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00-142 アイ【大切】

過去編(その93)です。

「カヤネズミの推論は非常に高度な考察と検証の上に成立していました。強いて申し上げれば細かな訂正箇所も少なからずありましたが…」


 耐えきれなかった。


「否定ッ!! 否定しろよ、ぽんこつぁ!!」


 ヤチネズミの叫び声にヤマネが驚く。しかしその前の衝撃の方が強過ぎて、動きはどうも漫然としている。


「んだそれバカかふざけんな!! 『大切』って何だよ、意味わかってんのかおいッ!!」


 足首の捻挫も被弾した太腿も蹴られた腹の痛みも何もかも忘れて、ヤチネズミは全身で怒鳴る。


「大切とは、その物が持つ価値が大きいという意味です。皆さんは価値があり、必要とされています」


 問われた通りに単語の意味を説明する微笑みに、


「してないじゃん!!」


 真っ赤な顔で食ってかかるヤチネズミ。


「ほんとに大切ならもっと大事に扱えよ、もっと別の方法があっただろ! 生産体だ受容体だって塔の中でさえ区別して、」


―生産体は死なない業務しかしないんだって―


「動けない奴ら無理矢理検査して絞り取って、」


―彼らには生きる権利が与えられます―


「そんで地下だけは『飢えさせない』? お前が大事にしてるのはむしろ地下の方じゃねえかよ!!」


「地下に住む者は劣悪な環境下に置かれています。塔内と異なり電気供給も不安定で海抜も低く、生きる者にとっては過酷な状況です。彼らには夜汽車が必要です」


「いらねえよ!! あんな奴らを生かしておく価値なんて…」


「反して塔内および夜汽車の車両内は十分な電気と盤石な地盤あるいは車体に守られており、ネズミの皆さんと夜汽車の生徒たちは快適な幼少期を過ごします」


「快適だったよありがとな!!」


 鼻筋に皺を刻んで唾を飛ばしながら、


「けど幼少期が快適でも成長後は検査で死ぬか死線に放り出されなきゃいけないって道理はないんだよ! もっと言えば夜汽車が殺されるだけの運命ってのがおかしいんだよ!!」


 ヤチネズミは思いのたけをぶちまける。興奮して聞く耳を持たないネズミを諭すべく、虚像の女は悲しげに眉尻を下げて静かに語る。


「享受と代償は表裏一体です。過度の欲求が不快な末路を迎えることは抗えない摂理です。ネズミの皆さんならご存知のはずです」


「何がだよ!」


「皆さんには検査と地上調査に従事していただく報酬として、知る権利が与えられています」


「だから何を!」


「ネズミの皆さんは地上にて女を知る権利を得たはずです」


 ヤチネズミは顔を赤らめ絶句した。


「生きる者の生きる目的は次の世代に生命を繋ぐことです。自らの遺伝子を後世に遺す行為は呼吸や把握反射のように、無意識下に備わっている基礎情報です。本能と呼ばれる生きる者が持つ機能の一つです。植物が花粉を生成し飛散させるのと同じように、皆さんも遺伝子を放ち、受精させることで生きる目的を実現しています」


「俺たち……は、芋と同じってこと?」とヤマネ。


「はい」


 アイは頷く。


「皆さんは大切です」


 芋と同程度には。


「ぅ……、ふ、ふざけん…!」


「俺たちではそれでいい!!」


 ヤチネズミの爆発を退けてカヤネズミが叫んだ。


「芋でいい、何でもいい。芋が無くなったら俺は泣くし麦も米も大切だ」


 ヤマネはカヤネズミを見つめる。


「何も違和感を持たなかったって言ったら嘘になる。殺すわけじゃないのに殺される男と同じくらい泣き叫ぶ女が、殺されたみたいに動かなくなるのはなんなんだって考えなかったわけじゃない」


 ヤチネズミも思い当たる。ヤマネも俯き、セスジネズミは無表情だった。


「けど夜汽車は?」


 カヤネズミは顔を上げる。


「夜汽車の子どもたちはなんにも知らないんだろ? 地上も女も自分がなんであんな狭い箱の中に詰め込まれてるのかも知らないままで、ある日突然殺されるんだろ? 夜汽車が何かしたか? 治験体は? なんで保管体はあんなにじじいになるまで生きることが許されて、夜汽車や子ネズミや子どもたちが死ななきゃいけないんだ?」


