00-150 ヤマネ【信頼】
過去編(その101)です。
オリイジネズミ隊は首尾よく処刑室の倒壊から逃れてくれたようだ。途中、ハツカネズミもいたが興奮もしていなさそうだったし、オオアシトガリネズミは笑っていた。あちらの心配はしなくていいだろう。
生産隊とはすれ違わなかったが声も聞こえないし姿も見えないから、どこか別の道にでも逃げ込んだのだと信じたい。アズミトガリネズミには失望したが世話になったことに違いは無いし、元同じ部隊だった昔の仲間たちにはやはり無事でいてほしい。
「いた! あそこ!」
助手席のカヤネズミが叫んで立ち上がった。箱乗りしかけたその背中にシチロウネズミが重なって、ヤチネズミは上着を引いて無理矢理座らせる。
「いっ! おいバカヤチ…」
「座ってろ」
ヤチネズミはカヤネズミが指差した先を見据えて速度をさらに上げた。まずはドブネズミ。
「カヤさん」
ドブネズミが慕って止まない先輩を見つけた。安心したのだろう。その一瞬の気の緩みが足元の障害物を見落とし、ドブネズミの体勢を崩した。
「ぶっ!」
ヤチネズミは思わず叫ぶ。その横からカヤネズミが身を乗り出して早口で、
「こらえろそのまま足動かして手はつかないでここまで来い!!」
優しさから発した注意だったのかもしれない。しかしあまりに要素が多すぎる。緊急時は最も重要な一点のみを指摘する方がためになる。
案の定ドブネズミは聞きそびれて戸惑い、聞き返そうとして右耳を突き出したが故に前のめりになって、抱える子どもを庇ったばかりに鼻から床に滑り込んだ。
「「ブッチーッ!!」」
そのまま突っ込みそうになったヤチネズミは、はっとして前を見た。落下物が作った床の陥没に気付く。すんでのところで片側の車輪を浮かせ、着地の直後に半円を描いて停車させた。
―ヤチ前!―
シチロウネズミが助けてくれた。
「おいてめぇ、なに勝手に止めてんだよ!!」
すかさず怒鳴り散らしたカヤネズミに、ヤチネズミは停車した理由を顎で指す。
「これ以上は四輪駆動車じゃ行けない!」
「じゃあ何で行くってゆんだよ!!」
答えられないヤチネズミは視線を反らす。他の道を探すが、駄目だ。遠回り過ぎる。
カヤネズミは舌打ちして立ち上がった。
「立て、ブッチー! ここまで来い!」
打ち所が悪かったか。ドブネズミはなかなか起き上がらない。
カヤネズミが凶悪な顔で助手席を降りようと車体に足をかけた時、ドブネズミの身体が持ち上がった。ヤチネズミはカヤネズミのはやる気持ちを上着を掴んで止まらせる。
ヤチネズミとカヤネズミは固唾を飲む。身を乗り出して後輩が立ち上がるのを見守る。立ち上がって………。
「ぶ、ぶぶっちぃ!?」
ドブネズミは身体をくの字に曲げて尻を突き出し、顔も上げずに四肢を垂れ下げたままの格好でこちらに向かってくる。その姿はさながら獣? 幽霊? いや、ドブネズミはまだ生きている! 生きているはずなのだけれども……。
あまりの気色悪さにヤチネズミは運転席の中で身を引いた。怖い! 生理的に身体が拒絶する。気持ち悪い! 直視しているのも困難だ。
隣でやかましいヤチネズミは放置して、カヤネズミは後輩の奇妙な動きの原因を探った。そしてその理由に気付く。上下の瞼に力を込めていた目を見開くと、
「ヤマネぇ……」
嬉しそうに呟いた。
ヤマネ? そうだヤマネとセージ!! ヤチネズミは自分の同室の後輩たちのことを思い出す。六割方崩落している天井には、その姿はすでに無い。視線を下げる。目を凝らす。ドブネズミの気味の悪さに目を奪われていたが、その後方からヤマネたちがこちらを目指して走ってきているのに気付いた。
