00-158 旧ムクゲネズミ隊【行く宛】
過去編(その109)です。
「部隊長、」
エゾヤチネズミがオリイジネズミを呼ぶ。見るとオリイジネズミ隊は既に準備が整っている。
「いつでも出られますが……」
エゾヤチネズミはそこで言葉を濁す。向かうべき場所に迷いが出たためだ。普通に考えれば塔に駆けこむところだが、アイの話だとワシは今や塔の一部だ。駆け込んだところで奴らも塔内に進入してくるだろう。それにアズミトガリネズミ隊もいる。旧ムクゲネズミ隊は間違いなくそこで捕らえられる。
「彼らはどうしましょうか」
エゾヤチネズミは旧ムクゲネズミ隊を見遣って小声で相談した。結局、エゾヤチネズミは部隊長に決断を求める。我ながら調子のいい立場だと恥を噛みしめながら。
オリイジネズミはちらりとエゾヤチネズミを横目で見ると、旧ムクゲネズミ隊に目を細めた。そして、
「彼らを確保、連行するところまでが私たちの仕事でしょう。それ以外は論外です」
そう言うだろうとは思っていたが。エゾヤチネズミはそれ以上は何も言わずに黙って承諾し、ワタセジネズミを見つめた。
* * * *
「終わりましたか?」
オリイジネズミに声をかけられてヤチネズミは顔を上げた。返事をするより早くハツカネズミが飛び起きて施術の成功を知らせる。
「出来たじゃないですか」
すれ違いざまにオリイジネズミが囁いて、ヤチネズミは驚いて振り返る。
「では、」
オリイジネズミが自分の部下たちと旧ムクゲネズミ隊の部隊員たちを見渡し、
「逃げましょうか」
真面目な顔で似合わないことを口にした。
「はい! 部隊長!」
威勢がいいのはワタセジネズミだ。
「お願いします」
カワネズミが頭を下げると、
「ねえ、ねえ、おじさぁん!!」
その背中から治験体の子ども、ジャコウネズミがぴょこりと顔を出して騒ぎ始める。オリイジネズミは唇の前で指を立てて静かにするように促すが、ジャコウネズミは不服そうに頬を膨らませる。最終的にはオリイジネズミの視線で口を噤んだが、ジャコウネズミはそわそわとカワネズミの背中で無言のまま騒ぎ続けた。
「逃げるってどこに…?」
塔とワシの一団を見比べるヤマネを遮って、
「行くあてならあります!」
ヤチネズミが歩み出た。
「『いくあて』って……」
「カヤ、ブッチー!」
怪訝そうに口を開いたオオアシトガリネズミに話す時間を与えずに、ヤチネズミはカヤネズミたちを呼ぶ。頷いたのはドブネズミだ。
「ここからまっすぐ海岸線を目指して北に行ってください。海が見えてきたら…」
「待て、ブッチー」
ドブネズミの説明を遮ったのはカヤネズミだ。先から黙りこんで突っ立ってた癖にいきなり何だよ、とヤチネズミは焦る気持ちをぶつけかけたが、
「連中と話できないかな」
耳を疑い声を失い息をし忘れて固まった。
呆気に取られたのはヤチネズミだけではなかったようで、ヤマネやカワネズミは間抜け面を晒し、セスジネズミは瞬きを繰り返す。オリイジネズミ隊は互いに顔を見合わせたり首を振ったりして俄かにどよめき、ドブネズミでさえ「カヤ……さん?」と戸惑いを隠せない。
「何言ってんのカヤぁ!!」
当然のごとくハツカネズミが憤ってカヤネズミに迫り、慌ててカワネズミたちが取り押さえにかかる。
「何て言ったの? え? 全ッ然わかんない!」
「ワシと話し合えねえかなって…」
「ごみだよ? 喋れるわけないじゃん!!」
尋ねておきながらろくに話も聞かないで、ハツカネズミはまくしたてる。それをなだめる子ネズミたちも、ハツカネズミを取り押さえようとしながら意見には賛同する。
「ですよね!」
「そう思います」
「カヤさんは変です」
「聞けって!!」
だがカヤネズミはなおも食い下がる。
「あいつらと俺らは元は同じだってさっきも言ったろ? 連中もアイを使い始めたってんなら…」
「元なんて知らないよ! 今は別だろ? 別、別、別物!!」
興奮したハツカネズミと真剣に無謀な策を講じるカヤネズミに、「よしなさい」とオリイジネズミも声をかけるが、すでに焼け石に水だ。
「お前、さっき何聞いてたんだよ! 散々わかりやすく噛み砕いて説明してやったのに!」
「聞いてたよ? 聞いてたけどそれは聞けない!!」
「なんで!!」
「痛ッ!」
「カヤこそなんで!?」
「アイを使うなら連中もアイの話を聞いてるはずだからだよ。奴らがどこまで知ってるかにも…」
「下がってろヤマネ!」
「アイも地下も同じだ、ごみだよ! 話す価値なんてないじゃん、ないんだよ!」