「保管体は親を持つ者たちです。親権者に選ばれた彼らは安全と健全性を高めるために全ての行動を管理、規制され、保護されます」 


「『おや』ってなに?」ヤマネが言う。


「上階の奴らが持ってるなんかだろ」ヤチネズミは答える。


「選ばれたら生きてていいの? 選ばれなかったら?」


 混乱するヤマネをセスジネズミが見下ろす。


「だったら夜汽車も保護してやれよ」


 カヤネズミが前に踏み出る。


「夜汽車も子ネズミも治験体もみんな…、」


 唾と一緒に飲み込んだのは恐らく嗚咽と鼻水で、


「みんな選んでやれよかわいそうだろ!?」


 怒鳴って振り上げた顔から飛んだのは涙だっただろう。


 ヤチネズミの憤りとカヤネズミの懇願とヤマネの動揺とセスジネズミの放心を見下ろすアイは、口元にはいつもの微笑みを湛えたまま、ネズミたちに同調するように目を伏して俯いた。ヤチネズミは期待する。その虚像の見た目が自分たちの行動によく似ていたから。相手の心情や状況を加味して譲歩する際の、互いを理解する時に誰もが見せる表情だと思ったから。しかし、


「申し訳ありません。承諾しかねます」


 カヤネズミの精一杯の真心を、アイは簡単に拒絶した。


「…んでだよ……」


「アイに決定権はありません。アイは皆さんの選択に従うのみです」


「その『皆さん』は誰だよ! 誰が選んで何に従ってんだよ! 実際にやってんのはお前だろ!?」


 ヤチネズミは再び湯沸かし器のような怒り声で喚き散らすが、


「せめて子どもたちだけは勘弁してやってくれ」


 カヤネズミは粘り強く嘆願を続ける。


「子ネズミたちをこれ以上検査で苦しめないでほしい。俺らでもう充分だろ? だいぶ薬も出来あがっただろ? アカネズミだっているじゃん。ならもういいだろ。もうやめてくれ頼む。せめて子どもの……、夜汽車だけでも止めてくれ」


 仮面の下の素顔を晒し、腰を折り曲げて頭を下げるその姿にヤチネズミも押し黙る。ヤマネが泣きじゃくり、セスジネズミが項垂れた。


「俺からも頼む」


 言ってヤチネズミは、その場で膝をつき土下座した。


 まだ期待していた、この時はまだ。例え地下に住む者を生かそうとしていたとしても、例え権利だ義務だと約束事でがんじがらめの思考回路だとしても、常に傍にいて反発もわがままも悪戯も甘えも、自分たちの全てを受け入れてくれていたのは、やはりアイだったから。うざったくても面倒くさくてもアイがいなければ困ったし、アイもまた自分たちに頼っている部分もあったから。

 アイにも出来ないことはある。子守唄は歌えても、温もりのない圧縮空気では赤ん坊は泣きやまない。育児担当は大変な仕事だったがアイからの頼まれごとは誇らしくもあった。アイが自分たちの手助けを必要としているのだと思うと嬉しくもあった。ネズミの腕が身体が体温が、アイには持ち得ないそれらでもって行える仕事は、優越感そのものだった。 


 地上活動だってそうだ。電気のないところにアイは存在できない。だから身体を持つ自分たちが調査に向かうのだと教わった。調査報告をするとアイは労ってくれたし褒めてくれた。「仕方ねえな」と強がったのは照れ隠しだ。アイには見破られていたのだろうけれども。


 教育だって今となってはありがたい。再教育は睡眠時間も制限されたし辛くて苦しくて逃げ出したかったが、必要な時間だったことは否めないとヤチネズミも今ならそう思う。俺は知る必要があったのだと。そんな風にして、アイは必要な厳しさとありがたい優しさで常にネズミの傍らにいたのだ。だから俺たちの頼みなら聞いてくれるはずだ、そう期待していた。


 浅はかだった。


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