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00-163 クマタカ【頼る】

過去編(その114)です。

 ネズミが立ち上がった。


 立ち上がった! 切り刻まれて肉片となり、飛散していた脚が、腕が、なぜか普通にそこにある。胴体から伸びる逞しい下肢はネズミを支え、しなやかに伸びる両手は群がっていた男たちの頭掴み、腕を握りつぶし、脚を砕いて喉笛を突き破る。


「ば、けもの……」


 腰を抜かしたまま呟いたハチクマにコノリも知らずに頷いていた。自分の死すら予感した。何が妻の仇だ、何が息子の無念を、だ。鍍金(めっき)に過ぎなかった自分の覚悟にその時初めて気が付いた。どれほど憎もうとも、怨みつらみを募らせようとも、圧倒的な力の差を前にした時、抱いたのは恐怖だけだった。


 敵うわけが無い。例え塔に迎合しようとも、例え進んだ技術や高度な武器を得ようとも、こんなものには歯が立たない。


 ネズミが嗤う。満面の笑みだ。聞こえないはずの笑い声がコノリの鼓膜を揺らしている。


 仲間たちが泣き叫ぶ。ハチクマが車両の縁に隠れて頭を覆って蹲る。怒号、銃声、断末魔。全て細切れ。三両目の床が赤と遺体に埋もれていく。


 クマタカが駆け戻ってくる。だが先の勢いはない。頭部の外傷がかなり響いている。


 ネズミが振り返る。肩を怒らせる。取り損ねた獲物に再挑戦できる幸運を喜んでいるかのような高揚だ。駄目だ。コノリは予感した。クマタカでもあれ(・・)は倒せない。


 ネズミが遺体の中から小銃を拾い上げた。迎え撃つ気はないらしい。駆け戻ってくるクマタカ目がけて走り出す。コノリも小銃を手に取る。四両目にいた、まだ動ける部下たちを叱咤してネズミを狙うよう命じる。先のクマタカの戦法から心臓はそれなりに効果があるだろうと見積もる。お(かしら)には当てるな、ネズミの心臓を狙え、口にしながら難し過ぎる内容に自分でもおかしくなる。笑うしかない、という言葉の意味を変なところで理解した。


「当たりません!」


「いい! 狙え!」


「無理です、お(かしら)に当たります!!」


 自分自身もあまり使い慣れていない小銃を構えながら、コノリは部下たちに無理難題を命じた。その間にもネズミは走る。三両目ががた(・・)つく。脱輪は目前だ。切り離すか? 後続車両の部下たちに振り返り、冷酷な英断を思いつく。だが先行車両(まえ)の奴らは? 車両が揺れる。ネズミとクマタカが交差する。クマタカが力負けしている。コノリは決断した。


「離すぞ! 手伝え!」


 撃つに撃てない的を狙っていた部下たちが顔を上げた。先代の参謀は何と言ったのかと、理解し難い命令に目を見張る。


「車両を切り離す! ハチ、手伝え!!」


「コノリさん!?」


「イヌワシ立て! これ持ってろ!」


「で、でもお(かしら)たちが…」


「離しておけッ!!」


 言い置いて車両の縁に足をかけ、三両目に飛び乗った。



 * * * *



 クマタカは歯を食いしばる。ネズミが振り被った小銃を斬り損ねた。()(こぼ)れだ。太刀の刃は完全に小銃の銃身に食い込んでいる。


 ネズミが力技で小銃を振り切ろうとしてくる。重い。腕力で負けている。クマタカは太刀の峰に左手を添えて応じるが爪先が徐々に後退させられる。


「どいてよ」


 突然そんな言葉が聞こえてきたからクマタカは少し混乱した。何だ? 今のは。女のような言葉遣いで、子どものような言い草だ。子ども? 背後を窺おうと黒目だけを動かしかけて、それは出来ないと眉間に力を込める。気を抜けば押し負ける。よそ見している暇など…


「お前に用は無いからさ。どいてって」


 クマタカは目を丸くして顎を上げた。声の主は目の前のネズミだった。図体にそぐわない声と言葉遣い。意外性にも程がある。


「お前、小銃使ってないじゃん。だからお前は別にどうでもいいんだよ」


 何を言っている? 何の話だ?


