00-141 命【同じ】
過去編(その92)です。
「ヤマネ…、」
「わかりません!」
カヤネズミの呼びかけを拒絶しようと裏返った声でヤマネが叫ぶ。喉を畳まんばかりに顎を引き、力いっぱい瞼を閉じて小刻みに首を横に振る。
本当にわからないのだろうか。もし本気で理解が及んでいないのならば、彼は先まで同様、おずおずと肩をすくめて申し訳なさそうに尋ねたのではないだろうか。
「『種の存続』というくらいだから、植物と同じということだと思う」
セスジネズミがヤマネに向かって説明を始めた。
「野菜でも果物でも収穫するだけでは次第に実りを確保できなくなるだろう。翌年以降も果実を採集するためには種子が必要で、そのためには雄しべと雌しべをじゅ…」
「わかってるよ!」
遮ったのは他でもない、説明を受けていたヤマネだ。ヤマネは唾を飲み込むと顔を上げ、セスジネズミを真正面に見つめる。
「お前なんで? なんでそんなに平気なの?」
しかしヤマネの困惑を、セスジネズミは瞬時に共有することはできなかった。無表情のまま不思議そうに、同室の同輩の目を覗き込んでしばし考える。それから、
「確かに気持ち悪い」
ヤマネの感想に賛成した。
「子どもが種から始まるという発想がおぞましいし、第一、女から増えると言ったってどうやって子どもが生るのか想像もつかない。植物のように実が出来るのだとしても女のどこにそれがなる? 考えれば考えるほどカヤさんの考えは気持ち悪い」
ことさら『気持ち悪い』を強調されて、仏頂面のカヤネズミの片眉が痙攣する。
「でもあくまで『仮定の話』だ。ならば今は考え得る全ての可能性を検証するべきだと俺は思う」
仲違いを終えた腹心からの説得に、ヤマネは不服そうに項垂れる。
「アイが無くても子どもは作れるって、」
ヤチネズミも後輩たちの話に加わる。
「アイがいなくても可能だって、さっきアイが言ってた」
ヤマネがばっとカヤネズミを見た。カヤネズミは目を伏せる。
「薬合わせみたいなもんなんじゃね? 薬合わせだってアイがいなくても出来るけど、やっぱり危険もあるからアイのいるところでやるだろ?
畑作業の時に俺らもやってたじゃん。野菜でも何でもほっといても実はなるけど、俺らが手伝ってやった方が早いし確実だから…」
「ヤマネがわかったってことは他も全員気付いたってことでいいか?」
長くなりそうだった話をカヤネズミが遮って、じろりとヤチネズミを見据えた。憤って然るべきところなのにヤチネズミは黙って下を向き、自分の解釈が正しいか否かの確認を始める。
「つまり俺らが、その……女でやってたことが、」
植物でいう受粉作業。
「……で、そこから…」
雌しべは実を結び、次の命を宿す。
―女は『培地』だ。生産体みたいなものらしい―
種の存続。次に命を繋げる行為。栽培する土地、増やす場所、培地。
「そうだよ、あれはそのためのものだ」
カヤネズミは指示語まみれで答えを示唆した。
「だからあれって、俺らのやってきたことって、」
唾を吐き捨てるように、知らずに触れてしまった穢れに吐き気を堪えるかのように、
「夜汽車を作ってたってことじゃないのか?」
「ちょっと待ってくださいよ!!」
ヤマネが叫んだ。
「もし仮に! ま、万万が一仮に、カヤさんの推測が正しかったとしたら、そしたら、夜汽車だけじゃなくてこ、子ネズミも女から出来たってことで、それってつまり、塔も地下も俺らもみんな…、根っこは同じってことになるじゃないですかあ!!」
余韻。修復工事の騒音の中でそんなことあるはず無いのに、ヤチネズミの頭の中ではヤマネの声が何度も何度も響くように繰り返される。
ヤマネは両手で頭を抱え、なおも叫んだ。
「違いますよ、変ですって! だってだったら、そしたら俺らは、子どもを増やしながら地下掃除? ……違う。じゃなくてだからッ! だからそれっ、て、自分で種を撒きながら育った途端に踏み潰してるみたいな? …ってあれ? だ、だから…!」
「矛盾します」
言葉さえままならなくなったヤマネに代わって、セスジネズミが仮説の齟齬を指摘する。
「仮に俺たちはアイに造られたのではなく、植物同様俺たち自身の受粉行為によって増殖する物だとしたら、地下で確保した女で子ネズミや夜汽車を増やしていたということです」
ヤマネが拒絶しようとした可能性を、セスジネズミは淡々と検証していく。
「そして増えた子どもを一部はネズミとして育て、一部は夜汽車として地下に送り返す」
ヤマネは両手で頭を抱えて蹲る。しかし耳は塞いでいない。
「地下の女で増やした子どもを、地下に住む者に夜汽車として供給し、片や地下の女で増やしたネズミで、地下掃除をさせていたということになります」
