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00-147 ハツカネズミとオリイジネズミ【憤怒と冷静】

過去編(その98)です。

 ハツカネズミが迫り来る。生産隊はほぼ壊滅状態だ。アズミトガリネズミがへばった部隊員たちを叱咤しているが、その命令に従う者はいないだろうことをオリイジネズミは知っていた。生産体という幸運の上に胡座をかいて汚れ仕事を回避してきた集団だ。現場を知らずに知識だけを蓄えてきた頭だけでは、鍛えぬかれた身体に勝てない。おそらくは初めて体験する痛みに打ちのめされて、立ち上がる(すべ)さえ見つけられずに途方に暮れているのだろう。そんなもの、反復でしか体得できないとも知らずに。


 オリイジネズミはハツカネズミに視線を移した。笑っている、口元が。怒っている……、泣き顔か? 衣服の損傷具合と致死量の血痕からも、ハタネズミの薬が効きすぎていることが窺える。仲間の声さえ届いていないことから、完全に我を忘れていることも明らかだ。苛立ちを吐き出すように深呼吸してからオリイジネズミは左腕を腹前に起き、右手を上方に軽く上げる独特の構えでハツカネズミの突進を待ち受けた。


 ハツカネズミは両手で小銃の銃身を握りしめ、銃床をオリイジネズミの頭部めがけて振り回す。彼は小銃を棍棒として使うことに長けているらしい。腕の長さに銃身も加わって危険地帯が広いのは厄介だが、その分だけ脇が()く。オリイジネズミはハツカネズミと交差するようにその懐に踏み込み、掲げていた右手でハツカネズミの腕を打ち落とした。小銃ごとハツカネズミの手首を左脇に取り、そのまま打ち落とした右手を支点に腰を入れる。ハツカネズミの手首が嫌な音を立てたが手首の骨折など気付かないのだろう。ハツカネズミは取られた両腕もそのままに歯を食いしばると上体を反らし、反動をつけて頭突きを繰り出す。オリイジネズミも奥歯を噛み締め、肘打ちで応じる。狙い通りに目潰しは成功したが、オリイジネズミは顔を歪めた。痛みを失って怪我さえ厭わない気の触れた男は、並外れた頭蓋骨の硬さも誇っていたようだ。視界を奪われたハツカネズミは一旦退き、眼球の損傷と手首の骨の再生を待つ。対するオリイジネズミは右肘を押さえて呼吸を整える。

 

 小銃は奪ったが相手は全身凶器、視界が戻れば再び狂った怒りをぶつけてくるだろう。

 ならば今しかない。ここで食い止めねば被害は背後まで及ぶ。右肘がどこまで耐えられるかと患部を見下ろしたオリイジネズミの目は、床に転がる小銃を捉えた。銃身が曲がり引き金は欠け、使い古された感を放つそれを拾い上げる。ああ、丁度いいではないですか。感心してハツカネズミ同様に銃身を持ち、さらに持ち変えて銃口を握りしめた。



 * * * *



 ハツカネズミは鼻息荒く重心を落として構えていた。痛みも疲れも何も感じない身体だが、視覚と聴覚が奪われると途端に使い勝手が悪くなるのも事実だ。なにせ何も感じない。触覚が麻痺しているのだから気配とか温度とか、皮膚で感知して然るべき情報が得られない。皮膚とは若干異なるはずなのに、粘膜さえも機能は衰えてきているから味覚も嗅覚も当てにならない。だからハツカネズミが頼れるのは視覚と聴覚に限られる。その視覚を奪われたのは迂闊だった。


 幸いにもオリイジネズミはまだ仕掛けてこないから眼球の再生を待っている。目さえ見えればこっちのものだ。叩きのめしてやる、ワタセにあんな怪我をさせて。殺してやる、俺の仲間を傷つける奴は。絶対に許さない、許さない、許さない、許さない!


「オリイジネズミぃッ!!」


 視界が開くと同時にハツカネズミは憎い敵の名を叫んだ。しかし目の前から相手は忽然と姿を消していた。逃げたか、卑怯者。まるでごみだ。左右を素早く見る。いない。となれば、


「そこだぁ!!」


 ハツカネズミは背後に振り向きながら肘と拳を振り回した。肘打ちでも裏拳でも両方でも、当たればなぎ倒すことくらい可能だろう。跪かせたら頭を踏みつけてやる。ワタセに土下座させてやる。ムクゲには出来なかった、部隊長だから。でもオリイジネズミは違う。俺の部隊長じゃない。なら命令なんて聞く必要ない。だから黙らせてやる、謝らせてやる、同じ目に合わせてやる。待ってろワタセ、待っててみんな、俺が絶対守らなきゃ。


