第一章 怪物か、ヒーローか 第4話
04
「花織流抜刀術・壱の型――」
ゴングと同時に桜香は日本刀の柄に手を掛けた。
先手必勝。まずは相手が動くより前に仕掛ける。
それで相手が倒れればすべて終わり、もし立っていたとしてもペースは己のものにできるはず。
「一重桜!」
一声と共に神速の抜刀。
開始位置からでは到底アラタには届かないが、しかしその一撃はたしかに飛翔した。
「ッ……!?」
気付いたアラタが肩に担いだ大剣を振り抜いた。
桜香の飛ばした霊力の斬撃はそれで斬り払われたが、
「遅い!」
そこには必ず隙が生じる。
縮地の技法にて、一瞬の間にアラタの懐へと潜り込んだ桜香は、この戦いに今度こそは決着をつけるべく全身に力を込める。
「花織流抜刀術・四の型――」
この距離ならば逃げられない。
そして、ここまで近づけば、もうアラタは大剣を振るうことなどできない。
反撃はおろか防御も許さない。桜香は対人戦における絶対死角の位置に、決闘開始から僅か四五秒で踏み込んだ。
「無明散華!」
一閃。
零距離から対象を一刀に斬り伏せる必殺の抜刀が、一縷の流星のごとく戦場に煌めいた。
たしかな手ごたえが柄を握った掌に伝わる。外界から遮断された小さな戦場に、鮮血が花弁のように舞い散った。
これにて決着――、
「なかなか、やってくれるじゃねえか」
「なっ……!?」
頭上から降りかかる声に、桜香はただ息を呑んだ。
目の前の現実があまりにもバカバカしかったからだ。
筋肉質な腹部が深々と斬り裂かれているくせに、その怪物は倒れるどころか微動だにしていない。
バイタルリングを一瞥するがまるで亀裂すら入っていないあたり、どうやら状態も安定していて危険域には達していないようだ。
ありえないにも程度がある。
もし、ふざけた方法で必殺を防がれたのであれば、納得はできないだろうが理解はできただろう。
しかし、そうではない。
これはそういう次元を超えている。
この敵は、技術や戦闘力ではなく、存在そのものが怪物だ。
「こっちの番だ。オレを打ち負かすってんなら、しっかり防げよ!」
「ぐ、あ……!」
アラタが叩き付けるように繰り出してきた大剣を、桜香は霊力で補強した『神楽桜』でかろうじて受け止めたが――それが精一杯でまるで押し返せない。
両腕を通して体の芯に痺れが伝達される。
(こいつは、技術なんて用いていない……ただ、がむしゃらな叩き付け……それなのに、あまりに重い……!)
桜香の脳裏には三日前のことが過ぎる。
この一方的な鍔迫り合いのなかで、あの大型魔獣を一撃で粉砕した霊力放出が繰り出されたらそれで終わりだ。
ここにきて初めて『敗北』の文字が呼び起された。
(まだよ……私は生まれながらの『最強』なんて、絶対に認めるものか……!)
そうだ。
認めてしまえば、それは己の否定になる。
これまで強さだけを求めて努力を続けてきた。
汗では足らず、幾度も泥にまみれ、血を流しながら生きてきた。
その果てに天才と呼ばれるようになって、学院の武芸科を飛び級で卒業して、対魔機動隊に入隊した。
なんのために?
そんなの決まっている。
この一刀でなにもかもを護るためだ。
そう桜香が己に向けて『戦う理由』を問うているときだった。
『あーあ、こりゃダメかな』
『ま、あの怪物相手に勝てるわけねーって』
『つかよく挑んだよな。どっちにしろ負け確定の決闘でしかねーのにさ』
観客席から同僚や上司である隊員たちの漏らした声。
それが桜香の心をひどく打った。それらしい正当な理由を見つけようとしていた桜香は、己の内側から這い上がってくる劣等感に蝕まれる。
(違う……そうじゃない……わたしは、ただ見返したかったんだ……)
幼いころの桜香には才能がなかった。
第二次百鬼大戦で戦果を挙げた祖父や父とは違って、すぐに泣いて弱虫と罵られて――だから花織の剣術道場からは人が去っていった。
娘が誰よりも弱い剣士だから、いつしか父や祖父さえバカにされるようになった。
父も祖父も気にするなと言ったが、そんなの桜香には無理に等しかった。
だから自分をバカにして、あまつさえ父や祖父さえも侮辱した者たちを、いつか自分の強さを以って見返したいと願うようになった。
そうして、どこまでも自分を苛め抜いて、ようやくここまできたのだ。
だから許せない。
生まれながらの『最強』なんて、そんなものがあってたまるか。
「わたし、は……わたしは、負けない……ッ!」
「おおっと!?」
桜香は力任せに押し込んでくるアラタの大剣を受け流してみせた。
重さを受け止める力を緩め、されど最低限の反抗は保ったままに、相手の力そのものを利用して捌いたのだ。
ようやくアラタが体勢を崩したが、しかし桜香は追撃しなかった。
否、できなかったのだ。
