第四章 そして鬼が目覚める 第14話
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アラタの左胸に突き立てられた黄金の短剣が眩く光を放ち始めた。
神宝『天照』――黒き鬼姫のあまりに強大過ぎる力を制御すべく神々が造り出した装置――は、たしかに物質として存在していたカタチを霊子へと変換し、そのままアラタの心臓部――霊核へと取り込まれていくのだった。
左胸を突き刺されても痛みはなかった。
それはアラタが怪物であるからというわけではなく、そもそも黄金の刃に物理的な殺傷力が備わっていないせいだろう。
全身の霊子回路が不思議な穏やかさに包まれていく。
「これでアラタさんの霊子回路は、神宝『天照』を介して私の制御下に置かれました。私の全力を以てあなたの霊子が暴走せぬよう努めますので存分に力を振るってくださって大丈夫です!」
御子・サクヤが真剣な面持ちでそう告げた。
アラタは彼女の真っ直ぐな瞳に射抜かれたことで、迷いと戸惑いを振り払って白刃の大太刀へと手を伸ばした。
「サクヤ様、御身は私が護りますので意識は霊子制御に集中してください。神造の武装に備わった権能は同等の権能を行使できる御身にしか扱えませんので」
「それは道中で何度も小うるさく聞かされました。ちゃんと集中しますからご心配なさらぬように!」
少々鬱陶しそうに眉を顰めたサクヤ。
それを気に留めることもなく鴻上は右腕を中空に掲げた。ボウっと淡い霊子光が浮かび上がると包帯のように鴻上の腕にぐるぐると巻き付いた。
「さて、準備は整った。――影より出でよ、我が分御霊……汝は我なれば、主のために存在の限りを尽くそうぞ」
鴻上がぼそぼそと言霊を紡ぎながら右腕を振り下ろす。
すると、腕に巻き付いていた霊子光が勢いよく地面へと解き放たれ、それらは鴻上の影へと吸い込まれていった。
直後、彼の影が陽炎のように揺らめいて三つに増え、さらにそれらはゆらりと起き上がった。
そして、サクヤの正面を鴻上本人、左右と後方を動き出した黒い人型の影たちが取り囲んで、絶対防衛の布陣を作り上げる。
「最強の怪物――全てが終わったら俺が貴様を討つ。そのときまで俺は楽しみを取っておくことにするが構わんな?」
「上等だ。べつにアンタの助けなんざ最初からいらねぇんだよ、クソったれ」
アラタの返答を受けたジンは一度後退する。
廃墟ビルの屋上から見物を決め込むつもりらしい。
「……さてと、待たせたなクソ蛇野郎! 今度こそケリをつけてやるから覚悟しとけよ?」
その言葉が通じたわけではないだろうが巨竜の八つの頭が同時に咆哮を轟かせた。
全身に叩き付けられる衝撃。それを心地よいと言うようにアラタはにやりと口角を釣り上げて、それから意を決して『刹牙・清姫』の柄を一息に握りしめた。
竜頭のいくつかはサクヤのほうへ向かっていくが、そちらは鴻上がどうにかするだろうと期待して、アラタは正面だけを睨んでいた。
こちらに迫りくるのは五つの首だ。
既に鉄槌のような重さと威力を誇る竜頭の叩きつけがアラタの頭上から振り下ろされている。
「ぐ、ぅうう、ああああァアアア! 鬼の力だろうが、関係ねぇ……俺は、人間として、この力を使ってやらァアアアアア――――――――ッ‼」
激しい地響きが北外周区全土を震わせた。
容赦ない破砕音が響き渡る。舞い上がった砂煙と瓦礫の嵐が辺り一帯から視界を奪っていく。
果たして、
「それで終わりかよ、クソ蛇野郎」
アラタは健在だった。
その両手には紅白の大太刀が握られ、額からは禍々しく歪んだ双角が伸び、黒かった髪が闇を払ったような白髪へと変じていた。
一方で全身の皮膚は対照的に漆黒に染まり、紅玉のような深紅の双眸をより一層妖しく輝かせている。
五つの竜頭はしばらく殺し損ねた漆黒の鬼を睨みつけていた。
否、それらは睨みつけているのではなく、ただ一点を時が止まったように見つめているだけだ。
「散々デケェ図体で暴れ回りやがって。いい加減、大人しくなっておけ」
アラタが調子を確かめるように二刀を一振りして一歩踏み出した。
そのとき次元が切断された。まるで時が止まったように固まっていた五つの竜頭が、アラタが一歩踏み進めるたびにボロボロと崩れ落ちていく。
なにがなんだかわからない様子の巨竜であったが、しばらくして事態を理解したのか空一杯を悲鳴の咆哮で満たす。
だが直後に再生が始まる。
「させるかよ!」
一振り、二振り――アラタは歩みながら両手の二刀を幾度となく振るって空気を薙ぎ払う。
それらは文字通り空振りであるはずなのだ。しかし、紅白に煌く斬撃は対象との距離に関係なく狙った空間を刻み、完全に再生される前の竜頭を裂いていく。
もはや他に気を取られている場合ではないと、サクヤたちに狙いをつけていた竜頭も総動員でアラタを標的にする。
それが誤りだった。
一瞬のうちにすべての首が吹き飛んだ。
斬撃で断裂された切り口から黒き鬼姫と同等の霊子が溢れていく。だが、どれだけ復元を試みようとそれより先に|再生するはずだった次元に斬撃を設置されていては、いくら無限にも等しい霊子を供給しようと無駄に終わるだけだ。
ケモノに堕ちた蛇にはその判断すらできず、ひたすら無駄に霊子を消耗させていく。
そうこうしている間にアラタの準備が整った。
紅白の二振りがそれぞれの色彩の霊子光を眩く輝かせていた。再生を妨げる斬撃設置とは別に大太刀に霊子を込めて決着の一撃を準備していたのだ。
アラタが大太刀と一体と化した両腕を天高くに掲げる。
深紅と蒼白――双対の霊子光が互いに絡み合うように螺旋を描きながら一つとなる。
それは巨竜を滅ぼすに相応しい鬼神の刃。天を衝いて絶対の破壊をもたらす霊子にて形作られた双光の大剣。
しかし、その剣が突如歪んだ。
固定化されていた霊子力が崩れようとしているのだ。
「こ、いつで……おわら、せ――ぐ、ぅがァ……!」
双光の大剣に載せた霊子が漆黒に塗り潰されていく。
鬼の力がアラタを浸食せんと暴れ始めたのだった