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00-148 アズミトガリネズミ【優先】

過去編(その99)です。

 ヤマネは支柱を登っていた。自分も含めてその場に居合わせたほぼ全員がハツカネズミの動向に目を奪われていたから、「誰にも気づかれないように動け」という命令はさほど困難ではなかった。若干傾いて見える支柱が自分の重みに耐えられるかが不安ではあったが、ドブネズミが支えてくれているのだからきっと大丈夫だ。それに治験体の子の助力もある。


 姿が見えないと思っていた無口な子どもは、ハツカネズミが破壊した支柱や内壁の修理に勤しむ自律修繕機器を壊し続けていた。それはもう、跡形がなくなるほど木っ端微塵に。飛び散った部品さえ憎々しげに踏みつけ、蹴飛ばし、粉砕していた。何にそれほど腹を立てているのかヤマネはいまだにわからないが、おかげで支柱は程よい凹凸で手足を掛けやすく、アイの妨害も受けなかった。


 天井にたどり着く。ここも天板が剥がれて梁が覗き千切れた導線が垂れ下がったままだ。子どもに負けじと修復を繰り返していたアイも、電力が尽きたのかもしれない。でなきゃ修繕機器なんて出してこないよな、と納得してヤマネは剥き出しの梁に手を伸ばした。

 両手でぶら下がり、腹筋で脚を引き上げて膝を巻きつける。足は遅いが木登りは得意なのだ。登るのも早いとは言えないが落ちたことは一度もない。ヤチネズミを怒らせて鬼ごっこを始めては、上方に逃げていたのだから。栗の木など最高の逃げ場所だった。いがぐりを落とせばヤチネズミは登ってこなかったし、おやつの獲得もできて一挙両得だった。尤も、あのしつこい鬼がその程度で撤退することなど無く、結局最後はヤマネたちが観念して降りる羽目になっていたのだが。しかしここにいがぐりはない。ならば、


「何落とす?」


 ヤマネは首を仰け反らせ、顔を向けて尋ねた。視線の先には梁に跨がり、ヤマネの到着を待っていたセスジネズミ。何やら汚らしい襤褸(ぼろ)を背負って処刑室内を見下して答える。


「天井」


「俺らも落ちるじゃん」


「ヤマネなら平気だろう」


 随分と信頼されている。


「どうやって?」


 ヤマネは梁に巻き付くようにして、くるりと姿勢を変えた。セスジネズミと向かい合うようにして梁に跨がる。

 セスジネズミは無言で握っていたものを突き出す。天井からぶら下がる図太い導線だ。切断面が動いていないところを見ると、すでに電気も流れていないのだろう。


「俺の体重だけじゃ落とせない」


 セスジネズミが言った。視線を上げてヤマネも、


「その大荷物込みでも?」


 同輩の背中の包を指して尋ねた。セスジネズミは頷く。

 ヤマネはまじまじとセスジネズミを見つめる。そして、


「お前、」


 同室の同輩に細めた目を向ける。


「今、めちゃくちゃわくわくしてんだろ?」


 指摘されたセスジネズミはぶら下がるつま先の下を見下ろし、「いや」と否定する。


「わくわくはしてない」


「じゃあ何してんだよ」


「逃げ惑う奴らの怯えた顔を思うとぞくぞくする」


 ヤマネが太腿を叩いて笑った。



 * * * *



 オリイジネズミがハツカネズミを止めた。薬の種類が片手で収まらない、生きる装甲車のようなあの男を止めたのだから見事だ。あの若さで一部隊を率いるまで昇りつめただけはある。


 アズミトガリネズミは側頭部を押さえながら起き上がった。くらくらする。出血はしていなかったが、頭の形は変わっていただろう。ハタネズミも加減を知らない男だったが、ハツカネズミはその上を行っている。(たが)が外れているというかネズミ殺しさえも厭わないというか。その理由は明白だ。部隊長(ムクゲネズミ)の教育によるものだろう。


 オリイジネズミはハツカネズミを捕縛し、それ以外の旧ムクゲネズミ隊の若い奴らも取り押さえていた。こちらの体たらくを見られた上であれらを引き渡させる理由は無いし、アイがこの有様では、ああして四輪駆動車で連行するのも頷ける。オリイジネズミはてきぱきと指示を飛ばし、部隊員たちも忙しなく動き回っている。それに比べて俺の隊は。アズミトガリネズミは自分同様、床に転がり呻いて動けない部隊員たちと、向こうの別部隊を見比べた。