「あの子を撃った奴さえ『掃除』出来ればいいって言ってんじゃん!!」


 ネズミが声量を上げると共に両腕を振り上げた。しまった。前にのめりながらクマタカは息を呑む。小銃の銃身に食い込んだまま、太刀も一緒に持っていかれる。振り被ったネズミは太刀が刺さったままの小銃をクマタカに振り下ろした。


 鞘で応戦する。直撃は免れる。小銃から太刀が外れて車両の床に突き刺さった。


 左腕をやられた。鋭い痛みに視界が明滅する。違う、朝日だ。これ以上、地上に長居することは不可能だろう。だがこのネズミを駆除することはそれ以上に……。


 押し潰されそうな重みが突然無になった。小銃ごとネズミの腕が空を舞い、車両の外に流されていく。クマタカは右手を振り返った。ノスリ。息を切らせて握りしめる太刀にはネズミの血が滴っている。


 正面左手には壮年の男。ノスリと同じように血のついた刀は、男とノスリが同時にネズミの腕を左右から刎ねたことを意味した。腕の先端を再生させながらネズミはノスリを睨みつける。こちらに向かって踏みこんできた時、背後から男が刀を返して大きく一歩踏み込んだ。ネズミは胸を串刺しにされて動きを鈍らせる。


「失礼します」


 言ってノスリに肘を掴まれた。拒絶する間もなくクマタカはノスリの厚意に甘えることになる。


「大丈夫っすか、お(かしら)。怪我は?」


 ネズミから距離を取らされて、早口の気遣いが子ども扱いに聞こえて、クマタカは「問題ない」と強がった。部下とは言え年上だ。弱みは見せたくない。


 ノスリは上司の返事を聞くと、ふっと息を吐き、


「信用ないっすねえ。もっと頼ってくださいよ」


―もっと周りを頼らないと―


 クマタカは思わずノスリを見つめた。珍しく真面目な顔をしていたノスリに怪訝そうな目を向けられて、逃げるように顔を背ける。視線の先では壮年の男がネズミを足止めしていた。いいように斬りつけられつつもネズミが倒れることは無い。


「とんだばけもんっすね。びびりましたわ。あれを殺す(やる)のはとりあえずおいといて、」


 ノスリはぎょろりと彫りの深い顔を向けてきて、


「逃げましょう」


 目力強く進言してきた。


 『逃げる』という響きが気に入らなかったが、ノスリの言うことは大体正しいとクマタカは思っている。しかし普通に承諾するのも癪に障ったから、


「車両の外に捨てる」


 言葉上で譲歩してみせて、その進言に従った。ノスリが小さく鼻で笑う。


「で? 何なんすか? あれ(・・)。知ってるとこだけでいいんで教えてくださいよ」


 ノスリは太刀を振って血飛沫を払いながらネズミを見据える。


「塔の研究成果だ」


 クマタカは答える。


「……もうすこぉ~しわかりやすく言ってもらえませんかねえ?」


 きょとんとした後でノスリは困ったように眉根を顰めた。わかりやすくと言われてもわからないのだから説明のしようもないのだが。


「多少の傷はすぐ治る」


「それはわかります。みんな見てます、ぎょっとしてます」


「心臓は多少、動きを封じられるみたいだ」


「それもわかります。俺も見てました」


 そこでノスリはちらりと視線を寄こして、


「心臓が駄目なら…」


「「頭?」」


 予想が重なった。ノスリは片頬で笑いながら太刀の縁を持ち、クマタカに差し出した。クマタカは無言でそれを受け取る。


「お(かしら)はそれの方が似合ってるんで」


 浅黒い肌の中で白い歯を朝日に光らせて側近は言う。


「お前は?」


「俺はこっちの方が」


 肩にかけた小銃を握りしめながらノスリはにやつく。


「あいつは?」


 時間稼ぎをしてくれている壮年の男を見遣ってクマタカは尋ねた。名も知らない壮年の男は、流血しながらもあのネズミと攻防を続けている。


「先ぱ…、コノリは大丈夫です、めちゃくちゃ強いんで。俺より凄いんすよ?」


 お前が基準と言われても、とクマタカは思ったが、ノスリが脱輪間近の電車の騒音の中でも耳打ちしてきたから、男の力量の問題は即座にかき消された。真顔の側近は相変わらず現実的な提案をする。


「行けますか?」


「お前こそどうなんだ」


「少しは信用してくださいよぉ」


 ノスリが呆れ顔で空を仰ぐ。クマタカはそれを横目でちらりと見てから、


「任せた。頼む」


 ネズミを見据えて本音を伝えた。


 ノスリが彫りの深い顔の中で目玉を剥き出す。それから顔全体でくしゃくしゃに笑ってみせるとコノリの加勢に走った。

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