(くっ……腕も、脚も……たった一撃打ち合っただけで、震えが止まらないなんて……)
まるで体が言うことを聞いてくれない。
それに、いまは攻めるよりも、あの怪物に問わねばならないことがある。
「どうして使わなかったのよ」
「あ? 戦いの最中に問い掛けなんて、水を差すなよ」
「いいから答えろ! アンタはさっき確実に私を倒すことができた! それなのになんで必殺の一撃を打たなかったのよ!」
それは侮辱だ。
全力の決闘で手を抜くなんて、本気の覚悟を抱いて舞台に上がった桜香にしてみれば、どんな罵詈雑言よりも許しがたい。
桜香の戦士としての誇りを傷つけられたに等しい。
だが、その怪物は悪びれる様子もなく、ため息を吐き出した。
「ま、オレとて戦いの礼儀くらい弁えてる。けどな、あれはこの『絶爪・紅葉(改)』――あくまで武器の力であってオレの力じゃねえ」
そう言いながらアラタは機械的な大剣を肩に担いだ。
「誇りのある決闘だからこそ、自分自身の全力でやりてぇんだよ」
「ふざけんな! 得物を使いこなすことも含めて、アンタの、そして私の強さでしょうが!」
「あー、ったく、じゃあハッキリ言ってやるよ」
困ったように頭を掻きながらアラタは告げる。
桜香の認識がどれだけ誤っているのかを。
「テメェはアレをその目で見たくせに使えって言ってんのか?」
「そうよ。私はアンタの圧倒的な力を知ってる。それを打ち負かせなければ、勝利なんて誇れない!」
「そうか。その言葉で、テメェがオレに勝てねえってことが、よくわかったよ」
「なん、ですって……? なにを根拠に、そんなこと……っ!」
苛立ちから桜香は全身を戦慄かせた。
しかし、
「花織桜香。君の負けだ」
加賀美の判定が耳に打ち付けられた。
負け?
どうして?
たしかに体の痺れはまだ抜けきらないが、それでもまだ戦える。
バイタルリングだってヒビ一つない。
ならば、一体どこに敗北の要素がある?
まったく理解できない。
ただ立ち尽くす桜香に加賀美は告げる。
「いいかい? アラタがこないだのバ火力ぶっ放したら、お前はもう木っ端微塵で即死だ。それどころか、その余波で結界ぶっ壊して、私ごと客席にまで影響を及ぼしてるはずさ。それでも使えと?」
「そんな、いくらなんでも……」
基本的に霊力場式闘技場の強固な結界は、個人のいかなる攻撃であっても通さない。
それこそ百人がかりの集束攻撃で、ようやく破れるかどうかだろう。
それを個人のたった一撃で破壊する?
さらに客席も巻き込むだって?
ありえない。
しかし、だからこそ、最強の怪物なのだ。
「わかったかい? お前はたしかに血の滲むような努力で己を磨いてきた。抜刀術にしろ、純粋な剣技にしろ、お前とおなじ年齢でそこまで研ぎ澄まされているヤツなど、そうそういないだろう」
けれど、と加賀美はただ事実だけを紡いでいく。
「お前は、自分の強さを証明しようとするあまりに、敵を見ていないんだ。だから相対する存在の力量に気付けない。それこそがお前の欠点で、いつまでもそれを抱えたままでは、いずれ無駄死にするだけだ」
「そんな、こと……」
ない、と声にできなかった。
三日前の大型魔獣との抗戦を思い出す。己の実力ならばあの魔獣に勝てると飛び出して、その結果どうなったかは言うまでもない。
あのとき天城アラタの介入がなければ、ここに花織桜香はいなかっただろう。
その事実を理解して――しかし、桜香はそれを受け入れられなかった。
「わた、しは……まだ、負けてない!」
「お、おい! 私の言葉は絶対だと言ったはずだぞ!」
そんなの知ったことか。
どうにか体の痺れは抜けてきた。
まだ動かすことができるならば、ここで退くことなど許されるわけがない。
なにより、こんな納得できない敗北を認めることなんて、桜香には絶対に不可能だ。
半ば自棄になりながら、桜香は戦うべき相手に向き直った。
花織の秘刀『神楽桜』の柄に、小指から順に触れていき、最後に親指を這わせる。
「花織流舞剣術・奥義――」
結界に隔たれた戦場の空気が一変する。
加賀美が制止の声を張り上げているが、もはや桜香が止まることはなく、ならば誰にも止められない。
結界がある限りは加賀美は介入できず、かといって観客席の安全を考慮するならば結界の解除もできない。
やれやれ、と腹部に傷を負ったままのアラタが、大剣を肩に担いだまま桜香の決めの一撃を待ち構える。
(そうだ、戦え! 私はお前を倒して、私の強さを証明する!)
ふっと息を吐き出す。
時間が何十倍にも引き伸ばされるような感覚が襲い掛かるなかで、ついに桜香は鞘から陽光照らす白刃を抜き放つ。
だが、
『きゃああああ――――っ!』
甲高い悲鳴がなにもかもを引き戻した。
アラタも、加賀美も、そして桜香もこれには攻撃の手が止まり、一斉に客席へと視線を奪われた。