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00-155 ワシ【ネズミ駆除】

過去編(その106)です。

 埃っぽくて鉄臭い。砂を撒き散らして進む電車の走行音と、風が運んでくる瓶詰の中身を垂れ流しているような臭気がクマタカは嫌いだった。砂塵よけの首巻きを鼻の上まで持ち上げ、昇り始めた朝の光の中で目を細める。


「顔色が優れませんね、クマタカ。何かありましたか?」


 手の中から声がする。平面女の決まり文句が煩わしくて、クマタカの眉根は至近距離で固まった。


「お前の無能のせいだろう」


「アイは無能ではありません」


 すかさず言い返してくる様が、作り物のくせに生き物じみた反応が、女の挑発のようにも嘲りのようにも思えてクマタカの全身が静かに強張る。


「無能でなければ故障か。俺は小銃を寄こせと言ったはずだ」


 そのために駅の全員を『登録』させたというのに。


「はい。あなたはそう仰いました」


「なら早く寄こせ」


「先日すでにお送りしたはずです」


 確かにあの後来た夜汽車には、約束通りに小銃が積まれていた。全車両を総員で探しあさった挙げ句、ようやく先頭車両で見つけた時には夜が終わりかけていた。しかし、


「あれだけで足りるわけがないだろう」


「ネズミに与えられている数と同等分をお渡ししました」


「各自一丁ずつが?」


「はい。ネズミは各々に自分の小銃を所持し、手入れも自らの手で行います。ワシの皆さんにはネズミになっていただきました。皆さんにはネズミと同じ働きをしてくださることが期待されます」


 暗に示された批判と嘲笑をクマタカは感じた。

 無論、アイにそんなつもりはない。アイは事実を伝えるだけだ。クマタカが自分自身の卑屈さから単なる言葉に別の意味を見出したのは、彼の勘違いとも言える。だがそれを認められるほどクマタカは成熟していない。


「お前に約束を守る気がないならこちらも好きにさせてもらう」


「契約を反故にするとは申し上げていません。ワシの駅は塔の一部として登録されました。暴動を起こしたネズミを確保してくださいとお願いしたのはそれ故です」


 勝手ばかり言う。都合のいいように解釈をして自己の利益を最大限に増幅させ、それでいて差し出す報酬は最小限に止めようという算段。塔のやり方……、いや、塔だけではないか。