しかしこちらも遅い。さすがヤマネ、部隊内一の鈍足だ。単独ならばとっくに乗車出来ているだろうセスジネズミも、今は同室の同輩の速度に合わせて笑ってしまうほどゆっくり、ゆったり走っている。
「セージ急げ! ヤマネふんばれ!!」
ヤチネズミも叫ぶ。ヤマネの汗まみれの顔が一瞬持ち上がったが、生気なくすぐに下を向く。
「ヤマネ…」
「投げろォッ!!」
突然カヤネズミが横から叫んだ。何を? とカヤネズミに振り返って眉毛をひん曲げるヤチネズミとは反対に、一瞬で理解したのはセスジネズミ。セスジネズミは背負っていた汚い包みを傍らに投げ捨てると走るヤマネの前に出る。たたらを踏んでつんのめりながらなんとか立ち止まったヤマネの肩口と股上を掴むと、片足を踏み込んで勢いづけて放り投げた。ヤマネの身体は割れた床を越え、落下し転がり停止した。ヤチネズミは考えるより早く車体から飛び降りヤマネに駆け付ける。全身打撲と少々の擦過傷、突然信じていた仲間に技をかけられた困惑よりも、疲労感の方がヤマネ自身には辛そうだ。つまり無事だ。
「お前もだ! そのでかいのぶん投げろォ!!」
次は何だ? 誰に言ってる? ヤマネに肩を貸しながら立ち上がったヤチネズミの視界に入って来たのは、同様に床の陥没を飛んで越えてきたドブネズミの巨体。避ける間もなくドブネズミの背中が目の前に迫り、ヤチネズミは真正面からそれと衝突した。
ヤマネを落とし、意識を失ったドブネズミの下から這い出たヤチネズミは、その巨体を投げてよこしたのがあの治験体の子どもだったことを知る。セスジネズミの投げ方を見よう見まねで試したのだろう。子どもは床に膝と手の平をついていた。
「お前らは来れるな? そこ飛び越えて来い!!」
四輪駆動車から飛び降り、こちらに駆けつけながらカヤネズミはさらに指示を飛ばす。ドブネズミの巨体を肩にかけて持ち上げんとするがその重さに片膝をつき、すかさずヤマネが息を切らせながら反対側を支えた。
「ありがとな、ヤマネ」
返事さえままならない癖に、ヤマネは息を切らせながらカヤネズミに中途半端な笑顔を向けた。
ヤチネズミも立ち上がって手を貸そうとした。しかし再び視界の端に飛来物を捉える。顔を向けて目を見張る。今度は小さい。治験体の子どもだ。セスジネズミが今度は治験体の子どもを投げてよこしたのだ。ヤチネズミは両脚を踏ん張り、後輩の思いを受け止めようとした。だが今度のは質量が少ない分、速度が高い。
しまった、と思ったが後には引けず、ヤチネズミは歯を食いしばって衝撃剤として機能した。腹に衝撃、背骨に軋み、臀部も打ちつけて激痛が駆けめぐる。目を開けた時には無表情な子どもが自分の上に乗っていた。一安心の後で強烈な吐き気に襲われる。子どもを下ろして屈みこみ、内容物もないのに逆流してきた胃散だけを吐き出した。
子どもは無表情にヤチネズミを見下ろす。心配しているのかもしれない。ハツカネズミには懐いていたし意思疎通は可能だろう。ヤチネズミはぎこちなく頬を持ち上げてその頭を撫でてやろうとした。したのだが、子どもはおもむろに回れ右して、運ばれるドブネズミの後を追って行ってしまった。行き場をなくしたヤチネズミの片手は途方に暮れる。
「セージぃ!!」
ドブネズミを四輪駆動車に運び終えたカヤネズミが叫んだ。見るとセスジネズミはまだ、割れた床の向こう側だった。先ほど捨てた大きな荷物を取りに行っていたらしい。
「早くしろ!」
ヤチネズミも怒鳴りながら立ち上がる。声を張り上げると腰に響いて、失敗したと思いながら四輪駆動車に戻る。セスジネズミならば安心して見ていられる、そう思ったからちゃんとそちらを見ていなかった。自分の全身の痛みに顔を歪めるばかりで、運転席に座ることに集中していた、油断した。
