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00-152 セスジネズミ【無駄】

過去編(その103)です。

「さっきのカヤさんの話ですけど、ヤチさんはどう思いました?」


 軋む天井、揺れる床、崩落間近の天井が奏でる不協和音の中でセスジネズミはほとんど唇を動かさずに尋ねる。

 返事など期待していない。聞こえてさえいなくていい。どうせただの暇潰しだ。


 本当はヤチネズミにも即刻ここから離れてもらわねばならなかったのに、促しても聞き入れないのだから仕方ない。自分の身体も動かないのでは強制執行すら不可能だ。俺はよほど仕事が出来ない男なのだな、とセスジネズミは落ち込んだ。


「カヤさんもヤチさんも怒っていましたけど、」


 ヤチネズミは黙々と無駄な努力を続ける。


「俺はアイの言い分も間違いではないと思いました」


「くそっ!」


 ヤチネズミの悪態。手の平を切ったのだろうか。だからやめろと言っているのに。


「居住可能地域など存在しないなら、地上に植物は生存できません。俺たちでさえ長時間の滞在は困難な環境下です。塔内でしか植物を耕作できないならば、別の方法で食糧を確保しようとアイが考えたとしても仕方ないことではないでしょうか」


 皆さんは大切です、その言葉に嘘が無いならば、


「アイはきっと、俺たちを死なせたくないのだと思います」


 その手段がどうであれ結果的には、


「現に俺たちはまだ残存生物なわけですし」


「そうだなまだ生きてるよ」


 聞いていたのか、とセスジネズミは少しだけ驚いた。常から注意力散漫な男だ。物忘れも激しいし理解力も乏しい。そのヤチネズミが先の話や今の感想に反応できたことが意外だった。


「そうです。まだ生きているんです、アイが夜汽車を走らせているおかげで」


 命を循環させることによって。


「だからアイばかりを責められないのではないでしょうか。曲がりなりにも俺たちは塔で育ちました、アイの庇護下で成長しました。カヤさんが言っていたように俺も他のネズミも元々は地下に住んでいたのかもしれませんが、少なくともアイに感謝しなければならない程度には世話になったはずです」


 知る知らないに関わらず、恩恵を受け取り続けて生きてきた。


「それを思えば闇雲にアイだけに責任を押し付けるのも(いささ)か乱暴かと……」


「かもな」


 セスジネズミはわりと驚いた。自分の話について来ているような返事を寄こしたことにもそうだが、それ以上にヤチネズミが誰かの意見に同意の姿勢を見せたことが信じられなかった。誰の意見にも感想にも、第一声には「でも、」とか「何言ってんだ、お前」とか、否定で返しては相手を苛立たせてばかりだったあのヤチネズミが。頭でも打ったのだろうか。これだけ落下物が多いし可能性はある。さもなければ自分が尋問されていた間に脳外科手術でも受けたとか?  


「ヤチさん、」


 セスジネズミは視線を足元に向けた。しかしヤチネズミは先の場所にはいなかった。どこに行ったかと首を動かすと、視界を何かが通過して、それは自分の胸の上で着地した。布。ワタセジネズミに渡すはずだった毛布だ。


「ヤチさん?」


「これ借りるぞ」


「それは俺のではなくてワタセのものです」


「黙ってろうっせえな」


 言い返せなくなると乱暴な言葉で遮るのは知能が低い証拠だ。やはりヤチネズミか。


「何をしようとしてるんですか」


「生きて帰ろうとしてんだよ!」


 憤りながらヤチネズミはセスジネズミの上半身を起こした。いつのまにか両腕が露わになっていてセスジネズミはかなり驚いた。見ると自分の腕を押さえこんでいた瓦礫の隙間には、ジネズミたちに贈るつもりだった寝袋が挟みこまれている。


 ヤチネズミは毛布をワタセジネズミの脇の下に通し、腹を覆って背中で結んだ。長めの導線を拾ってきて毛布の結び目に縛り付けると、その一端を持ってセスジネズミの背後に回り、何やらごそごそやっている。


