00-160 ヤチネズミ【選択】
過去編(その111)です。
「「ハツ!!」」
叫んだのはヤチネズミとカヤネズミだ。しかし同輩たちの制止もハツカネズミには届かない。
「おい!!」
続いて怒鳴ったのはドブネズミ。足元をすり抜けてハツカネズミを追うように猛追する、無口な治験体の子どもの後ろ姿をヤチネズミは二度見する。
「ヤッさんて!」
カワネズミが泣き叫ぶ子どもに蹴られながら叫ぶ。オリイジネズミが部隊員たちに指示を出し、オリイジネズミ隊が動き始めている。ヤチネズミも慌てて負傷者に駆け寄ろうとしたが、その袖を掴まれた。
「オオアシ…」
「なんでっすか? ヤチさん……ヤチ先輩。なんで俺は自分の命、優先させちゃだめなんすか?」
駄目なはずがない。それを否定してしまえばアイを肯定することになる。
「俺、まだ死にたくないんすよ。死にたくないし死んでほしくもないんです…」
「お借りします」
セスジネズミがオリイジネズミ隊の部隊員に迫り、自動二輪と小銃を威圧感だけで譲渡させた。
「ハツさんたちを回収してきます」
言って地面を蹴るが、その場で自動二輪はセスジネズミもろともゆっくり倒れる。
「セージ!?」
どじを踏んだ同輩に駆け寄ったヤマネは、その理由に気付いてぎょっとする。
「お前、足折れてる!!」
見るとセスジネズミの利き手側、左の足首は一目瞭然なわかりやすさで変な方向に捻じれていた。
「気付かなかったのかよ!」
「気付かなかった」
歩いてたじゃん、とヤチネズミは呆気に取られつつハタネズミを思い出す。感覚を失い過ぎていて、流血も骨折も気付かないで動き回っていたっけ、と。
「お前もう動くな! あの子と一緒に荷台にでも座ってろ!!」
「でもハツさん…」
「ろ!!」
有無を言わせずに唾を飛ばしてセスジネズミに無理矢理肩を貸すと、ヤマネはよろよろと四輪駆動車まで歩いて行って荷物を荷台に投げ入れた。
「でもハツさんが…」
「俺が行く」
ヤチネズミは名乗り出る。
「絶対連れて帰ってくるからお前ら先に向こうで…」
「ヤチ先輩!」
なおも縋り付いてくるオオアシトガリネズミの手を振りほどこうとしたが、体格も腕力も敵わない。
「離せ!」
「ヤチさん言ってくれたじゃないすか、俺が生きててよかったって」
「離せって…」
「あれ嘘ですか?」
「…そじゃな…」
「地上で何するんすか子ネズミの検査妨害っすか無謀にも程がありますってアイに適うわけないじゃないすか!」
そうかもしれないしそうなのだろうけれども、
「助からない奴っているんですって。出来ないことが世の中にはあるんです!」
―無いものばかり見るな―
「ヤチさん!!」
―ヤチにはまだある―
「………悪い」
縋られている側の手で逆にオオアシトガリネズミの腕を掴み、身体を翻しながら肩関節を外した。オオアシトガリネズミが痛みに顔を歪めて声を上げる。その隙にヤチネズミはそこから逃れ、セスジネズミが倒した自動二輪に駆け寄った。原動機を唸らせて発車させかけたが、
「お前何やってんだよお!!」
ヤマネのひっくり返った怒鳴り声に振り返り、息を呑む。
オオアシトガリネズミが四輪駆動車の運転席に覆いかぶさっていた。片腕だけであそこまで移動したのか? ヤチネズミは自分が与えた不自由さを物ともしなかった後輩に驚く。
だが注目すべきは自分が奪わなかった自由な方の腕だ。オオアシトガリネズミは唯一動かせる左手を運転席の操作盤に伸ばしている。ヤマネが両手で引き剥がすも手遅れだった。
「オリイジネズミ隊は大至急その場を退避してください。オリイジネズミ隊は大至急その場を退避してください」
子どもの泣き声に匹敵する警報音と警告を繰り返すアイの声が再び響き渡る。
ヤマネがオオアシトガリネズミを力任せに押し退けた。四輪駆動車に乗り込み電源を切ろうとするが、警報音は鳴り止まない。
「お前何やった!」
座席の間に倒れ込んだオオアシトガリネズミはへらりと笑って見せただけで何も言わない。ヤマネは真っ赤な顔になって殴りつける。
「ヤマね…!」
「ミカド君ッ!!」
オリイジネズミの目が覚めるような大声にヤチネズミはびくりとした。同じ反応をしたヤマネとオオアシトガリネズミにミカドネズミが駆け寄り、左右の手で二つの口を封じる。
「待ちなさい、ヤチ君!!」
「え??」
