00-161 クマタカ【植物化】
過去編(その112)です。
部下たちが銃弾を放つ。一斉にと命じてもばらばらの発砲音、一点を指し示してもまるで当たらない鉄礫。射的の訓練が必要かとクマタカは小さく息を吐く。
ネズミと思われる、塔のふもとに屯していた一団を撃つよう命じた。おそらく全弾外れたのだろう。多少の動きがあったように見えたが、被害は皆無だったと思われる。何故なら奴らはほぼ動かなかった。影は形が変わっただけで、散らばることも逃げ惑う様子すら窺えない。それどころか影の一つはこちらに向かって突進してきている。四輪駆動車だ。正面から見る見慣れた車体にクマタカは目を細めた。
「お頭…!」
「当たりません!」
見ればわかる。
突進してくるネズミはわき目もふらずに一直線にこちらを目指して近づいて来る。当たっていないのは確かだろうとクマタカも思った。がしかし、
「お、お頭ぁ……」
いくつかの部下の顔色が青ざめていく理由にクマタカも気付いた。眉根が寄る。目を凝らす。後頭部をちりちりと焼く太陽の熱がクマタカの目を見開かせた。
―……を子どもたちの特徴にする研究をしてる奴らもいてね―
いつかのイヌマキの話を思い出す。あの時は何を言っているのかよくわからなかったが、セッカの話が理解を促し目の前の現物がそれを裏付けた。最早確認する術もないが、おそらくこの読みは正しいとクマタカは確信する。
部下の射的の腕が問題ではない。それも一因ではあるがそれ以上の原因が目の前に現実としてあった。
迫りくる四輪駆動車は部下たちの放った銃弾で穴だらけだった。そしてそれを運転する男の衣服も。
銃弾は確実に命中していた。しかし男は痛がる様子も気にする素振りもない。今もなお、その全身に被弾しながら男はこちらに向かってきている。
―要は効率化だな。無限に搾血できる肉体があれば、夜汽車の数が減っても瓶詰は作り続けられるだろう? そんな与太を誰が信じるかと思ったが、この状況ならあながち塔の奴らも本気かもしれないな―
「『植物化』……」
頭目の呟きを、小銃を構えていた部下が気付いて顔を上げた。
クマタカは肩に掛けていた小銃を下ろす。たまたまそばにいた部下にそれを手渡し、決して傷つけないようにと言い含める。
「ノスリ!」
大切な形見を預けた後でクマタカは側近を呼んだ。ノスリは銃弾を放ち、命中に目を見開いてしかし無駄弾に終わったことを舌打ちしてから、ようやく立ち上がって駆けつけた。
「当たってると思うんすけどねえ。この弾、樹脂かなんかっすか?」
などと言いながら命令を後回しにしたことを悪びれもしない。クマタカもそれを咎めもしないで、
「鉄だ」
一言で側近の疑問を退けた。
「これ以上は銃弾の無駄だ。あれには当たっても効かない」
「お頭、あれが何なのか知ってるんすか?」
敬語を使うなと言っておきながら自分はくだけた言葉で話しかけてくる。もう慣れたが。
「正確にはわからない。だが予想はついている」
小銃の銃口を覗きこんでいたノスリが、クマタカに顔を向けた。
「『予想』?」
「男たちを下がらせろ」
言ってクマタカは左手で太刀の鞘を握りしめる。
「俺が出る」
ノスリだけでなくその声を耳にした者全てがぎょっとした。
「いや、それはさすがに……」
「わかりました」
いくつかの不安を退けてノスリは承諾する。それから驚く部下たちに振り返り、だみ声で撃ち方を止めさせた。
「ノスリ…!」
出しゃばる頭を止めろと言いたげに、ヒゲワシが声をかける。いつもは「俺、上官」と敬語での言い直しを強要するノスリだったが、この時ばかりは怒ったような真剣な顔をヒゲワシに向けた。
「頭を信用しろよ」
真剣に同輩の部下を窘めた。ざわついていた男たちが静まり返る。
男たちを黙らせてからノスリはクマタカの横顔を見上げ、
「でも援護は俺の判断でさせてもらいますよ」
だみ声のくせに努めて静かに進言した。クマタカも静かに了承する。そして、
「お前を選んで正解だった」
ノスリが片頬を持ち上げた。
クマタカは迫りくる四輪駆動車に向き直る。運転手の顔が目視できるほど近づいている。全身に銃弾を浴びても痛がる素振りすら見せないのは、幹や枝を折られても平気な顔で直立し続ける植物たちと同じだろう。ならば植物たちには無くて奴にはある部位こそが弱点だ。
ネズミは電車の進行方向と垂直に向かってくる。こちらに乗り移ってくるつもりか。だとすれば先頭車両だろう。運転を妨げれば脱線も誘発させられるし、単身で仕掛けるには最も効率的と考える。クマタカは腰を落とし腹の前で右手を開いた。
しかしそこで違和感を覚える。ネズミはこちらを向いていない。何故だ。奴は何を…
「伏せろ!!」
なかなか耳にすることのない頭の怒鳴り声に、ワシの男たちはたじろいだ。クマタカの意図とは反対に、呆気に取られたり身を乗り出したりして固まっている。
「突っ込むぞ!!」
ノスリが反応して上司の意向を翻訳した。すぐに対応できたのは半分、残りの鈍感な者たちは一瞬後の犠牲者だ。
五両目にいたコノリは早かった。先代の参謀は部下たちを車両の左右に配置させ、その縁にしがみ付くように命令する。
「三両目だ!」
「速度上げ…!」
「無理です!!」
「逆は!」
「先頭車両に当た…!」
「伏せろォッ!!!」
クマタカはもう一度叫んで自身も車両の縁に身を隠した。次の瞬間、爆発のような衝撃が男たちを襲う。電車に接触している足裏や手の平、脇腹からは痛いほどの振動、痺れを伴う。怒号で耐える者、歯を食いしばる者、耐えきれずに転倒する者も。だがここはまだいい。皆、打撲程度だろう。問題は後ろだ。直撃された三両目はどうなった? クマタカはまだ震え続ける床に踏ん張り腰を上げる。部下たちの無事を確認しようとしたその時、クマタカの視線は後続車両ではなく上方に奪われた。
すっかり青くなった空にどす黒い塊。四輪駆動車ごと電車に特攻してきたネズミは、衝突を利用して跳躍していた。
高い。洗練された身のこなしは美しくさえあって、見とれている者もいる。その塊の中でぎょろりと光った二つの目玉。クマタカは歯噛みと共に駆け出した。