 だがこのままでは終われない。受容体に生産隊が打ち負かされた、尻拭いされたなどと吹聴されれば全生産体の沽券に関わる。ここは何としても名誉挽回せねば。


 不幸中の幸いは、オリイジネズミがまだ、旧ムクゲネズミ隊の全員を捕らえてはいなかったことだ。元部下(ヤチネズミ)の姿が無い。ヤチネズミと懇意にしていた死刑囚の顔もない。その死刑囚の顔をアズミトガリネズミは見間違えようがなかった。律儀に深々と頭を下げてきたその顔は、いつかハタネズミに襲われかけていた子ネズミの成長した姿だったのだから。


 まさかあいつがムクゲネズミを殺した男だったとは、とアズミトガリネズミは少なからず動揺した。あの弱々しかった子ネズミが、これほど塔内を引っかきまわして自分たちを手玉に取るほどになっていたことに、子どもの成長を思い知らされた気がした。こいつが死刑になるのか、と思うと理不尽な気がしなかったわけでもない。ムクゲネズミが殺されたと聞いて安堵した自分もいる。顔を合わせる度に何かされはしないかと冷や汗が止まらなかったあの恐怖から解放されたのだ、死刑囚に感謝の念を抱かなかったと言えば嘘になる。



 だが仕事は仕事だ。あの死刑囚には死んでもらわねばならない。



「立て」


 アズミトガリネズミは部隊員たちを一喝した。

 部隊員たちは呻きながらのろのろと起き上がる。もうハツカネズミは構わなくていい、死刑囚たちを捕らえろ、と命令を変更する。

 そうだ、最初からそうしていればよかったのだ。二件の死刑さえ執行させてしまえば後始末は他の部隊に任せてもよかったのに、非常に非効率な動きをしてしまったものだとアズミトガリネズミも今更ながらに(かえり)みる。アイの指示に従ってここまで来たが、アイも優先順位を見誤ることがあることを、身を持って痛感させられた。


 そのアイが先から全く反応しない。明かりは灯っているから完全に停止している訳ではなさそうだが、呼んでも返事はおろか反応すらしない。アズミトガリネズミは端末を取り出す。こちらは生きている。ということは地上一階(ここ)処刑室(このへや)だけがアイの管理下から外れたということか。ハツカネズミの暴動を思えば納得しかない。


「アイ」


 アズミトガリネズミは端末に向かって声をかけた。ざりざりとした雑音が入る。電波も乱れているのか、耳障りな音の中でアイがようよう返事をする。


「死刑囚を残して他を収監する。刑の執行を急げ」


「ほ…とは、どの……」


「旧ムクゲネズミ隊の死刑囚以外の連中だ」


 アズミトガリネズミは口調を強めて答える。


「あず……がリネ…ミは、そ……、…いを…」


「ちゃんと話せ」


「………すか?」


「何だって?」


「アズミ……は、……」



 アズミトガリネズミはそれ以外を捕らえられますか?



 圧縮空気も映像も、音声さえもままならない中においても、監視機能だけは最低限働いているらしい。アズミトガリネズミは辛うじて聞き取ったお節介に顔面を引きつらせた。


「……当たり前だ」


 それくらい。


「おて……い、……すか?」


「いらない!」


 手伝いなど必要ない。


 曲がりなりにも生産隊だ、ハタネズミから引き継いだ部隊だ。ここまではやられっぱなしだがコジネズミだっているのだ。受容体の子ネズミを捕らえるくらい出来なくてどうする。


「おう…ンをよ……か?」


 いらないと言っているのに。


 アズミトガリネズミの顔面の右側が痙攣を起こす。頭を振って気持ちを切り替え、部隊員たちに檄を飛ばしたが、


「よび……ぅか?」


 アイはまだ援助を提案してくる。集音器もいかれているのかもしれない。アズミトガリネズミはもう、使えない機械を無視して端末の電源を切ることにした。


「お……んを、……ます」


「何?」


 アイが提案ではなく何かを断言したのを最後に端末の電源は落ちた。アズミトガリネズミは訝る。『応援を呼ぶ』、そう聞こえた気がしたからだ。付近に他の部隊などいただろうか。定期検査で塔にいた生産体は偶々この状況に出くわしただけだし、今期の本線内警備はオリイジネズミ隊のみだったはずだ。ではアイは誰を応援に寄こすつもりか。


「アズミさん」


 コウベモグラがよろよろと近づいてきた。


「死刑囚ってどこでしょう?」


 随分間抜けな質問もあったものだ。アズミトガリネズミの思案顔が呆れ顔に切り替わってコウベモグラを見返した。


「そこら辺にいただろ」


「いたと思ったんですけど…」


「アズミさん、」


 今度は何だ、と呼ばれた方を振り返る。


「実行犯の方が……」


「いたか」


 ほら、やっぱりいたじゃないか。アズミトガリネズミは端末をしまう。わずかに持った違和感を拭い捨てるように隠しの蓋を厳重に閉じた。


「拘束してここに置いていく。それ以外は地下五十階以下に収監…」


「アズミさんッ!」


 話している最中だろう。命令くらい最後まで聞け。アズミトガリネズミは苛立ちつつ振り返る。部隊員たちは皆、口をあんぐりとさせて天井を仰いでいた。何事だ? つられるようにして見上げた先の不穏さにアズミトガリネズミも気付いた。