オリイジネズミがさらに叫んで怒った顔を向けてきたが、ヤチネズミは何故叱られたのかわからない。と、自動二輪が後方に揺れた。
「出せ」
カヤネズミだった。小銃を肩にかけ、小声で背中越しに耳打ちされる。
反応の遅いヤチネズミに舌打ちして、カヤネズミが背後から腕を伸ばしてきた。抱きつかんばかりにヤチネズミの背中に密接して自動二輪の運転権を奪う。
無理矢理発進させられた自動二輪にヤチネズミはしがみつき、運転の主導を奪い返す。
「馬鹿! 何すん…!」
言いかけて振り返った先に見たオオアシトガリネズミの目に言葉を失った。
「前見ろバカ!」
頭を叩いてきたカヤネズミの怒り顔が視界を埋める。ヤチネズミは目元を歪めて前を見た。
「カヤ! オリイジネズミは…」
「あのおっさんは馬鹿じゃない!」
「はい?」
「アイの前だ! これみよがしに旧ムクゲネズミ隊に加担したとは感知させないための方便だって!」
「なんっだって?」
「よそ見すんな! 前向け前!」
見てるだろ! と言い返しかけた悪態を唾と一緒に飲み込んだ。
保護眼鏡もない、首巻もない、風と砂と朝の光に目を細めて同室の同輩の背中を探す。しかしヤチネズミの目が捉えたのは子どもの後ろ姿。
「あのがき…!!」
朝に向かって走る小さな姿から、その片割れの方を思い出す。
「あの…! あっちの走ってる方じゃなくて怪我した餓鬼のあっちの方は!?」
腕を撃たれて泣きじゃくっていた。処置を頼まれたのにほうってきてしまった。
「あの子は大丈夫だ! おどおどすんなって!」
自動二輪の後部座席で器用に小銃に弾を装填しながらカヤネズミが答える。
「いや、駄目じゃね!? 腕吹っ飛んでたしめちゃくちゃ泣いてたし…!」
「トガリさんの薬!!」
ヤチネズミの動揺は一言で静められた。しかし間髪いれずに今度は混乱が押し寄せる。
「トガちゃんの入ってんのか!? あの餓鬼に? だってあいつは治験体って…」
「ネズミも治験体も薬造るのは同じだって! むしろあの子のが先かもしれない」
「なんだって?」
「治験体が先か生産体が先かって話…」
「なんだって?」
頭だけじゃなく耳まで悪いヤチネズミに苛々して、カヤネズミは説明を省く。
「今はハツだ!! 前見ろバカヤチッ!!」
今、最も注意を払わなければいけないのはハツカネズミ、そんなの百も承知だ。でも気になることも山ほどある。山ほどあるけど今は質問しても答えてもらえないのだとヤチネズミはやっと理解した。しかし、
「オオアシの…」
「今はハツだって言ってんだろ!!」
どうしても頭にこびりついて離れない心配事さえ、カヤネズミに一蹴される。ヤチネズミは振り返りたい衝動を堪えるしかなかった。
ハツカネズミを見つけた。相変わらず下手くそな運転で、一直線にワシの群れに向かっていく。銃弾の集中業火を一身に浴びながら、わき目もふらずに速度を上げている。銃弾がこちらに飛んでこなくなった理由に、ヤチネズミはようやく気付く。
「ハツの奴、どこで停車するつもりだ?」
ヤチネズミは答えてもらえそうな質問を後ろの隣室に問いかけたが、
「突っ込むんだろ」
予想通り答えてもらえたが予想外の返答でぎょっとした。思わず振り向きかけた頭は忠告より先に叩かれて、慌てて前に向き直る。
「突っ込むって何だよ! どこに?」
「電車だって! 他にないだろ!」
確かに周辺には、電車以外で突っ込めそうな物はない。
「四輪駆動車で突っ込んで連中が泡食ってる間に速攻で仕留めるってのがハツのいつものやり方だ!」
走行音の風圧の中でカヤネズミが怒鳴りながら説明する。
「『あれ』か!?」
ヤチネズミも怒鳴り返す。
「『あれ』をいっつもやってたのか? あの時だけじゃなかったのかよ!」
あの時ってどの時だよ、とカヤネズミは首をひねりつつも面倒くさくて肯定する。
「突っ込んだ後にどうやって戻ってくるつもりだよ!」
ヤチネズミは『あの時』のことを思い出しながら後ろに尋ねる。ムクゲネズミ隊に配属されて初めて参加したトカゲの駅の掃除、目標数を片付けた後で力尽きて自分では立ち上がることさえ出来なくなっていた。
「ヤマネは迎えに来ねぇぞ? あいつ腰抜けだし!」
ヒミズはいないし。
「だから俺らが来たんだろっつうかお前はそのつもりじゃなかったのかよッ!!」
前を向いているのに頭を叩かれて、ヤチネズミは舌を噛みそうになる。
「そのつもり……!? だ、だけど…」
だったけど!