「クマタカは了承されたはずです。現在、塔内で勃発している一部ネズミによる暴動を…」


「駆除すればいいんだろう?」


 全てを言わせずにクマタカは女の話を断ち切った。アイは一旦音声を止め、それから「いいえ」と否定する。


「確保してください。ネズミの中には死刑囚もいますがそれ以外のネズミもいます。死なせてはならないネズミも含まれています。()のネズミには塔内にて再検査を実…」


「今日はこのまま塔に(とど)まらせてもらう」


 まさかここまで来るのに電車で一晩もかかるとは思わなかった。


「お前は小銃を用意しておけ。それ以外は口を挟むな。破れば塔を破壊する」


「申し訳ありませんが承諾しかねます。塔は破壊されません。地下に住む者(あなたがた)はそのような技術を持ち合わせていません」


「技術など必要ない」


 クマタカは顔を上げた。朝日に照らされる黒い巨大な建造物の輪郭が、地平線の彼方からその全貌を露わにし始めている。


「必要が無いとは…」


「ノスリ!!」 


 頭目の声に側近がだみ声で返事をした。


「総員帯刀、小銃用意、塔に入る前に肩慣らしをする」


「『肩慣らし』?」


 ノスリの疑問にクマタカは振り返り、


「ネズミ駆除だ」


 その指先は端末の電源を長押ししていた。何かを言いかけた表情のまま、アイは画面から消える。

 ノスリは驚いて聞き返す。ノスリだけでなく同じ車両内に乗り合わせた全てのワシの男たちが、若頭の命令に動揺した。


「でもお(かしら)、ネズミには手を出すなと先代が…」


 言いかけたハゲワシをクマタカは一瞥で黙らせて、


「ネズミ駆除だ」


 それ以上の疑問反論を退けた。


 ノスリが片頬を持ち上げる。腰に下げた太刀ではなく、肩にかけた小銃の銃身を掴んで掲げ、


「ネズミ駆除だッ!!」


 迫りくる朝の中で(とき)の声を上げた。



* * * *



「連中って……」


 ヤマネが分かりきったことを聞き返した。当然、その詳細を丁寧に答える者などいない。しかしネズミたちの中を駆け巡った視線が、ヤマネにその正体を事細かに教える。


「な、なんで地下の奴らが!?」


 『連中』の正体にたどりついたヤマネはさらにその目的を尋ねたが、それに答える者もいない。答えられる者がいない。


「カヤさん、」


 ドブネズミがヤマネと同じ疑問をカヤネズミにぶつける。旧ムクゲネズミ隊のほとんどの部隊員が同じ期待をカヤネズミに寄せたが、


「アイが奴らを招き入れたのでしょうか」


 言ったのはセスジネズミだった。旧ムクゲネズミ隊だけでなく、オリイジネズミ隊までもがその発想に目を見張った。


「アイは『皆さんは大切です』と言っていました。塔も夜汽車も地下も女も、全ての残存生物を同等に扱っていると」


 セスジネズミはそこまで言ってカヤネズミを見た。カヤネズミは視線を落とす。


「でも地下は地下だろ。地下まで塔に来たら地下も塔になって…」


「じじいは黙ってろ」


 困惑をそのまま口にしたヤチネズミに、セスジネズミの無遠慮な暴言が放たれる。ヤチネズミはすぐにまた顔を真っ赤にして後輩に文句を垂れようとしたが、それを阻止したのはカヤネズミの膝蹴りだ。ヤチネズミの悶絶と睨みを効かせた顔を無視して、カヤネズミはセスジネズミに向き直り、


「多分お前の考えで合ってる、……と思う」


 自信なさげに呟いた。


 オリイジネズミがエゾヤチネズミを無言で見遣る。エゾヤチネズミは外套をまさぐり、所望されたとおりに端末を取り出すと、それを無言で差し出した。オリイジネズミはそこで初めて「ありがとう」と口を開き、左手で受け取るとそれを起動し始めた。


 旧ムクゲネズミ隊は驚く。カヤネズミが目を見張り、ヤチネズミとヤマネが狼狽し、セスジネズミは一直線にオリイジネズミに歩み寄って、ハツカネズミはドブネズミの背中の上で暴れた。だがそれらを止めたのも旧ムクゲネズミ隊だった。ドブネズミはカヤネズミに目配せし、カワネズミがヤマネとヤチネズミをなだめた後でセスジネズミの前に立ちはだかり、ワタセジネズミはハツカネズミの背後に回って物理的にその口を押さえ込んだ。ハツカネズミはくぐもった声でなおも喚き続けたが、何を言っているかまでは聞き取れない。


「ねえねえおれも…!」


 はしゃぎ続ける治験体の子供に向かってオリイジネズミが「お口に?」と言うと、子どもは「ちゃっく!」と答えて両手で自分の口を覆った。オリイジネズミに微笑みかけられて子どもは両目を弧にする。そのやり取りを目の当たりにしたハツカネズミも、ワタセジネズミの手の平の中で静まった。


「お疲れ様です、オリイジネズミ」


 間もなくアイが話し始めた。旧ムクゲネズミ隊は固唾を飲んでオリイジネズミの動向を見守る。


「オリイジネズミ隊の反応が塔内から消えましたが、こんなところにいらっしゃったのですね」


「あの崩落の中で待機していれば生体反応が消えていますよ」


 オリイジネズミの軽口にアイは朗らかな声で同意する。


「ところでアイ、私たちは旧ムクゲネズミ隊の一部を捕らえているのですが、」


 オリイジネズミが突然そんなことを報告したから、ハツカネズミは再びワタセジネズミの手の平の中で抗議し始めた。捕らえられてなんていない、カワネズミとワタセジネズミが言うからしかたなくついてきただけだ、と。


「ハツさん!」


 思わずワタセジネズミが声を上げる。


「ばか! お前も黙ってろ…」


 言いかけてからカワネズミも、自分の失態を思い出す。


「ハツカネズミとワタセジネズミ、及びカワネズミの三名の他には、誰を確保されましたか?」


 アイに居場所を知られた三名が慌てて口を噤むが遅い。


「アイー! おれもいるよ! おれもおじさんたちといっしょだよ!」


「おじさんじゃ…!!」


 騒がしい方の治験体の子どもが自ら所在を明らかにして、条件反射で否定してしまったドブネズミも墓穴を掘る。


「ジャコウネズミはそんなところにいたのですね。ドブネズミもご無事そうで何よりです」


「『ジャコウ』?」


 ドブネズミが言ってカヤネズミと共に子どもを見つめた。子どもはドブネズミに向かって嬉しそうに頷く。


 ヤチネズミはその様子に首を傾げる。『ジャコウネズミ』? どこかで聞いた名前のような……。


「あのね、おれね、おかあさんとおとうさんは『ミズナラ』ってよんでたんだよ。でもね、アイに『きょうからネズミです』っていわれてから『ジャコウネズミ』になったんだよ。それでね、『きょうからちけんたいです』っていわれてからは『ハチジュウニ』になったんだけど『ジャコウネズミ』のほうがかっこいいから『ジャコウネズミ』ってよんでっていってたらアイも『ジャコウネズミ』ってまたよんでくれるようになったんだよ」