 ハツカネズミの読み通りにオリイジネズミは背後にいた。左腕を振り切ったつもりだったが涼しい顔は微かに揺れた以外の反応はなく、また、ハツカネズミの上体もほとんど動かなかった。この勢いで振り切れば半回転くらいするはずなのに。ハツカネズミは訝る。当たらなかったのだろうか、肘も? 拳も? この距離で?? 今までそんなことあっただろうか。


 当たっていれば確実に傾くはずの男の顔は、打撃を受けて歪むことも耐える様子もなかった。反対に涼しい顔は更にも増して熱を失い、冷めた視線でハツカネズミの横顔を刺す。


「あの男の薬も考えものですね」


 どの男? ハツカネズミが疑問を抱いた時、さらなる疑問がその身体にのしかかって来た。


 オリイジネズミの顔が遠ざかる。違う。自分の身体が床に近づいたのだ。右半身が床に沈んでいるのだとハツカネズミが気づいたのは、右側の視界が欠けたからだ。おそらく右目だけでなく、右耳も頬も床に擦り付けられている。そして左腕は二の腕の途中で湾曲し、手首はオリイジネズミに握られていた。オリイジネズミは左手でハツカネズミの手首を返すと、右手に持った小銃の柄をハツカネズミの肩に置き、足で押し込むようにして全体重をかけた。やたら大きな音が耳元で響いたのは多分、自分の身体の中の音だったからだ。


 きっと何かされたのだろうことはハツカネズミもわかった。だが別に何をされようと関係ない。この身体は動くのだ。痛くも痒くもないのだ。ハツカネズミは起き上がる。起き上がれるつもりでいる。いつものように床に手を付き持ち上げようとした上半身はしかし、ハツカネズミの意に反して動きが鈍かった。傾いた視界から左手に力が伝わっていないことを悟る。きっと何かされたのだろう。だが数秒も待てばそれも治る。でも数秒さえ惜しい。ハツカネズミが左手を放置して右手だけで起き上がろうとした時、今度は左側の視界が欠けた。またオリイジネズミだ。オリイジネズミは先と同様、今度はハツカネズミの右手首を取っていた。


「離せよ!」


 ハツカネズミは怒鳴る。歯茎を剥いて噛みつきそうな勢いで背中の上の男を威嚇する。


「どけよそこぉ!!」


 オリイジネズミは無言のまま、冷ややかな目で先と同じ作業を完了させる。


 視界に自分の右手が降ってきて、ハツカネズミは解放されたことに気づく。今度こそ床を掴んで起き上がろうとしたが、やはり上手くいかなかった。次は右腕を何かされたらしい。だがそろそろ左手は再生しているはずだ。ハツカネズミは左手で起き上がろうともがくが、その目論見も失敗する。


 おかしい。両手が動かない、再生しない? そんなことない! トガちゃんの薬だ、何でも治るんだ、こんな奴に負けるような効能じゃない…


「再生はしていますよ」


 頭の上でオリイジネズミが言った。ハツカネズミは考えを読み取られたことに赤面して、顎と首の動きだけで顔を上げる。


「左腕の骨折は既に完治したようです。驚くべき早さですね」


 顔を上げたのにオリイジネズミの姿は見えない。どこだ、ハツカネズミに焦りが見え始める。声の出処からしてまた背後か。やることが姑息だ、ごみだ、卑怯者!


「何をされているかわかりませんか」


 足と首で時計回りにのたうち回る。ハツカネズミは使えない両腕を捨てて脚と体幹で仰向けになろうとしたが、それすら叶わなかった。オリイジネズミは自分の背中の上に乗っていたらしい。そして片脚を取られている。


「その身体能力には敬意を払います」


 顔の横に小銃が落ちてきた。セスジネズミからのせっかくのもらいものが無残な形で投げ捨てられて、ハツカネズミはさらに頭に血が昇る。せっかくの贈り物を無残な姿にしたのは自分自身であることすら忘れて動く部位だけで暴れ狂うが、オリイジネズミは淡々とハツカネズミの右股関節も外し終えた。


 ハツカネズミは焦っていた。何が起きているのか全くわからなかったからだ。トガリネズミの薬が効かなくなった? まさか! トガちゃんの薬は凄いんだ、俺たちを守ってくれてるんだ、こんな卑怯者に負けるわけない! そんなはずないのになんで…


「だから再生はしていますよ、と言ったでしょう」


 再びオリイジネズミに見透かされていた。ハツカネズミは這いつくばりながらオリイジネズミを見上げる。その目は既に怒りではなく動揺の色を湛えていた。


「左足は動くはずです。どうですか?」


 言われた通りにを動かしてみる。膝が曲がり、足首もよく動いているのが見て取れる。


「両手も指先は動くでしょう?」


 左右の手を見遣る。本当だ、指はちゃんと動いている。


「君の部隊員の仲間も先ほど言っていたでしょう。話は最後まで聞きなさい」


 聞いてはいるが何の話なのか。ハツカネズミが擦り切れた顎で顔を上げた時、


「ハツさぁん!!」


「ハツさん!」


 カワネズミがワタセジネズミを引きづって駆け寄ってきた。足首を掴まれて、後頭部を何度も床に打ち付けられるワタセジネズミを見て、ハツカネズミは「カワ!」と思わず声を上げる。


