00-154 ヤチネズミ【なんで】
過去編(その105)です。
「ヤチ」
声をかけられてヤチネズミは振り返り、その姿にぎょっとした。ハツカネズミが砂の上を腹這いでうねうねしている。カヤネズミの手を払って、慌てて同室の同輩に駆け寄った。
「ハツ!? お前なん…っ!」
ヤチネズミの悲鳴に喜びの最中だった後輩たちも振り返る。
「何をどうしてそうなっ…!!」
あまりの驚愕に怒鳴りかけたヤチネズミの興奮は、再び中途半端に萎れる。ハツカネズミの様子がおかしかった。腹這いのまま顎を引き、顔を砂の中に埋めて肩を震わせる。泣いている? なんで??
「ハツ…?」
「……ばかやち」
カヤネズミしか使わない悪口で呼ばれる。声は震えていないから泣いてはいないらしい。ならば、
「は…」
「心配かけんなよ馬鹿野郎ッ!!」
突然顔を上げたハツカネズミは、真っ赤な鬼のような形相だった。ヤチネズミは思わず背筋を伸ばし、カヤネズミは瞬きを忘れる。
「ハツさん!」
カワネズミが慌てて駆けつけてその身体を起こそうとしたが、ハツカネズミの顔を見て怖気づく。
ハツカネズミは顎まで砂に埋もれたまま、眉を吊り上げ下唇を噛み、鼻で息を整えていた。それから口を大きく開いて、肺に溜めていた息を大きく吐き出すと再び項垂れる。項垂れた先は地面の上だから、周辺の砂が鼻息に合わせてちろちろ踊る。きっと気付かないだけで砂を吸い込んでいる。それは危ない、とヤチネズミは膝立ちのまま歩み寄った。ハツカネズミの身体を仰臥位にしようと肩に手をかけると、カワネズミも駆け寄ってきて、左右から協力して体位を変える。無抵抗のハツカネズミの身体が横を向いた時、
「これ以上、かけるなよ……」
消え入りそうに呟いた。ヤチネズミははっとして手を止め、聞きとれなかったカワネズミは「え?」とハツカネズミを覗きこむ。
ヤチネズミは顔を上げる。後輩たちと目が合い逸らして、逸らした先にはカヤネズミの視線が待ちかまえていた。
―ハツは感情と記憶が壊れた―
―シチロウ、死んじゃった―
ヤチネズミはカヤネズミの視線からも逃げて、黙ってハツカネズミの横顔を盗み見る。
「あ~……、だからまあ、あれだ!」
微妙な空気を察知したのだろう。カヤネズミが取っ手付けた明るい声で空を仰いだ。
「セージが無事で良かった。ヤマネもよく頑張った。ブッチーは最優秀賞ものだし他もみんな大活躍で万々歳だ」
「どういう話ですか」
セスジネズミがぼそりと疑問を呈する。
「俺は?」
ヤチネズミもぼろぼろの顔を向けたが、「お前は褒める側だろ」と一蹴されて、何も言えなくて俯く。その顔を見てハツカネズミが噴き出し、笑い、他の面々は安堵した。
*
「君はいいのですか?」
オリイジネズミが短くなった煙草の灰を落としながら言った。相手はオオアシトガリネズミ、両足を負傷しているため四輪駆動車に置いてけぼりにされている。
「自分、ああいうの苦手なんすよねえ~」
へらりと笑ってオオアシトガリネズミは答えた。
「それに俺がいないと起きた時に、何がなんだかわかんなくって困っちゃうと思うしぃ〜」
言いながら荷台で眠り続けるタネジネズミたちを見遣る。
「そうですか?」
オリイジネズミが言ってすっと身を引いた。オオアシトガリネズミはきょとんとする。何のことかと面倒見が良すぎる別部隊の部隊長に振り返ろうとしたのだが、迫りくる団体にぎょっとした。動ける上半身が座席の奥へと逃げたがったが、骨折している両大腿が邪魔をする。そうこうしているうちにワタセジネズミが抱きついてきた。続いてカヤネズミも。
「なに拗ねてたんだよお〜!」
ワタセジネズミが妙に馴れ馴れしく茶化した。俺らってこんなことする仲だった? とオオアシトガリネズミは面食らう。
「ブッチーに聞いたぞ? 大活躍だったって?」
カヤネズミが満面の笑みで頭を揺さぶる。
「実際にがんばったのはワタセですからね」
カワネズミがカヤネズミの言い方を訂正して、
「カワは騒いでただけだったな」
ハツカネズミをおぶってきたドブネズミが横槍を入れ、
「ちょぉ、ブッさぁ〜ん」
カワネズミが情けない声をあげて皆が笑った。
*
「いい部隊ですね」
オリイジネズミが言ってエゾヤチネズミはその横顔を見た。部隊長は煙草を美味そうに吸いながら目を細めている。エゾヤチネズミも「はい」と同意して胸元をまさぐる。
「いい部隊というか、若いと言いましょうか」
エゾヤチネズミが補足するとオリイジネズミは失笑し、再び旧ムクゲネズミ隊の歓喜の様子を遠目で見ていた。
部隊長を失い、部隊員を半減させた旧ムクゲネズミ隊は、残された部隊員の死刑を不服として暴動を起こした。その結果、我が部隊長のオリイジネズミは負傷し、アズミトガリネズミ隊は負傷者多数で遁走し、塔の地上一階は部分崩落させられた。
