第四章 そして鬼が目覚める 第3話
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「は……?」
アラタは言葉を失って目を丸くした。
沙都弥がまくしたてるように語った言葉の意味が分からない。
黒き鬼姫が復活した?
それがミコトだと?
あまりにも無茶苦茶だ。
まとまりがなく、その一つ一つの単語は、決して繋がるはずのないものだ。
「私も最初は意味が分からなかった」
そう切り出したのは桜香だった。
彼女は語る。おそらく沙都弥から聞かされたであろう真実を。
曰く、第二次百鬼大戦の顛末は、御子室と黒き鬼姫が盟約を交わすことだった。
曰く、盟約とは、黒き鬼姫が支配下の魑魅魍魎と共に自ら次元境界に封じられる代わりに、御子室はある呪いを受けることを要求された。
その呪いとは、黒き鬼姫の『憑代』となる赤子が御子室の血筋から生まれる、というものだった。
曰く、盟約のとおり二代目御子・カグヤの生んだ双子の片割れが、『憑代』の証たる『鬼の烙印』を持って生まれた。
本来、鬼姫復活のカギとなるその赤子は、忌子として処分されるはずだった。しかし、カグヤにはそれが出来なかったという。
そして悲劇は起きた。
憑代であった少女と、黒き鬼姫の血脈、そして触媒となる二刀一剣の一つ――『刹牙・清姫』が揃うことで地獄の門は開かれた。
魑魅魍魎が跋扈する『百鬼夜行』が帝都を襲った。
そして、それを指揮する黒き鬼姫――その憑代が天城ミコトである。
「……どういうことだ、沙都弥……ミコトが、なんで……」
「……すまん。私が愚かだった。お前の側においておけば安全だと油断していた。だが、いまとなっては、もう嘆いていても仕方が――」
「ちげぇよ! そうじゃねえ、なんであいつなんだ! ミコトは普通の女の子だろっ! 黒き鬼姫だの御子室だの憑代だの関係ねぇはずだろっ! あいつはお節介で、うるさくて、でもいつだって笑顔で『行ってらっしゃい』って送り出してくれて……」
アラタは勢いのままに沙都弥の胸ぐらを掴んで、そのまま萌葱色の芝生に力任せに押し倒していた。真っ直ぐにその女の瞳を見据えて――微動だにしないその瞳が、すべて事実であると告げていた。
「嘘、だよな……なぁ、おい……?」
しばらくアラタは身動きが取れなくなった。
全身の血が凍えるようで体が寒い。
そのときだった。
「『クク、これはまた大胆なことをしとるのう、妾の胎より生まれた鬼よ』」
まるで頭に直接響くような澄んだ声。
そう。この殺気だ。桜香が語って沙都弥が告げた真実も衝撃ではあったが、なにより森羅万象を震え上がらせるような殺気にアラタは動けないのだ。
まともに言うことを聞かない体に鞭を打って視線を声――否、殺気へと向ける。
そこに、よく見知った、誰より愛しい少女の姿があった。
しかし、その身に纏うのは彼女らしくもない、黒地に紅椿の刺繍を施した和装だった。
見慣れた白く小さな右手には、いつぞや襲撃者の男が手にしていたはずの大太刀が、ぎらりと陽光を反射しながら握られている。
その異物たちのせいで、アラタの記憶にある最愛の少女と目の前の少女が、まるで結びつかない。
「みこ、と……?」
「ん? なあに、アラタ?」
ぞくり、と背筋が震えた。
殺気が一瞬に消えて全身が自由を取り戻す。
けれど、耳に馴染む声を発した少女には、ひたすら違和感しかなかった。
惚けたような眼でこちらを見つめながら、嬉しそうにその口許を歪ませる。
「もう、アラタってば、またこんなところに引き籠ってたの?」
ミコトは和装の袖を揺らしながら両腕を広げた。
「ほら、おいで? また抱きしめてあげるから」
「っ……!?」
そのミコトの言葉にアラタは思わず後退ってしまう。
それに対して彼女は反応を示した。拒絶されたことを悲しむように項垂れるその姿に、なにがなんなのかわからなくなる。
そして、沙都弥がミコトを睨みつけた。
「あまり良い趣味とは言えんぞ、鬼姫!」
「『クク、ハハハハ! そう憤るな。カグヤの片腕よ。言っておくが妾はなにもしとらんぞ? この憑代の娘はあろうことか妾の子を好いているらしいでなぁ。それが少しばかり汚染されて歪んでしまっただけよ』」
また頭に直接届いてくる声。
ひどく不快で不愉快。けれどなぜか愛おしくもある。
そんな不思議な声だった。
「『しかし、やはり楽しいな、現世は。なにより人間が愛おしい』」
「ふざけるな。こんなやり方で……先代御子・カグヤを……いや、現御子であるサクヤ様さえも苦しめておきながら……っ!」
クハハ、と漆黒の和装で着飾った鬼姫が嗤った。
「『おいおい、カグヤの片腕よ。人類に平穏を取り戻すために盟約に応じたのはカグヤぞ。妾はそれを提案しただけに過ぎん。おかげこの十五年、人間は比較的平和だったろう? だが十五年、か……ふむ、思ったよりもはやかったものだなぁ』」
「なにが、言いたい?」
柄にもなく沙都弥は全身を戦慄かせていた。
かつての仇敵がなにを言いたいのかなど、既に理解していながらも問わずにはいられないほどに。
ミコト――否、黒き鬼姫は高らかに笑う。
「『カグヤも愚かよのう! 威勢よく要求に応じたくせに、生まれたこの娘を殺せなんだとは実に愚かしい! だがそこが愛おしい。我々人外は生まれたときから役割が決まっておる。鬼が人間の脅威としてあるように、化け狐が人間を騙す存在であるように、姑獲鳥が子を攫うように……』」
しかし、と楽しげに鬼姫は続ける。
「『人間は己で道を選ぶことができる。故に妾は選択させてやったのだ。我が子を殺すか、殺せず妾の復活に怯えるか……ククク、カグヤめの苦悩が浮かぶぞ。そして彼奴は後者を選択した』」
その結果がこれだ、と鬼は語った。
「貴様、それ以上あの方を愚弄するなっ!」
もはや聞くに堪えない、と。
我慢の限界に達したら沙都弥が、明確な殺意を宿して吼えたのだった。