第一章 怪物か、ヒーローか 第3話
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黒き鬼姫。
その名を知らぬものなど、この世界には一人としていないはずだ。
第二次百鬼大戦において、有象無象の魑魅魍魎どもをまとめ上げたカリスマ性に加え、たった一体で千を超える人間の軍勢を相手取った規格外の武芸――それは人類からすれば最凶最悪の脅威だっただろう。
同時に、魑魅魍魎からすれば、崇め称えるに値する英雄だった。
その美しき鬼の姫君がいるだけで、もはや人類側に勝ち目などないと言わせたほどだ。
だが彼女は消えた。第二次百鬼大戦の終結間際に姿を消した。それを皮切りに人類側の大逆転劇が始まった。
否――それはもう逆転劇などではない。
鬼姫を失った魑魅魍魎どもは、人間が手を出すまでもなく崩壊したとも言われている。
もしも、そんな伝説の血を受け継いだ者がいるとするならば、その者は生まれた瞬間にこの世において『最強』となるだろう。
ゆえに彼は――、
天城アラタは天性の怪物なのである。
「決闘、って……まさか、こんな準備してやがったのか、アイツ……」
時刻は一三時三〇分を過ぎたところ。
アラタは、自分のために用意された控室で、来るべきその時を待っていた。
『私たちの戦いに相応しい舞台は用意しておいたわ』
数時間前に突きつけられた言葉だ。
つまるところ花織桜香は、こちらの事務所に用件を伝えにくるより前から、霊力場式闘技場の使用許可を取っていたらしい。
本来は私用で使われるなんてありえないのだが――しかし、一身に人類を守護する対魔機動隊の隊員からの要望ともなれば簡単に許可が下りてしまう。名目上はあくまで『戦闘演習』と言ったところか。
職権乱用も甚だしい。
「でも、ここでならアラタのかっこいいところ、みんなに見てもらえるんじゃない?」
「……なるほど、そうか……ここでヒーローらしい姿を見せれば、オレは一気に英雄ってわけか……」
たまにはミコトもいいことを言う。
そう考えれば、こんな大仰な舞台を用意してくれた桜香には、感謝してもいいくらいだ。
「じゃあ、はい、おにぎり食べるでしょ?」
「おう。ありがとな」
ミコトから小ぶりで丸っこいおにぎりを受け取って、さっそく口に運んで腹を満たす。
一応、昼食はしっかりと食べてきたのだが、これから力を振るうとなれば、いくらでも補給はしておいて損はない。それに、人間を相手にして戦うというのは、アラタとしては初めてのことで緊張もある。
そういうとき、ずっと一緒の時間を生きてきたミコトがいると、とても落ち着く。
と、
「えい、ぐりぐり~」
「んな、やめ、バカ……!」
いきなりミコトが頭を撫でまわしてきた。
全力で抵抗して振り解きたいのに、彼女にこうされると不思議となにもできなくなる。ひたすら数分間撫でられて、ようやく解放されたアラタは妙な恥ずかしさに顔を背ける。
それから、そそくさと席を立ち上がった。
「も、もうすぐ時間だからオレは行く!」
「あ、じゃあ……んしょっと、やっぱり重いねこれ……っと、はい」
壁に立てかけておいた機械的な大剣を、ふらつく足取りで腕をプルプルと震わせながら、それでもミコトは運んできてくれた。
そんなことをせずともいいのに、この少女は昔から過保護でこっちが心配になる。
(……ったく、無理すんなってオレには言うくせに、どっちが無理してんだよ……)
「よし、それじゃあ、わたしは客席のほうに戻るね。沙都弥さんと一緒に全力の全開で応援するから頑張って!」
「あんまり恥ずかしい応援すんなよ」
「だいじょぶだって! あと、終わったらまた頭撫でるね!」
「それはいい! ほんと調子狂うからやめろってんだ、まったく! あと、撫でるときはもっと優しくしろバカ」
