第四章 そして鬼が目覚める 第7話
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深淵の闇に包まれたアメノミハシラ内部は静寂に包まれていた。
これまでにない軍勢が待ち受けている……、なんて考えて身構えていたアラタとしては、少しばかり拍子抜けであった。
人間ならば、基本的な戦術として、本陣の守りを強固にするのだろう。だが、相手が黒き鬼姫となれば、人の常識など通用するはずもない。
第二次百鬼大戦で無双を誇った鬼は、己の敗北など頭には浮かんでいないのだろう。
故に戦力はすべて攻めに回しているといわけだ。
おかげで、
「まずいな、ちょっと……」
アラタが漏らした言葉が塔内部に反響する。
アメノミハシラ到達までの道中で幾度となく魑魅魍魎どもと遭遇し、そのことごとくを退けたはいいが『絶爪・紅葉(改)』のカートリッジはほとんど使い果たしてしまった。『粉砕炸裂』はカートリッジ一つからでも使用できるが、それを前提にしてもあと三発撃てるかどうかだ。まして黒き鬼姫という未知の相手に勝つとなれば――可能な限り威力を増幅させるためのカートリッジ同時使用が求められるだろう。
つまり、必殺が使えるのは一度きりと考えたほうがいい。
(……くそ、茉莉に文句言われそうだな、こりゃ……)
はあ、とため息。
この機械式大剣を設計した少女の「残弾には気を付けて戦え」という忠告を聞き流してきたのが悪かった。
いくら急いでいたとはいえ、雑魚を蹴散らすために必殺を連発したのは、まずい。
だが嘆いていても仕方がない。
アラタは塔の地下へと続いているらしい螺旋階段を発見し、しばらく律儀に駆け下りて――やがて面倒になって吹き抜けを飛び降りた。
重力に引かれるがまま落ちていく。
この塔の地下がどこまで続いているかはわからないが、そこは強靭な肉体を生まれながら持つアラタなら、特に問題なく着地できるだろう。
ズン、と足裏から衝撃が全身を突き抜ける。
塔の最下層に広がっていた空間に暴風が巻き起こった。
果たしてそこに、
「『なかなか豪快な登場よな』」
ミコトの姿をした黒き鬼姫がいた。
彼女はゆらりと椿のように美しい紅眼を揺らめかし、やがてアラタの右手――かつての愛刀だったものに目を向けた。
まるで小娘のように首を傾げて、やがて眉を顰めながら、凛とした鈴の鳴るような声を漏らす。
「『これはまた随分と無粋な姿になったものよな。それはそれで面白くはあるが……いや、とはいえ、デカいのは妾の性にはあわんのだが』」
「安心しろよ。こいつはテメエの武器じゃねえ。オレの相棒だ」
そう言い放ってアラタは機械式大剣を肩に担ぐ。
黒き鬼姫は実に愉快だと笑みを浮かべる。
「『ふむ、かつての我が根城で見たときより覇気が出てきたのう』」
よいぞ、と彼女は一つ頷いた。
「『それでこそ、我が胎より生まれた子じゃ』」
「なあ……ほんとに、あんたが……オレの、お母さん、なのか……?」
不意にアラタはそんなことを訊ねてしまった。
本当は聞くつもりなどなかった。
いまはミコトを助けることだけを考えるべきなのに、こうして相対したいまアラタは我慢することができなかった。
黒き鬼姫が本当の母親としてアラタのことをどう思っている。
それが知りたかった。
やがて黒き鬼姫は神妙な面持ちで語る。
「『無論、主は我が子である。だが……妾は母親などではない、と思うぞ? 正直に言ってしまえば主のことなどなんとも思っていない。胎より生みはしたが、どう育とうが勝手じゃ。無論、愛など与えてやるつもりもない』」
「そう、かよ……」
「『なぜ哀しげな顔をする? 我らのような人外は生まれたそのときから、愛情などとは無縁なはずじゃろうてな? なにせ、生まれた瞬間から親と殺し合い、そして力を奪うような連中とているほどだ』」
それなのに、と。
「『なぜ人間のように愛情を欲しがる?』」
「知るかよ、クソババア!」
己が母親に対する最大の暴言を吐き捨ててアラタは地を蹴った。
勢いよく振り下ろした大剣が、白刃の太刀によって受け止められる。
激しく火花が散って、濃密な闇を蛍のように、淡く照らしていく。アラタの怪力が繰り出す一撃一撃を母親たる鬼は愉しむように捌いていく。
もうどうでもいい。
相手が母親だろうがただの怪物だろうが関係ない。
当初の目的を思い出せ。
なにより大切なのは天城ミコトという存在だ。
本来なら愛情など知るはずのない人外に、精一杯に山盛りの愛情を与えてくれた彼女をこの手で助ける。
黒き鬼姫が生み出した暗闇の中から、なにがなんでも引っ張り出して、あるべき場所へと二人で帰るのだ。
アラタの豪快な剣閃を、華麗な太刀捌きであしらう鬼姫は、あくまで余裕だった。
だが彼女は知らない。かつての愛刀――いまやその形を大きく変えた『絶爪・紅葉』に人間が施した必殺を。
そして、何度目かになる打ち合いで、鍔迫り合いへと移行する。
この瞬間を待っていた。
重なり合った刃越しで十分だ。絶対にして最強にして必殺たる一撃をぶち込む。
大剣の柄に備えられたトリガーを連続で引き絞り、アラタはあらん限りに声を張り上げて叫ぶ。
「粉砕炸裂――最大出力ッ!!」
破壊が巻き起こされる。
膨大な霊力の奔流が、鎬を削る『刹牙・清姫』ごと、黒き鬼姫を呑み込んだ。
大剣を握りしめた両腕に激しい痺れが訪れた。同時に確かな手応えを掌に感じた。
しばしの静寂が生まれた末に――。
「『ほう。これが主の全力か?』」
涼しげな声が耳を打った。
アラタがハッとして面を上げると、和装をボロボロに引き裂かれながらも、その美しく艶やかな体には傷一つない黒き鬼姫がそこにいた。
アラタが『最強』と呼ばれる所以は、果たしてなぜだったか?
強靭な肉体に、ふざけた破壊を巻き起こす怪物――そして黒き鬼姫の子だったからだ。
ならば『最強』を生み出した母親は一体なんだ?
無双にして無敗。魑魅魍魎の頂点に君臨した鬼姫だ。人間という枠組から見上げて『最強』なのではなく、あらゆる存在が認める本物の『最強』がこの鬼なのだった。