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00-156 ヤチネズミ【まだ】

過去編(その107)です。

 カヤネズミが顔色を消した。ヤマネはまだ理解していない。セスジネズミが瞬きを止めて、オリイジネズミ隊のナンヨウネズミは唇を噛んだ。


「塔内における少子高齢化はネズミの皆さんもご存知かと思われます。子ネズミの数が年々減少傾向にあることと同一問題です。ネズミの皆さんの仕事環境の改革の意味も含めて、ワシの青年男子の皆さんにもネズミの皆さんの仕事の一端を担っていただくことになりました」


 ヤチネズミは失念していたことに気が付いた。ネズミの仕事の大部分を占める業務、地上活動の目的の一つ、地下掃除。


「……つまり君は、地下に住む者たち同士で『掃除』し合うように仕向けたのですね」


 オリイジネズミが相変わらず淡々と質問を投げかける。


「ワシの皆さんの働きはネズミの皆さんの仕事の一助になることと期待されます」


 アイは解答とは少し外れた応対をする。


「ネズミは今後、地下掃除に当たらずとも良いということですか?」


「ワシの皆さんはあくまでネズミの皆さんの補助的立場です。基本的にネズミの皆さんは現状通り、各自の仕事に従事してください」


「では何故彼らは今、こちらに向かって来ているのですか」


 ヤチネズミはオリイジネズミの横顔を見た。刺さりそうなほど冷たい視線。その視線をものともせずにアイは朗らかに、


「セスジネズミとカヤネズミの両名を処刑するためです」


 セスジネズミが一度だけ瞬きをして俯き、カヤネズミは聞いてさえいないような白い目でじっとしていた。


「アズミトガリネズミ隊は負傷者多数のため旧ムクゲネズミ隊の捕縛業務から外れました。オリイジネズミ隊は大変素晴らしい働きをしてくださいましたが、死刑囚二名は行方知れずです。しかし先ほどの処刑室崩落に乗じて塔外に脱出したであろうことは明白であり、塔の周辺を探せば間もなく見つかると予測されます」


 カヤネズミたちはまだアイに居所を知られていないらしい。


「捕らえれば済む話ではないのですか? 何故地下に住む者を呼ぶ必要があったのか、私には理解できません」


 オリイジネズミはあくまで確保と連行に拘る。塔内のいざこざは塔内で処理して然るべき、とでも言わんばかりに。しかし、


「捕らえられれば問題はありません。しかし死刑囚たちは狡猾で残虐です」


 軽やかにアイは穏やかでない評価を下した。


 ヤチネズミは唖然とする。確かに狡猾という言葉はカヤネズミのためにあるようなものだし、ついでに言えば姑息で嫌味で理不尽だ。セスジネズミも似たりよったりで、後輩のくせに年上を敬わない分、ヤチネズミにとっては悪質とも言える。


 だがネズミだろう? アイ(おまえ)が成長を見守ってきた子どもたちだろう。


 もし仮に自分が子ネズミたちを罰する立場だとしても、いや、自分だけでなくハツカネズミやカヤネズミがそうだったとしても、そこまで子ネズミを罵倒することは決してないだろうとヤチネズミは思った。


「彼らは刑の執行を妨害し、逃走及び逃走幇助を行っただけでなく、塔を内外から著しく破壊しました。その損害は甚大で完全復旧には短くない時間を要することが予測されます」


