第四章 そして鬼が目覚める 第6話
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魑魅魍魎跋扈する帝都にアラタたちが立ち上がる数刻前のこと。
黒き鬼姫/ミコトは、不快な頭痛に見舞われながら、此度の戦の拠点となるアメノミハシラへと帰還した。
「『チッ……この肉体、霊子回路は妾によく馴染むのだが、いささか我が強いのがよくない、か……』」
舌打ちと共に黒き鬼姫はかぶりを振る。
一時凌ぎではあるが、憑代たる少女の意識を強引に払い除け、人格の所有権を奪ったのだ。
「……不調なようだな。俺が越えるべき敵として不甲斐ない姿を晒すな」
アメノミハシラ内部。
密閉された塔の内側に静かな声を反響させたのは、白を基調とした軍服のような衣を纏った青年だった。
「その娘を憑代に現世に舞い戻ったときは、完全に肉体の所有権を獲得しているように思えたのだがな」
「『フン、たしかに貴様の言うとおり、最初からこの娘の意識など消し去れた』」
だが、と。
鬼姫は肩を竦めながら続ける。
「『それでは面白くなかろうよ。せっかく、この娘の歪みきった意識を表層に出してやれば、愚かな人間どもが一瞬で躊躇いと動揺を抱くのだ。ならば、それをうまく利用せねば、な?』」
黒き鬼姫は一見状況を楽しんでいるようにも思えた。
だが、同時に『強がっている』ようにも、鏡月ジンの瞳には映っていた。
実際、すぐに鬼姫の表情から余裕ぶった色は消え去り、なにか腹を立てたように眉を顰めた。
「『しかし、我が胎より生まれた鬼なんぞを、なにゆえそこまで「愛」するというのか……ああ、まったく、いやはやカグヤの血筋を継いでいるだけあって、こやつもさぞ面倒な娘のようだ……気に入らん!』」
「ならば俺が貴様の気晴らしに付き合ってやろうか?」
「『なんだと?』」
黒き鬼姫は、まるで興味もない機械人形に対して、殺気を孕んだ視線を投げかけた。
並みの人間であればそれだけで動けなくなるほどの圧力だったが、生憎と既に人間として死んだ戦闘兵器はそれを受けても眉一つ動かさなかった。
むしろ、歓喜するように瞳を輝かせ、黒き鬼姫に殺意を返す。
「貴様が二刀を取り戻すまでは我慢するつもりだったのだがな。……いや、貴様が絶爪の奪還に失敗したのであれば、もはやこれ以上待つのも飽きたというものでね」
「『たかが人形風情が。妾の封印を解いた功績ゆえに生かしておいてやったが、いらぬ口で戯言をほざくというのなら望み通りに壊してやろうぞ』」
にやり、と戦闘兵器としてしか己の存在意義を見出せない男は、ようやく無表情を崩して笑みを浮かべた。
「く、くく、はははは! 俺は――この死に体は、もとより貴様という最悪の鬼を討つために造られたモノ! ならばその本懐を遂げるこの瞬間こそを望み待ち侘びていた!」
「『……人間ともが作り上げた戦闘兵器、か』」
黒き鬼姫は大太刀『刹牙・清姫』を煌かせ、戯れと言うようにジンに向かって投げつけた。
「『しかして、その兵器の実態は――我ら異形の種よりもイカれたオンボロ人形、であったか』」
「なんのつもりだ?」
抜き身の大太刀を右手に拾い上げながらジンは鬼姫を睨んだ。
「『我が愛刀を貴様の手で遊ばせてやろうと言うのだ。妾が寝ている間に勝手に振り回しておったのだから、すっかりソレの扱いも慣れたものであろう?』」
「……気分が悪くなるような真似をしてくれる」
ジンは、握り締めた大太刀で闇に包まれた空気を一閃して、その調子を確かめた。
「せいぜい後悔するなよ。貴様は、己が愛刀によって、その存在を終えることになる!」
ジンの疑似霊子核が最大稼働する。
青年の全身から蒼炎が沸き上がり、常人にはとても耐えきれない霊子力の奔流が、嵐となってアメノミハシラ内部に巻き起こる。
「『くく、たわけめ! 戯言は一秒たりでも妾を満足させてからほざくことぞ!』」
黒き鬼姫は両手を鷹揚に広げて戦闘兵器の初撃を待ち構えた。
得物も無ければ構えすらない無防備な姿。だが彼女にとってはそれだけで十分だった。
アメノミハシラが強大な力の激突に揺れた。
それは、最後の決戦を前に繰り広げられる、ほんの僅かばかりの余興――。