「お前、手は?」


 言われてセスジネズミは両手を見下ろした。


「動きます」


「指じゃなくて、手! 腕! 持ち上がるか?」


「はい」


 下敷きになっていたというのに丈夫な身体だな、と我ながら感心した。


「頭の後ろで手ぇ組んで腹で上半身持ち上げて、」


 言われた通りにする。腹筋を鍛えている時の体勢のようになる。


「そのまま頭、守ってろよ」


 首を回して背後を確認すると、自分の背中から伸びる導線の端は自動二輪に括りつけられていた。ヤチネズミが自動二輪に跨る。片脚だけでよくもまあ器用に乗るものだ。


 セスジネズミは改めて自分の身体を見下ろした。両脚共々完全に瓦礫の下だ。折れているのか潰れているのか、もげているのか焼失したかも定かではない。


「頭以外は?」


「諦めろ」


 うわあ。


 セスジネズミは呆れた。強行的というか考え無しというか。


「ヤチさん、」


「何だよ覚悟決めろって! 行くぞ!」


「ヤチさんは、」


「ああ?」


 原動機をふかしながらヤチネズミが振り返る。セスジネズミもちらりと背後を窺う。脚だけでなくて頭も腕も、どこもかしこも血みどろでぐちゃぐちゃだ。ハツカネズミよりも出血量が多いのではないかとさえ思う。引きずっていた右足に至っては、どうなっているのかすらセスジネズミにはわからない。生産体のヤチネズミはハタネズミの薬も入っていないのに、痛みは痛みのまま直接心身を蝕んでいるはずなのに、そんな大怪我をしてまでこんなところに戻ってきて、


「なんでそんなに必死なんですか」


 ヤチネズミが怪訝そうに顔を突き出す。その顔が間抜けすぎて、セスジネズミは背を向ける。


「俺をここから引っ張り出せたとしてその後どうするんです? 俺を引き抜いた直後に天井が落ちてくる可能性もあります。仮にここを逃げ果せたとしてその後は? 査問委員会は間違いなく俺たちを罰しますし俺の死刑は決定事項です。元々の死刑囚がさらに罪を犯したんです。これ以上刑罰が軽くなることはなく…」


「どうせ死ぬから死ぬっつったらどいつもこいつ死んでんじゃん」


 セスジネズミは止まる。一瞬、ヤチネズミの早口言葉のような言い分がよくわからなかったからだ。

 ヤチネズミは自分の表現力の低さに気付かずにさらに続ける。


「お前の理屈だと全部が無駄になんじゃね?」


 ようやくヤチネズミの言い分を理解したセスジネズミは「そうです」と告げる。


「全て無駄です」


 努力も思考も創造も連帯も、


「何もかも無駄な足掻きです」


 全てが無に帰すならば、


「ヤチさんがしていることは徹頭徹尾、全て無駄です」


 セスジネズミは断言した。


 泣くかもしれないと思った。この先輩はすぐに泣く。すぐに泣くしすぐに怒るし、無駄な労力と体力を費やすことが極めて得意だ。感情に振り回されてまともな見解も持てない頭のために費やされたのは多くの食物で植物で、かつて生きていた物たちだ。無駄のために浪費される命ほど無駄なものはないだろう。


「無駄かもしれないけど、」


 ヤチネズミは鼻水を啜りあげる。やっぱり泣いたな、とセスジネズミは背後を窺おうとしたが、


「無駄でもいいから俺はお前に生きててほしい」


 九十度も行かないうちに動きを止めた。


 まさか理論に感情で返されるとは思わなかった。考えることが苦手な者は考える前に結論を出すのかもしれない。だがそれはあまりにも乱暴ではないだろうか。


 感情は正当性を欠く、理不尽になる、激しすぎる。抑えこめば身の内を滅ぼし、発散させれば周囲を傷つける。だから脇に置いておくのだ、自他を害さないために。蓋をするのだ、理論的であるために。そう教えてくれたのはムクゲネズミだ。身を以て手本となり、実践していた。だから敵わなかった。どんなに自分が進言しようとも、この隊の在り方は何かがおかしいと再三告げても、感情で話す自分は理論で攻めてくるムクゲネズミに敵わなかった。