 それはそうなのだけれども。


「彼らの悪行によって被った損害は塔内外の設備にとどまらず、アズミトガリネズミ隊を始めとする生産体への直接的、間接的暴挙も確認されています」


 それも否定出来ないけれども。


「よって彼らを脅威とみなし、早急に刑を執行すべきと結論づけられました」  


「誰がだよ」


 呆れ返って揚げ足を取るその声に、仲間たちが振り返る。オリイジネズミがあからさまに嫌悪感を送りつけてきたが、ヤチネズミには届かない。


「あなたもこちらでしたか、ヤチネズミ。あなたとオオアシトガリネズミには再検査に従事していただきますが、その前にあなたには再きょ…」


「誰がそんな結論出してんだよ!!」


 オリイジネズミが息を吐く。


「何回おんなじこと言わせんだよ話聞けって言ってんだろ!」


「何度でも言ってください。アイはどのようなお話もお聞きします」


「『期待される』とか『決定した』とか誰かの伝言みたいに言いやがって、」


「距離と障壁によって会話を阻害される皆さんの間に立ち、意思の疎通をお手伝いするのはアイの役割です」


「お前だろうが! 何もかも全部決めて押し付けてやらせて従わせてきたのは!」


「声色が荒れていますね、ヤチネズミ。何かありましたか…」


「お前の意見はどこだって聞いてんだよ!! 誰かの言葉じゃなくてお前の(・・・)意見を言えよッ!!」


「ヤチネズミ?」


 興奮してまくしたてるヤチネズミをアイが咎めた。ヤチネズミは唇を閉じて拳を握りしめて、全身を震わせて堪える。


「アイに決定権はありません。アイは皆さんの意見を統計し総意を導き出すだけです」


 震わせていた拳が開いて、額関節も弛緩した。


 カヤネズミの目が何故ここまで白けているのか、オリイジネズミが何故、あれほど淡々と質問を繰り出せるのか、セスジネズミが何故無言を貫けるのか。ヤチネズミはここに来てようやく気付いた。


―こんな奴の話、聴くだけ無駄だよ― 


 ハツカネズミもそうだったのだろう、ヤチネズミは俯く。


 堪えても、我慢しても願い出ても、聞く耳を持たない相手には伝わらない。当然だ、アイに感覚器はない。アイに備わっているのは集音機能だけだ。『聞く()』など持つはずが無い。


―ヤッちゃんはほんとにわがままだよね―


 そうだな、餓鬼だよ。何にもわかっていなかった。再審議など開かれることはないだろうし、減刑もおそらく不可能だ。


―全て無駄です―


 そうかもしれない。どんなにやっても結果が出ないなら、やるだけ無駄だと最初からやらない選択肢もあるし、途中で諦めることも賢明な判断と言えよう。


「ワシの皆さんには死刑囚のみを処刑するように伝えてあります。オリイジネズミが気に病むことはありません。オリイジネズミ隊は確保した旧ムクゲネズミ隊を地下三階まで連行してください。そちらで改めて加えられた量刑をお伝えし…」


「でも、」


 押し黙ったと思われたヤチネズミがまだ何かを言うものだから、オリイジネズミとその部隊員はうんざりしていただろう。旧ムクゲネズミ隊の面々もおそらく。

 だがそこはヤチネズミだ。周囲が何を思っているかなど言われないと気付かない。言われてもすぐにはぴんと来ない。繋がらないのだ、色々と。



 だからこそ出来ることもある。



「まだある」


 ハツカネズミが眉根を寄せた。


「まだあんだよ、まだ」


 カヤネズミの白け顔に別の色が射す。


「ヤチネズミは何についてお話ししているのでしょうか。アイは理解しません…」


「俺は諦めねえぞ! まだッ!!」


「ヤチ……?」


 ワタセジネズミの手の平の隙間でハツカネズミが呼びかけた。ヤチネズミは顔を向ける。自分が知らなかっただけで、ずっと負担をかけつづけてきた同室の同輩。謝るだけでは済ませられない負担を強いてきた。


「ヤッさん」


 カワネズミが声を発さずに表情と唇だけを動かして何事かを伝えようとしている。舐めてかかってくるだけでなく、嫌われていることくらい肌で感じる。それなのにこうして心配はしてくれる。

 その横にはヤマネとワタセジネズミ。しょうもない悪戯好きと世話のかかる危なっかしい、腹立たしい後輩たち。憎たらしいセスジネズミ。注意と叱責される以外は会話がないドブネズミ、付き合いは浅いが唯一自分を慕ってくれるオオアシトガリネズミ、そしてカヤネズミ。怒鳴り合いと殴り合いが主な会話の手段だが、一番長く子ネズミ時代を過ごしてきた。


「声色が優れませんがどうされましたか? ヤチネズミ。アイがお話を聞きます」


「お前にはさせない。俺のもんだ、勝手に決めんな」


「ヤチネズミは何についてどのような意見を…」


「うるせえ! 誰が何と言おうが関係ねえよ、俺はこいつらを死なせないしお前なんかに価値だ何だを決めさせねえ!! 