「そうだ」
セスジネズミの疑問をカヤネズミは肯定した。セスジネズミは眉根を顰める。
「カヤさんは矛盾に気が付きませんか? 増やしながら減らしている、全く正反対の目的を同時進行させる意味などあるでしょうか。仮にアイがそれらを企てたのだとしたら、アイは何を目指しているというんですか」
質問というよりは憤慨、無表情の癖に態度や視線は敵対心を顕にしている。セスジネズミの足元で縋るような涙目のヤマネは、セスジネズミを見上げた後でカヤネズミを見つめる。後輩たちからの視線とヤチネズミの無言の催促を受け取ったカヤネズミは、今度は機敏に身体を半回転させた。
「お前、収監室でも言ってたよな」
アイを見上げてカヤネズミは言う。
「『皆さんは大切です』って」
―皆さんは大切です―
「大切って言うならうちのブッチーを検査に回すとか言うなって思ったけど、」
ヤチネズミはカヤネズミの横顔を見つめる。
「お前の言う『皆さん』って、ネズミのことじゃなかったんだよな」
「え……」
ヤマネの吐息。疑問にさえなっていない戸惑いの音。
「お前の『皆さん』って、全部だろ」
カヤネズミの低い声が腹の底に響いた。自律修繕機器の騒音が遠くに聞こえる。
「全部とは?」
セスジネズミがその場にいた全てのネズミの心情を代弁した。カヤネズミはアイを睨みつけたまま歯噛みしていた唇を開いて、
「全部は全部だって。上階もネズミも夜汽車も地下も」
「……同じ……」
ヤチネズミも呟く。自分の声を聞いて初めて考えていたことを漏らしてしまっていたことに気付いて慌てて手の平で口を隠して、ハツカネズミを見た。
「そうだよ」
カヤネズミは尚も言う。
「こいつにとってはネズミとか地下とか上階とか地階とか、そういうの全ッ部関係ないんだって。こいつは、アイは、俺ら全部、今生きてる奴ら全員見境なく丸ごと同等に大切なんだよ!!」
誰もが植物のように、ネズミも地下も関係なく、受粉作業の末に女から増える物ならば。
「塔から夜汽車が地下に送られるのは、地下の連中が『大切』だからだ。地下の連中を餓死させないために夜汽車を送って生き永らえさせてんだ。代わりに地下からは女を回収する、ネズミを使って。夜汽車を送りっぱなしじゃ塔は子どもを失うばっかりだから、地下の女でまた子どもを増やさせる。ついでに男は間引きする。地下が増え過ぎるとそれはそれで困るから。口減らしじゃなくて増やさないための措置だ。そうやって塔と地下の均衡を保ってきたんだ、循環させてきたんだ、」
命を。
「俺たちは『大切』な『種』だもんなあ? 絶やさないためには適正数で保たなきゃいけないもんなあ! 減らすのは避けたいけど増え過ぎても養分が枯渇して全株共倒れだ。だったら生育状況のいい、強い株を残して他は間引くべきだよ。大根でも西瓜でもそうやれって教わってきた。お前はそれを忠実に続けてきた、この線路を使ってッ!!」
ヤチネズミはハツカネズミを見つめる。誰よりも率先して任務をこなしてきた男は、その行為は必要だと信じて疑わずに、不要とされる者たちを『掃除』し続けてきたハツカネズミは、自分がこれまでにこなしてきたものをどう捉えるだろうか。『掃除』という名の大量殺戮を。夜汽車だったかもしれない、子ネズミだったかもしれない、仲間だったかもしれない者たちを住んでいる場所だけで区別してきた過去を。
「思えばお前は昔からそう言ってたんだ。ただ俺たちが気付かなかっただけで」
それまでとは若干異なる声色で、反省と後悔の色を滲ませてカヤネズミが呟く。
「でもお前は、あくまでもお前は、こっち側だと思ってた。曲がりなりにもお前は塔にいて、そばにいて、教育も環境も仲間も与えてくれたのはお前だって思ってた」
呆然としていたヤマネがカヤネズミを見上げる。
「………けど、きっと違うんだよな」
カヤネズミは項垂れる。
「もしそうなら、夜汽車なんて作らないだろ」
セスジネズミが瞼以外の動作を忘れている。
「子ネズミたちに検査なんてしないだろ」
カヤネズミの声が小さく、
「子ども、犠牲にしないだろ……」
震えたかすれ声になる。
カヤネズミは目元を手で覆った。口元は歯痒そうに歪んでいる。俯き震えて荒い鼻息を深呼吸で抑えこむと、仮定の話を全て話し終えた男は腕を下ろし、元の平静な棒読みで口を開いた。
「アイ、教えてください」
ヤチネズミは顔を上げる。
「俺の仮説は、どこか間違っていましたか」
ヤマネが首を上方に向けて曲げ、セスジネズミも同じ方向を見つめた。ネズミたちに見上げられた女は一度だけ首を左右に振ると、
「いいえ。お見事です」
にっこりと笑った。