第四章 そして鬼が目覚める 第2話
02
あれからどれくらい経ったのだろうか?
夜が四回訪れたところまではアラタも数えていたが、それからは面倒になってあらゆる思考を放棄した。
少なくとも一週間は経っているだろう。けれど正確な経過日数はわからない。こういうとき、人間ならば暦を見てすぐに日付を確認できることに、改めて彼らの生活が便利なものだと思わずにはいられない。
帝都郊外にそびえる霊山――通称・鬼ヶ砦の奥地にアラタはひっそりと存在していた。
身に纏っていた衣服は泥に汚れ、あちこち木の枝に引っ掛けたせいかボロボロで、もはや見るに堪えない状態になっている。
きっとミコトがいたら「はやくお風呂に入りなさい!」「まったく洗濯する人間のことも考えてよね!」なんて怒るのだろう。
けれど、もう関係ない。
ここには野生に戻った怪物と、ずっとこの地で暮らす野生の動物しかいないのだから。
すべては七年前に戻っただけのこと。
違いと言えば、人間社会の価値観・道徳感に馴染み過ぎたせいで、動物を嬲り殺して食べるのをやめたことだろうか。
昔はなんの感慨もなく、生きるためにやっていたが、いまはさすがに躊躇われる。
おかげで木の実やら食べられそうな雑草を探して食い凌ぐ日々が続いている。
まるで草食動物になったような気分である。
ちゅん、ちゅんちゅん、とアラタの肩に留まったスズメが鳴いた。
「おっ、やっと雛が生まれたのか? 大事に育てろよ、はは」
スズメの言葉がわかるわけではない。
だが、その鳴き声と動きでなんとなく意味は通じて、それなりに動物とは意思疎通ができる。
天性の怪物ゆえか、あるいは一〇年の野生生活を経験している賜物かは、アラタ自身よくわかってはいない。
昔なら動物たちに懐かれるなんてありえなかったが、いまは奇妙な友人がたくさんいる。
しばらくスズメと意思疎通して、それからリスにどんぐりを分け与えてやって――パキリ、と木枝を踏みしめる音が耳を叩いた。
その気配に動物たちが一斉に逃げていく。
「おい、誰だ?」
アラタは廃れた社に背を預けながら問う。
腐っても怪物だ。あれだけの被害を巻き起こした危険な存在だ。その危険因子を排除せんと人間が動くのも無理はない。
だから、ついにその時が来たと悟って――、
「動物どもが逃げ出すまで私に気付かんかったな? そんな腑抜けた様子じゃあっさり殺されるぞ、こんのバカモノが!」
「チッ……」
思わず舌打ちが漏れてしまう。
「なんだよ。いまさらオレになんの用だ、沙都弥」
相変わらずスーツを着崩した女がそこにいた。着崩していようがいまいが、とても自然に囲まれた山道を登ってくる格好ではないが。
「私一人じゃないぞ。ったく、それすら気付いていなかったか?」
「……ひさし、ぶり」
沙都弥に次いで木陰から現れたのは桜香だった。
ずきん、と胸に痛みが走る。
いまこの二人の顔を見たくはなかった。ようやく七年間の人間生活を忘れられそうだったのに。その七年間の中でも色濃い記憶を残した二人の姿に心が揺らぐ。
さんざんアラタをこき使ってくれた沙都弥。
真正面からアラタを超えようと挑んできて、なんでか一緒に遊んだりもした桜香。
「……で、改めてなんだよ?」
「えっと……その、いろいろ話したいことはあるけど、ごめん。子供たちが死んでたって、それを聞いて……でも、それはアンタのせいじゃ、ないと思うから……あ、だから、すぐ言いに来るつもりだったけど……忙しくて……」
他人を慰めるなんてほとんど経験がないのだろう。
桜香はうまく言葉が紡げない様子で、もじもじともどかしそうな表情を浮かべている。
だが言いたいことは伝わった。
おかげで嫌な光景が脳裏に蘇ったりもしたが。
一方、沙都弥は煩わしそうに桜香を押し退けて、
「そんなことはどうでもいい。こいつを慰めている時間なんていまの私たちにはないんだ。悪いがさっさと本題に移らせてもらうぞ」
「本題? なんだよ、またテメェの代理で戦えってか?」
沙都弥は一瞬瞳を伏せて考える素振りを見せる。それからかぶりを振って「いや違うな」と告げた。
「これからお前は私の――誰かの代わりなどではなく、お前自身の戦いをすることになるんだ」
「俺、自身……?」
アラタは首を傾げて言葉を反芻した。
沙都弥は、そんなアラタを逃がさないと言うように、真っ直ぐに瞳を向けてくるのだった。
「いいか、よく聞けよ? いま帝都では黒き鬼姫が復活して魑魅魍魎どもが暴れまわってる」
「っ……だとしても、俺が行っても被害を無駄に広げるだけ――」
「いいから黙って最後まで聞け!」
いままで見たこともない沙都弥の真剣な表情にアラタは気圧されてしまう。
そして、彼女は最重要項目を口にした。
「いまの黒き鬼姫――我らの最大の仇敵は、ミコトだ」