第一章 怪物か、ヒーローか 第6話
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濃密な闇が世界を満たしている。
帝都外周区には仄かな月明かりが差し込むのみで、都市部と比べるとあまりに寂れていた。
人々の騒ぎ立てる声も、路地を踏み鳴らす足音も、人工的な地上の星明かりさえも存在しない。
あるのはひたすらな闇と静寂のみ。
まるで世界から取り残されたような様相だった。
かつての戦争の爪痕はまだこうして残されている。
十五年経ったとはいえ、逆に言えばまだ十五年――復興は着実に進んでいるのだろうが、それでも魑魅魍魎の襲撃が起きればその度に復興も一歩後退する。
いつまで経っても、この外周区がかつての賑わいを取り戻すことは、もう無いのかもしれない。
そんな廃墟に瓦礫を砕きながら歩みを進める男の姿があった。
そしてもう一人。男が歩み進めるその先に長身痩躯のシルエット――それは男の帰還を待ちわびたかのように一礼する。
「ご苦労様です。それでどうでした? 黒き鬼姫の忘れ形見は元気でしたか?」
急かすような問いかけだ。
それが気に入らなかったのか、あるいは単純にその揺らめく痩躯の影を信用していないのか、男は右手に握っていた大太刀を無造作に突き付けた。
おおこわい、と影が漏らした声は、しかし言葉とは裏腹に微塵も臆した様子はない。
男は舌打ちして告げる。
「俺に質問するな。貴様はただ貴様の成果を伝えればいい」
「おやおや、これはこれは、まったく横暴な方ですね。どうやら機嫌が悪い……となれば『最強』はあなたを満足させられませんでしたか」
「黙れ。俺の言ったことが聞こえなかったか?」
一閃に空気を引き裂かれる。
影は「おっと」と紙一重でそれを避けてみせた。
「本当にこわい。せっかく、連中に勘付かれることを覚悟で魔獣を動かしたというのに、この仕打ちですか。ヒヒヒ、さすが戦争用に生み出された戦闘兵器だ。頭のネジが飛んでやが――」
風が荒れ狂う。
神速にて放たれた三連閃が夜闇に雷光を迸らせ、そこにあったはずの影を霧散させた。
男が無言のまま太刀を引く。今度は確実に捉えていたが、やがて影はゆらりと揺らめいて、いま一度ヒトの形を取り戻していく。
「っ……影とはいえ、受けた痛みは直結でこっちにも響いてくるんですよ? ああもう痛いなァ」
ふう、と影が肩を竦める素振りを見せながら続ける。
「じゃあ率直に報告しますが、私のほうの成果はなーんにも、これっぽちもナシです。いまだ『憑代』は発見できず。ああ、いやですねえ、これで明日からも監視の眼を張っておかなくちゃならない」
「そうか」
男は短く言って、最初から期待などしていなかったと、踵を返した。
嘆息して影から視線を外すと、荒れ果てた外周区から、帝都の中心をジッと見据えた。
そこには天を貫くほど高く聳える塔がある。アメノミハシラ――戦争終結の記念で建てられたものとされているが、それは表向きであって真実でないことを男は知っていた。
あれは終戦の記念などではなく、戦争そのものに終止符を打ったものだ。
最終決戦の場となったこの帝都で、あれほど忌まわしいものはない。
人間にとっても、魑魅魍魎どもにとっても――そして、男のような闘争の中で生きて、その存在理由を奪われた者にとっても。
「ま、『憑代』はともかく、もう一つの鍵――黒き鬼姫の忘れ形見の所在は掴めました。ならばいずれ忌まわしき塔は役目を終えるでしょう。そのときこそ私とあなたの悲願成就のときです」
「御託はいい。俺はやることをやるだけだ」
男は外套を翻して夜の闇へと溶けていく。
そして影は最初と同じように一礼しながら、まるで風にさらわれるように消えた。
この世は着実に平和を取り戻そうとしている。
しかし、それを喜ぶ者がいるのであれば、それを望まぬ者たちがいるのもまた然り。
いずれ両者はぶつかり合う。人類と魑魅魍魎がそうであったように、己が望んだ世界を求めながら――。