「えー、あれくらいが丁度いいんだよ~」
そんなやり取りをしながら、二人揃って控室から通路へと出る。
最後に交わすべき言葉は、
「行ってらっしゃい」
「行ってくる」
これ以外はお互いに見つからなかった。
アラタとミコトはそれぞれが向かうべき場所へと足を向ける。
薄暗い通路の先に眩い光。
そこに、いまアラタが打ち倒すべき、挑戦者がいる。
いざ舞台へと上がったアラタがまずその瞳に映したのは、桜色の和装にスタイルのいい身体を包んだ少女――否、戦士の姿だ。堂々とした出で立ちで待ち構える少女は、フッと呼吸を整えている。
やがて歓声が沸き上がる。
――はずだったのだが、異様なまでの静寂っぷりにアラタが観客席へと視線を移すと、そこにはポツポツと人の姿が点在しているだけだった。
対魔機動隊の隊員らしき若者が数人、それからミコトと沙都弥の二人が手を振っていて、あとはおそらくミコトが連れてきたのであろう近所の子供たちが、退屈そうにあくびをしていた。
あとは、闘技場から見上げた青空に、一羽のカラスが飛んでいるだけ。
まともな観客などいないも同然だった。
(……ヒーローの晴れ舞台にしちゃ、あまりにも寂しすぎるってもんだぜ……)
「なんだそんな顔をして。まさか、こんな宣伝もしていない私的な決闘に、客が入るとでも思っていたのか?」
「あん?」
図星を指摘されて視線を動かすと、闘技場の舞台の外側――そこに腕組する長身の女の姿があった。
対魔機動隊・帝都第三小隊の指揮官を務める加賀美だ。
「なんでテメェがここに……あっ、もしかして、あの女の子が決闘とか言い出したのは、テメェの差し金だったりするんじゃねえだろうな!」
「そんなわけあるか。どこにかわいい部下をお前と戦わせたがるヤツがいる」
やれやれと加賀美は肩を竦めて、精神を集中させる少女のほうをちらりと一瞥した。
「ま、どうしてもお前とやりたいってんでな。ああいうバカはいっぺん痛い目を見ておかないと、そのうち勝手に自殺しやがる。だから遠慮はせずに、とことん痛めつけて、泣かせてやってくれ」
「加賀美指揮官はどっちの味方ですか!」
「もちろんお前の味方だよ」
だからこそ現実を認めさせる。
この世界には個人の力では到底太刀打ちのできない相手がいる。
それを未熟で夢見がちな少女に気付かせる。それこそ加賀美がこの無意味な決闘を許可した理由に他ならない。
「ともかくこの決闘のレフェリーは私がさせてもらう。いいか頭でっかちのバカども、ここからは私の言葉が絶対だ」
「なんでもいいよ、オレは」
「審判の声には従います」
舞台で相対する二人が了承の意を返すと、加賀美はうむと満足したように頷きながら、最後にこの決闘におけるルールを説明した。
「まず知ってのとおりこの闘技場は霊力場式だ。決闘開始から決着まで舞台外周には結界が張られ、場外からの乱入などは一切ないので安心して戦いに専念するといい。もちろん場内で起きた攻撃も基本的に外に漏れることはないが……」
突然、加賀美が言いよどんでアラタに視線を向けてきた。
面倒くさそうにアラタが小さく頷くと、彼女はホッと一息吐き出して続ける。
「ま、そういうわけで、ある程度は全力でやって問題はない。次に……ええと、二人ともバイタルリングは腕につけているな?」
問われた二人は揃って頷く。
アラタの手首には青色の、桜香には桃色の輪が着けられている。
「それは装着者の状態が危険域に達したときに砕ける。どちらかのバイタルリングが破損した段階で試合は決着だ。……とまあ、伝えておくべきルールはこんなものか」
さて、と加賀美は一息ついた。
そうして、
「両者とも位置についているな?」
闘技者たちに緊迫が走る。
アラタと桜香がそれぞれの得物を構えたのを合図に、
「それでは決闘開始!」