第四章 そして鬼が目覚める 第11話
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市街地を闊歩し、破壊を撒き散らす魔獣は、まさに災害そのものだった。
巨象のような魔獣が、長い鼻を振るいビルの外壁を粉砕する。
頭上から降り注ぐ瓦礫を、すり抜けるように避けながら、桜香は魔獣へと接敵する。
地上から近づく小さな敵に気付いた巨象は、その蟻を叩き潰さんと再度巨木のような鼻を振るった。
横薙ぎに迫り来るそれに対して、桜香は愛刀『神楽桜』を鞘から引き抜いた。
「……花織流抜刀術・参の型――烈散花!」
一息の間に繰り出されたのは、神速の三連斬。
巨大な像の鼻が三分割に切り裂かれ、桜香の頭上と左右を過ぎ去っていく。
己の象徴たる部位を失った大型魔獣は、大きくバランスを崩しながら嘆くような咆哮を轟かせた。
その間に桜香は巨象の懐に飛び込んで、さらにそこから跳躍――。
「花織流・絶剣奥義――」
風を薙ぐ。
空気を引き裂く。
全霊の剣にてあらゆる敵を討つ。
花織の剣――桜香が辿り着いた一つの到達点。
誰かと競うこと。
誰かを見返すこと。
嫉妬と羨望と悔しさから鍛えられた少女の剣。
――私は、それを情けないと……その在り方は正しくないと……そう、思っていた……。
負い目があったのだ。
だから桜香は、自分の剣は『誰かを護るために鍛えてきた』なんて、そんな綺麗事で着飾った振りをして己を偽ってきた。
けれど。
嫉妬だろうが、悔しさだろうが――自分を強くしてくれるモノならいいじゃないか。
そんな桜香を、あの怪物――否、人間は信じてくれたのだから。
自己肯定。
そこに大義がなんてありはしない。
ちっぽけで矮小な自尊心の塊があるだけだ。
しかし、それこそが『花織桜香』だった。
――さぁ、見せてやろう。
嫉妬と羨望と悔しさに塗れた、愚かしくもただしい『人間』の強さというやつを。
愛刀を握る手に全身の力を乗せる。
今度は負けない。互いの力量も見誤ってなどいない。ちっぽけな身ではあるが、重ねてきた負の感情の研鑽は果てしなく――故に、それは正の力へと変換されて巨象と少女の差を反転させる。
解き放たれし奥義は一撃必滅。
「――桜花乱舞ッ!」
裂帛の気合いを吐き出しながら、桜香は空中で身を捻って狙いを定める。
刹那、無限の乱撃を収束させた――零の一太刀が象の額へと叩き込まれた。
象の硬質な皮膚が衝撃にぱっくりと割れる。
その瞬間を見逃さず、桜香は一息に象の頭部を鼻ごと真っ二つに斬り裂いた。
それが、終の一撃、となった。
「はぁ……はぁ……やっ、た……」
霊核を砕かれ爆発霧散する象の霊子光を浴びながら、桜香は勝利を掴んだ安堵に全身が震えるのを感じていた。
両者の戦いを空から地上から見守っていた低級魔獣たちが、ぞろぞろと桜香に背を向けて市街地から逃げ出していく。
巨大魔獣の敗北を目の当たりにして臆したのか――と、桜香はそう考えようとして、
「……え?」
そう単純な話ではないと気付いた。
市街地全体――否、帝都全体を不気味な地響きが包んでいた。
そして桜香は見た。
帝都東部に位置する山林地帯――鬼ヶ砦と呼ばれる忌まわしき魑魅魍魎の拠点だった場所――そこに空間を歪ませるように漆黒の渦が生まれていた。
「なに、アレ……?」
まるで真っ黒な太陽のようだった。
桜香が――この帝都で戦うあらゆる戦士たちが――呆然とその黒い『卵』を眺めることしかできなかった。
それは、そこにあるだけで恐怖だった。
それは、そこにあるだけで異質だった。
それは、そこにあるだけで危険だった。
やがて、真っ黒な『卵』は内側から殻を押し上げられたようにボコボコと突起を浮かばせる。さらに続けて表面に亀裂を生んでピキピキとひび割れていく。
鬼が出るか蛇が出るか――答えはすぐだった。
まず真っ黒な『卵』の左斜め上から竜頭が飛び出した。次いで右斜め後方から、さらに中央――最終的には八つの竜頭が現れたのだった。
そして『卵』だった禍々しい霊子が徐々にカタチを歪めていく。
蠢きながら構築されたのは、八首の竜頭を支える土台となる巨大な尾だった。
『ぎ、アァ……ニンゲン、ども……オレサマ、が……お、に……クロキオキヒメにカワル、異端の王――ぐ、ギギ、ガグゥアァァアァ――――ッ‼』
世界を震わせた声はひどくノイズ混じりで雑音のようだった。
しばらくその雑音が大気を振動させていたが、やがてか細くなっていきプツリと途絶えた。
その瞬間、八首の竜は一度糸が切れたようにすべての頭を垂らして動かなくなった。
「な、なんなのよ、脅かしてくれちゃって⁉」
これまでの大型魔獣と比べても数倍はある体躯を誇る異形の竜。その出現に肝を冷やした桜香だったが、すぐソレが動かなくなったことに安堵の息を吐く――つもりがそうはいかなくなった。
『――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!』
それはもう声でもなければ雑音ですらない。
災厄の咆哮が激しく天地を揺らして、この帝都に果てしない恐怖を振り撒いた。
八首の竜頭が再起動する。
その邪悪な深紅の瞳には既に意思はなく無機質。
ここに生まれ落ちたのは、たかが蛇でなければ鬼姫に代わる王でもなく――それは、ただ無差別な破壊を撒き散らす最悪の災厄であった。
「そりゃ、そう都合よくなんて、いくはずないか……ッ!」
桜香は戦慄に支配された体に必死に力を込める。
この長く果てしない戦い。どうやら未だに終わってくれないらしい。