「『あの中』に突っ込むのか!?」
あの銃弾の嵐の中に?
自動二輪に乗りながらも重心が後退していたことにヤチネズミは気付かなかった。素直に怖い。本気で無理。百歩譲って完全装備していたとしても絶対嫌だ。
「心配すんなって」
カヤネズミの声にヤチネズミははっとして顔を上げた。カヤネズミが言うのならば大丈夫なのかもしれない、と思い始める。カヤネズミのことだ、何か秘策があるはずだ、と期待したのに、
「馬鹿は死なない」
「バカって何だよ!」
「自覚ないの? まじで!?」
振り返って唾を飛ばしたヤチネズミを、カヤネズミが目を丸くして訝った。呆れと腹立たしさに唇を震わせたヤチネズミに、カヤネズミはさらに畳みかける。
「お前、死なないバカだろ? 不死身のヤッさんが怖がりすぎじゃね?」
「死ぬわ普通に!」
「不死身のじみぃ…」
「何だって!?」
「地味ネズミ」
「おい!!」
即席で考案したあだ名がよほど気に入ったのか、カヤネズミはヤチネズミを叩きながら笑った。ヤチネズミの両手が運転で塞がっていることをいいことに、カヤネズミはやりたい放題だ。ひとしきり笑って気が済んだのだろう。カヤネズミは目尻を拭いながら、
「びびんなよ、心配すんなって。お前、俺を誰だと思ってんの?」
今度は余裕のにやけ顔を向けてくる。ヤチネズミは完全にへそを曲げ、
「口先だけの仮面野郎」
唇を尖らせて前を向いたヤチネズミの頭を、カヤネズミは笑いながら叩き下ろした。
「俺の小銃の腕を舐めてもらっちゃ困るって」
「小銃ぅ?」
呆れと腹立たしさでを全面に出してヤチネズミはぼやく。
「お前も助けてやったじゃん。馬鹿は過去も見ねえのな」
いつのことだよ、知らねえよ。ヤチネズミは嘯くカヤネズミに返事すらしない。しかし、
「加えてお前の運転だ」
「俺の運転?」
こと自分に話が及ぶと、途端にヤチネズミは興味を持つ。ちらりと真顔で背後を窺うと、カヤネズミも真剣な目を向けてきた。風と銃声と走行音の中で、カヤネズミはヤチネズミに作戦を耳打ちする。ヤチネズミも前を見据えながら目に力がこもっていく。
「やれるか?」
カヤネズミが問う。
「多分」
ヤチネズミは頷く。
「お前、そこは胸張って『任せとけ』とかだろ! もすこし気のきいたこと言えないかなあ? そんなんだからバカヤチなんだって!」
カヤネズミがいつもの調子に戻ってぼやきだしたから、ヤチネズミも「はいはい」とおざなりに返した。
既に先の恐怖は感じていなかった。そのように誘導されたことには気付きさえしない。やる気と自信が膨らみ始めたヤチネズミの横顔を見て、カヤネズミが満足気に口角を持ち上げたことなど知る由もない。だが同じ行動も気の持ちようが結果を左右する。賭けごとに自信は不可欠だ。
「カヤ!」
前を向いたままヤチネズミは叫ぶ。突然雰囲気が変わった同輩をカヤネズミが覗きこもうとした時、
「息止めて目ぇ潰れ! 絶対掴まってろよ!」
何の前触れもなく、準備時間も設けられずに、カヤネズミの身体は砂の中に引きずり込まれた。