「ヤマネさん邪魔!」
「アイが言いかけてたことを地下の奴らは…!!」
「あいつらが夜汽車の子どもに何してるかは…!!」
ごっ、という音がしてヤチネズミたちはハツカネズミとカヤネズミを見た。ハツカネズミがついにカヤネズミに手を上げたと思われたからだ。しかしカヤネズミは無傷だった。
注目されたハツカネズミたちもまた、音の出所を探していた。やがて全員の視線は足元のヤマネに注がれる。ハツカネズミの肘が当たってワタセジネズミに押し退けられて、揉み合いの中からはじき出されていたヤマネは、後頭部を押さえて蹲っていた。その手指の間からはどろりとした赤い液体が流れている。
「ヤマネ!?」
ハツカネズミが慌てて駆け寄る。ドブネズミがすぐさま構える。
誰もが地下に住む者の襲撃だと思った。しかし予想に反してヤマネの後頭部を濡らしたのは血液ではなく、甘酸っぱい香りを放つ潰れた何かだ。よくよく見ると小さな種や蔕もある。
「すんません。ちょっといいすか」
四輪駆動車の後部座席からオオアシトガリネズミが静かに言った。ヤマネを見下ろしたカワネズミが「苺?」と呟き、セスジネズミの無表情がオオアシトガリネズミを見据える。
「カヤさんもブッさんも何を言ってるんすか」
ハツカネズミはその一言で、オオアシトガリネズミは自分に加勢したのだと思った。しかし、
「塔に帰るんすよねぇ。それ以外に選択肢あります?」
オオアシトガリネズミを見つめてヤチネズミたちは硬直した。オオアシトガリネズミも突き刺さる視線を一身に受けて、真面目な顔で対峙した。「え……」と誰かの声が聞こえたが、ヤチネズミにはそれが誰の吐息だったのかはわからない。
「え、何? 何て言ったの?」
沈黙を破ったのはハツカネズミだった。静かな物言いではあったがその声からハツカネズミの怒りを察知したのはカワネズミだ。
「『塔に帰るんすよね、それ以外に選択肢なんてあります?』って言いました。聞こえませんでした?」
オオアシトガリネズミもよせばいいものを、この男はしばしば相手の心情を逆撫でする言い方をする。わざとではなく癖なのだ。それを修正してくれる誰かがそばにいればまた違ったのかもしれないが。
「そういうこと聞いてるんじゃないよ!」
案の定ハツカネズミの苛立ちが勢いを増す。
「オオアシ!」
と、隠し切れていない小声で窘め、唇を動かして顎をしゃくって黙っているように促すカワネズミに見向きもしないで、オオアシトガリネズミは迫りくるハツカネズミを真正面から見据える。
「だったらハツさんはどうしようと思ったんすか。あの軍団相手に突っ込むつもりでした? 軽く五、六十はいると思いますよ。さすがのハツさんでも無理じゃないっすか?」
答えあぐねたハツカネズミを待たずにオオアシトガリネズミはカヤネズミとドブネズミに目を向ける。
「ブッさんはどこに行こうとしてたんすか? 海ってこの時間に行って何するんすか入水自殺っすか馬鹿すか?」
「おまえ…」
「カヤさんどうしちゃったんすか。地下の連中と『喋る』? 狂気の沙汰っすよ自殺行為ですってこっちが何思っても向こうが何考えてるかわかんないのに」
「けど……!」
「塔に帰るんです!!」
誰の横やりも入れさせずにオオアシトガリネズミは続ける。
「生産隊もアイも何やかや言ってきますけどとりあえずは処刑も阻止できたじゃないっすか。カヤさんたちを渡さなければ向こうだって話くらい聞いてくれますって。そのための救出だったでしょう? そのために死に物狂いでここまで来たんじゃないんすか。ここでまた粋がって下手こいてったら今度こそ死にますよ? やっとここまで…」
「何が誰の話を聞く?」
オオアシトガリネズミを遮ったのはセスジネズミだった。ムクゲネズミの傍らに控えていた時と同じ無表情で、死刑囚はオオアシトガリネズミに歩み寄る。
「アイがお前の話を聞くか? 『カヤさんの死刑を取り消してください』とでも乞うつもりか。アズミトガリネズミ隊には何と言う。謝罪? 懇願? 受け入れられると本気で思っているのか。頭に血が上った単細胞は鬱憤を晴らしきらないうちは誰の声も聞き入れない。アズミトガリネズミは俺とカヤさんを必ず処刑させるだろう」
ヤチネズミはセスジネズミの背中を唖然として見つめていた。何かが切れたように突然昔の面影を取り戻したと思われた同室の後輩は、また突然、副部隊長の顔になって部隊員を責め立てている。攻める、と言った方が正しいかもしれない。
