第四章 そして鬼が目覚める 第19話
19
「これで憂いはなくなった。ようやく貴様と殺し合うことができるな、最強――!」
巨竜を斬り伏せたアラタは注がれる殺気に肩を竦めた。
いまだ乱れる呼吸を整えながらゆっくりと振り返り、そこに佇んだ軍服の男を真っ直ぐに見据えた。
「ったく、そんなに死に急ぎたいってのかよ、アンタは?」
そう言いながらアラタは左手に携えていた『刹牙・清姫』をジンのもとへと放り投げた。
右手の紅刃の大太刀『絶爪・紅葉』を一振りして空気を薙ぎ払う。
まだ体は動かせる。
いまにも膝が崩れ折れそうではあったが、動くのであれば多少の軋みは問題ではない。
「俺にはもはや成し遂げるべきこともない」
ジンは足元に転がっていた白刃の大太刀を拾い上げながら静かに言葉を紡いだ。
「ごく真っ当な人間だった頃の記憶は薄れて思い出すことさえままならない。いまの俺に残されているのは魑魅魍魎――それを束ねる黒き鬼姫を討つという兵器としての本能だけだ。……所詮、その本能とて言い換えれば第二次百鬼大戦で人類が勝利するため用意された兵器に組み込まれた設定に過ぎない」
「…………」
アラタはただ黙して彼の行動を待った。
蒼光を散らしながら輝いたジンの左胸――そこに埋め込まれた歪な偽りの心臓『疑似霊子核』がトクントクンと鼓動を響かせている。
「だが、それが設定に過ぎない目的であったとして――それこそが闘争を求める俺の本能であることに違いはない! たとえ誰に理解されることが無くとも、俺はこの本能のみに従って貴様を討つ。黒き鬼姫を倒し、災禍の巨竜を滅ぼした貴様こそ、俺が討つべき魔性に他ならないのだから!」
「そうかよ。だったら俺も本能のままに襲い掛かる敵をぶっ倒すだけだ」
ガキン! と高らかな金属音が北外周区の廃墟に轟いた。
それは、この一連の事件の記録に記されることのない最後の闘争――誰にも知られぬ幕引きの始まりだった。
「『疑似霊子核・超過駆動』!」
「っ……ヤロウ⁉」
ジンの疑似霊子核が突如輝きを増した。
溢れだす霊子の蒼光が純粋なエネルギーの波となって周囲を揺らし、やがてジンの全身と『刹牙・清姫』をまるごと呑み込んでいく。
偽りの心臓が軋んで悲鳴を上げるほど早鐘を打っていた。
自らを壊してしまうほどの力の奔流を以て鏡月ジンは鬼の領域へと踏み込んだのだ。
一度きりの自壊決戦術式――第二次百鬼大戦において、勝利のために非人道的な手段を選んだ者たちが戦闘兵器に与えた絶対勝利の切り札がそれだった。
アラタの『絶爪・紅葉』がジンの全霊を込めた一撃にて弾かれる。
押し込まれたアラタが体勢を崩した瞬間をジンが見逃すはずもない。『刹牙・清姫』の白刃がアラタの腹部を深々と穿ち貫いた。
「ぐっ、があァアアア! こんなもん、ヒーローには効かねえなァ!」
「な、に……?」
雄叫びをあげながら、アラタは己の腹部から白き大太刀を痛みを無視して引き抜いた。
さらに、その大太刀をくるりと翻して、逆にジンの鳩尾へと勢いよく突き立てた。
「が、はっ……く、はは、この規格外の力こそ……俺が討つべき、敵……ッ!」
ジンは大地を蹴って大きく後方へと跳んだ。
一度体勢を立て直しながら、白刃を己の体から抜き放って、こびりついた血をぱしゃりと払い落とす。
両者ともに呼吸は浅くなり、その吐息は荒々しいものとなっている。
黒き鬼姫との命を懸けた死闘。
そして全力を使い果たした八つ首の巨竜との討滅戦。
アラタもジンも手足を無理矢理動かしているにすぎない。
どう足掻いたって満身創痍であることは疑いようもなく、お互いにあらゆる限界が近いことは言うまでもなかった。
だからこそ――。
「この一撃で……貴様を討つ!」
「上等だ。テメェの本能とやらを打ち砕いてやるよ!」
次の必殺に互いのすべてを込めることを決めていた。
ただ決着のみを求めて、かつて黒き鬼姫が振るった二対の大太刀を、それぞれ構え直す。
「…………」
「…………」
一陣の風が廃墟を吹き抜ける。
静寂に支配された世界で両者の視線が交わった。
――怪物として生まれながら人間に憧れた鬼。
――人間として生まれながら怪物に堕ちた戦闘兵器。
まるで対極にありながら、そのくせ鏡写しのようでもあり、だからこそ理屈ではなく本能が「アイツを打ち倒せ」と高らかに叫んでいる。
「我が霊子の鼓動よ……あの鬼を、切り裂けぇえ!」
ジンが蒼光に覆われた刃を振るって空気を震わせた。
直後、空間を歪んだ。
アラタの立っていた次元が無数の目に見えぬ斬撃に切り刻まれる。
「これで終わりだ、最強!」
霊子の斬撃に縫い留められたアラタへと目掛けてジンは疾走する。
抜き身の大太刀が鬼の心臓を穿たんと煌いた。
「っ……は、小細工に頼った時点で、テメェの負けだクソヤロウ!」
だがアラタは己の四肢を縫い留める見えぬ刃たちを力任せに砕いていた。
ここにいる『最強のヒーロー』に常識なんて概念が通用するはずもない。痛みも苦しみも振り払ってアラタは迫りくる敵へと反撃にして決着の一撃――紅刃の一閃を振り抜いていた。
果たして、
「は、はは……最後まで、俺は己に与えられた本能さえ成せずに終わるか……」
白刃の煌きは最後の最後で鬼に届くことは叶わなかった。
そして、紅刃の一閃は戦闘兵器として命を弄ばれた憐れな男の肉体を、肩口から腹部までを袈裟斬りにしていた。
眩いほど輝いていた疑似霊子核の灯は既に尽きている。
故に、いまの鏡月ジンは戦闘兵器などではなく、終わりを迎える一人の人間として、確かにここにいるのだろう。
「……ああ、だが満足した。これでようやく、意味もなく生かされたこの命も満たされた……」
感謝する、と最後に小さく消え入るように呟いた鏡月ジンは、その身を縛り付けていた枷から解き放たれたように、とても穏やかで安らかな笑みをその顔に浮かべていた。
「……ったく、勝手に襲い掛かってきて、勝手に満足して逝くとか……どんだけ傍迷惑なヤツなんだよ、アンタ……」
崩れ落ちていくジンの体を片腕で抱き留める。
アラタは、いまこの瞬間に命を全うしたひとりの人間を尊びながら、動かなくなかった抜け殻の肉体をそっと大地に寝かせてやった。
これで、本当になにもかもが――少なくとも今回の一件は――すべて終わったのだろう。
そう思った途端にアラタの全身から力が抜け落ちた。
ぐらり、と世界が回るように揺れながら、まるで靄が掛かったように遠退いていく。
――ああ、こりゃダメだ……さすがに、眠い……。
さすがの最強と言えども此度の戦いはあまりに疲れた。
深い闇に落ちていく意識を繋ぎ止める力さえ残されていなかった。