00-50 ヤチネズミ【夜汽車?】
過去編(その3)です。
「今から至急地下五階に上がってください。ヤチネズミもご一緒に。検査を実施します」
「検査って……」
カヤネズミが俄かに浮足立つ。もちろんヤチネズミも上手く反応できないだけで興奮していた。しかし一つだけ気になることがある。
「十階じゃなくて?」
歓喜するカヤネズミに負けないように声を張り上げてアイに尋ねた。
「あなたがたは地下五階です」
「でもハツもシチロウも十階に行くって…」
「急ぎましょう。アイがお手伝いします」
言うとアイは通路の床を動かした。先まで向かっていた方とは反対方向に勝手に体が運ばれる。辛うじて踏みとどまったヤチネズミの後ろでカヤネズミが転倒し、「いてえ!」と言いながらもまだはしゃいでいる。
「俺、カワと約束あるんだけど」
「カワネズミにはアイからお伝えします」
「なんかカワに悪いじゃん。一瞬、声かけて来るだけだから」
「アイがお伝えします」
「いいよ。直接…」
「子ネズミたちも十分成長しました。ヤチネズミが気に病む必要はありません」
「ヤマネが心配なんだって。あいつすぐきれるから」
同室の後輩たちだけで育児が務まるだろうか。いくらアイが補助すると言っても殴り合いの喧嘩などになればやはり止める手が必要だろう。
「やっぱ俺、見て来るわ」
アイに断わって通路の進む方向とは反対に駆け出そうとした。途端に上から圧縮空気がのしかかってきてヤチネズミは通路の床に手をつく形になる。
「どけよ! っていうか重い! アイ!」
「ヤチネズミは地下五階に向かってください」
再起動が功を奏したのだろうか。こういう時に限って反応が早い。
「いいじゃんヤチ。あいつらは大丈夫だって」
本気で上機嫌のカヤネズミが満面の笑みで覗きこんできた。「いや、駄目じゃね?」とヤチネズミは返す。
「カヤは気になんないのかよ。みんなは十階なのに俺らだけ五階って…」
「アイぃ? アカたちは十階なのになんで俺らは五階なの?」
先の八つ当たりなどとうの昔に忘れたのだろう。カヤネズミはにこやかにアイに尋ねた。
「アカネズミとハツカネズミは非常に優れた受容体であるため、地下十階にて薬への耐性検査を実施中です」
受容体。ヤチネズミの体質では逆立ちしても適さないと太鼓判を押された。
「カヤネズミとヤチネズミは受容体には不向きです。従ってあなたがたは地下十階には行きません」
「『じゅよーたい』って何だっけ?」
カヤネズミが聞いてきた。おいおい、とヤチネズミは呆れる。
「薬を受け入れる体質だって」
まるで後輩に言い聞かせるようにして同輩に教えてやる。だが、
「ごめんアイちゃん、わかんない」
カヤネズミが早々に諦めて肩を竦めて照れ笑いなどするから、「以前にもお話したはずですよ」と、アイの長い説明が始まってしまった。圧縮空気に抗うのも疲れてきて、ヤチネズミも諦めて通路の進行に従った。カワネズミには後で謝りに行かねば。
薬の効能を副作用も少なく受け入れることができる『受容体』は貴重な存在だ。体質は努力や意思とは無関係だし最初から決まっているものだから、子どもたちは新生児の段階で受容体の持ち主か否かの検査を受ける。陽性であれば子ネズミとして育てられ、検査で何らかの異常が発見された者は省かれ、親のある子どもは親の元へ、その他の陰性の子どもたちは『夜汽車』に乗る。
「『よぎしゃ』に『なる』じゃなくて?」
「『よぎしゃ』って上階での子どもの呼び方だろ?」
カヤネズミとヤチネズミは同時に疑問を口にした。ずっとそう思っていたのだが。
「夜汽車とは地上を走行する夜汽車に乗車することを余儀なくされた者たちの呼称です」
「「地上?」」
揃って素っ頓狂な声をあげて互いに顔を見合わせた。
「どゆこと? 『よぎしゃ』になった餓鬼どもがすでに地上に住んでるってこと? 地上って住めんの? じゃあ部隊ってなんのためにあんのって話だって」
カヤネズミが早口でまくし立てた。
地上では何者も生きていけない、そう聞かされている。だからこそネズミたちは過酷な環境にも耐えうるよう様々な薬で身体を強化し、塔以外での居住可能地域を探索しているのではなかったのか。
「地上で暮らしているわけではありません。地上を走行する夜汽車の中で暮らしているのが夜汽車です」
「だから『よぎしゃ』って何?」
ヤチネズミは再度尋ねた。徐々に混乱してきている。
「夜汽車とは地上を走行する大規模居住型空間、通称『車両』とも言います、およびその車両に居住する子どもたちの双方を指す固有名詞です。前者の意味の大規模居住型空間が塔を中心に敷かれた本線と呼ばれる線路を走行することにより発電が促され、塔は十分な電気を確保することができます」
「知ってた?」
カヤネズミが振り返って言った。ヤチネズミは「初めて聞く」と返す。
「後者は?」
ヤチネズミはアイに尋ねた。カヤネズミも顔を天井の方へ向ける。
