第四章 そして鬼が目覚める 第12話
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帝都に住まうすべての民が、災禍の化身たる八首の竜を視界に収め、その心を恐怖と絶望に染め上げられた。
まるで、そんな弱々しい人間たちを嘲笑うかのように、八首の竜はズシリと巨大な体躯を動かす。大地を削りながら進路上にある建造物――十五年掛けて復興してきた街並みをあっさりと破壊していく。
そして。
帝都中心に位置する白亜の塔。
帝都の民にとっては終戦の象徴であり、これからの未来への希望だった塔。
ドゴン! とアメノミハシラの側面に竜頭が叩きつけられた。
龍は巨大な鈍器にも等しい八つの頭で、次から次へと連続で搭の外壁に衝撃を加えていく。
時間にして三十秒も掛からなかっただろうか?
帝都の民にとっての希望は、いとも容易く、呆気なく、ガラガラと鈍い音を立てて崩れ始めた。
誰もがこの世の終わりを感じていた。
あんな規格外の怪物に人間が敵うはずがない、と諦観してそれを眺めていた。
しかし。
この街には、誰もが認める最強の怪物であり、未熟であろうと人間として生きると決めた――そんなイレギュラーなヒーローが存在している。
崩れ落ちていく瓦礫の雨。
その中を大きく跳躍する影がそこにいたのだ。
「ったく、そんなに乱暴にノックしなくても、ちゃんとテメェの前に出てやるってんだ!」
「ひやぁあああ⁉ ちょ、ちょちょ、ちょっとアラタ、高いよ! 空、飛んでるよ、こ、こわいけど……なんかすごく楽しい気分かもしれない‼」
「安心しろ。ミコトを離しはしな――って、なんでちょっぴり楽しんでんだ、この状況考えろバカ!」
「へ、状況? ……あわわ、なにあのでっかい、蛇……? しかも頭が八つもあるし、街は大変ことになってるし……こんなの放っておくわけにはいかないよね?」
「ああ、そりゃ、こんなの放っておいたら帝都は壊滅だ」
だが、アラタはここで戦うべきなのだろうか? と、一瞬逡巡した。
規格外の怪物に対抗できるのは、規格外の怪物だけかもしれない。
その両者の戦いで生じる余波は間違いなく周囲を巻き込むだろう。余計な被害まで出してしまうかもしれないなんてアラタは考えていた。
一度、巨大蛇から距離の離れたビルの屋上に着地する。
しばしの間、アラタが沈黙しながら壊れた街を見つめていると、不意にミコトが手に触れてきた。
「アラタ、戦って」
「ミコト……オレは、本当に戦っていいのか……?」
こくん、とミコトは微笑みと共に頷きを返した。
「アラタの力は壊すためのモノじゃない。なにがあっても私はアラタの味方だから、怖がらないで――」
とても純真かつ真剣な眼差しに射抜かれ、それが怪物の背中をそっと押してくれる。
そうだ。
どちらにせよここでアラタが戦わなければ、あの巨大な蛇だか竜だかは間違いなく帝都を壊滅させる。
ならば、最初から選択肢なんて、ヒーローにあるはずがなかった。
「これが最後の大戦ってやつだ。ちょっくら行ってくるぜ、ミコト!」
「うん。今度はちゃんと帰りを待ってるから。行ってらっしゃい、アラタ!」
アラタはいま一度跳躍した。
その勢いのまま巨大蛇の頭の一つを握り締めた拳で殴りつける。
大きくよろけた蛇だったが、即座に他の頭たちが怒るような唸りを口端から漏らし、一斉にアラタに喰らいつこうと踊り掛かってくるのだった。
さすがにアラタと言えど、七本の竜頭が同時に四方八方から迫ってくるとなれば、避けきれない。
上空から振り下ろされた頭をアッパーで跳ね返し、側面から薙ぐように風を切ってくる頭を踵落しで叩き落したが、次に迫っていた頭を咄嗟に避けようとするも間に合わず脇腹を掠めた。
僅かに掠っただけとは思えない衝撃が全身を走り抜ける。
痛みにほんの一瞬動きが鈍ったアラタ。
