第四章 そして鬼が目覚める 第16話
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少女はぎゅっと小さな拳を握り締めて戦場の行方を眺めていた。
深紅と蒼白の光が渦巻くように天を衝いて生まれた巨大な霊子剣。
それを作り上げたのがアラタだと理解しているからこそ、その美しかった双光の剣が禍々しい漆黒の霊子に蝕まれている現状が不安で仕方がなかった。
アラタになにかあったのではないか?
そう思ってもミコトはただ見守ることしかできない。
戦う力を持たぬがゆえに助けに行くこともできず手をこまねいている。ミコトはいつもアラタの帰りを待つだけで、傷ついて戦い続ける彼の助けになったことなど一度もない。
そんな自分が、不甲斐なくて、悔しくて――けれど、なにもできないと嘆くことしかできない現実がそこにあった。
『本当に、そうなのか……?』
「え……?」
突然、凛とした鈴の音のような声が、脳裏にしゃらんと響き渡った。
「その、声……もしかして、黒き鬼姫……でも、なんで……⁉」
『なにを驚いておる? 少々不意を打たれはしたが妾がそう簡単に意識まで呑み込まれるはずがなかろう、たわけ! ……とはいえ、この状況では一度繋がりを持った貴様の霊核に思念を届けるのが限界、か……』
「そうじゃなくて……ううん、こうして話せるのも驚いたけど……どうして、わたしに話しかけてきたの? あなたは人間の敵でしょう?」
『なにを言っておる?』
わけがわからん、とでも言うように鬼姫の思念は告げた。
『妾たちは自己の存在のために人間を襲うだけのこと。その在り方が貴様たちとは相容れぬというだけの話よ』
「だ、だから、それが敵対してるってことじゃないの?」
鬼姫はつまらなそうに鼻を鳴らした。
『フン。そう思うのであれば、それが「人間」の浅はかさ、とでも言っておいてやろうぞ』
「い、意味がわからないんだけど……!」
そういったミコトのことなど無視するように、それよりも、と鬼姫は続けた。
『クク、我が胎より生まれた鬼は随分と強大な力を隠しておったようじゃのう。しかし、あまりに強すぎるがゆえに、このままでは鬼の力に呑み込まれて妾以上の最悪のバケモノに成り果てるだろうなあ』
「そん、な……ううん、わたしは信じてる、アラタは――」
『ただ信じておるだけでなにか変わるのか? 否、断言するがヤツは間違いなく厄災の獣に堕ちる』
「だったら、どうしろって言うの⁉ わたしだって見守るだけじゃなく力になりたいよ、だけど……!」
どうすればいいかわからない。
どうすることもできない。
その事実に歯噛みしたミコトに対して、黒き鬼姫は心底嫌そうにため息を吐き出した。
『……まったく、鬼にそれを言わせるのか? その、なんだ、くだらん言葉を、口にしろと……?』
「な、なに言ってるか全然わかんないよ! いまわたしになにか出来ることがあるなら、ちゃんと教えてよ!」
鬼姫はぼそりと呟くように、
『愛、だ……』
「へ……?」
その言葉の意味がわからずミコトはきょとんと首を傾げた。
すると鬼姫は声を荒げながらもう一度ソレを口にする。
『だから、「愛」だと言っておろうが! 其れがなんなのか妾にはいまだに理解できん! 理解、できぬが……だが、この状況を打破したければ、貴様らの「愛」とやらを見せつけるしかなかろうが、たわけめ‼』
「愛……?」
う、うむ……、とどこか気恥ずかしそうな思念が返ってきた。
『あの子鬼は貴様から妾を切り離すとき、そのわけのわからぬ力を――かつて、いけ好かぬ御子が妾に差し伸べようとしていた不愉快なソレを――確かに用いたはずじゃろうが!』
「そう、か……うん、あのときアラタの声を聞いて、わたし……」
自我を取り戻したのだった。
そのおかげで自分の内側に入り込んでいた鬼姫を追い出すことができた。
『もっとも、貴様のときとは違って、あの子鬼を蝕んでおるのは紛れもない子鬼自身である以上、自我を取り戻しても鬼の力を切り離すことなどできん』
「だけど、やる意味は……きっと、あるんだよね?」
『さてな。正直、妾としては気に入らん手段なのだが……まあ、ほんの一時でも自我で力を制御できるようになれば、あとは向こうでコソコソ動いておった連中がどうにかするだろうよ』
「……ありがとう。あなたのおかげで、わたしがやるべきこと、やっとわかったよ」
フン、と短い笑い声を最後に鬼姫の声は聞こえなくなった。
戦う力を持たぬ少女。
それでも、戦う少年の力になるために、ビルの屋上の端まで歩みを進めて大きく空気を吸い込んだ。
「アラタぁぁああ‼ 負けるなぁあああああああああァアアア――――――――――――ッッッ‼」
あらん限りの力を込めてミコトは叫んだ。
ただそれだけでよかったのだ。
ただ見守るのではない。
ただ祈るのでもない。
彼の戦いを見守り、彼の勝利を祈りながら、ひたすらに全力で想いを乗せた声を届ける。
ただそれだけで、天城ミコトは天城アラタの助けとなり、そして代えがたい力になることができるのだった。