結果だけ見ればとんでもない事態だ。しかし子ネズミに毛が生えて間もないくらいの、平均年齢が若すぎる旧ムクゲネズミ隊の今の様子を見ていると、どうにも叱責する気にはなれない。後始末とアズミトガリネズミの怒りの矛先がどこに行くのかを考えると滅入りそうになるが、とりあえず一悶着は一段落したと見ていいだろう。
「なんで芋煮がねばねばしてんだよ!」
「あのぉ〜…」
「こぼさないようにヤマネの器をかぶせてきた」
「大学芋と芋煮を混ぜたってこと?」
「これはぁ…」
「どっちも芋だから」
「『芋だから』じゃねーし!」
「……何すか?」
「苺」
「だめ! 飲んじゃ駄目!!」
「苺!? これが?」
「オオアシは苺好きだったろう」
「ハツは下戸だから酒のありがたみがわかんないんだって」
「すき…でしたけど……」
「なんで芋煮がねば甘いんだよぉ」
「だから言ったろ? そんなんなったら食う気失せるって」
「黙れじじい」
「おま…っ、このくそがきが…!」
「確かに見た目はあれだな」
「ぜったいだめ! ワタセはまだ…」
「おじさんのはなぢぃ?」
「おじさんじゃない!」
旧ムクゲネズミ隊は明るみ始めた空の下で和気あいあいと戯れている。そこだけ切り取れば遠足の弁当時間のようだ。置いてけぼりを食らっていた重症者も輪に入れてもらえたようだし、ワタセジネズミの『願い』も叶えられただろう。エゾヤチネズミは部隊長を見た。煙草はすでにかなり短い。無言で携帯灰皿を差し出すと、オリイジネズミはしっかりとこちらを向いて感謝の言葉を述べ、煙草の火を消した。
*
「盛り上がっているところを大変恐縮なのですが、」
部隊員を引き連れてオリイジネズミが声をかけてきたから、ヤチネズミははっとして口を噤む。うっかりすっかり忘れていたのはヤチネズミだけではなかったらしい。ヤマネは悲鳴をあげてドブネズミの陰に隠れ、先手、先手を取ってきたセスジネズミさえも真顔でオリイジネズミを見た。ハツカネズミに至っては、ドブネズミに背負われてないと移動さえままならない身体くせに、全身で威嚇している。しかし、
「これで良かったですか?」
予想外で意味不明の言葉にヤチネズミは顎の力が抜けた。間抜けにぽかんと口を開けてオリイジネズミをまじまじと見つめる。
「え? なに……」
ハツカネズミが口を開きかけた時、
「はい! 部隊長!」
ワタセジネズミが背筋を伸ばして発声した。『部隊長』? ヤチネズミたちはワタセジネズミに疑問の視線を向ける。
「え、何? さっきからなんなのワタセ?」
ハツカネズミがドブネズミの背中で混乱し始め、
「まだだめでした?」
ワタセジネズミが隠しきれない声でカワネズミに耳打ちし、
「あ〜…、もういいんじゃね?」
カワネズミがうんざりした顔で答えたが、
「俺から説明します」
何故か敬語のカヤネズミがオリイジネズミの前に歩み出た。しかし皆の注目をかっさらったのはオオアシトガリネズミだ。オオアシトガリネズミは明後日の方、ではなくて、朝日の方に目を細め、額に手をかざして、
「何すか、あれ」
誰にともなくぼそりと尋ねた。旧ムクゲネズミ隊もオリイジネズミ隊も関係なく、言われた方に誰もが目を向ける。
朝日の中から一直線に塔を目指して、いくつかの連なった乗り物らしきものが向かってくる。
「最終列車じゃね?」
ヤチネズミは憶測を口にした。
ト線に向かった夜汽車は、生徒たちが降ろされた後はその場に放置される。地下の連中の技術では夜汽車の車体など手に負えないのだろう。乗り捨てられた夜汽車を時間差で回収に行くのが最終列車だと習った。夜汽車の車体を解体、回収した後に、最終列車の作業員たちはそれらを塔に持ち帰る。塔に帰還した後で彼らが行うのは分別だ。使える部品は新しい夜汽車の一部として使い回し、再利用が可能なものは修理、加工し、廃棄するものはアイに返して処分する。ト線まで出張って解体作業をしてくるのだ、彼らの帰還が朝方になることは珍しくない。
「最終列車……、かなあ?」
だが最終列車ならば車輌に屋根がついている。夜汽車の運行を妨げないために、時に停車し、時に迂回し周遊さえ強いられるのだから、車輌内で寝泊まりすることも多々あるらしい。夜汽車ほどではなくとも、それなりの装備を備えているのが最終列車だと聞くが、向かってくる乗り物に屋根は見当たらない。そして随分と小型だ。
「こっちみてるよ! うんとねぇ、いち、にい、さん、しい……」
どこかで見たことがあった気がする、ヤチネズミは思い出そうと努力する。しかしヤチネズミが思い出すよりも早く、
「……なんで、」
カヤネズミが呟いた。ヤチネズミも頷く。そうなんだよな、なんで? って頭のどこかでおも…
「なんで連中が塔に来るんだよ」
ヤチネズミは思い出した。そうだ、あれは『電車』だ。
誰かの息を呑む音が響いた。