ヤチネズミたちの信頼を打ち砕く轟音が辺りを包む。押し退けられた空気が風を作り、埃や鉄片が砂煙のように舞い上がる。砂煙の向こう側に目を遣ると景色が変わっていて、先まではなかった落下物がセスジネズミの姿を消していた。
「せ……」
「セージッ!!!」
ヤマネが駆け出す。カヤネズミが腕を掴む。ヤマネは暴れる、子どもが唸る。ドブネズミが呻きながら目を開けて、天井が下がり、床が落ちて振動して、セスジネズミは起き上がってこない。
「ヤチ!?」
ヤチネズミは四輪駆動車の後部に回っていた。荷台に詰め込んできた自動二輪を引っぱりだす。縛りつけた縄が絡んで取れなくてまどろっこしくて悪態を吐きながら力づくで引き抜こうとしていたら突然手元が軽くなり、あとはすんなり降ろせた。引き千切った縄の端を両手で握っていたのは目を覚ましたドブネズミ。互いに何も言わずに目配せだけして、ヤチネズミは自動二輪に跨った。
「や…」
「先に行ってろ! セージ連れてくる!」
「お前、これ以上は進めないって…」
「四輪駆動車は無理でも自動二輪なら行けるだろ!」
行けるか? とカヤネズミは訝るが、
「カヤさん!!」
ヤマネが天井を指差す。自分たちで仕掛けたくせに崩落の始まった建造物に恐れをなしているのだからしょうがない。カヤネズミは舌打ちして運転席に移動した。
「ヤチぃッ!!」
やはり心残りで同輩を呼ぶ。お前で大丈夫なのか? 任しきるには不安しかない。しかし、
「すぐ戻る!!」
こちらの心配など露とも知らずに自動二輪は走り去った。カヤネズミはまだ迷う。なにせヤチネズミだ。頼んだことの半分も出来ない風船頭だ。
「お前ら先行ってろ」
子どもを抱えて助手席に座ったヤマネが振り向く。カヤネズミは運転席から腰を浮かせて、
「バカヤチだけじゃ絶対無理だ。巻き込まれてセージもヤチも鬼門入りが目に見えて…」
言い切る前に再び運転席に腰を落とした。ヤマネが上着の裾を握っていた。離せ、と言おうとした矢先、何を考えたのか助手席からヤマネが脚を伸ばしてきて、四輪駆動車は無理矢理発進させられる。カヤネズミは慌てて操作梱にしがみつき、床の隆起を避けきれずに車体の左側を思いっきりこする。帰路は下り坂だ。ヤマネは足を離さない。速度が増していく四輪駆動車を止めることがカヤネズミには出来ない。
「ヤマネぇ!!」
「ヤチネズミは大丈夫ですッ!!」
自分の怒鳴り声以上の声量でヤマネが叫んだ。叱責に対して反抗されたことが無かったカヤネズミは一瞬固まる。
ヤマネは片手で子どもを抱えて反対の手で車体を握りしめて、攣りそうなほど短い脚を伸ばして四輪駆動車を最高速度まで踏み込む。その必死な形相のまま、
「『鬼のヤッさん』ですよ? 諦め悪いんすよ! いがぐり投げつけてもとげ刺さってもずっと木の下でずっと待ち構えてるようなバカの鏡なんです!」
カヤネズミは唇を閉じる。
「そのヤッさんがセージを追いかけてったんですよ。とっ捕まえてくるに決まってるじゃないすかあ!!!」
ヤマネは半べそどころではなく号泣中だ。一番心配して不安がっているのは当のヤマネだろう。そのヤマネがそこまで言うのだ。カヤネズミに言えることなどない。
「……足どけろ」
カヤネズミは座り直す。ヤマネが助手席の中に小さくまとまって、子どもを抱える腕と反対の手で顔を拭う。
「ブッチー!」
「はい」
ドブネズミは覚醒したようだ。子どもは変わらず無表情だし、ヤマネは体力が無いだけで怪我は無い。
「ヤマネ!!」
「…っだい!」
「ちゃんと掴まってろその子落とすなよ!」
カヤネズミが急こう配を前に叫んで、後輩たちが車体にしがみ付いた。