―ジャコウネズミって知ってますか?―


 ヤチネズミはオオアシトガリネズミに振り返った。潰れてぐちゃぐちゃの、誰かの鼻血のようになった苺が入った容器を握りしめて治験体の子どもを見つめている。その唇が小さく動いて、


「こんなのが次の『ジャコウネズミ』かよ……」


「オオアシトガリネズミもいますね。両脚に痛みはありませんか?」


 オリイジネズミの端末はよほど感度がいいらしい。旧ムクゲネズミ隊のほとんどの居場所がアイに知られていく。


「……という具合に旧ムクゲネズミ隊の一部(・・)を捕らえているのですが、」


 オリイジネズミがこちらに睨みを効かせながら、声色は一切変えることなくアイへの報告を続ける。


「彼らを連行するに当たり、少々問題が勃発しました」


「お前に連行されむぁ……!」


 『連行』という言葉が気に食わなかったのだろう。また暴れだしたハツカネズミを、ワタセジネズミが力技で黙らせた。おそらくほぼ全員が、ハツカネズミの身体から自由を奪ってくれたオリイジネズミに感謝していただろう。


「どのような問題ですか?」


 アイはオリイジネズミに尋ねる。


「地下に住む者が現れました。こちらに接近しています」 


 オリイジネズミが『問題』を告げる。ハツカネズミもここばかりはじっと黙って、アイの答えに耳をすませた。


「はい。アイがお呼びしました」


「え………」


 最早存在を隠す必要がないと思ったのだろうか。ヤマネが声を発した。もちろんアイは聞き逃さずに、


「ヤマネもいましたか。処刑室を破壊した行為はあなたの意思ですか? セスジネズミの強要によるものですか?」 


 すかさず尋問が始まる。


 ヤマネは治験体の子どものように、自分の口を両手で押さえたが全てが遅い。


「答えてください、ヤマネ。先ほどのあなたとセスジネズミによる破壊行為は…」


「彼はこちらで捕らえています。尋問は後にしなさい、アイ。今は私たちが置かれている状況の理由と打開策の方がよほど火急の問題でしょう」


 オリイジネズミがたしなめて、部隊員たちは背筋を伸ばした。


「はい。アイはオリイジネズミ隊が直面する状況の説明を優先します」


 アイがオリイジネズミに従ってくれて助かった。旧ムクゲネズミ隊の面々は、ヤマネへの見事な助け舟に安堵して背を丸める。


「現在、オリイジネズミがご覧になっているのはワシの一団、塔から見て最寄りの廃駅を拠点とする地下に住む者たちによって形成された小集団です」


「ワシの駅の場所は説明されずとも知っています。しかし何故彼らが本線に進行しているのかがわからないと言っているのです。そして私の聞き間違いでなければ、君は先ほど『彼らを呼んだ』と言いましたね」


「オリイジネズミの聞き間違いではありません。アイはワシの皆さんをお呼びしました」


「『皆さん』?」


 アイの言葉尻の変化にエゾヤチネズミが気付いた。決して部隊長の話を遮ることのない男の一言はヤマネのような無意識で発してしまった声ではなく、部隊長のオリイジネズミに気づかせるための合図でもある。


「君はいつから地下に住む者に敬称をつけるようになったのですか?」


 オリイジネズミはエゾヤチネズミに頷いて見せながら端末に問いかける。


「およそニヶ月十八日と六時間四七分五一秒前に、ワシの駅の現主席であるクマタカは塔の条件を承諾しました」


 ヤチネズミが再教育を受けていた真っ只中だ。


「どのような条件でしょうか」


 話の内容が信じ難いもののはずなのに、オリイジネズミは眉毛一本動かさずに淡々と尋ねる。


「ワシの駅は塔の一部として登録されました。ワシの駅には今後、可能な限り安定した電気と夜汽車の供給をお約束する代わりに、ワシの青年男子の皆さんにはネズミの皆さんと同じ仕事をしていただきます」


 当たり前のように『夜汽車の安定供給』などと言うアイに、カヤネズミの目が据わる。


「同じ仕事、ですか?」


 オリイジネズミの口から疑問符がこぼれた。ヤチネズミも考える。地下の奴らにさせる、奴らに出来るネズミの仕事などあるだろうか、と。ありもしない居住可能地域の探索、薬の開発への身体提供、地下からの女の獲得。……地下に住む者が地下に住む女を獲得?


 ヤチネズミの頭が矛盾に気付いて答えに窮したのを知ってか知らずか、アイは「はい」という声を響かせた。


「地下に住む者の個体数の管理です」

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