「なんて持ち方してるの? ワタセの! 頭!」


「ハツさん大丈夫で…ないっすね。大丈夫ッすか?」


「ハツさぁん……」


「ワタセだって。お前こそだめじゃないの?」


 カワネズミがワタセジネズミを投げ出してハツカネズミに飛びつく。自力では寝返りさえ打てなくなっていたその身体を、抱きかかえるようにして仰向けにさせる。


「カワ、だからワタセの!」


「ハツさんすんません。ハツさんが…、ハツさんがあッ!!」


「大丈夫ですか? ハツさん!!」


 やかましく安否を確認し合いながら、誰も自分以外の声をまともに聞いていない。互いに尋ねるばかりで答える者が不在だ。


「大丈夫ですよ、彼なら」


 見かねたオリイジネズミが横から口を挟む。部隊員から上着を受け取り、片方の腕だけ袖を通す顔は普段通り冷ややかだ。


「部隊長……」


 部隊員の心配を無事な方の手で諌めて、オリイジネズミはカワネズミの背中に括りつけられた子どもに顔を寄せた。子どもは両手で自らの口を抑えている。


「お口に?」


「ひゃっく!」


 両手で口を閉ざしたまま子どもは答える。


「開けましょうか」


 オリイジネズミが言うと、子どもは両手を上げて満面の笑みを見せた。それからカワネズミが痛がるほどその背中の上で暴れ回り、ハツカネズミを見下ろす。


「おにいちゃん!」


「う、うん?」


 ハツカネズミも戸惑って、上手く返事が出来ていない。しかし子どもはそれでも嬉しそうに白い歯を見せてきた。ほとんど条件反射だろう。ハツカネズミも負けじと満面の笑みを子どもに向けた。そのやり取りに、オリイジネズミが微かに目を細める。


「ワタセ?」


 ハツカネズミは我に返って黒焦げの後輩を見遣った。ワタセジネズミはよろよろと自力で立ち上がり、「ハツさん聞いてください」と歩み寄ってくる。


「俺のこれはオオアシの手伝いでこうぐっとした時に…」


「ぶぶばばばばばばあ!!」


「お前、ちょっと黙ってよっか」


 はしゃぎだした子どもを、背中を捻ってカワネズミが窘める。しかし子どもを静めたのは、オリイジネズミが唇に指を一本置いて見せたからだ。


「見た目はこんなんですけど中身はトガリ兄ちゃんので平気なんで、」


 ワタセジネズミは身体を撫でるように両手を上下に動かし、


「だからぶたいち…」


「ワタセ!」


 カワネズミに注意されてワタセジネズミは唇を間抜けに閉じた後で、


「……です!」


 何一つ言い終えていないのに、全てを報告した顔で締めくくった。


「ごめんワタセ、何言ってんの?」


 ハツカネズミが当然の疑問を口にする。


「後ほど私から説明します」


 オリイジネズミがため息まじりに呟いたのを受けて、


「それがいいと思います」


 控えていた部隊員が頷き、


「はい、お願いします」


 カワネズミも頭を下げた。ハツカネズミは驚いてカワネズミを見上げる。


「カワ…?」


「エゾ君」


 ハツカネズミの開きかけた口を閉ざすようにしてオリイジネズミが部隊員に指示を出す。オリイジネズミ隊が動き始め、ハツカネズミは動かない四肢を乱暴に持ち上げられて連行される。


「離せよ!」


「ハツさん!」


 ワタセジネズミがハツカネズミを呼び止め、見開いた目で瞬きもせずにじっと見つめた。しかしハツカネズミには後輩が何をしたいのかよくわからない。


「……なに?」


「ハツさん、」


 カワネズミが駆け寄り、ハツカネズミの耳元で囁いた。


「『連行』されましょう」


「はあ?」


 ハツカネズミは怒ったように声を荒らげてカワネズミに振り返った。


「何言ってんだよ、カワ! せっかくセージを助けたのにお前らが連れてかれたら…」


「されてください!!」


 カワネズミは先輩の言葉を最後まで聞かずに、直立不動で怒鳴った。それからこれ見よがしにオリイジネズミの前にしゃしゃり出ると、両手を突き出して拘束されることを願い出る。


「お前何やってんのぉ!?」


 動かない身体で怒鳴り散らすハツカネズミと、おろおろするワタセジネズミと、覚悟を決めた顔で歯を食いしばるカワネズミ。それを一歩も動かずにただただ見ていたオオアシトガリネズミが、俯いて両手で顔を覆った。その様子に気付いたオリイジネズミ隊の部隊員が気遣うが、


「ごめん、笑う……」


 くぐもった声でぼそりと一言、肩を震わせ呟いた。

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