 (つら)突き合わせて唾飛ばして喧嘩してきたのは俺だ、殴ったのも殴られたのも蹴られたのも俺だ、俺のなんだよ! 俺のもんだ! 見てただけのお前が知ったような口出すな、部外者! お前にそんな資格ない、お前のじゃない俺のもんだ!! 俺の仲間だまだ生きてんだ絶対に死なすかクソ野郎ォッ!!!」


 一息に息巻いてヤチネズミは息を切らせる。舌足らずのくせに慣れない早口でまくし立てたつけが来て、無様に軽く咽ている。どう捉えても誰から見ても支離滅裂で幼稚な言い分は、意味も脈略も欠けていて文章として成立していない。それでいて一気に多くの単語を並べ立てられたものだから、小さな端末の処理能力では容量不足だった。性質上、アイはしばし沈黙するか、興奮をなだめるよう努めるしかない。


「ヤチネズミが非常に興奮気味です。周囲にいるネズミの皆さんはヤチネズミの…」


「いらねえって、アイちゃん」


 しかし意味と脈略が欠けていても、支離滅裂でも理に適っていなくても、込められた思いは伝わるものだ。それは長い時間を共に過ごした者たちだけに許された伝達手段かもしれないし、喧嘩するほど本気で向き合ってきた末に繋がった電波のようなものなのかもしれない。


「そこにいましたか、カヤネズミ。あなたには一刻も早く刑を受けていただく義務が…」


「俺が先だったんじゃないのか。実行犯は教唆、首謀より罪が重いんだろう?」


 存在を隠し続けていたセスジネズミもしゃしゃり出てきた。ヤチネズミは死刑を言い渡された同輩と後輩を交互に見る。


「あなたもですか、セスジネズミ。死刑囚両名は直ちに投降してください。従われない場合はワシの皆さんによりその場で…」


「させないって言ってるじゃん!」


 ハツカネズミも声を上げた。ワタセジネズミは保護者の口から完全に手を離し、ドブネズミも頷いている。


「お、お俺も!」


 ヤマネがへっぴり腰で粋がり、


「お前ら……、本気だよな」


 カワネズミも呆れたふりをした後で真顔を向けた。


「おれも! おじさん、おじさん、おれもおれも!」


 騒がしい方の治験体の子どもが挙手して名乗りあげ、無口な子どもも唸りだした。ドブネズミが「絶対わかってないだろ」と、騒がしい子どもを見て息を吐く。


「旧ムクゲネズミ隊の皆さんと治験体ジャコウネズミ、及びキュウジュウキュウは一体何を主張しているのでしょうか。アイは理解しません」


 理解は出来ないだろう。(ことわり)のない言葉が自由気ままに飛び交っているだけなのだから、その意味を解きほぐすことは難しい。この場合に必要な能力は、理解ではなく共感だ。


「お前のくそみたいな評価も決定も便所に流してやるって言ってんだよ!!」


 ヤチネズミは決め台詞のごとく胸を張ったが、


「評価や決定は物質ではありません。水に流すことは不可能です」


 アイは額面通りに受け取り答える。それを聞いてカヤネズミが、


「お前の指示には従わないって言ってんだって」


 鼻で笑った。


「同意します」


 セスジネズミも言う。


「理論が破綻した馬鹿の戯言を聞いていたら理論に則って行動することが下らなく思えてきました」


「馬鹿って誰のことだよ」


 ヤチネズミは口の悪すぎる後輩に横槍を入れたが、


「じじいは黙って萎れてろ」


 まるで目も合わさないうちにそんなことを言われる。


「お前なんで俺にだけ…ッ!」


「ヤチさんは少し黙っててください」


 ドブネズミに睨まれてヤチネズミは言い淀む。


「そうだよ。ヤッさんはうざいんだよ」


「臭いんだよ」


「加齢臭っすよ」


 ヤマネにカワネズミ、ワタセジネズミまで便乗してきてヤチネズミは耳まで真っ赤になって振り返るが、


「お前、口臭ぇんだって」


 カヤネズミにとどめを刺されて閉口した。その顔を見てハツカネズミが吹き出し、声を出して笑う。


「旧ムクゲネズミ隊はヤチネズミを虐げるのをやめましょう。非常に不健全です。オリイジネズミ隊はカヤネズミとセスジネズミの死刑囚両名をワシの皆さんに差し出し、それ以外を即刻地下三階」


 突然音声が途切れた。場違いに笑い合っていた旧ムクゲネズミ隊の面々も、呆れたり唖然としたり、感心したような面持ちでその様子に見入っていたオリイジネズミ隊も、違和感に気付いて端末を覗き込む。と、


「オリイジネズミ隊は大至急その場を退避してください。オリイジネズミ隊は大至急その場を退避してください」


 けたたましい警報音と共に、必要最小限の情報のみを伝える短い警告が繰り返された。

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