第四章 そして鬼が目覚める 第13話
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アラタとジン、そして二人にまんまと誘導された巨竜は、荒れ果てた北外周区の地に足を踏み入れた。
十五年前から未だ復興が行き届いていない北外周区なら思う存分に力を振るえる――そう考えてのことだったが、しかし廃れた市街地には予想していない人影があった。
「おい嘘だろ! な、なんで人がこんな場所にいやがる!」
「いや、待て……ヤツは……」
ジンがその人影――不健康そうな痩せぎすの男を睨みつけた。
「貴様、鴻上光彰か? その肉体は既に俺の手で葬ったはずだが?」
一方で殺意を向けられた男は、肩を竦めながら己の腹部に視線を下ろして、それから赤い血色に染まった一点を撫でる。
彼はため息混じりに頷いた。
「ああ、あれは痛かった……実際、私は一度死んでいるわけだしな……」
だが、と不健康そうな男は静かな声音で続けた。
「私は『反魂術式』を己の肉体へと施しておいたのさ。故にこうして一度切り離された肉体と魂の結合に成功――ようやく蛇の支配から解放されたわけだ」
「まさか、貴様……俺に殺されるまでが読み通りだったとでも?」
ジンの問い掛けに痩せぎすの男は迷いなく首肯した。
「私の肉体はほとんど蛇に支配されていたが、僅かに残った意識でヤツを可能な限り誘導させてもらったよ。例えば、あの蛇が霊子術式を封却書庫から持ち出すのは止められないが、書庫から持ち出す霊子術式を極力役に立たないものを選ばせるよう誘導はできた――といった具合にな。蛇がすべて自分の意思で動いていると錯覚する程度に、私はヤツの行動に干渉し続けてきたのさ」
そこで男は一度目を伏せて、それから言葉を続けた。
「だが誘導にも限界があった。子供が八人……私の手で殺されてしまったし……ミコト様の身を危険に晒したのも私の落ち度に他ならない……」
「っ……!」
ジンと男の会話の中身はほとんど理解できなかったアラタだったが、いま男が口にした八人の子供については嫌でもなんのことか理解できてしまった。
故に、アラタは勢い任せに痩せぎすの男に掴み掛ろうとして、
「やめておけ。あの男を問い詰めても意味などない――そして、あちらも待ちくたびれたようだぞ?」
「チッ、二人だけでわかったように話しやがって!」
悪態をつきながらアラタは軽い跳躍で痩せぎすの男の傍らまで移動した。
直後、先ほどまでアラタがいた瓦礫の山へと竜頭が叩きつけられ、激しく轟音を響かせながらアスファルトが破砕された。
「はじめましてだな、忌まわしき鬼の忘れ形見……私に言いたいことがあるのは構わん。だがまずはあの卑しい大蛇をどうにかすべきだと思うがね」
「簡単に言いやがって、ヒョロガリ野郎」
「ヒョロガリ……いや、そんなことはいい。君は『最強の怪物』だろう? ぜひともその力を見せつけてやるといい」
「あんなデカいだけの木偶に負けるつもりはねぇよ。だけど頭を斬り落としても再生しやがるんじゃ手の打ちようねえだろうが」
アラタの言葉を受けた痩せぎすの男は「やれやれ」と嫌見たらしく肩を竦めてみせた。
「さすがは天城に拾われただけあって脳筋だ。頭を斬り落として再生される? だったら一撃で塵になるまで消し飛ばせばいいだけだろう」
「…………」
しれっと言ってのけた男の澄まし顔にアラタは唖然とする。
正直、どっちが脳筋なんだよ……、と叫びたくなる気分なのだった。
さらに、
「……なるほど。そういうことか」
襲いくる蛇の頭を弾くように追い払いながらジンが呟いた。
「鴻上光彰、貴様の考えは理解した。そういうことなら致し方あるまい。こんなつまらん蛇の処理は怪物に譲ってやる」
ジンがなにかを納得したように、白刃の大太刀をアラタの眼前に突き刺した。
察しが早くて助かる、と痩せぎすの男が満足げに頷いた。
「さあ、真なる最強の怪物として偽りの最凶の怪物を討ち滅ぼすときがきた。黒き鬼姫の二振りの太刀を手にすれば君はそれに足る力を得るだろう」
「……それは、つまり」
なんとなく男が言わんとすることは理解できた。
つまりは、二振りの太刀を手にすることで鬼の血を活性化させ、怪物としての性能を極限まで引き出せと言うことなのだろう。
初めてジンと刃を交えたとき、ただの共鳴反応だけで意識がどす黒い霊子に喰われそうになったことを、思い出す。
二振りの大太刀を手にしたら、あのとき以上の侵蝕がアラタを襲うはずだ。
要するに彼らはアラタに暴走しろと告げているも同然だった。
アラタの暴走はまだ記憶に新しい。
あのとき、いかに街に被害をもたらし、どれほど市民を恐怖させたか、忘れはしない。
いつまでもアラタが躊躇っていると、
「……安心したまえ。君を暴走させれば蛇よりも面倒なことになるのは承知のうえだ。ゆえに暴走の対策として帝都の民を統べる御子にご足労願った」
「御子……?」
アラタが首を傾げていると、廃墟の物陰からひょこっと少女が顔を出し、痩せぎすの男にじとり視線を向けていた。
「もう出てもいいんですか? まったく、危ないから隠れていろなんて……これでは私が出陣した意味がなくなってしまうではありませんか!」
「申し訳ありません。ですが件の蛇は獲物と見れば見境なく攻撃しますので、いましばらく身を隠しておいていただけますか? 少なくとも鬼姫の忘れ形見から作戦の了承を得るまでは」
「むぅ……」
どうも納得いかないという表情を浮かべながら、少女――いつぞや事務所を訪ねてきた令嬢によく似ている――は、ちらりと黄金に輝いた刀身の短剣を物陰から覗かせた。
「鴻上、ならばすぐに話を進めてください。はやく私も最後の戦いのお役に立ちたいのです。要するにこの短剣をさっさと使わせなさい」
「はい。御子室が保管していたその剣こそは、忌まわしき鬼姫を象徴する最後の鍵――神宝『天照』、即ち黒き鬼姫の二刀一剣の最後の一振り――」
鴻上と呼ばれた痩せぎすの男は物陰の少女を一瞥し、それから真っ直ぐにアラタに視線を向けてきた。
「あの一振りには黒き鬼姫の膨大な霊子を制御するための権能が備わっている。もっとも黒き鬼姫本人は、それを神から賜ったものだと嘯きながら、こんなもの必要ないと真っ先に捨てたのだがな」
こほん、と痩せぎすの男は咳払い。
それから改めるように告げる。
「余談をしている暇はなかったな。……つまりあの神宝『天照』を用いれば、君が暴走しないよう霊子の流れを制御でき――」
「えい!」
痩せぎすの男が言葉を言い終える前に、どこか可愛らしくもある少女の掛け声――音もなく、気配もなく、アラタさえ気付かぬ間に少女が物陰から飛び出していた。
そして、
「ちょっとチクッとしますが大丈夫ですからね!」
自信満々に繰り出された『看護師が注射を打つとき』のようなセリフ。
「は……?」
気付いたときには時既に遅し。
アラタの左胸に黄金の短剣がぷっすりと突き刺さっていた。
誰か教えてくれ。
なにがどうなっているんだ、と状況に置いていかれるアラタの胸中はいまにも泣き出しそうだった。