 だから真似した。仕事をこなすために理論的であることに努めた。それが間違いだったとは思わない。現にその間は仕事をこなせていたし、ムクゲネズミを制御することもある程度は出来ていた。


 しかし誰もいなくなった。


「それは………、卑怯です」


 セスジネズミは感情を吐露する。それはずるい。だって自分は使えなかったのに。


「俺は理論的に考えて話しているのにヤチさんは…」


「ごちゃごちゃうるせえのは生きてるからだろ! お前まだ生きてんだよ!」


 セスジネズミは唇を閉じる。


「勝手に終わらせんな謝って済むと思うんじゃねえよ何が『ごめん』だふざけんな!!」


 セスジネズミは完全に振り返る。俺、一切謝ってないけど、などと思いながら。


「難しいんだよお前は、めんどくさいんだよ。死にたがるなよわかったか!」


「でも……」


「ぁあ!?」


 真っ赤な顔で充血させた目でヤチネズミが振り返る。


「でも俺は、……ムクゲさんを殺しました」


 罪は償わねばならない。罰は受けねばならない。


「ムクゲさんは部隊長でした、生産体でした。俺などよりもずっと価値のある存在で…」


「生産体殺しなら俺だってやってる」


 セスジネズミは先輩を見つめる。


「死なせた数なら俺の方が上だ」


「ヤチさんのは事故でしょう…」


「罪の重さなら俺の方がでかいんだよ!!」


 言うなりヤチネズミは自動二輪を発進させた。セスジネズミの上半身が後方に引っぱられ、両脚はその場を一切動かない。


 原動機が唸る。ヤチネズミが叫ぶ。床の亀裂が幅を広める。


 まるで効果が無い。セスジネズミの両脚は引き抜けそうにない。ヤチネズミが叫んだところで自動二輪の馬力は変わらない。


「だから無駄だと」


 言っているのに。


「叫んだって」


 意味もないのに。


「…だから、……いい加減に、」


 セスジネズミは頭の上の手を解いて、


「やめろっつってんだろじじい!!!!」


 振り返って感情のままに怒鳴りつけた。


「無駄なんだよやめろっつってんだろ俺の努力を無駄にすんな!!」


「うるせえくそがき! 俺の努力だ、勝手に止めんな!!」


「だまれじじい!! 早く行けっつってんだろうが!!」


「寝てろくそがき! 黙って引かれろ!!」


「てめえが轢かれるっつってんだよ! とっとと逃げろよ命令だ!」


「んなくそ命令、便所に流しとけ!」


「てめぇがくそみたいに潰される方が先だろ! 考えろよ、使えねえ頭ぶらさげてんじゃねえよ!!」


「ぶら下がってたのはそっちだろうが!」


「それ言う? 今言う? うゎ最悪! 配慮って言葉の意味調べて来いよ年ばっかり取りやがって知恵の一つもついてねぇなぁお前は!!」


「そんだけ元気ありゃその足抜けんだろ! きばれよくそがき! それとも漏らしたか?」


「はああああ!? 馬鹿じゃね? 耄碌(もうろく)してんのはそっちだろが! 下の世話が必要なのはてめえだ、じじい!!」


「じじいじじいってうるせんだよ、くそがき!!」


「くそが好きだなくそじじい! 飲み食い出来ない分、けつの穴からくそ吸いこんでんのかよ!」


「汚なすぎだろが!!」


「てめえの顔よりましだ!!」


「こンのくそがき…!!」


 ヤチネズミついに振り返る。自動二輪に乗ったまま振り返る。当然自動二輪も振れる。


 自動二輪に括りつけられた導線の先のセスジネズミが振られる。妙な具合に捩じられた上体は傾き、勢いづいて顔から瓦礫に突っ込んだ。ヤチネズミは絶句する。


「セージ!?」


 取り乱して自動二輪を放り出し、うつ伏せの後輩に駆け寄る。


「せ…」


「抜けた」


 セスジネズミは呆然として呟き、ヤチネズミと顔を見合わせた。


 その時だった。待っていましたとばかりに耐えかねた天井が崩れ落ちた。

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