第四章 そして鬼が目覚める 第18話
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眩いほどの閃光が帝都全体を輝かせた。
静寂と共に巨竜は跡形もなく消え去ったのだ。ミコトはそれを悟って安堵の吐息を深く漏らしていた。
そうしていると、
『……フン、これですべて終わった、か』
「…………」
どことなく満足げな声がミコトの脳裏に木霊した。
いまにも溶けて消えてしまいそうな鬼姫の声。それを繋ぎ止めるようにミコトは意を決して告げる。
「もう一度、わたしの霊核に戻ってきませんか……?」
『なに?』
訝しむように首を傾げる気配がミコトに伝わる。
『小娘、貴様……自分がなにを言うておるのか、正しく理解しておるのか?』
「もちろん」
ミコトは考える間もなく首肯を返した。
「自分が口にした言葉の意味くらいわかってる」
『たわけ。その肉体に妾を宿してなんとする? なんの力も持たぬ貴様など即座にいま一度支配しされだけだ』
「でも、あなたはもう敗北を認めてるでしょ? だからそんな真似はしない。いまだってこうして……わたしという憑代を使って生き延びようともせず、ただ時のまま自分の消滅を待とうとしてる」
「小娘、貴様……」
驚いたように鬼姫は息を呑んだ。
「うん。まだわたしとあなたの繋がりは完全には切れていない。だからわかるの……あなたという存在が薄れて消えそうになってるってこと」
『……だとしたら、なんだ? 貴様が妾に手を差し伸べる理由なぞどこにもあるまいて』
たしかに理由などなかった。
むしろミコトとしては恨み言の一つや二つは言ってやりたいくらいだ。
それでも、
「あなたがどんな人――えと、鬼? だったとしても、あなたがアラタの母親であることは変わらないんだよ。だからわたしはあなたを見殺しにできない」
「……後悔、するぞ?」
構わない、とミコトは頷いた。
「あなたがまたわたしの体を使って悪さをしようとしたらアラタが絶対に止めてくれる。だから、あなたを受け入れることに恐怖はないよ」
「……ならば試してやるとも。貴様とあの小僧が妾を御せるかどうか楽しみにしておこうぞ」
そんな言葉を最後に鬼姫の声は聞こえなくなった。
代わりに燃えるような熱がミコトの全身を駆け巡っていく。
その熱さが確かに『彼女』の存在を感じさせていた。
こうして、かつてカグヤの血を継いだ少女は、かつてカグヤが望んでいた『鬼姫と手を取り合う』ことを成し遂げたのであった。
◇
「これで一連の事件も幕引きか……長い戦いだったな、本当に……」
「鴻上……ずっと、あなたは戦い続けていのですね」
サクヤの言葉に鴻上は瞳を伏せた。
「今回の事件のきっかけは私の心の弱さです。その弱さをオロチに突け込まれたせいで多くの犠牲が生まれ、そして黒き鬼姫の復活まで許してしまうことになった。本当に不甲斐ないばかりで――」
「ですが、貴方はこれまで人知れず、たった一人で戦い続けていたのでしょう? 先代御子――お母様が残した世界を護るために」
「……そんな大層なことはしておりませんよ、私は」
実際、カグヤが封印すると決めた霊子術式を一部とはいえ解禁せざるを得なかったし、ミコトの命さえ危険に晒してしまうという失態まで犯している。
それ以外にも大勢の民草が此度の一件で被害を受けただろう。
この手に掛けた子供たちのことは忘れもしない。たとえそれがオロチの意思だったとしても、それを止められなかったのは鴻上の落ち度だ。
こうしてオロチを討つという上々の結果に至れたのは、幸運が重ねに重なってサクヤやミコト、アラタという黒き鬼姫の忘れ形見たちを祝福したからだろう。
鴻上はほんの少し彼らを陰で支えたに過ぎない。
「……これにて一時の決着はつきました。しかし未だに魑魅魍魎たちはこの世界に跋扈しています」