その隙を逃すまいと残っていた四本の頭が不気味な赤い瞳を光らせたが、しかしその四本はアラタのもとに到達する寸前で悶えるようにうねりながら退いていく。
「え……?」
「この程度の相手に遅れを取るな。黒き鬼姫を凌駕した貴様を殺すのは、この俺だ――」
声がした。
そこに、切り刻まれた無残な白い軍服を身に纏って、二振りの大太刀を両手にした一人の青年の姿があった。
一目見ただけで満身創痍であることが伺えるほどボロボロだった。晒された左胸には心臓の代わりとでも言うように歪な機械が埋め込まれていた。
その機械の心臓が溢れんばかりの蒼光を煌々と輝かせている。
「なんだよ。アンタもやる気満々、って感じか?」
「フン。徒手空拳では戦い辛かろう。ついでに貴様の爪も拾ってきてやった」
受け取れ、と男が抜き身の太刀の片方を投げつけてくる。
ぎらりと深紅に輝く刀身――その大太刀の感触が手に馴染んでいく。外装パーツはなくなり機械的な大剣の面影はどこにも無い。それでもコイツが『絶爪・紅葉』であることは疑いようもなかった。
「オレとコイツが揃えば敵無し――まさに鬼に金棒ってやつだ!」
八つの竜頭が恨めしそうにアラタと青年――鏡月ジンを睨み据えた。
ジンは巨竜の敵意など受け流すように一歩踏み出して、その手に握りしめた『刹牙・清姫』の切っ先を竜の視線にぶつけていた。
「まずは首を落とす。随分と疲弊しているようだが……やれるな、最強?」
「ハッ! そっちこそボロッボロだろ。あんなクソババアにやられたアンタにちゃんとやれんのかよ?」
にやり、と両者はそれぞれ不敵な笑みを表情に刻んだ。
深紅と白銀。それぞれ異なる刀身の輝きを放つ大太刀を構え、アラタとジンは霊力を爆発させた大跳躍で空を舞う。
「まずは一本頂くぜ、デカブツ!」
「所詮はただの木偶。こんな雑魚では俺は満たされん」
巨竜の悲鳴じみた咆哮が天を衝いた。
振り下ろされた紅白の太刀がそれぞれ頭を一つずつ斬り落としていた。
「へっ、あと六本!」
「待て。そう簡単にいかんらしい」
鮮血の代わりにどす黒く歪んだ禍々しい霊子が傷口から噴射される――次の瞬間、その禍々しい霊子たちは収束し、凝り固まって竜頭のシルエットを作り上げていく。
そして、禍々しい霊子がバチンと弾けたとき、そこに斬り落としたはず頭が再現されていた。
「なっ、ウソだろ……おい⁉」
「フッ、あっさり再生してくれたな」
「フッ、じゃねえよ! そんな余裕こいてられる状況じゃないだろ、バカなのか⁉」
アラタは再生する敵を倒す方法を模索しながら叫んだ。
しかし、どうやらジンにはそのような叫び届いていないらしく、彼は楽しげに呟くのだった。
「たかが蛇の分際でなかなかどうして……クク、おもしろい!」
「おもしろい、じゃねえ! やっぱバカなのか……」
一瞬で片を付けるつもりだったが、そう簡単にはいかないことが証明された。
いつまでも帝都の中心で戦いを続けていては被害は広がるばかり。
「とりあえず、いまの一撃で蛇野郎の敵視はこっちに向いたと思うか?」
「……なるほど。貴様、やたらと周りを気にしていたのは、そういうことか」
最強の怪物が聞いて呆れる、とジンは肩を竦めた。
人々から畏怖される異名を持っている割に、やたら人間に肩入れして気を遣ってしまうのが、天城アラタという少年なのだった。
「戦場を移すのなら最適の場所がある。そこでいいか?」
「ああ、やっぱアンタもオレと同じ場所を思いついたか」
それじゃ、とアラタは地面に転がっていた瓦礫を掴み取って、それを全力で巨竜へと投げつけた。
再生したばかりの頭を剛速球ならぬ光速岩に打たれた巨竜は、ギロリと憎々しげに細められた蛇眼をアラタたちへと向けてきた。
「行くぞ。デカブツを北外周区へと誘導する」
「おら、来いよ! 楽しい鬼ごっこの時間だぜ!」
逃げる鬼と追い掛ける蛇。
なんともおかしな鬼ごっこが幕を開けたのだった。