。ハツカネズミが奥歯を鳴らす。身体が真っ赤に燃え上がる。小銃を構えていた男が片頬を引き攣らせて、「こえぇ」と鼻で笑った。その不謹慎さがまたハツカネズミを苛立たせる。そう思うなら来るなよ撃つなよ寝てろよし…
「…んでろよおッ!!」
ハツカネズミは男その三に向かって駆け出した。
男が次の銃弾を装填する。撃つ。避ける。舌打ち。ハツカネズミは振りかぶる。避けられる。つんのめる。苛立ち。
床に手をついたついでに落ちていた自分の骨片を掴んだ。男が装填の準備をしている。遅い。ハツカネズミは体勢を崩したまま自分の骨片を男に投げつける。鋭利な欠片は狙った通りに男の手の甲に突き刺さり、痛みに男が小銃を手放した。丸腰のごみは悪態とともに小銃を拾い上げようと手を伸ばす。ハツカネズミは床に両手をつきながら、踵で小銃を蹴飛ばす。男の顔面が一瞬固まる。ハツカネズミは笑う。両手で身体を支えたまま、ハツカネズミは腰を捻り、屈みかけていた男の顎を蹴り上げ自身は立ち上がった。反対に男は首を反り返らせ尻から床に沈む。
男の前に立つ。男が顔を上げ、片頬を持ち上げた。よほど死にたいのだろう。ハツカネズミも満面の笑みを作って微笑み返し、死体の中に紛れていた、自分の千切れた脚を拾い上げた。斬られた断面の方を両手で握りしめ、靴を履いた爪先の方で、今度こそ間違いなく両腕を思いっきり振り下ろした。振り下ろしたのに! またしても目の前の男は割れていない。それどころか自分の両腕が半分の長さになっていた。そして斜め後ろには、先まで纏わりついて来ていた面倒臭い男その一。また腕を斬られたらしい。だぁかぁらあ! とハツカネズミは苛々する。
「お前はあっち行ってろよお!!」
叫びながら再生最中の腕を振りかぶり、身体を半回転させた。しかし男その一の方が早かった。男はハツカネズミの腹部を横一文字に斬り裂くと、腿を引き上げ全体重をかけて今まさに自身が斬りつけた患部を思いっきり蹴り込んだ。ハツカネズミの身体はくの字に曲がって、背中から車両の壁に突っ込む。
「大丈夫ですか! …ぃじょうぶか?」
男その一が男その三の肘を掴みながら叫ぶ。
「怪我は。その手は…」
「頭って言ったじゃないすかあ」
痛みの言葉を漏らしながら、男その三はそんなことを言っている。妙に耳につく汚い声で、ハツカネズミの苛々はさらに増す。
「コノリ…」
「四両目に運んだ」
「せっかく絶好の機会だったのに……」
「あの状況ならお前の救出を優先するだろう!」
立ち上がらされた男その三が、男その一を凝視し、そして頬を持ち上げた。
ハツカネズミは立ち上がる。はみ出た臓物は元いた場所に納まり、その上に筋がみるみる形づくられ皮膚が張る。無傷になった腹から視線を上げたハツカネズミは、素足で踏み出した。まずは一番面倒臭い奴を片付けなければ、この掃除は終わらないらしい。握りしめた拳を男その一目がけて振り上げ、
床についた。
まるで謝罪するような格好でハツカネズミは電車の床に拳をついている。先まで見えていた男たちの顔も空も見えなくなり、視界の中にあるのは床と男たちの靴だけだ。ワシの男たちも虚をつかれたのかしばしの間、突然蹲ったネズミを見下ろす。
ハツカネズミは立ち上がろうとして両腕を見下ろした。力を入れているはずだ、入っているはずなのに、ハツカネズミの身体は土下座したまま動かない。
「……なんすか?」
だみ声。
「やりましたか!?」
少し離れたところから別の声。
ワシの男たちの会話を頭の上に聞きながらハツカネズミは青ざめた。まずい。
「わからない。だが、」
『おかしら』と呼ばれた男が口を開く。ハツカネズミは辛うじて動く首を持ち上げ男その一を見上げる。
「これなら駆除しやすい」
『おかしら』が刃物をハツカネズミの頭上に掲げた。どうしよ、ハツカネズミの顔が引き攣る。なんでこいつさっきみたいに心臓狙ってないの? なんでこいつ俺の頭の上に刃物降ろそうとしてるの? あれ? もしかしてこれ、死……?
ハツカネズミが自身では感知できない冷や汗で額を濡らした時、車両ががたがたと音を立てて横揺れした。ワシの男たちが体勢を崩す。ハツカネズミは車両の床を転げる。掴まれ! 外れるぞ! ワシの怒号。外れるって何が? 掴まるってどこに? ハツカネズミは混乱する。なす術もなく振動のままに揺られ転がる身体の中で、必死に状況を把握しようと視覚と聴覚に集中する。
と、車両すれすれで地面が弾けた。ワシの男たちの混乱が見える。何だあれ、とハツカネズミは後方に離れていく砂の柱に呆気に取られる。視界を奪うように降ってくる砂に目を細め、ついさっきも同じようなことがあったと思い出す。これって確か……。
ハツカネズミは目を見張った。弾けた地面から砂を巻き上げて飛び出して来たのは自動二輪に乗った、
「……ヤチ」