そっと縋るようにサクヤの指が鴻上の裾を摘まんだ。
「ですから、その……鴻上、これからは……!」
どこか不安そうなサクヤの表情。それを視界に映した鴻上は、彼女もまた一人でずっと踏ん張り続けていたこと悟った。
「いままで御身の側におれず申し訳ありません」
サクヤは鴻上の言葉に一瞬息を詰まらせて、それからしばしの逡巡の後にポン! と彼の胸板を拳で叩いた。
「ええ、本当に……本当に寂しかったんですよ! ……御子室の連中はお飾りの御子として私を扱うだけで私個人など眼中にありませんし……いつまでもひとりぼっちで。なにもできぬ己の不甲斐なさを嘆くことしか出来ずに過ごしてきました」
「……ですが、貴女は最後まで諦めなかった」
どこか教え子の成長を喜ぶ教師然とした表情で鴻上はサクヤの瞳を見据えた。
「少しずつ帝都を蝕み始めた異変に気付いた貴女は、御子室の連中に軟禁される覚悟で宮廷を抜け出し天城との接触を果たしたのですね?」
「大変だったんですよ。花織の剣を継ぎし者――彼女と出逢っていなければ、きっと沙都美の事務所に辿り着く前に、御子室の追手に連れ戻されて部屋に閉じ込められたことでしょう」
「その後も貴女は事態の解決のためにやれることをやった。そして最後には一人で無茶までしようとして――」
「そうですよ! あのとき貴方が来てくれなかったら私の骨の一本や二本、とっくにぽっきり折れていたはずです! 改めて言わせてもらいますが、貴方はいつもいつも遅すぎるのです、鴻上!」
申し訳ありません、と鴻上は苦笑した。
「それでも貴女はすぐに私を従者としてもう一度迎え入れてくれた」
「当然です。鴻上は私が信頼できる数少ない者の一人です。ゆえになにがあろうと貴方のことは信じると胸に誓っています」
「……ありがとうございます」
感慨深そうに鴻上は感謝の言葉を呟いた。
それから彼は厳かに片膝を地につけて、サクヤの前にゆっくりと頭を垂れた。
「私を蝕んでいていたオロチの枷も解かれました。御身がお赦しになるのであれば、どうかいま一度……」
「それ以上の言葉は不要です。いま一度もなにも、いままでもこれからも、鴻上光彰という男は私の従者ですから」
それに、とサクヤは頬を膨らませながら自らも膝をつき、鴻上と真正面から視線を交わした。
「このように形式ぶった誓いなどで繋がりを持ちたくはありません! 貴方や沙都美とは互いに信頼を置いて心からの繋がりを築いていきたいのです!」
「……ありがとうございます。不遜なる我が身には勿体なきお言葉であり、しかしながら――」
むぅ、とサクヤはより一層頬をパンパンに膨らませて、えい! と鴻上の額を指で小突いた。
「ですから、そういうのではなく! ……いえ、鴻上が不器用な男であることは存じていますけど……ようやく一連の問題が解決したいまくらいはもっとこう、無邪気に笑った顔でも浮かべて見せなさい、ほら!」
「ふごご、さふひゃさま、おやめ……あふ、おやめくだひゃい……⁉」
サクヤは両手で鴻上の両頬を左右から引っ張って強引に笑顔を作らせた。
その不格好で不健康で不気味な笑顔にサクヤは思わず吹き出してしまいながら、
「……やっと、こんなふうに笑える日が、戻ってきたんですね」
あまりにも鴻上の顔がおかしすぎて不意に涙さえ零れてしまった。
今日、このとき、この一瞬くらいは、御子としての重責や不安を忘れても許されるだろう。
サクヤは零れた涙を誤魔化すように、さらにぐにゃぐにゃと鴻上の表情を弄んだ。鴻上は口では抵抗しつつも結局は為す術なくされるがままにされている。
と、そんな二人の様子など構うことなく、そのすぐ傍を淡々と歩み進める男がいた。
「これで憂いはなくなった。ようやく貴様と殺し合うことができるな、最強――!」
鏡月ジン。
かつて人間として生まれ、人間として育ちながら、やがて戦闘兵器へと堕とされた男だった。