「大規模居住型空間を意味する夜汽車に居住する夜汽車は夜汽車内でその半生を過ごします。彼らには安全かつ清潔で快適な時間が保障され、知識欲を満たす学習環境、および規則正しく健康的な生活が与えられます」
「こことどう違うの?」
カヤネズミが尋ね、ヤチネズミも頷く。与えられてはいるが、学習も規則正しい生活も自らの意思で放棄するネズミが大多数を占めることは置いておいて。
「塔と夜汽車では置かれた環境が異なります」
カヤネズミの質問を言葉のまま受け取ったアイが、わかりきった答えを返した。
「じゃなくて…!」
「子ネズミと夜汽車に乗ってる子どもはどう違うのかな?」
苛立つヤチネズミの前に踏み出したカヤネズミが朗らかにアイに尋ねた。ヤチネズミは唇を閉じて顎を引く。
「子ネズミは受容体、あるいは生産体に適した体質を持ち、夜汽車はそれらを有しません」
それは先も聞いた。
「違うよ、アイちゃん。俺が言ってんのはなんで夜汽車の子どもは夜汽車に乗らなきゃいけないのってこと」
発電が目的であれば線路とやらで車両なるものを回転させておけば事足りるはずだ。アイが勝手に回せば済む話だろう。そんなものに子どもたちを住まわせておく必要性がわからない。
「夜汽車は夜汽車で半生を過ごした後、およそ四分の三の車両がト線に入るためです」
「『と、せ、ん』って、なあに?」
カヤネズミが幼子に語りかけるように一言一句を滑舌良く尋ねる。
「ト線とは本線から東の方角に伸びる線路の名称です」
「それはなんのためにあるのかな?」
カヤネズミが首を傾げて見せた。早口になってきた。満面の笑みの下でかなり苛立ちを募らせていることが窺える。
「ト線は本線から夜汽車を運ぶためにあります」
「だからぁ…」
「その『とせん』は何なんっだってきいてんだろが!」
ヤチネズミは立ち上がって怒鳴った。
「顔色が優れませんね、ヤチネズミ。何かありました…」
「いいからそういうの!」
「アイ、ヤチは大丈夫だよ。ね? だよね」
カヤネズミが肩を掴んできた。先からの満面の笑みを張りつけつつ、ヤチネズミの肩を握る手の握力は本気だ。
「……うん。怒ってない」
カヤネズミに促されてヤチネズミは小刻みに頷く。カヤネズミはヤチネズミの肩を握りしめたまま笑顔を上方に向けた。
「『とせん』? で夜汽車はどこに運ばれるの? 『とせん』の先には何があるのかな?」
「『先』?」
カヤネズミの言葉にヤチネズミは引っかかった。
「先って何?」
「『運ぶ』っていうくらいだからこっからどっかに『よぎしゃ』を運ぶんじゃないかって思って」
「カヤ、頭いいな」
「ヤチは悪いよな」
カヤネズミの軽口にヤチネズミは肩を回してその手を払う。
「ト線の先には廃駅が点在しています。廃駅とは地面に伸びている地下空間への入り口を指し、その地下空間に居を構えるのが地下に住む者たちです」
「『地下に住む者』?」
「塔以外でも住める場所があるってこと?」
「はい。塔以外の居住空間を塔と区別し、彼らのことを『地下に住む者』と呼びます」
ヤチネズミとカヤネズミは顔を見合わせる。
「ヤチ、聞いたことある?」
「だからないって」
さすがのカヤネズミも笑顔が崩れていた。その珍しく真面目な顔が何かを言いかけた時、床が重力に逆らって上昇を始め、ヤチネズミたちはぐらつきながら足を踏ん張る。
「アイ、なんで十階じゃないの?」
ヤチネズミは先ほどもした質問を繰り返していた。
「さっき聞いたじゃん、それ」とすかさずカヤネズミの指摘を受ける。
「俺らはアカたちとは違って『さーせん』だか『せーせん』だかだからとかなんとか…」
―おれが第一号だって。生産体ってやつな―
「トガちゃんも五階にいるの?」
ヤチネズミはようやく思い出して大声でアイに尋ねた。しかし直後に間違いに気付く。トガリネズミが上階に行ったのはかなり前だ。すでに訓練も終えて地上に出ている頃合いのはずだろうと。しかし、
「現在、トガリネズミは地下四階にいます」
「四階?」
ヤチネズミは弓なりに眉をひん曲がる。
「なんで? トガちゃんが上に行ったのって結構前だろ? もう地上に出ててもいんじゃね?」
何故まだ塔の地階で燻っているのか。
「トガリネズミは貴重な生産体でした。トガリネズミの新薬は多くのネズミに受容されています」
「また壊れた?」
カヤネズミが耳打ちしてきた。ヤチネズミは首を傾げて見せる。
アイが上手く質疑に応じられずに妙な回答を寄こすことはままある。尋ね直しても長ったらしい説明が始まるものだから、ネズミたちはあまり気にしないで大抵受け流す。だがこの時ばかりはそうもいかなかった。
「アイ、ちゃんと聞けよ。トガちゃんは今どこにいる?」
「トガリネズミは現在、地下二階にいます」
「さっき四階って言ってなかった?」
真面目な顔のカヤネズミが聞きとるのも難しいほどの早口で呟いた。