第四章 そして鬼が目覚める 第15話
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「な、なにが起きて……サクヤ様、制御は……?」
「それが……くっ、ダメ……なんです! 最初はちゃんと制御できていたんですけど、あの大きな光の剣を生み出した途端に……その、神宝『天照』の権能が、まるで黒い激流に押し流されるように……呑み込まれて、あっ……うあァ、がああ、あああ⁉」
「サクヤ様⁉」
突然、主が漏らした苦痛の色を含んだ悲鳴に鴻上は振り返る。
どす黒い歪んだなにかがサクヤの全身を包み込もうと蠕動していた。
「……こ、鴻上、これは……やだ、なにかが、わた、くしのなかに……っ」
「まさか、神宝『天照』を介して鬼の霊力が逆流してきたとでも……? ……くそ、なぜだ……神宝『天照』の権能であれば黒き鬼姫の霊子でさえ制御下に置けるはず――」
そこまで口にして鴻上はある結論に辿り着いた。
どうにか耐えようとしているが、いまにも膝をつきそうな天城アラタの姿を一瞥して、彼はその可能性があり得るものだと認めるしかなかった。
「黒き鬼姫の忘れ形見……君は、そうか……なんてことだ、あの黒き鬼姫さえ凌駕するほどの力を、その身に宿していたというのか……⁉」
第二次百鬼大戦で全盛期の黒き鬼姫と直接対峙している鴻上だからこそ、あの忌まわしき力こそが世界で最高峰のものだと勝手に定義付けてしまっていた。
だからこそ、その力さえ抑えつけられる神々の宝物であれば、天城アラタの暴走を抑制できると踏んでいたのだ。
しかし、その想定は前提からして間違っていたのだと、認めるしかなかった。
「ぐっ……こうなっては、致し方あるまい……サクヤ様、神宝『天照』との接続を切ってください。このまま続ければ御身の霊核が鬼の霊子の逆流に耐え切れず破裂してしまう!」
「いえ、いいえ、ダメです! 私は、この帝都を統べる者として、こんなとこ……うあっ、うぅ……退くわけにはいかないのです……!」
「おやめください! もはや制御が不可能であるなら無理をしても意味はありません! ここで御子を失えばそれこそ帝都は再起不能なまで衰退して滅びます! この帝都の象徴たる御身の命だけは失うわけには――」
「黙りなさい、鴻上!」
サクヤは己を浸食せんとする苦痛に歯を食い縛りながらも叫んだ。
「御子であるなら命を優先して逃げろ? ふざけないでください。ここで私が諦めれば理性なき八つ首の竜と暴走したアラタさんが見境なく破壊を撒き散らしながら殺し合いをするでしょう。そうなったとき危機に晒されるのは一体誰ですか?」
「それは……」
「私はいままで民のためになにも為せずにいたお飾りの御子なのです。ですが……いえ、だからこそ……あなたが私の片腕として帰ってきてくれたいまこそ! この命を賭してでも民のためにやれるべきことをやらねばならないのです!」
サクヤのそれは感情論に過ぎない。
民を護ることが重要な御子の使命であるというのは間違っていないが、それで御子の命を危険に晒すことはこれより先の未来に影響することだ。御子室の頭の固い年寄に賛同したくはないが、世継ぎもいない現状で御子を失うわけにはいかないとサクヤを軟禁していた連中のほうが、鴻上の考えには近い。
しかし。
御子・カグヤなら間違いなくサクヤと同じ選択をしているはずだろう。鴻上が反対したところで聞く耳なんて持たず天城と二人で突っ走っていってしまう。
いまのサクヤの懸命に戦おうとする姿は――
「まったく合理的ではない。しかし、それでこそ帝都を統べる御子の姿に相応しい」
鴻上はもはやサクヤを止める術を持っていなかった。
いま彼にできることは、少しでも御子の支えになること、ただそれだけだろう。
影の使い魔をさらに二体増やし、それから鴻上本人はサクヤの傍らに寄り添った。
その小さくも強さを宿した背中にそっと触れる。
「気休めではありますが逆流する霊力を少しだけ肩代わりしましょう。もとより一度死に絶えた我が命。そして一度は魔性に侵されていた我が肉体――存分に使い潰してやりますとも」
「鴻上……ッ、感謝します!」
サクヤの全身にまるで蛇のように絡みついていた黒い霊子たちが、新たな獲物を見つけたと言わんばかりに傍らの鴻上を呑み込んでいく。
膨大な霊子に侵されながらも彼らは諦めるという概念を切り捨てた。
ただ勝つために。
ただ護るために。
ただ生きるために。
御子と従者は最後まで戦場に立つことを選んだのだ。