 空間が歪んでいる。錯覚を起こしそうなほど波打った天井は床に向かって一辺が壁から剥がれ、また別の場所は細かく割れて砕けて埃と共に頭上に降り注いでいた。原因は一目瞭然だ。割られて剥がされ、剥き出しになった天井内から垂れ下がる導線の一本に、旧ムクゲネズミ隊の子ネズミどもがぶら下がっている。片方は死刑囚だ。一本の導線にぶら下がる二つの塊は、息ぴったりに導線を挟んで左右に高低差を作って掴まり、全身を使ってぶらんこの要領で導線を漕いでいた。

 

 重量のあり過ぎる振り子に導線は徐々に長さを増す。導線が長くなる度に天井板が割れる、剥がれる、落ちてくる。振り子のゆっくりとした動きに合わせるように、アズミトガリネズミはゆっくりと首を横に振る。じんわりと汗がにじみ出る。絞りださんばかりに両目を見開いてアズミトガリネズミは、


「……逃げろ」


 ぼそりと呟いた。首を擦りながら起き上がってきたトクノシマトゲネズが眠たそうな顔で眉根を顰めたが、


「撤収ゥッ!!!」


 アズミトガリネズミは動きの遅い部隊員たちの襟首や肩口、袖や裾など掴みやすい部分をとにかく掴んで握りしめて、元来た道を、非常口を目指す。壁から剥離した部分から最も遠かったし、天井が落ちても支柱や壁は無事だろうと見積もったからだ。非常口さえ閉めてしまえば粉塵にやられることもないだろうと。そう考えれば実害はなさげだ。なさそうなのだけれども、


「うんこが!!」


 滅多に舌打ちなどしないアズミトガリネズミが特大の悪態をついた。これではまるで敗走だ。完全に面目丸潰れだ。アズミトガリネズミに捕らえられますか、アイの不安が完全に的中してしまったことに悔しさしかない。


「コージ!!」


 部隊内随一で唯一の武闘派を呼ぶ。コジネズミが暴れてくれれば死刑囚くらいこの場で打ち負かしてくれるだろうと、最終手段に打って出る。


「コージどこだ!」


「ヤチを捕まえてましたけど…」


 ヤチ!! 土壇場でいつも邪魔する元部隊員に歯噛みする。


「ヤチとコージはどこだ!」


「わかりません!」


 また単独行動を取って逸れていったのだろう。こういう時に限ってなんで! アズミトガリネズミは現部隊員の使い勝手の悪さに苛立ちを増していく。しかし使い勝手は悪くとも頼らざるを得ないのがコジネズミなのだ。


「コージ! コージどこだ!! ヤチはもういいから…」


「アズミさん、」


 振り向くといつの間にかコジネズミが横を走っていた。この時ほど普段は憎たらしい部下の顔が頼もしく見えたことは、後にも先にも無かったとアズミトガリネズミは思う。


「コージ良かった。ヤチはもういいからお前は死刑しゅ…」


「もっかい借りますね」


「ぅを……!?」


 コジネズミは話など一切聞かないで、両手の塞がったアズミトガリネズミの腰帯から拳銃を奪って離脱した。


「コージィイイイッ!!!」


 この時ほど直属の部下が憎たらしく見えたことは、いまだかつてもままあった。


 舐めやがって! せめて命令くらい最後まで聞け、そして従え! アズミトガリネズミは沸き立った頭の中で使えない部隊員への恨みつらみを並べ立てたが、


「降ってきましたぁっ!」


 顔を上げると処刑室の天井が大きくたわみ始めていた。ぶら下がって揺さぶる子ネズミたちの笑顔がまた腹立たしい。


「全員走れ!!」


 もしも望みが叶うなら、コジネズミ共々旧ムクゲネズミ隊の連中を処罰とは別にまとめて全員殴り倒したい。あわよくばオリイジネズミ隊に捕られた奴らも自分がこの手で捕まえてやりたい。


 だが背に腹は変えられない。小さな意地を張っていられる状況でもない。ここは『応援』に頼るしかなさそうだ。


「逃げろぉ!!」


 意地より勝利より、部隊の安全を優先した。自分の鬱憤は『応援』の誰かに託して、アズミトガリネズミは倒壊現場を駆け抜けた。

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