「アイは話は聞きますよ」
しかしオオアシトガリネズミも抗戦する。
「生産隊の部隊長さんは知りませんけど、アイは話を聞きます。アイは公平です。限りなく正しい答えを出すために膨大な情報を集約するのがアイです。でもアイはまだ全ての情報を仕入れた訳でもないんです。
ムクゲは殺されましたよ? 誰かさんの手で。でもあの件については事情が複雑です。それにムクゲの薬の効能って正直、微妙じゃないっすか。ムクゲの受容体も少ないしそんなに大事な薬じゃないってアイもわかれば、多少は譲歩くらい…」
「『聞く』と『聞き入れる』は違う」
熱を帯びて身を乗り出していたオオアシトガリネズミは、セスジネズミの一言に息を呑む。
「アイは話は聞くだろう。お前の言い分も俺の主張もまともな理論も馬鹿の戯言も、アイなら何時間でも飽きずに延々聞き続ける。
しかし聞くだけだ。聞き『入れ』はしない。アイにその機能はない」
情報の収集は事情を憐れみ、心情を汲むこととは違う。
「オオアシはアイに譲歩を求めるつもりかもしれないが、アイは得る物のない譲歩はしない」
与えるだけでは不公平になるから。
「アイが『公平』と判断する何かを差し出さない限り、アイからは何も得られない」
ワシの主席がワシの駅を塔に差し出したように。
「お前の主張を通すならそれに見合う何かをアイに渡せ。でなければアイはお前と交渉すらすることも…」
「だったらあんたじゃないっすかぁ?」
セスジネズミの独白じみた説教に俯いていたオオアシトガリネズミが顔を上げた。いつものへらへらと本心を隠すようなにやけ顔でもなく、真剣に上官たちを説得しようとした必死な顔でもない。
オオアシトガリネズミが何を言わんとしたのか、瞬時には理解出来なかったのだろう。セスジネズミが眉をひそめて瞬きをした時、
「あんたが死んで他のみんなを助けてくれればいいんすよ」
オオアシトガリネズミがほとんど唇を動かさずに信じがたい提案をした。セスジネズミは一度瞬きをしてから口を噤む。
「元はと言えば全部あんたじゃないっすか。あんたがムクゲを殺さなければ俺ら全員、査問も懲罰もなかったんです。あんたが勝手に決めて勝手に動いたことでしょう? 俺らを巻き込まないでくださいよ」
「オオアシ!!」
怒鳴りながらその胸座を掴み上げたのはヤマネだった。
「おめ……、ま、おまえ!! ふざけんなよお前ッ!!」
怒りに震え過ぎて唇さえ震わせて、まるで頭部から流血したような真っ赤な顔のヤマネは言葉さえままならない。
「ヤマネ!」
ドブネズミが慌ててその肩を掴んでオオアシトガリネズミから引き離すが、血走った涙目を見開いたヤマネの鼻息はおさまらない。
「だってそうでしょう!?」
四輪駆動車の後部座席に尻から落とされたオオアシトガリネズミは叫ぶ。
「この状況見えてますぅ? 生産隊に追われて、ワシまで出てきて、朝だし日陰かげ探さなきゃなのに地面の上で右往左往やってるこの状況! 全部こいつのせいじゃないっすか!!
ムクゲに『かわいがり』されてた俺らの横で、涼しい顔してムクゲに加担して、掃除に参加もしないのに副部隊長ってだけで色々免除されてて、こいつばっかりずるこいてたのになんでみんなしてこいつの肩持つんすか!!」
「それはだから…」
カヤネズミが口を挟むが、
「俺、こいつに羽交い絞めにされたことあるんすよ。忘れたなんて言いませんよねえ? 副部隊長さん。あんた俺を羽交い絞めしてムクゲの根性焼き手伝って、終わった後になんて言ったか覚えてます? 『ちゃんと冷やしておけ』っすよ。焼いておいて冷やしとけって。何すかそれ。蕎麦すか俺? 水で〆れば美味くなるって? ふざけてんのはそっちだろうが!!」
悲痛な叫びがこだました。セスジネズミは黙って項垂れ、カヤネズミもかけるべき言葉を失う。
カワネズミやワタセジネズミも気まずそうに口を噤み、ヤマネさえも顔を反らす。
部隊員になって日が浅いヤチネズミは、オオアシトガリネズミたちが受けてきた虐待の悲惨さを情報でしか知りようが無くて、何も知らないのに口を挟むことは出来なくて、再び無表情になった同室の後輩の横顔を見つめた。
オリイジネズミ隊はワシの一団を警戒している。エゾヤチネズミが部隊員の心情を汲み取ってオリイジネズミに視線を向け、オリイジネズミも了解して旧ムクゲネズミ隊に注意を促そうとした時、
「……わかった」
ぽつりと一言、ハツカネズミが呟いた。